『破天のディベルバイス』第9話 自由の王国⑥
④アンジュ・バロネス
カエラ・ルキフェルから、戦勝のお祝いと、自分たちの独立を生徒たちに発表する事を兼ねて行う「祭り」を提案された二日後。七月四日、その当日。自分たちが地球を脱出して実に二ヶ月目、ニルバナに到着してから丁度一ヶ月が過ぎて、これ程皆が歓喜に沸いた日はなかった。
提案の際にカエラが言ったように、普段の食事よりも少し豪華な料理を作り、それをニルバナでいちばん広い牧草地に並べた。六百人以上の大人数でありながら、その日用意された食材は皆が各種十回以上おかわりをしてもまだ余る程あった。何しろ、街中の食糧が今や自分たちのものなのだから。
自分たちユーゲントだけでも言えるように、宇宙連合という世界国家出身の仲間たちは、皆文化もばらばらな地域から集まっている。用意されたメニューもその各々が希望したもので、統一性はなかったが、それで良かった。この場所は全く新しい、少年少女たちの自由の国となるのだ。
準備は夕方まで掛かり、これはアンジュの提案で野外炊飯が行われた。このような行事には付き物で、訓練課程時代、アンジュたちも月で実施したのだが、これがキャンプのようで思いの外楽しく、普段も養成所での自炊で作っていたカレーと同じものが、魔法に掛けられたように美味しかったのを覚えている。
「旅が始まって、最初に作ったのもカレーでしたよね」
組み上げた薪に火を点けて大鍋を掛けると、いよいよ「祭り」という情緒が漂ってきた。ウェーバーが戦闘時と同じてきぱきとした口調で仲間たちに指示を出しているのを眺め、仄かに微笑しながら鍋を掻き混ぜていると、千花菜が話し掛けてきた。言いながらも、近くでドタバタを演じている恵留や万葉に何やらアドバイスを送っている。
「あの時は、当番も決めたばっかりで本当に『飢えを防ぐ為』みたいな食事でした。でも、今晩くらいは楽しんでもいいですよね」
「そうね、千花菜ちゃん」
アンジュは笑い、おたまでルウを掬って匂いを嗅いだ。
「行軍中の宇宙連合軍も羨ましがるわ。栄養補給も戦いのうちだけど、戦場でこんなパーティーは出来ないもんね」
「ダークたちも、MVPだけあって今日は何の警戒もなく楽しんでくれそうですし。一緒に料理を手伝ってくれるのは、難しそうだけど……」
「サバイユ君やケイトちゃんなら、進行役みたいなのは乗り気で務めてくれそうだけどね。ダーク君、心を開いてくれて良かったわ」
まだ、皆と仲良く、とまでは行かないけれど、アンジュとダークは随分分かり合えた。少なくとも、アンジュはそう思っている。
(だって……彼の事、こんな風に思えるなんて、思わなかった……)
「ブリークス大佐だって、これを見たら彼らが宇宙海賊だなんて言えないな」
テンが、こちらに歩いて来た。後ろでは、ショーンとアイリッシュがシオンに襟首を掴まれ、ばつの悪そうな顔をしている。どうやら彼らは、つまみ食いをしようとして見咎められたらしい。
「過激派が何だ、村の連中が何だ。少なくとも宇宙戦争の真っただ中で、こんなに気を落ち着けて愉快な事をしようなんて、思わないだろうな。病気も敵も居なくなったんだ、俺たちだけが平和の中に居る」
「逃げなかった者たちだけが見られる景色……かあ」
自分もつい数日前まで、このような未来が来るとは思ってもみなかった。
今では火葬場の煙の代わりに、温かな料理の匂いを含む湯気が、このニルバナに漂っている。
* * *
「えー、我らがディベルバイスの勝利を祝して、乾杯!」
ユニットを覆う人工の空に夕闇が完全に降りると、アンジュが駄目元と思いながらも頼んだところ引き受けてくれたサバイユの音頭で、皆はそれぞれのグラスを高く掲げた。体調が良くなりつつあるアーノルドも出席し、少し離れて椅子に座りながら、生徒たちのはしゃぐ様子を見ている。
サバイユは続いて祐二の肩に手を回し、ヒーローインタビューのような事をしようとし、祐二本人は困惑したように笑っていた。
「ダーク君」
アンジュは、牧草地の隅でジュースのグラスを持って佇んでいるダークの所まで行き、声を掛けた。彼はまだ、何にも口をつけた様子はない。
「葡萄ジュースは苦手?」
「……ジャバとの交渉の際、ワインなら何度か飲んだ事がある。あれが高級だったせいかもしれないが、これは少し甘すぎるな」
「そりゃ、ワインはそれ用の葡萄を発酵させて作っているでしょうから、ああいう酸味があるんでしょう」
言ってから、アンジュはぶるぶると首を振る。
「いえ、私は飲んだ事ないわよ。ダーク君も、お酒は二十歳になるまで駄目なんだからね」
「本当か? お前も、親の酒を少し舐めるくらいはした事があるだろう」
「そりゃ……まあ、一度か二度は」
「思っていたよりも、お前も普通の少女らしい」
「そ、そう? ……じゃなくて、お酒は駄目。国や人種によっても違うだろうけど、アルコール分解機能が上手く働いてくるのは二十歳過ぎてからなんだから」
「仕方ないだろう、裏社会の交渉事は熾烈を極める。特に相手が、火星の影の支配者とも呼ばれるジャバ一味ならば。立場を同じくしていても、それは武器を交えない戦いのようなものだ。舐められる訳には、行かない」
ダークは言うと、口をつけていないグラスをこちらに差し出してくる。
「勿体ないからな」
「ありがとう」
アンジュは素直に受け取り、一口啜る。やはり自分はまだこちらのジュースの方がいい、と思うと共に、だから子供なのかな、とも感じた。
それから、代わりではないが、自分からもダークの方にものを差し出した。
「千花菜ちゃんに教わって作ってみたの、わらび餅。ダーク君、気に入っていたみたいだって聞いたから」
「別に、特段気に入ったという訳では……」
言いながらも、彼はアンジュの差し出した小皿を受け取り、きな粉と黒蜜の掛かったそれを口に運ぶ。
「どうかな?」
「……悪くはない」
「うふふっ」
大切に味わっているかのように、黒文字で小さく切り分けながらわらび餅を咀嚼する彼は、やはり宇宙海賊でも革命家でもなく、自分と同い歳の、ごく普通の少年のように思えた。
アンジュとダークは、暫し無言でそれぞれの飲食料に専念する。
「……ねえ、聞いてもいい?」
少し躊躇い、それでも尋ねた。
「火星の革命って、ただ戦争をする訳じゃないのよね? 火星圏の戦力だって宇宙連合軍の一部だし、彼らに手を出したらボストークが動く。ラトリア・ルミレースと同じような事になってしまう」
「ディベルバイスを軍事的な抑止力に……脅しの手段として使う事も、お前は望んでいないだろう」ダークは、息交じりの声で言う。
「それはそうよ。確かに、連合やラトリア・ルミレースが私たちを攻撃しない為に使うけど、それが”脅し”であってはいけない。……まあ、恐怖が人を従える方法として認められているからこそ、テロがなくならないのかもしれないけど」
「……火星の生活を知っているか?」
「知識としては、少し……」
「なら、知らないのと同じ事だ」ダークは鼻を鳴らした。「人類が住むには厳しい環境。だからこそ、ラトリア・ルミレースのような勢力が生まれ、それを強制する宇宙連合に戦いが挑まれた。それが、一般的な認識だろう。だが、曲がりなりにも人は住んでいる。資源が、何もない訳ではない。資源はある、だがその量が少ない。こうなると、何が起こる?」
「一人一人の分配が少なくなるんだから、全体として皆貧しくなるんでしょう?」
「違うな。そもそも、分配がされなくなる。力のある者がない者から搾取し、リソースを独占しようとする。要するに、二極化だ。富める者と、何も持たない者と」
「何も?」
「そう、何もだ。少ない、などというレベルではない。衣食住すらままならない者も存在する。となると、そのような者たちが生きる為に出来る事は二つだ。持てる者に縋るか、持てる者から奪うか。後者は、手っ取り早いが力がないと出来ない。力がある者は、手っ取り早い事をする。そうでなければ、時間が経つ程自分は飢えていくのだから。この”力こそ法”という考え方を、お前はどう思う?」
「おかしいと思うわ。そんな事は、弱肉強食、文明を持った人間のする事じゃない。人間は、秩序を保つ為に法を持っているのよ」
「だからこそ、”力こそ法”の世界では秩序が乱れる。秩序を保つ為の法というものが、従えば飢え死にするだけのものになったら、誰も従わない。それが堂々と罷り通るのが、裏社会だ。つまり裏社会の長となった者が、最強なんだ」
「それが、ジャバ一味って人たち?」
「資源を独占するだけの力を得た者たちが次にする事は、資源を増やさない事だ。自分たちが手っ取り早く強くなるには、相手を弱らせればいい。それが今、火星に流布している思想だ。
……ラトリア・ルミレースが、何故宇宙連合と戦える程の力を持ちながら、戦争に向けられるエネルギーを自分たちの貧困解消に向けようとしないのだと思う? 彼らがあくまで、『自分たちが支配する』という事に拘っているからだ」
ダークは淡々と言う。
「既得権益に固執する裏社会、これを再起不能なまでに叩き潰せば、人々を狭い考え方から解放する事が出来る。人民を駆り立てて戦争を行うのは、革命などではない。ただの、自己満足だ」