『破天のディベルバイス』第9話 自由の王国③
②渡海祐二
ホライゾンを撃破した後、ディベルバイス内は歓声に包まれた。廊下に飛び出し、拳を掲げて叫ぶ者やそれを仲間と打ち合わせる者、抱き合って躍り上がる者、駆け回る者、皆旅が始まってから初となる快挙、完全勝利と、最大の危機を生き延びた事に対する安堵から、喜びを爆発させていた。
ホライゾンによる重力操作が終わり、宇宙に広がっていた海原が無数の水泡となって消滅すると、クラフトポートの入口も開き、ディベルバイスは発着場内の水を抜いてからニルバナに戻った。
港から出ると、皆一様にぽかんと口を開けた。街の中が水浸しだったからだ。
「ダークたちからコンテナを受け取って、私がユニットを出る為に必要だったから、宇宙船搬入口を壊したの。そしたら、街の中に水が入っちゃって」
カエラが、言いづらそうに打ち明けると、皆怒る代わりに笑った。それもまあ、いいじゃないか、と、誰もが寛容な気分になっていた。あの気難しい村人のアーノルドですら、憑き物が落ちたように晴れやかな笑みを浮かべていた。
ダークギルドの残りの者たちや、ユニット浮上に貢献したスカイ、ケン、ジュノの三人も合流し、皆で健闘を祝し合った。だが当然のように、全てが喜ぶべき事だった訳ではなかった。一頻り笑い合った後、スカイたち三人が突然泣き出しそうな表情になり、僕たちは訳を尋ねた。
* * *
土台壁の内側へと潜っていくと、地中化された電線の伝っているラインの中に、ティプ先輩がユニットを上昇させる為の装置を作った痕跡が発見された。地上から伸びているケーブルは更に地下、エンジン内に続いていると思われたが、数時間前にそれを起動した以上、その先に潜る事はもう出来ない。
ケーブルを引き上げてみると、それは途中で切れていた。ユニット浮上と同時に切れた訳ではないだろう、というのがスカイたちの意見だった。恐らくティプ先輩の体はこの中にあって、もう回収する事は出来ないのだろう、と。先輩はその身を賭して自分たちを救い、役目を終えたのだ、と。
アンジュ先輩、カエラと一緒に地下でその話を聴いた僕は、地上に出た後一同にこの事を告げた。今度は誰もが──ユーゲントに不満を抱いていたらしい一部の生徒たちもが沈痛な表情を浮かべ、マリー先輩などは泣き出してしまった。アンジュ先輩はうっすらと涙を滲ませたが、すぐにそれを拭い、皆をまとめて歩き出した。
スカイの話にあった通り、街に近い牧草地にはティプ先輩が雷を採集する為に使ったと思われるアンテナが立ち、雨に濡れて煌めきながら屹立し続けていた。墓標のようだ、と僕は思い、すぐにその考えを打ち消した。
墓標などではない。これは、彼の顕彰碑だ。
「一同、敬礼!」
アンジュ先輩は、濡れた声でそう叫んだ。
僕たちは一斉に敬礼し、長い時間そこに佇んでいた。
* * *
翌日、七月最初の一日は、皆ディベルバイスの中で泥の如く寝込んで過ごした。そしてその次の日、僕たちは今まで生活してきた団地へと帰った。
帰る……そう、帰ったのだ。
六月最後の一日は、未知の敵との戦闘に終始し、全ての瞬間が綿密だった。眠りこけて過ごした昨日一日を挟んだだけなのに、薄汚れ錆び付いた公団住宅は、懐かしさにも似た安心感すら覚えさせた。
元は、あの村人たちが僕たちを閉じ込める為に用意した場所だ。狭い空間に押し込められ、噎せ返る程に消毒液を散布され、挙句にはバリケードで出入口を封鎖すらされた場所。それでも良かったな、と僕は思えた。
きっと彼らは、もう戻っては来ないだろう。宇宙連合軍は、このニルバナを潰すつもりで攻撃を仕掛けてきた。村人たちが、連合軍にそれを許すような内容の取り引きをしたのなら、彼らはこのユニットを見捨てたという事だ。ホライゾンが沈み、ニルバナが無事である事は、恐らくすぐに村人たちに伝わる事もない。また敵が攻めてきても、ディベルバイスがあれば追い返せる。今やここは、誰からも迫害を受ける事のない安息の地となっていた。
「戦闘の様子は、ちゃんと映像として録画されているわ」
アンジュ先輩は、健康チェックを終えた僕とカエラにそう言った。
「あのフリュム船を撃破した事は、私たちの力をアピールする大きな武器になったはず。ネットに情報を流してもすぐに自動削除されちゃうけど、これで連合に圧を掛ける事が出来る。私たちが過激派じゃない事を、人類生存圏全域に宣伝しましょう。そして、ニルバナをもう一回半独立ユニットとして……いいえ、私たちの国として完全に独立させるのよ」
「上手く行きますかね?」
カエラが心配そうに言ったが、彼女はそこで人差し指をぴんと立てた。
「ディベルバイスが鍵よ。ラトリア・ルミレースが私たちの中立を認めず攻撃してきたら、連合にこの船を渡す。また連合には、独立国として私たちを保護しなければ、ラトリア・ルミレースに船を引き渡すって伝えるの。勿論、ブラフだけどね。そしたらもう私たちは、誰にも攻撃されない」
「……サバイユの言っていた事だな」
突然低い声がし、僕たちはぎょっとして振り向く。そこに、ダークが立っていた。
「ダーク君?」
「誰かが自分たちを保護してくれるのを期待する。お前はこの間、そう言ったな。だが今俺たちは難敵に勝利し、土地を手に入れた。今までであれば脱出を急がねばならない状況だったが、それも必要なくなった。……ユニットとしての自治権を得れば、その後の活動もしやすくなる。何事にも拠点は必要であり、それをこのニルバナとする。俺たちの、目的の為か?」
最後の台詞はよく分からなかったが、アンジュ先輩は彼らと過ごす間に何かを聞かされているのか、やや顔を赤らめた。
「お互いの為、でしょ? ダーク君には、ダーク君の目的があって、私たちは早く皆の命の危険をなくしたいって思っている。それにダーク君の帰って来る場所が、ここだったら……」
「当然だ。まだケーゼの残りも、ヒッグス通信の使えないそれらを統括する小型戦艦も造らねばならないしな。工場の環境は気に入った。それにお前は今でも、俺の人質だ。皮肉な事に、人間同士の関係性で最も引き離し難いものだからな」
「素直じゃないねえー、ダークは」
先程のダーク同様、いきなりケイトが現れて彼を背後からつついた。
「言っちゃえばいいのに、アンジュと離れたくないって」
「ケ、ケイトちゃん何言ってるの!? ……ああ、そうだ祐二君たち。もう健康診断は終わりよ。ほら、早く戻った戻った」
慌てたように言うアンジュ先輩を見、僕とカエラは何も言わず退散した。自分たちの部屋があるA棟まで戻ると、顔を見合わせてくすくすと笑った。
* * *
建物の中に入ると、伊織、千花菜、恵留が廊下で話していた。僕たちは彼らに近づくと、「やあ」と声を掛けた。
「お、祐二、カエラ。お疲れ、異常はなかったか?」
「アンジュ先輩の簡単な健康診断だから、正確に分かる訳じゃないけどね。一応、例の重苦しい疲労を除けば特に問題ない。疲労に至っても、むしろ少し良くなったくらいじゃないかな」
僕が伊織に答えると、千花菜が微笑んだ。
「『病は気から』って言うもんね。アーノルドさんも、ユニットがいつ攻められるかっていう不安がなくなったからか、体調が大分良くなったみたい。咳も収まってきたし、薬を飲ませたらすぐに寝ちゃった。久しぶりの快眠だと思うな、苦しそうな様子も見えないし」
「そっか。……それにしても、びっくりしたな。あの人、ずっと僕たちの事を嫌っていて、戦いの前もあんな事言ったのに、急に穏やかになってさ。街の方が浸水状態なのを見ても、怒りもしなかった」
僕に続き、伊織も「そういえばそうだな」と言った。
「ディベルバイスで戦っている間は、千花菜と恵留があの人の面倒を見ていたんだよな? 二人が、何か言ったのか?」
「それはね、千花菜ちゃんが……」
恵留が、千花菜の方を向く。千花菜当人は何が恥ずかしいのか、目線を逸らすように斜め上を向いた。
「千花菜ちゃんがね、アーノルドさんに言ったの。逃げられない瞬間が確かにあるんだ、って。今がその瞬間で、状況は絶望的だけど、もしもここを耐え抜いて希望に到達出来たら、凄く嬉しいんじゃないか、って」
「あれは……その……」千花菜はしどろもどろになる。
「祐二君が死んだらどうしようって、ずっと心配していた。それでも信じようって、頑張ってた。あたし、ちょっと羨ましかったな」
恵留、と千花菜が窘める。カエラが若干表情を強張らせ、僕はやや複雑な気持ちになりながら曖昧に微笑んだ。
千花菜本人には明かしていないが、僕は今でも彼女の為に戦っているつもりだ。今回の戦闘中、ディベルバイスが沈まないように、ユニットが潰れないように、と思い焦ったのも、全ては千花菜が無事であるように、という想いへと収束する。だが彼女が僕に希望を託すように祈ったのは、その想いが通じているからではない。
僕は、千花菜にどう思われれば満足するのだろう、と考えた。この間カエラにも言われたように、僕が彼女に抱いている気持ちが恋愛感情なのかどうかもよく分からないのだ。
(焦る事じゃ、ないよな)
早く結論を出さないのは、確実に僕を好きだと言ってくれているカエラに申し訳ないとも思ったが、今は皆を包んでいるこの高揚した空気に水を差すような考え方はよそう、と僕は考えた。
「ありがとう、千花菜」
ただ、そうだけ言った。千花菜は微かにはにかみ、「別に」と返してきた。
「恵留も、羨ましがる事はないんだぞー。俺だって、祐二みたいな格好良いロボットではないけど、自分の機体で戦えるようになったんだ。お前は、俺を信じてくれていいんだ」
伊織は恵留に向かって言う。今度は彼女が、少々赤らみながら「ありがとう」と返し、カエラが「見せつけちゃって」と茶化した。
「そ、そういえば祐二君たち。アンジュ先輩と何かお話ししてきたの?」
話題を変えるように、恵留が尋ねてきた。
「そうそう、アンジュ先輩、今度はただ保護を求めるんじゃなくて、私たちで独立した自治体を形成して、連合にそれを承認して貰おうって考えているみたいよ」
カエラが、真面目な口調に切り替えて言った。
「私たちには今、フリュム船に勝利したっていう事実がある。勿論フリュム船の事は連合内で隠蔽されているみたいだけど、私たちが連合の巨大戦艦とやり合えるだけの力を持っているって事はアピール出来る。そして、ニルバナの独立と中立を改めて宣言するんだって」
「独立……」伊織が呟く。
「ラトリア・ルミレースは連合に独立戦争を挑んだけど、それが難航しているのは戦力の差。それを言ったら私たちもだけど、ディベルバイスを戦力以外に、もっと別の使い方をすれば独立は出来る。私たちを攻撃した方とは反対の勢力に、これを引き渡すって言えば」
「随分強気だね。アンジュ先輩らしからぬというか……」
千花菜が言ってきたので、僕は補足した。
「元はダークギルドの意見みたい。ダークギルドにはやっぱり何か目的があるみたいだけど、先輩はそれも尊重する姿勢らしい」
「まあ、癪だけど今回の戦いでMVPだったのはあいつらだからな。それに、連中にどんな思惑があるにしても、これは俺たちにとってもいい事だ。この旅が終わるっていうなら、それがいちばんだろうしな」と伊織。
「この事、まだ皆には伝えていないんだよね?」
「そうだろうね。ダークギルドと、アンジュ先輩が個人的に話した事から来ているみたいだし、ユーゲントでも一回話し合う事になるんだろう。先輩方も、悪くはないって思いそうだけど」
「じゃあ、皆に発表する場所を作らないとね。……祐二君」
カエラが、僕を指名してきた。
「何?」
「多分私たちも、舵取り組として話し合いに呼ばれると思う。そこで、先輩たちに提案してみない? せっかく皆で勝ち抜いたんだし、その発表も兼ねてお祭りでもどうかな、って。ほら、今まで皆ずっと鬱屈してきたと思うし、それで旅の終わりを喜べるなら、最高だと思うな」