『破天のディベルバイス』第8話 分かり合う為に⑤
⑤綾文千花菜
祐二、カエラが共に戦闘継続の困難な状況に追い込まれた。
船内放送でマリー先輩の声が告げた事は、ディベルバイスが現在置かれている残酷な局面についてだった。それは、外の戦闘状況が見えない千花菜たちにとって、頭で信じなければ逃避出来る類の現実ではなかった。
何故ここまで自分たちに状況を隠していたのだ、と、アンジュ先輩たちを責める気にはなれなかった。知ったところで皆は絶望し、残された希望であるダークたちが出てくるまでのあと数時間という時間を、自ら放棄しようとしていただろう。そうでなくとも、壁を隔てた両隣の部屋からは恐慌の声が聞こえてくるのだ。彼らが居住区画外で暴動を起こすなどの狼藉に走っていないのは、状況報告と時刻を同じくして開始されたディベルバイスの「加速上昇フェイズ」による命の危険からだろう。
千花菜、恵留が部屋に連れ込み、半ば拘束のような形で保護しているオセス患者の村人アーノルドは、比較的元気なようだった。頻りに咳をするものの、発症から急激な悪化が起こるまでの一週間以内に快癒せず、更に一週間以上を重ねたにしては、目立った体調の変化などはない。千花菜はこれを、彼が回復に向かいつつあるという事だと信じたかった。
「何だ、この揺れは! もう少し丁寧に操船出来ないのか?」
「落ち着いて下さい、アーノルドさん! 動くと危険ですよ!」
今にもベッドから飛び起き、外に飛び出して行きそうな彼を、恵留が必死に寝かせ続ける。アーノルドは乱暴に腕を振り、彼女を振り払おうとした。
「俺はお前らが思うより健康だ! 山場を過ぎてもずっと、症状が悪化してはいないじゃないか! こんな所に居たら逆に為にならん、あのガキどもめ、年長者を敬うという気はまるでないしよ……早く降ろしてくれ! ニルバナに帰せ!」
「死にたいんですか、あなたは! 今あのユニットは、崩壊してしまうかもしれないんです。それを喰い止める為に、あたしたちが頑張って戦っているんじゃありませんか!」
「黙らんか、小娘!」
アーノルドが勢い良く振った腕が、恵留の口元を打った。爪がその皮膚を軽く引っ掻いたらしく、彼女はあっと叫んで身を引く。アーノルドは思わず動揺したようだったが、やがて苦々しく「ざまを見ろ」と吐き捨てた。
「いい加減にしてよ、おじさん!」
千花菜は、涙目になる恵留を軽く抱き寄せながら反駁した。
「私たち、ここずっと我慢してきた。やっと辿り着いた希望の地は感染症の真っただ中で、自分たちを助けてくれると思った人たちは私たちを逆に虐げて、挙句一人死んだ瞬間に見捨ててしまった。そしてあなたは、そんな村人たちの一人。それでも私たちは、あなたたちとは違うんだって言ってあなたを見捨てなかった。ここ最近、ずっとあなたを看病してきた。捨てられたユニットを守ろうとして、今こうして戦ってもいる。
……別に感謝して欲しい訳でも、恩を着せたい訳でもない。でもさ、そんな相手にこれはちょっとないと思わない? 私の事じゃないよ、私だってウイルスを撒き散らされたら困るっていうだけで、自分たちの為だけにあなたを助けようと思ったんだから。でも恵留は……この子は、ずっと何の勘定もなくあなたを看病した。お母さんが死んで泣き崩れたあなたを、その良心を信じて尽くそうとした。……謝ってよ、この子に」
「千花菜ちゃん……」
恵留が、涙目で自分を見上げてくる。千花菜は彼女の頭を軽く撫で、顎を摺り寄せた。マスク越しでも分かる彼女のいい匂いが、毛羽立った神経をすっと落ち着かせてくれる。
アーノルドは、目を白黒させながら言葉に詰まる。
「俺は……信じられないんだ、何もかも。宇宙連合軍が、どうしてここまで残酷な事をするんだ? 二週間少し前までは俺たちの仲間だった村の連中が、何でこうも容易く俺を切り捨てたんだ? ニルバナは本当に、潰れようとしているのかよ? 現実は何処に行った? それを、俺に見せてくれよ……」
「これが、現実なんです」
千花菜は、「私の目を真っ直ぐ見て」と言い、アーノルドの両頰を掴んだ。目を逸らそうとする彼の首を、無理矢理正面に固定する。
「私たちも、仲間だと信じていたブリークス大佐に見捨てられました。行く先々で攻撃を受けて、連合と過激派が宇宙戦争を繰り広げる戦場のど真ん中を旅して、ここまで来ました。連合軍が私たちを捕らえる為なら、何処までも残酷になるのだという事も現実として理解しました。……分かるでしょ? 逃げちゃ駄目なの。何が何でもとは言わないけど、『生きる』っていう、ある意味戦いの中では、逃げられない瞬間っていうものがあるの。今のあなたは、自分の痛みに耐えられず、みっともなく喚いているだけです」
アーノルドが押し黙る。刹那、またもや船体が突き動かされ、押し上げられるような震動が斜め方向から襲ってきて、千花菜は咄嗟に腕の中の恵留を抱き締めようとした。
が、恵留は自分にしがみ付く事はせず、身を乗り出してアーノルドをベッドに押さえ付けた。彼女のその行為がなければ、病人は半ば身を起こした状態のまま横方向のGを喰らい、壁に叩き付けられていただろう。
「祐二も、カエラも、伊織も、アンジュ先輩も、ダークも、皆戦っているんだ……それなのに私たちは、こんなにも分かり合えない」
口に出して、そう呟いた。
「ユーゲントだって、怖いはずなんだ。どうしたらいいか、分からないんだ。その中で、一生懸命頑張っている事は分かっているのに……私は、彼らを責めようとする訓練生たちの気持ちを、否定出来ない。祐二が死んでしまうかもしれない時に、彼に傍に居て欲しいなんて、自分の事ばっかり……でも、こうして耐えて、耐えて、耐え抜いた時に、皆一緒にこの災厄を乗り越えられたら……」
「千花菜ちゃん……?」
恵留が、涙の消えない目で自分を見つめてくる。
「……それって、何だか凄く嬉しい事だと思わない?」
揺れが、次第に収まってくる。再び水平方向への進行が始まったのか、ごうごうというジェットの噴射音、機銃の音などが聞こえてきた。
アーノルドはまた咳き込みながら起き上がろうとする動作を見せたが、やがて思い直したように脱力し、枕に頭を沈めた。
「俺は……ニルバナに帰って、もう一度健康に生活がしたい……」
「出来ますよ、きっと!」
恵留は、意を決して絞り出した、というように力強く言った。
「奇跡が救ってくれなくても、希望がある以上放棄は出来ないから……」
(……祐二)
千花菜は、想い人の弟──あの人と同じ道を辿ろうとしている彼に向けて、祈るように両手をぎゅっと握り締めた。
(お願い祐二、死なないで。生きていて……もうこれ以上、私の前から居なくなっちゃ嫌だよ。お願いだから……!)