『破天のディベルバイス』第8話 分かり合う為に④
④アンジュ・バロネス
ダークたちから武器が届くまで、あと一時間。
ユーゲントたちは絶え間ない加速上昇に耐えながら操船を続けねばならず、アンジュは襲い来る激しい嘔気と戦いながら各方面への通信を行っていた。ブリッジに居る仲間たちも、限界が来て倒れている者が居ないのは奇跡に近い。
『こちらティプ』
また、ヒッグス通信が入る。アンジュは微かな声で「はい」と言った。
『もう間もなく目標を達成出来るよ、あとはスカイ君たちの作業が終わるのと、上手く雷が落ちてくれるのを待つだけだ。雷雲が小さいだけに、放電は三十分も掛からずに起こると思う。僕は最後の一仕事の為に、狭い場所に潜ります。スペース的にこの通信機は持って行けないから、暫らく通信出来なくなるけど、心配しないでね』
良かった、と内心息を吐く。彼からすれば、ここからはもう人事を尽くして天命を待つ、という状態で、成す術のない緊張だけが続く時間なのだろうが。
「アンジュ、了解。ごめんね、大変な事ばっかり……」
『そう謝らないでってば。……じゃあ、行かなきゃ。今度の連絡は、作戦が成功した時にするから』
通信はそこで終わる。だが、間髪を入れず次はシオンの声が流れた。
『アンジュ! 追い討ち掛けられるわよ、敵艦から航空機部隊が発出された! ケーゼ群に加えて、メタラプター多数!』
「何ですって……?」
アンジュはくらくらする頭を押さえながら窓を見る。高度を上げてくるホライゾンから、確かに無数の機影が現れ始めていた。慌ててレーダーに向き直ろうとした時、索敵中のウェーバーが
「敵戦闘機部隊、多数出現中」
まさにその事を口にした。回線の向こうのシオンが、重ねるように言う。
『射撃組の大勢が逃げ出しちゃったのよ! 神稲君に追い駆けるように言ったけど、本当に困った子供たちなんだから……』
「逃げ出し……?」
アンジュが鸚鵡返ししかけた時、またもやウェーバーが言った。
「ご心配なく。以前にもこのような状況はありました、先手を打って船内各所の防火シャッターを下ろしておきましたので、彼らも勝手な行動は出来ないでしょう」
「以前……?」
「地球脱出時、ラトリア・ルミレースに襲われた際の事です。あの時のように、彼らにブリッジへ押し掛けられると厄介ですので」
「それで、シャッターを下ろしたの?」
つい、口調が尖ってしまう。アンジュには、後輩たちの気持ちが理解出来た。立場が立場でなかったら、自分だって逃げ出したいくらいだ。だからウェーバーの対応には、冷たさが感じられてしまった。
「他に、どうしろと?」
一切の躊躇いなく返され、アンジュは何も返せなくなる。つい黙り込むと、代わってテンが報告した。
「ストリッツヴァグン、ホライゾンに帰投していくぞ!」
「えっ?」
アンジュはつい、彼の方に身を乗り出した。
「さっきまで着艦されていたんでしょ? 被害は? 攻撃はなかったの?」
ストリッツヴァグンが機銃の死角を突き、ディベルバイス船尾の展望デッキに着艦した時、アンジュは慎重な情報伝達に努めた。シオンに伝えた際は、射撃組の訓練生たちがパニックを起こさないよう、やむを得ない状況になるまで黙っているように、と付け加えた。
「何の反応もねえけど、これは通信の不具合とかじゃねえよ。本当に、攻撃されなかったんだ。あの光線で、デッキからスカスカの居住区画に攻撃されていたら、船の半分は吹っ飛んでいただろうさ。何だったのかは分からないけど……」
「怪我人は?」
「加速上昇フェイズに入ってから、あいつらには廊下にに出ないようにって伝えていたからな。多分問題ないって……ん? 待てよ、サーモグラフィに、デッキ付近に人の反応が……」
テンが、素早く確認を開始する。アンジュは固唾を呑み、彼の次の言葉を待った。
「なっ、ジェイソン……!」
彼の口元で、舌打ちが弾ける。つい顔から血の気が引くのを感じたが、アンジュが安否を尋ねるよりも先にテンはその答えを言った。
「めでたい事に、ピンピンしてやがる。でも妙だな、ストリッツヴァグンはさっき、あいつのすぐ傍に下りたはずなんだ。宇宙連合軍には交戦規定フェイズ三が発令されて、俺たちは殺すようにって言われているのに……」
「奴らの目的は」ヨルゲンが、首をこちらに向ける。「ディベルバイスを破壊する事じゃねえのかもしれねえな。テン、マリー、お前たちがユニット二・一で見てきた情報にも、船については『捕獲するように』って書いてあったんだろ? 出来ればあいつら、ディベルバイスを無傷で捕まえたいんだ」
「でも、それが分かったところで……」
ラボニが、浮かない顔で口を出す。
「そうだな。捕まった後、俺たちは口封じに処刑だ。……保護して貰える事にはならないだろうし、絶対に投降しちゃ駄目だな」
ヨルゲンの言葉を最後に皆が黙り込むと、重い沈黙がブリッジに下りた。
敵の戦闘機が出てきたからといって、それが何だ、という気分だった。自分たちのする事も、刻々と状況が不利になっていく事も、先程までと何ら変わらない。こちらの攻撃手段が失われた以上、敵がどれだけ増えたとしても、何らかの”結末”がやって来るまで逃げ続けるしかないのだ。約一時間後、最後の希望が訪れる事を信じながら。
と、その時だった。
突然、船底の方から轟音が突き上げてきて、ユーゲントのメンバーは一斉に身構えた。逸早く立ち直ったのはウェーバーで、素早くレーダー情報を操作する。やがて、珍しく「おおっ」と歓声らしい声を上げた。
「どうしたの、ウェーバー?」
「ティプさんたちが、やり遂げましたよ。ニルバナが浮上を開始しています」
彼に「回頭して下さい」と言われ、一瞬呆然となったアンジュは我に返って、ラボニたちに指示を出す。ディベルバイスが向きを変え始め、アンジュは再び窓に駆け寄って眼下の景色を覗き込んだ。
ユニット下部を浸していた水を引きちぎるように、ユニットが浮かび上がってきていた。ディベルバイスを追ってくるホライゾンも、乗組員たちが驚いて操舵を停止したのか、動きを止めている。重力の呪縛から解放されたニルバナは細かく顫動しながらも安定した浮上を続け、外壁を捕らえていた水は泡となって散っていく。その光景は、荘厳とすら言えるような気がした。
「ティプ、やったの? あなたたちは皆、無事なの!?」
勢い込んで、彼の持って行った小型ヒッグスビブロメーターに向けて言葉を投げ掛ける。回線の向こうからは暫し反応がなかったが、やがて訓練生の声で『俺です』と返ってきた。
『スカイ・ダスティンですよ! ティプ先輩の作戦、上手く行きました。現在ケンとジュノが、天候調節プログラムを組み直して雷雲を消そうとしています。送電設備も直さなきゃいけませんしね』
「スカイ君! 良かった……ティプは、戻って来ていないのね?」
『はい、電線を装置に繋ぐ為、地下に潜っていきましたから。通信状態が悪くて……でも、すぐに帰って来ると思いますよ』
「分かったわ。お疲れ様、あとは私たちとダーク君たちに任せて」
アンジュは彼を労うと、レーダーに視線を戻した。
ニルバナが流れ始めた時、その行く先は祐二の一号機が囚われている海中の辺りだった。波が彼を滝の方に流したり、ユニットの端が彼の機体を圧し潰してしまったりしてはいなかっただろうか。
数秒後、ティプたちの作戦成功に伴うアンジュの一時的な歓喜は、すぐにまた薄暗い感情に呑み込まれた。
スペルプリマー一号機の信号は、Z座標を上げつつあるニルバナの位置とほぼ重なるようだった。信号が届いている以上、機体が圧壊したという訳ではないだろうが、波やユニットの外壁が直撃したのであれば、彼が全くのノーダメージという事はないだろう。
「祐二君、一号機、応答願います」
アンジュは、無意識に早口になりながら祐二に通信する。一号機からは数秒間反応がなかったが、やがて彼の弱々しい声が返ってきた。
『こちら、渡海祐二……僕自身はまあ、無事です……けれど……』
「祐二君?」
つい、声が震える。重力の影響を受けないヒッグス通信の精密さが、その時ばかりは呪わしく思った。
通信の奥からは、ザーッという水の流れる音が聞こえていた。スペルプリマーから機体の外の音が、二つの回線を経由してこれ程鮮明に聞こえてくるはずはない。恐らくこの水音は……一号機の中から響いている。
「どうしたの? 何が起こっているの?」
『……エンジンに水が浸入しました。重力操作は引き続き可能と思われますが、現座標から離脱する事は……限りなく不可能です』