『破天のディベルバイス』第10話 来るべき明日⑤
④アンジュ・バロネス
ディベルバイスのブリッジにて、ブリークス大佐にも送った戦闘映像をモニターで流すと、村人たちは息を呑んだようだった。同行してきたマリー、テン、祐二、カエラ、ダークは、彼らの反応を息を詰めて見ている。
早送りしつつ映像を進めていくと、ホライゾンが宇宙空間に海を出現させた事、スペルプリマー・ストリッツヴァグンの存在、海から脱出する為にニルバナが上昇した事などの場面で、数人の自警団員はざわざわと声を交わし合った。村長は苛立たしげに膝を揺すり、彼らを「黙れ!」と一喝する。
所々を端折りながら、連合に送信したのとほぼ同じ長さと内容の形になった映像を見せ終わると、アンジュは村人たちの方を向いた。
「という訳です。これで、理解して頂けましたか?」
「同じデータをブリークスにも送りつけた。ディベルバイスが、あのホライゾンに対抗し得る力を持っている事を示し、これ以上俺たちとニルバナが攻撃されないようにする為にな」
テンが付け加える。レスリー村長は、映像の終わったモニターを真っ直ぐに見つめたまま暫し黙り込んだ。
一分、二分、三分、と、無言の時間が経過した。アンジュは段々焦れを感じ始め、袖口を弄る。長時間の熟考の末、村長は言った。
「……よく出来た映像だ」
「何ですって……?」
マリーが、即座に反応する。他の皆も、自分たちの耳を疑ったようだった。
村長は怒りに燃える双眸で、アンジュを射竦めた。
「舐めるのもいい加減にしろ。このような非現実的な船が存在して堪るか。なるほど連合に襲われたのは事実らしい、だがしかし、このような映像の小細工で我々を欺こうとしたところで無駄だ」
「じゃあ」カエラが叫んだ。「このディベルバイスは、どう説明するんですか!」
「口答えするな! 貴様らはニルバナを襲った宇宙連合軍と攻防を繰り広げ、子供故の稚拙な戦術でユニット内を目茶苦茶にした。それをごまかす為に、このような映像を作り上げたんだ」
「結局、そうなるのかよ……!」
テンが吐き捨てる。このユニットの住民たちは、否が応でも認めようとしないらしいな、とアンジュは苦々しく思った。
「屁理屈ばっかり言っているのは、あんたらの方じゃねえか。俺たちが、あんたらの戻ってくるのを予期して、わざわざこんな映像を作っていたとでもいうのか? 結論ありきで何もかもを判断して、何も見えちゃいねえ耄碌じじいどもめ」
テンの言葉には、底知れぬ憎悪が込められていた。言葉が通じない虚しさは、怒りへと形を変えて皆の心中に蓄積されていた。
このままでは、近いうちに本当に爆発してしまう。村人たちは最早何があっても、こちらの言う事を受け入れようとはしないだろう。堂々巡りの終わりは、悲劇的な結末でしか迎えられないというのか。
アンジュはそれを否定するつもりで、少し言葉を変えた。
「ではあなた方は、どうなれば満足なのですか? 私たちの取った行動が罪だというのなら、何を以て償わせたいのですか? 教えて下さい、あなた方は、私たちが何を言っても喚き散らすばかり。聴く気がない。それじゃあ、どうやって私たちは、あなた方の納得が行く形になるというのですか?」
「………」
村長は拳を震わせ、今にもこちらの顔面を殴りたそうにしている。だがその素振りを見せないのは、やはりダークの持つ拳銃を恐れているからだろう。アンジュはこのような状況でも、それだけでもダークを頼もしく感じた。
やがて村長は、暴力に訴える代わりに次なる言葉を放った。
「……ニルバナから、出て行け。私たちはこのユニットに籠り、今までと何ら変わらない生活を送る。今回の件に関して、宇宙連合も私たち住民を口封じする事は出来ないはずだ。中立ユニットであるここを、私たちが帰村した状態で再び攻撃すればそれこそ不祥事となるだろう。貴様らの件と関係がなければ、我々がインターネット上に書き込んだところで自動削除はされないだろうからな。連中がバリスタらを殺した件についても、私たちは黙秘する。ブリークスによる非道を含め、一切をなかった事として扱う」
「俺たちの独立はどうなる?」テンが、すかさず尋ねる。「ブリークスから、この件に関する返事はまだ来ていない」
はっ、と村長は荒く息を吐いた。
「我々のこの件に関する立場を示す為に、そして連中の行動をそれとなく牽制する為に、貴様らがここを出て行った後はブリークスに密告する。貴様らは逃亡生活に戻るだけだ、今までそれでも生き延びてこられたんだろう?」
アンジュは、目の前に垂れていた救いの糸が、ぶつりと切れる音を聞いた。それは皆に対して、この旅の終わりを約束したユーゲントの信頼に止めを刺す事であり、皆の希望を踏み躙り、絶望の淵に突き返す事だった。
「何を……言い出すんですか」
アンジュが口を開くより先に、発言したのは祐二だった。
「僕たちがニルバナを守った証拠は何処にもない。映像ですら、作り物かもしれないと言われた。詭弁もいいところだけれど、それ以上にあなた方に真実を告げ、納得させられるものを、悔しいが僕たちは持っていない。けれど……ユニット内を荒らし、物資を盗み、挙句あなた方の仲間を死に追いやった事が僕たちの罪だというなら、あなた方も罪を背負っています。僕たちと交わした契約を一方的に反故にして、見捨てた上に連合軍を呼び寄せたじゃないですか」
「この……」
「話はまだ終わっていません!」
祐二が声を荒げる。その剣幕は、この間ダークに襲い掛かった時を上回っているのではないか、と思われた。
「それなのに、どうしてあなた方だけがペナルティを帳消しにされ、僕たちがまた命の危険に追いやられなければならないのですか? 連合が、醜聞を恐れてあなた方に手出しが出来ないのだとすれば……」
彼はそこで一旦言葉を切り、数秒の後にまた続けた。
「……ラトリア・ルミレースに、僕たちがここに居る事を告げます。ディベルバイスを、捕獲ではなく破壊しようとしている奴らなら……ユニット二・一で民間人を虐殺してまで、僕たちを殺そうとした過激派なら、このユニットを壊滅させる事など厭わないでしょうよ」
「祐二……君?」
アンジュは、驚きに打たれて彼の横顔を見つめた。普段は温厚な祐二が、このような台詞を言い放つとは思いもしなかったのだ。
「貴様、本当に過激な思想の持ち主なんだな?」
村長が、手を伸ばして祐二の襟首を掴み上げた。祐二は刹那の間、目尻から口元にかけて怯えの色を漂わせたが、それでも負けずに言葉を続けた。それは、場に居る皆を沈黙させ、その後仲間たちを熱く震わせるものだった。
「生き延びる為に、あなた方にはあなた方のやり方があった。それは僕たちだって、同じです。あのような策を講じたあなた方なら、僕たちが生きる事にしがみついたとしても、それを否定する事は出来ないでしょう? 僕たちはまだ子供かもしれないけれど、ちゃんと意思を持った人間です。一人一人の集まりです。それを舐めているのは、あなた方の方だ」
祐二は、はっきりとそう言い切った。尚もこちらが従わないとは思わなかったらしく、村長は焦ったように身を引く。だが、レスリー村長の代わりになる村人は、この場には他にも存在していた。
自警団の男の一人が、祐二の襟首を掴む村長の腕が緩んだ瞬間に動いた。拳を祐二の耳の辺りに思い切りめり込ませ、横ざまに薙ぎ倒す。そこに別の男たちも加わり、寄って集って制裁を加えた。腹や胸を蹴りつける、顔面を踏む、鳩尾を銃のグリップで突く。あらゆる可能な暴力を、雨の如く彼に浴びせる。
祐二は悲鳴を上げなかった。だがそれは彼が耐えているからではなく、息をする暇がないのだ、とアンジュには分かった。カエラは口元を押さえるようにしてその光景をただ見つめ、マリーは目を閉じて顔を背けている。テン、ダークは怒りの表情を浮かべてはいるが、声を上げられないようだった。今し方の祐二の言葉ですら功を奏さなかったのに、血に飢えた獣のような村人たちに対し、自分たちの声が届くはずがない、という諦観がそこにはあった。
(このままじゃこの人たち、本当に祐二君を殺してしまう……!)
アンジュはそう思った瞬間、咄嗟に叫んでいた。
「やめて下さい! 私たちは出て行きます、それでいいでしょう!?」
「アンジュ……先輩……?」
カエラが、怯えきった眼差しをこちらに向けてくる。祐二に降り注がれていた暴力の雨が止み、自警団が顔を上げた。その隙に、祐二が再度叫んだ。
「駄目です先輩! せっかく、ここまで頑張ってきたんじゃないですか! こんなところで、こんな連中に屈するなんて駄目ですよ。僕たちはやっと、やっと自由と安全を手に入れられるところだったのに……ぐっ!?」
たちまち、その声が途切れる。自警団の一人がまたもや、彼の口元に爪先をめり込ませたのだ。ブリッジの床に、消化液の混ざった血が飛んだ。
「ありがとう、祐二君」
アンジュは、込み上げてくる涙を彼に見られないように、そっと睫毛を伏せてそれを払った。
「でも、もう仕方がないじゃない。このままじゃ、あなたが……」
「僕は大丈夫です……あのホライゾンの時に比べたら、こんなの……だから、諦めないで。こんな奴らに、負けちゃ駄目なんです……!」
「祐二君」
自分が更に何かを言う前に、カエラが彼に言葉を掛けた。
「もういいよ、祐二君が傷付くの、私はもう嫌だよ。ここじゃない場所にも、まだ希望はきっとあるから……祐二君がホライゾンとの戦いで耐えたような痛み、それを否定されたくなくて今堪えている痛み、私もこれからは一緒に背負うから……これから先も、また皆で戦えばいいから……!」
「カエラちゃん……」
マリーが、微かに目を開けてカエラを見つめた。カエラは唇を戦慄かせ、何度か失敗した後でやっと仄かな微笑を浮かべた。
「降伏しよう、祐二君。そして、また一緒に旅をしよう」
祐二は数秒間カエラに視線を返していたが、やがてその目に大粒の涙が浮かび、頰を伝い始めた。床に下半身を着けたまま身を起こし、がくりと肩を落とす。その肩が微かに痙攣し、啜り上げる声が聞こえ始めた。
アンジュが無言で見守る中、カエラは祐二の方に歩み寄った。自警団が、その迷いのない足取りに押されたように身を引き、祐二から遠ざかる。その彼の体を、カエラは一切躊躇う素振りを見せずに抱き締めた。次第に大きくなる痙攣を押し殺すかのように、彼の頭を胸元に抱え込む。
先の戦闘に於ける英雄の、くぐもった慟哭がブリッジに響き始めた。
アンジュは、今度は睫毛を伏せる事をせず、静かに涙を流して泣いた。