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『破天のディベルバイス』第10話 来るべき明日①

 ①渡海祐二


 アーノルドの病室で眠った際は、余程その睡眠が疲労を取り除くものにはなり得なかったようだった。ただ、悪い現実を夢の中にまで引っ張り、増幅させたに過ぎなかった。

 部屋まで逃げるように駆け帰ると、僕はベッドに倒れ込んで再び眠りに落ちていった。服のままである事も、マスクを着けている事も忘れていた。涙を枕で拭いつつ、意識が完全に暗転する直前、カエラが布団を掛けてくれたような感覚が微かに感じられた。


 僕は日中丸々、眠っていたらしかった。自室であった事が作用したのか、今度の眠りは深く、夢すら見なかった。僕を眠りの底から引き上げたのは、いつの間にか傾いていた夕陽、そして団地の入口の方で大勢の人が騒いでいるような声だった。思わず起き上がり、窓の方に行こうとしてはっと気付く。

 心臓が大きく跳ね上がり、止まるかのように思われた。

 僕のすぐ隣に、カエラが体を丸めるようにして眠っていた。胎児の如く四肢を折り曲げ、こちらに顔を向けている。僕の目は、自分の体表からほんの数センチしか離れていない彼女の白い肌に釘付けになった。

 僕が眠りに落ちた時、カエラが何をしたのかは意図して考えないが、僕も彼女も、何も身に着けていないようだった。僕は一瞬、自分の内側に本能的な粟立ちが満ちるのを感じたが、それはすぐに「恐ろしい」という気持ちに変化する。

 自分は、夢中の内に何処まで及んだのだろうか。モデュラス化してから続いていた疲労は、今や僅かにも感じられない。現在の状況に対しては焦っているが、最初に戦って以来続いていた焦燥のような感情の昂りも、何処かに消えている。

 そして何より、僕たちのこの有様を誰かに見られはしなかっただろうか、という事が怖かった。僕は起き上がり、カエラに喉元まで布団を掛けると、乱雑に散らかされた衣服を忙しく身に着け、窓の外を窺う。

 団地の入口に、先月僕たちが何度も病死者の遺体を運んだ霊柩車が停まっていた。どうやら、誰かが街の方から、浸水の被害が少ないものを見繕ってここまで運んで来たらしい。その前で、ユーゲントが群がる生徒たちに向かって何やら必死に訴えている。彼らの背後では、ウェーバー先輩とテン先輩が、細長い布の包みを担架に載せて霊柩車に運び込もうとしていた。

 僕は、がくがくと自分の膝が震えるのを感じた。群がっている生徒の一人、和幸がちらりとこちらを見たような気がして、僕は素早く窓の下に座り込み、身を隠す。心臓の鼓動が、自分の耳にもはっきりと分かるようだった。

 素早く、部屋の入口に駆け寄ってノブを回す。鍵が掛かっているような、抵抗のある手応えを感じてひとまず安堵の息を()いた。僕とカエラの痴態は、誰にも見られていないらしい。カエラが鍵を掛けた為に、状況が進行しても誰も僕を呼べなかったのだな、と思った。そう考えると同時に、僅かにでも安堵した自分に対して激しい自己嫌悪が感じられた。


          *   *   *


 昨晩から、一日近く水を飲まなかったからだろう。部屋を出て数歩歩くと、突然貧血を起こした時のような視界の眩みと頭痛が襲ってきた。軽い脱水症状だな、と判断し、水道まで壁伝いに進み、少量ずつ水を飲み込む。幸い、体が水分を受け付けず嘔吐する、という程症状は進行していなかった。

 更に顔に水を掛け、表情を改めると、僕は外に向かって駆け出した。丁度、担架の積み込みが終わり、運転席のドアが閉められたところだった。

「先輩方!」僕は、つい声を上げて叫ぶ。

「渡海……」

 ヨルゲン先輩が助手席側の窓を開け、身を乗り出して顔を見せる。その表情は、今頃何をしに来たのだ、と責めているようにも見えた。

「ヨルゲン」アンジュ先輩が、僕と同じ事を考えたのか口を挟んだ。「祐二君は昨日の夜遅くまで、精一杯アーノルドさんの看病を手伝ってくれたわ。千花菜ちゃんもずっと夜を徹して働いてくれようとしていたけど、私が止めたの。私たちに任せてって言って……」

「アンジュ……」

「それなのに、私たちは役目を果たせなかった」

「君のせいじゃないだろう、アンジュ」

 ジェイソン先輩が、控えめに声を出した。

「病気ばかりは、どうにもならない。君は力の限り、出来るところまでやったんだ。少なくとも、君たちが居なかったらこの村人は、燃えるような熱の中でもっと苦しみながら死んでいたに違いない」

 僕はそこで、自分が眠っている間に何が起こったのかを正確に理解した。この場に千花菜が居る事は把握していたが、彼女の方を見る事はどうしても出来ない。僕は、彼女に合わせる顔がないと思った。

 アンジュ先輩はジェイソン先輩に応える事なく、嗚咽を堪えているかのような表情で俯く。万葉が、代わりに声を震わせて言った。

「見てもいないのに、よくそんな事が言えますね。アーノルドさんが、どんな顔で死んだか……そんな顔しかさせられなかったあたしたちの……いえ、先輩たちの気持ちが、あなたに分かりますか?」

「………」

 ジェイソン先輩は言葉を失う。アンジュ先輩は小さく「やめて」と呟くと、顔を上げて場に居る全員を見回した。

「皆、めいめい勝手な行動は慎む事。一回陽性反応が出なくなったとはいえ、アーノルドさんはオセスだった。千花菜ちゃんたちには酷い言い方かもしれないけれど、こうなる可能性は、いつでも十分にあった。くれぐれも、憶測で騒ぎ立てるような事はしないで。誰かが野放図に走ったら、私たちが独立して、安全が保障される事すら危うくなってしまうかもしれない。いいわね?」

 皆、何かを言いたそうに同時に口を開きかけたが、すぐにそれを閉じ、言葉にしないままの息を吐き出した。

 分かってはいるのだろう。だが僕たちの理性と感情は、全く別の場所にある。連合から早く何らかのレスポンスがない限り、ユーゲントはまた槍玉に挙げられるかもしれない、と僕は思い、先輩たちの方を窺った。

 ユーゲントは皆、威厳を以て絶望の表情を塗り固めようとしているようだった。やがて皆の視線を逃れるように、ヨルゲン先輩が霊柩車を発進させた。

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