『破天のディベルバイス』第10話 来るべき明日⑥
⑤ブリークス・デスモス
ザキを殺害した二日後、その遺体は発見され、彼に火星への亡命未遂、発掘資源の記録改竄などの疑惑が掛けられた事件は、被疑者死亡という形で書類送検された。それから、今日で一週間が経過する。また、水獄のホライゾンを撃沈したディベルバイスの乗組員たち、ユーゲントを中心とする子供たちから小賢しい交渉が持ち込まれてからは、丁度二週間になった。
ホライゾンとの戦闘映像と共に送られてきた彼らの要求は、自分たちの宇宙連合からの独立だった。ディベルバイスが他のフリュム船に勝利し得る、という証拠を用意した上で、現在宇宙戦争を行っている二つの陣営のうち、自分たちを攻撃した者たちとは反対の側にこれを渡す、という、双方の動きを牽制する条件を提示し、自分たちに対してフリュム計画の行っている情報統制を解除しろ、と更に要求を重ね、完全にこの戦争から離脱するつもりのようだった。
ブリークスとしては、彼らが宇宙連合軍から発生した者たちである以上、過激派にディベルバイスを本当に引き渡す事はないだろう、と思っていた。実際彼らは、民間人を顧みずに戦うラトリア・ルミレースのやり方をこれまで見てきたはずだ。だが、自分たちが彼らの要求を受け入れずに攻撃を仕掛けたら、また別のリスクが発生する可能性がある。即ち、同様の要求を彼らから受け取るであろうラトリア・ルミレースが、ブリークスの攻撃を”蛮行”としてプロパガンダに利用する事。その際、彼らがフリュム船の情報を公開したら、それにも信憑性を与えてしまう。
ブリークスが現在選んだのは、「放置する」という方法だった。
彼らは少なくとも、住民から見捨てられた中立ユニット、ニルバナを再利用すると宣言しているので、ブリークスが何らかの返答を出すまで動かないだろう。そのまま現在の戦争が終わり、ラトリア・ルミレースの脅威がなくなれば、自分たちは大手を振って彼らを攻撃出来る。もし戦争が長引いたとしても、ユニット内の食糧を含む資源はいつか枯渇する。彼らは干乾しとなり、ニルバナから出てこざるを得なくなるだろう。そうなれば、これもまたディベルバイスを攻撃する機会となる。
問題は、ニルバナに元々住んでいた住民たちだった。ホライゾンがディベルバイスを探し当てるとほぼ同時に、彼らから連絡があったのだ。ディベルバイスに乗っていたのはユーゲントと訓練生たちだった、彼らを保護して欲しい、と。しかしブリークスには、彼らの言葉が本心だとは思えなかった。
きっと、ディベルバイスの子供たちは村人たちに、自分たちは連合の情報操作によって過激派に仕立て上げられた、ブリークスが自分たちを狙っている、と告げていただろう。ニルバナの者たちはこの戦争に於いて中立であるのだから、彼らが過激派の特殊部隊と信じ込んでいるディベルバイスの乗組員が子供たちだけだった事に驚いた時、子供たちが「報道されている情報は連合の早とちりだった」などと嘘を伝える必要もない。
村人たちは、ブリークスが本当に彼らを保護するとは思っていない。引き渡しは、利害の一致するブリークスにあの子供たちを引き取って処分して貰う事であり、厄介払いが出来るのであれば構わない、という魂胆だろう。
ホライゾンを動かした以上、隘路はどのような小さなものであっても除かねばならない。だから、ブリークスは村人たちに騙された振りをした。自分の早とちりで人類生存圏全域を騒がせてしまった、すぐに彼らを保護しに行く、と言い、またディベルバイスの事を口外しないように、とさりげなく圧も掛けた。彼らがこちらを騙そうとしているのであれば、このささやかな脅しは効くはずだ。その上で、ホライゾンをニルバナに差し向けると同時に、村人たちを密殺する。
ガイス・グラの、リージョン一近郊での過激派残党制圧の際、ブリークスは隙を見て村人たちの民間船を襲撃させた。護衛艦トラジェクションを一隻沈没させる事には成功したが、ここでミスが起こった。
村人たちも、戦場の傍を通るという事で警戒していたのか、民間輸送船と他の護衛艦を逸早く避難させていたのだ。その後、取り逃がした船は信号を切り、行方を晦ましてしまった。結果として出来上がった事実は、宇宙連合軍が中立ユニットの民間船を破壊した、という事だけだ。
彼らからは、あの後連絡がない。もし、彼らがこの事で、ブリークスの目的があの子供たちを抹殺する為にニルバナを潰す事だと勘付いたのなら、彼らはユニットに戻ろうとするかもしれない。ホライゾンが沈められてしまった以上、彼らのその行動が一か八かの賭けであっても、成功は目に見えている。
ホライゾンの撃沈から十八日。リージョン一から村人たちがニルバナに引き返したのだとしたら、そろそろ到着する頃だ。ブリークスは月面奪還作戦の為、衛星軌道上の護星機士を結集させる傍ら、自らの直属を用いて村人たちを捜索させた。だが、未だに発見の連絡は入っていない。
ここ数日間、ブリークスは空き時間になると、神経を休める暇もなく電話と睨み合う事を続けていた。近いうちに届くであろう連絡が、吉と出るか凶と出るか。そのような事を考える一方で、自分のその行動を客観的に見つめ、冷めたような視線を送ってくるもう一人の自分が、心の中に存在していた。
(私は何故、ここまで細い神経なのだろうか)
サウロ長官を葬り、フリュム計画の主導権は自分が掌握しつつある。ホライゾンをみすみす沈められてしまった事は痛手だが、その責任もザキに転嫁されたまま自分に責めは及ばなかった。では、自分が恐れているものとは何なのか。
それは、フリュム計画を取り巻く宇宙連合という本質的な組織であり、連合を構成するコラボユニットの”世論”だった。フリュム計画は一大プロジェクトだが、所詮は巨大な宇宙連合と比べれば小さな組織に過ぎない。計画内での自分の立ち位置がどうであれ、連合本体から睨まれればそれで終わりだ。
自分には野心がある。抑えられない、猛獣のような求心を胸の内に飼っている事は知っていた。だが一度進み出したそれに、いつか失うのではないかと心の平穏が奪われる事は、自分の業ともいえる性情だった。
窮乏した火星圏の、農家の六男。その自分が、宿命に抗って到達したのが、現在の連合軍大佐という階級だ。自分が安寧を手に入れられない理由を出自のせいにはしたくないが、自分が望んでいる事はもしかすると、全人類の頂点に君臨する独裁者なのかもしれない。連合の目に怯えながらも強硬策を繰り返す自分を見つめる度に、そのような事を自虐的に考えるようになった。
「ブリークス大佐」
部下たちへの命令を終え、ガイス・グラ船内の自室に戻ろうとした時、電話番をさせていた護星機士が子機を片手にこちらに駆けて来た。ブリークスは、いよいよ来たか、と思い、ぐっと腹の底に力を込めた。
「ニルバナのレスリー知事からです」
「……繋げ」
捜索隊が見つけ出すより早く、村人たちが再びこちらに連絡を入れてきた。これはやはり、自分たちを糾弾する為か。ニルバナが攻撃された上、あの子供たちが未だにユニットに留まっている為、不信感を抱いたのか。本当の情報は、ネット上に拡散されたのだろうか。交戦規定フェイズ三に基づき、情報統制を更なる段階に移さねばならないのか。
子機を受け取ると、ブリークスはそれを顔に当てた。
「……こちら、宇宙連合軍司令部」
『ブリークス大佐ですか。聴いて頂きたい事があります』
ニルバナ知事、パブロ・レスリーの低い声が、回線を伝わってくる。
『我々は、あなた方の行動を不問にしようと思います。ガラハウ・バリスタらを口封じに殺害した事も、情報操作であの訓練生たちを過激派と報道し、私たちとの契約を反故にして中立ユニットへ攻撃を仕掛けた事も』
ブリークスは聴きながら、無言で拳を握り締める。受話器を握る手にも無意識のうちに力が込もり、それを握り潰しそうになった。
「……最早、隠しても意味はないでしょう。あなた方の言う通りです。で、そちらの要求は?」
向こうと同じくらい、声を低めて尋ねる。村長は即座に言った。
『ニルバナに、これ以上の手出しをしない事。私どもはあなた方の秘密を、何も知らなかったものとして扱って頂きたい。ディベルバイスはユニットから追放しました。これから小惑星帯アモールを抜け、火星圏を目指すという事です。それに対してどのような措置を取っても、我々は一切の干渉をしません』