『破天のディベルバイス』第10話 来るべき明日③
②木佐貫啓嗣
「嘘……だろう?」
ヨアンが見たというフリュム計画の記録を遡ると、それは三十年前にまで行き着くという事が判明した。そして、フリュム船五隻が完成したのは計画開始から十年後、二五七九年四月で、スペルプリマーの起動試験が行われたのは更にその二年後の事だったそうだ。
「そんな事が、平然と行われていたというのか……」
「ええ。現在、ユーゲント以下の世代に移植されているプロトSBEC因子は全て、その最初の起動試験の際に遺伝子改造を施された、モデュラスの子供から採取されたものだそうです」
起動試験のログに最初に残っていた記録は、スペルプリマーのテストパイロットのものだった。そしてその全てが、平均年齢二歳の幼児たちだった。彼らは生まれてくる以前から、遺伝子の塩基配列をモデュラスのものに改造された、いわゆる「デザイナーズベイビー」だった。両親は皆貧しい人々で、事実を明かされないまま、大金と引き換えに子供を作らされていた。
テストパイロットが何故、幼児でなければならなかったのか。その理由も、きちんと記されていたそうだ。SBEC因子がまだなかった時代、人為的に遺伝子改造を施せるのが出産前の胎児だけだった事、そしてモデュラスとしての能力が理論上のものに過ぎなかった当時、人間であるという自我が芽生えてからでは、精神にどのような影響が出るのかを計り知れなかった事。
「当初の起動試験に使用されたスペルプリマーは、現在のフリュム船に搭載されているものとは異なる旧バージョンだったそうです。それに生体情報を登録した幼児たちは、常人には不可能であるスペルプリマーの操縦を次々にパス、更に日常生活でも、工作などの遊戯に於いて天才的な兆候を見せたと。
しかし、人為的に遺伝子を操作した故、体の進化が追い着かなかった、というのが致命的な欠陥でした。異常成長した脳がまだ大人程硬くない頭蓋骨を変形させ、血管を圧迫したり、未成熟な精神が脳での情報処理に着いて行けなかったり──外界から大量の情報が流れ込んでくる故、脳でそれらを処理出来ていても、その事実を実感出来ない心がパニックを起こしたり、という事です──、そのような事から殆どの子供が死亡や脳死、または精神崩壊に追い込まれました」
ヨアンは、事実だけを端的に伝えようとしているかのように、固い口調で淡々と続けた。だが、文書を読んだ時のショックが未だに続いているのだろう、その口調の固さは、今にも折れそうな程繊細なものだった。
「特に、翌年十二月に発生した『ディオネショック』は宇宙連合軍史上最大の不祥事と言えるものでした。その場に立ち会っていたのはブリークス大佐なのですが、彼は数ヶ月前からこのように犠牲者が出ていたにも拘わらず、その年に予定されていたシェアリングの試験を強行しました。当時から土星圏開発チームの一部とは計画内で連携していたので、土星の衛星ディオネでそれは行われたのですが……スペルプリマー五機による一斉シェアリングを実行したところ、全員が五人分の感覚共有に耐えられず、痛覚に異常を起こしてショック死しました」
「じゃ、じゃあ……」木佐貫は、言葉を絞り出す。「起動試験は、そこで失敗したという事なのかい?」
「いえ、実はそのシェアリング試験の際、参加しなかった者たちが居るのです。二人の男児だったのですが、彼らはとりわけ、モデュラスとしての脳回路形成が完成されていました。遺伝子操作は受精卵の時点で行われたのですが、その後偶然にも一卵性双生児となったみたいで……弟の方は誕生後、モデュラス回路に一部欠損が見つかりましたが、その欠損による影響がまだブラックボックスだった為、試験には登用される事になったようです。全体で見れば、他の幼児たちよりもレベルは高かったらしいですし。この二人に関しては、シェアリング率の最高値について調べるのに適している、という事で、メンバーから除かれました」
ブリークスは、当時からそのような凶行を行っていたのか、と考える。五年前、入庁して安保理議員となり、その一年後シャドミコフに手腕を認められてフリュム計画に参加する事になった木佐貫は、先人たちの行ってきた行為の恐ろしさに絶句せざるを得なかった。
泡坂は、スペルプリマーの起動試験の記録を見たいと言った木佐貫に対して「連合上層部も隠しておきたい」「知らない方がいい事もある」と忠告した。確かに、これは露見したら醜聞になりかねない事だ。未来で人類を救う為、などと言っても、誰もそれを正当な理由とは受け取らないだろう。
ヨアンは、「勿論ですが」と続けた。
「ブリークス大佐は、昔はそこまで大きな力を持っている訳ではありませんでした。貴重なモデュラスをほぼ全滅に追い込んだとして、試験担当からは外され、起動試験も凍結。幼児では限界があるとの上層部の判断から、双子はそれから親元に返される事になりました。自我が安定し、体が成熟して、スペルプリマーの操縦に耐え得るようになるまで」
「その両親は、どのような反応をしたんだ? 生活の困窮から、子供を産んでフリュム計画に提供したんだろう?」
「さあ……文書にはずっと、その双子については被験体番号で書かれていましたから……ですが、その後両親と思われる人物が、フリュム計画へ参加したような事を仄めかす記録が何件か見つかったんですよね。まあ、シャドミコフ議長らが後から双子を再登用するつもりだったのなら、両親にも計画を明かさざるを得なかったのでしょうけれど」
木佐貫は、段々とヨアンの顔に緊張が生じていくのを見て取った。彼が、ラトリア・ルミレースに──正確には、その教祖である星導師オーズについて推測していた事が、いよいよ信憑性を帯びてきたような気がした。
「不思議な事に、それから先、双子が再び起動試験に参加したという記録は存在しません。両親の名前──これもまた、イニシャルのみで明記はされていないのですが、それらも二五九二年を境に忽然と文書に現れなくなります」
「それが本当の、連合が隠蔽したい事実なのか」
「分かりませんが、起動試験の記録は初回で消え、十数年の月日を経て再びスペルプリマーに重点を置いた記録が現れ始める頃、二五九四年には、もう現在のようにSBEC因子移植のシステムを搭載した一応の完成形データになっているんです。僕はこの空白の期間に、データを収集する為の試験は実行されたと推測します。そしてその結果が、記録に残しておく事も憚られる程のものだった……」
「フリュム計画は、表向きには存在しないプロジェクトだからな。情報庁のモラン長官がグループに居る以上、ログの削除も容易だろうけれど」
「僕は、星導師オーズがモデュラスではないか、と思うんです。そして、それを生み出したのが抹消された起動試験なのではないか、と……」
ヨアンは、木佐貫以外に聴いている人が居ないにも拘わらず、声を低めて囁くように言った。木佐貫は凝固した唾液を嚥下する。
「こじつけかもしれないのですが……星導師オーズは、火星圏から現れました。そして、フリュム計画に被験体を差し出した人々は、主に生活困窮者です。火星圏には、特にそういった人々が多い。だからオーズは、きっと最初からフリュム船の存在を知っていたのではないか、って」
「……仮にそうだとしても」木佐貫は、何とかそう言った。「オーズがラトリア・ルミレースを結成したのは、連合を転覆させる目的があってだろう。ここまで大掛かりな事をしているんだ、彼らの究極目的までは偽りじゃないと思う。だが、フリュム船の情報を掴んで、今更何をしようとしているんだ? 計画の証拠を掴み、連合の醜聞として暴露するつもりなのか? それとも、船自体を手に入れて外宇宙に旅立とうというのか?」
確かに、彼らはヴィペラに汚染された地球圏に、いつまでもしがみ付く事をやめて旅立とう、という事を教義に挙げていた。彼らが連合を打倒しようとしているのは、フリュム船を自由に扱えるようにする為なのか。
「……僕、フリュム船やスペルプリマーについて、もっと知りたいです。もしこの宇宙戦争の原因が、木佐貫さんたちの進める計画にあるのだとしたら……いえ、別に木佐貫さんを非難しようという訳ではないんです。ですが、サウロ長官は計画と戦争、どっちもあった為に亡くなられました。それなら、僕はその背景にあった出来事を、納得が行くまで突き詰めたいんです」
「ヨアン君……」
時折、ヨアンは決意に満ちた声を出す事がある。彼もこう見えて、芯の部分は護星機士と同じくらいに固いらしい、と木佐貫は思った。
彼は宣言するように言ったが、すぐにあっと声を上げ、顔を赤らめた。
「す、すみませんっ! 木佐貫さんは僕を、ブリークス大佐から匿う為に秘書官にして下さったのに、僕から危険な事を言い出すなんて……泡坂室長の言った通りですよね」
「いや、そんな事はないよ」
慌てて、反射的にそう言った。言ってから、本当にそうだ、と自分で肯く。
自分は今まで、計画の孕む矛盾や、残酷ともいえる命の選択について何も出来ずに居たのだ。ヨアンはそんな自分を、諦めから引き上げてくれる。彼の為であれば、自分も頑張ろう、という気持ちにさせてくれる。
「ラトリア・ルミレースが間諜を送り込んできた狙いがフリュム船であれば、船の存在が知られた以上それを放置する事も出来ない。私たちでそれを炙り出す為にも、星導師オーズと計画の関係を知る必要がある」
「では……」
ヨアンは、軽く咳払いをしてから再び口を開いた。
「過去の、連合内の財政出動について調べる必要がありますね。シャドミコフ議長が計画の為に連合の資金を使っているなら、過去の収支記録に改竄された痕跡はあるはずです。財務庁が気付かないという事は、ここでもモラン情報庁長官が、あのデータベース内で暗躍しているという事なのでしょうが……詳しく計算すれば、フリュム計画の予算の内訳が分かります」
「ん? そんなものを調べて、どうするんだい?」
少々呆気に取られながら木佐貫が尋ねると、ヨアンは手を広げた。
「財務庁、税務局が銀行の金融について調査を行った記録を洗い直せば、二十年前、一定数の口座に、同程度に高額の振り込みが行われた記録が見つかるはずです。それが、被験体提供者の口座だと推測出来ます。更に、その三年後に突然戸籍登録がされた双子を探し、名前を調べれば、被験体提供者であり、後にフリュム計画に関わる事になった〝両親〟の名前が分かります。イニシャルというヒントも、文書にはありましたし」
木佐貫は聴きながら、なるほど、と思った。被験体である子供は恐らく、皆が無戸籍児であったはずだ。ディオネショックの後、生き残った双子が教育を受け、数年越しに起動試験に再登用される事になったなら、出生から三年後に戸籍登録をされた、という記録がある事も考えられる。
だが、そうなると管轄的に、最早安保理議員としての特権が及ばない省庁まで手を伸ばす事になる。泡坂の人脈を可能な限り借りる事になるだろうな、と思いながら、木佐貫は自分たちの行動が、何処までブリークスらの警戒を招く事になるのだろうかと考えた。