『破天のディベルバイス』第9話 自由の王国④
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その日の午後から、僕とカエラはやはりユーゲントに呼び出された。舵取り組で、アンジュ先輩の提案について話し合う為だ。その場には提案の元となったダークも参加していたが、彼は殆ど口を利かなかった。ジェイソン先輩は、何処に行ったのか姿が見えない。
この話し合いについて、僕は多くを語る必要を感じていない。大きな決断ではあるが、誰もがこの先と現状を鑑みて妥当なプランだろう、と思い、意見の共有と独立の進め方についての大まかな確認があっただけで、話し合いという程のやり取りは実際には行われなかった。
「もし、独立に賛成しない生徒が居た場合は?」
ウェーバー先輩のその質問だけが特筆すべきものだったが、アンジュ先輩はそれに対して、
「独立さえ済ませてしまえば、ディベルバイスは宇宙を自由に動く事が出来る。ここに住みたくない人は、安全が保障された後で故郷に送り届ける事も出来るようになるわよ」
こう答え、独立の目的があくまでも「生徒たちの安全を確保する事」にある事を強調した。
これについての発表の場を設ける相談になり、そこでカエラが祭りに関しての提案をした。ニルバナが見捨てられ、大量の物資が手に入った以上、これに反対する者は誰も居なかった。
「でも、どうするの? 私たち、自分たち主催のお祭りなんてやった事ないけど」
ラボニ先輩が質問すると、カエラはいつものように弾ける程の笑顔を浮かべながら答えた。
「養成所で開催した、歓迎パーティーみたいなものでいいんですよ。いつもよりちょっと豪華な料理を作って、歌って、楽しく過ごせれば。そうして皆、自分たちは見捨てられた訳じゃない、これが私たちのまとまりなんだって、思えるようなものであれば、それでいいんです」
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「『涅槃』って、よく考えたらいい名前だよね」
話し合いが終わり、解散になって部屋に戻ると、カエラが窓に視線を向けて軽く外を眺めながら言った。山の方に見える焼却炉も、もう病死者を焼く煙は立ち昇っていない。
僕は、ベッドに寝そべった彼女をちらりと見て答える。
「最古のユニットで、少子高齢化が進んでいる村。僕たちがここに来る事をしなかったら、近い将来滅びてしまっていた。……涅槃っていうのは、死の世界に踏み入るっていう事なんだろう? ちょっと悲しい気もするけどな」
「そうかな?」
カエラは首を傾げた。
「私は無宗教だから詳しくは分からないけど、それはただの死じゃないと思う。自分の生きていた意味を悟って、穏やかに、何の無念もなく寿命を終えるっていう意味だと思うな。いわば、終の棲家。行き着く場所。私たちの旅の終わりであり、第二の故郷。それがここなら、ぴったりだと思う」
「行き着く場所……か」
僕は、最初に宇宙移民政策を開始し、コラボユニット第一号としてここを作った大昔の宇宙連合政府も、そのような意味合いでここを名付けたのだろうか、と思索を巡らせた。当時の人類にとって、地球が人口を支えきれなくなった時、長きに渡って絵空事だった構想を実現させたフロンティアこそが、このユニットだっただろう。その名前には、確かに大きな仕事を成し終えたかのような満足感と、その行く末を穏やかに見守ろうとする達観が込められているように思えた。
そのように思った時、僕は何か無性に込み上げてくるものがある気がして、カエラから目を逸らした。膝を立て、目をその膝頭に当てる。しゃくり上げる音が聞こえないように、膝を抱えるべく伸ばした二の腕で口元を挟んだ。
「……祐二君?」
カエラが声を掛けてくる。僕は、無言で首を振った。
「何でもないのに、急にそんな格好したりしないでしょ」
彼女はベッドから身を起こし、手を伸ばして、四肢に埋めた僕の頭を仰向かせ、自分の太腿の上に載せた。目を開けると、彼女の大きな瞳とそれが重なる。
「……モデュラスになった僕たちは、もう皆と同じようには生きられないのかな、なんて思っちゃってさ」
「モデュラス?」
「あのスペルプリマーに乗っていた人が言っていた。多分、スペルプリマーの登録者の事を言うんだと思う。今は皆忘れていると思うけど、僕は確かにこの間、ダークに爪を立て、傷口に噛み付くまでに至った。あれが、例の発作の最終段階なんだとしたら……」
自分が危険人物である事は、最早間違いない、と思った。あれがモデュラスとしての宿命なのだとしたら、僕たちは今や、人間ですらない異質の存在になってしまっているのかもしれない。
窮地を脱した事で、今まで忘れていた問題までが蘇ってきた。カエラは少し押し黙ったが、やがてゆっくり首を振った。
「やっぱり、祐二君は不安定だ。だけど、この間の事でまた少し分かった。その……モデュラスは人を襲うけど、殺しはしない。それからスペルプリマーへの恐怖に強い情動が加わると発作が起こるって私は推測したけど、戦う必要がなくなればそれもなくなるはず。……スペルプリマーの精神干渉に、私たちが何もせずに耐えられるとは思っていない。だけど、安心してもいいんだよ。祐二君が思っているより、私たちはこれからも穏やかに生きられると思う。二人きり、それも悪くはないと思うよ」
「二人きり……?」
僕の中で、前よりもカエラに対する想いが大きくなり、変質している事には気付いていた。彼女が僕に掛けてくれる言葉の数々に、心が大きく揺れる僕が居る。それは以前までのように、逃避願望に基づくものではないような気がしてきた。理由なく、彼女を愛しく思えてきていた。
千花菜に対する、「守りたい」という気持ちとはまた別のもの。カエラはあれを、恋愛感情ではない、と言った。ならば、やはり僕はそれをカエラに抱いているという事なのか?
「祐二君はさ」
カエラは、やや声を低める。
「独立が上手く行ったら、その後はどうするつもりなの? ここで暮らす? それとも、ユニット五・七のお家に帰るの?」
「僕は……」
そういえば、考えていなかった、と気付く。アンジュ先輩は自分たちの安全が保障されたら、故郷に帰りたい者はそこに送り届けられる、と言っていた。だが僕は、モデュラスとなった自分がどうしたいのか、今一つよく分からなかった。
「伊織や千花菜が居る場所が、僕の居場所なのかも。そう思って、ずっとやってきたけど……ユニットに帰る気も、起きないな。護星機士になるんだって飛び出して、結局その未来はなくなったし」
「私は、祐二君が私と二人ぼっちになってくれるなら、何処でも。オルドリンは過激派に占拠されて帰れないし、両親も居なくなっちゃったし。……現実を受け入れるって、こういう事だよ。祐二君の言う通り、モデュラスの宿命が私たちに襲い掛かるんだったら……私たちが一緒に居る事になるのも、運命なんだよね」
カエラがそう言った時、僕は再びほんの少し、笑う事が出来た。
「君は、僕と二人きりになりたいとか言って、全部分かった上でスペルプリマーに登録した癖に」
「辛くないよ、私」
彼女は、僕の頭に置いていた両手を肩に落とす。僕は向きを変えると、立ち上がって、ベッドの縁に腰掛けた彼女の膝の上に座った。今度は僕から抱き締めると、彼女は一瞬驚いたように身を強張らせた後、今までと同様抱擁を返してきた。
カエラの前だと弱気になってしまいがちな僕だが、彼女の言う通り、これが僕の素なのだろう、と思った。それが甘えている事だというなら、小康の今だけは甘える僕を許してくれ、と何者かにそう願った。