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『破天のディベルバイス』第9話 自由の王国⑪


          *   *   *


「保冷剤を持ってきて、もっと!」

 千花菜と共に部屋に入ろうとした時、シオン先輩の鋭い声が聞こえて僕はびくりとした。気を取り直して玄関を潜り、アーノルドの横たわっているベッドの所まで行くと、はっと息を呑む。

 アーノルドは顔中に冷や汗をかき、腫れぼったい目を半開きにして、視線を空中に彷徨わせていた。長引く病床生活で瘦せ細った体はぶるぶると痙攣し、同じように震える喉からは笛のような詰まった呼吸音が漏れている。

「こうなってから、何時間が経った?」

 僕が尋ねると、傍に居た恵留が答えた。

「一時間。あんまり、急すぎる……どんどん悪くなっていくみたい」

「そんな……」

「祐二君」僕が次の問いを発しようと息を吸った瞬間、恵留がそれよりも早く口を開いた。僕の顔に、何かを押し当ててくる。「マスクをして」

 言われて初めて、僕は自分がマスクをしていなかった事に気付いた。千花菜もそこではっとしたように、僕の方を見る。その顔には、「大変な事をしてしまった」という色がありありと浮かんでいた。

「祐二、ごめん……私」

「千花菜のせいじゃない」僕は、マスクの紐を耳に掛けながら言う。「第一、僕たちは村人が去ってから今まで……」

 言いかけ、僕も言葉を停止する。

 そうだ。死体処理という作業が終わってから、僕たちはずっとマスクをしてこなかった。十日前には飲めや歌えの祭りも行い、アーノルドの検査結果が陰性となってからは、彼を散歩に連れ出す際もマスクをしなかった。

 オセスは、多くの場合病状がかなり進んでからでないと陽性反応は出ない。そしてもしも、アーノルドの現在の症状が別のオセスによるもので、それがずっと日和見感染状態で息を潜めていたのだとすれば。

(……いけない)

 僕は不吉な想像を、頭から直ちに追い出そうとした。その時、千花菜がシオン先輩の横に屈み込み、アーノルドに顔を近づけた。

「アーノルドさん? 今、何か言いましたか?」

「えっ?」

 仲間たちが怪訝な顔をする。千花菜は、尚も病人の口元に耳を寄せた。

「アーノルドさん! 何か言いましたよね? もう一度、もう一度お願いします」

 僕は胸の内で、自分でも無意識のうちに、やめてくれ、と千花菜に囁いていた。駄目だ、それ以上顔を近づけたら、アーノルドの放つウイルスを貰ってしまう。千花菜まで、病に倒れる事になってしまう。

 それを自覚した時、自分で自分が恐ろしくなった。

 まだ、アーノルドは強毒化したオセスと決まった訳ではないのだ。だが僕は、彼をウイルスの根源のように見てしまっている。自分の大切な千花菜に、病気を吹き掛ける存在として恐れている。何だ、この心情は。

 これはもう……キムが病気に倒れた時、ここに住んでいた村人たちが僕たちに取った態度と、何も変わらないではないか。

「……て、俺の体を、横に……してくれ。心臓が……破れそうだ……」

 激しい喘鳴の中で、アーノルドの絞り出した声は僕にも聞こえた。言葉の切れ目ごとに、激しい咳が起こる。万葉、クララが新しく包み直した保冷剤を持って、部屋に飛び込んできた。

「シオン先輩! ヨルゲン先輩が、車で戻って来ましたよ!」

 クララが叫ぶ。シオン先輩が窓際に駆け出し、彼女が立ち上がって空いた位置に千花菜が移動する。その手がアーノルドの姿勢を仰向けから横向きに変えると、病人は幾分か呼吸を静かにした。

「ああ……これで、少し楽になった……」

「ヨルゲン!」

 シオン先輩は、窓から身を乗り出して叫ぶ。僕には外の様子は見えなかったが、ヨルゲン先輩の声が微かに返ってきた。

「駄目だ、ものがねえ! 街の大部分が水を被っただろ? 村人たちが避難してから俺たち、検査キットは何回も街から取ってきて使っちまったし、その残り少ないものが水没して(ほとん)ど使い物にならないんだ! 病院とか、探せばもっとあるんだろうけど、街は街灯も点かねえし……この暗さじゃ危ない」

「………!」

 シオン先輩は、歯を食い縛って悔しさを噛み殺しているようだった。だがやがて、ヨルゲン先輩の「すまん」という声が届くと、

「どうせ、オセスかどうか分かったところで、病状が改善する訳でもないんだし」

 それだけを呟いた。

 そうだ、このユニットにはオセスに対する特効薬もない。現在行っている処置が功を奏さなかったら、原因が何であれ僕たちがアーノルドを助ける事は出来ない。検査をして、仮にオセスでない、という結果が分かったとしたら、安心出来るのは僕たちだけだ。

「渡海君、ぼさっと突っ立っていないの!」

 万葉が、こちらに鋭く言葉を飛ばしてきた。

「助けるよ、何が何でも! そうじゃなきゃ、ここがあたしたちの安息の地だって信じた皆が、また恐慌に陥ってしまう。渡海君はタオルを新しいの絞ってきて!」

「わ、分かった!」

 僕は肯き、差し出されたタオルを手に廊下を駆け出した。

 旅の終わりは、恐慌に彩られるのか。それが、僕たちにとって必然という事なのだろうか。以前何度か伊織と話したような、宇宙の意思というものが本当にあるのだとしたら、僕はそれを呪いたいような気持ちになった。

 ディベルバイスという奇跡だけでは救われなかったから、僕たちは戦った。そして自分たちの手で、勝利を掴み取った。それすらも否定されたら、僕たちはどうなってしまうのだろう?

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