『破天のディベルバイス』第8話 分かり合う為に③
③ティプ・チャート
落雷のエネルギーを利用し、ニルバナを浮上させる為の動力を生み出す。
一見それは、荒唐無稽なアイデアのようにも思える事だが、天候を人為的に調整出来るコラボユニットでは可能な事だ。ただ問題は、コラボユニットに於いて「雷」という天候は存在しない事。当然だろう、電波障害を引き起こし、人を殺める危険もある気象災害をわざわざ再現する必要はない。
故に、雷を発生させるには条件を揃えねばならない。雷は、静電気の集まりだ。雲の中で、上昇する氷の粒と下降するそれが摩擦を起こす事で静電気を発生させ、行き場のないそれらはその雲の中に蓄積される。そして、その為の雲を発生させるには、暖気と寒気を接する「前線」を作り、上昇気流を生み出す必要がある。
幸い地上から、ユニット地下のエンジンまで電線を真っ直ぐに引ける真上の場所は開けた牧草地だった。ここで局所的に雷雲を発生させれば、外れの高い建物に落としてしまう心配はない。だが無論、牧場主の家などは点在しているので、ピンポイントで落ちやすいように高いアンテナを用意する事は必要だ。
「課題はまだまだあるんだ」
輸送用エンジンを再起させようとスカイたちがプログラミングを続けている制御室に割り込んだティプは、天候調節システムのプログラムを書き換えながら彼らに説明した。
「雷が落ちるのは、雲の中に静電気が溜められなくなった時。そして雷を発生させる積乱雲は、ばらつきはあるけど平均的に直径約五キロ、高さ約十キロだ。それに対してコラボユニットは全長約二十キロ、高さは約六・五キロ。発生させられる雷雲の大きさにも、放出出来る電力にも限りがある。電力が拡散してしまう事だけは、何としてでも避けなきゃいけない。
雷は、低い位置からエンジンに向かって放出するよ。加えて、ダークたちの作業を行っているユニット内を一度計画停電させて、自然には生み出しきれない電力を雷雲に回す。こんな田舎だと電柱は見当たらないけど、電線が地中化されているって事だから却って都合がいい」
ティプは言いつつ、気圧調整装置と雨水散布シャワーのプログラムを打ち込む。自分にとっても初めての事なので、マニュアルを読みながら慎重に組み立てていく。地上での準備は、既に完了していた。
「それでも確率論なんですよね? 本当に狙った場所に雷を落とせるか、百パーセント成功させる準備は出来ない」
ケンが声を掛けてくる。ティプは「そうだよ」と答えた。
「最終的には成功するか、失敗するかの二択だ。その成功する確率の割合を百パーセントに出来なくても、それに近づける為の準備なんだよ。する事が多いから、ウェーバーから聞いたリミットぎりぎりになるだろうね。失敗したら、もう一回再チャレンジなんて出来ない」
「そんな! それじゃギャンブルじゃないですか! 俺たちの命も賭けられているんですよ!?」ジュノが、一瞬手を止めて叫ぶ。
「君たちのプログラミングが上手く行くかどうかも、ギャンブルなんでしょう? お互い様だよ、命を預け合っているのはね。だから、僕の事は気にしないで作業を続けて。……皆で勝つ為に」
ティプが切り返すと、ジュノは悔しそうに奥歯を食い縛り、だがすぐに再びプログラムを組み立てる指を動かし始めた。
ユニット内の空となるパネルは、ゲームの升目のように無数の正方形の区画で区切られる。それぞれの区画に決められた数のシャワーや気圧調整装置、空模様を投影する液晶があり、それら一つ一つを細かく設定して気圧差や寒暖差を生み出す。前線、上昇気流を生み出す土壌を作るには、目標地点を含むどれだけの範囲を隔離すればいいのか──。
(分かっているよ、アンジュ……)
ティプは、頭の片隅で微かにそう考えた。
地上で作業を行っている最中に、アンジュから通信で状況を尋ねられた。ティプはそれに対し、もう少し時間が掛かりそうだ、と告げた。まだ終わらないのか、という催促のような事も言われ、ユニットが圧壊するまでの時間はあと一時間弱あるのではないか、と思った時、はっと気付いた。
先程から、ずっとユニットが小刻みに震えているのだ。あたかも、波に揺さぶられているか、流されているかのように。それが比喩に留まらない事を、ティプも悟ってしまった。実際にユニットは、流され始めている。方向は、クラフトポート側へ。つまり、ホライゾンが放ってきた水の流れとは逆だ。
考えられる事は一つしかない。海として具現化されたホライゾンの重力場に歪みが生まれ、滝を作り出したのだ。ユニットはこのままでは、圧壊までの時限を待たずして傾倒し、自分たち諸共致死性の罠へと落下する。
(焦っちゃ、駄目なんだ)
アンジュが言葉を濁したのも、きっとその為だ。ここで失敗する訳に行かないからこそ、自分たちユニット内で頑張っている者たちに、今以上の焦燥を与えてはならない、という事だろう。アンジュの判断は妥当だ、自分はその判断を無駄にするような態度を見せてはならない。焦らず、スカイたちを焦らせるような態度を取ってもいけない。
やがて、プログラミングが終わった。今、ユニット内ではアンテナを立てた牧草地に雨が降り始めているだろう。太陽電池の向き調節と計画停電の準備も整った。あとは地中の電線を目標地点まで引っ張り、追加の送電を開始するだけ。
「君たち、システムのプログラミングが終わったら、エンジン点火ボタンの前でスタンバってて。幸いアンテナからここまでは距離がそこまで離れていない、だから落雷の音が聞こえた瞬間ボタンを押してくれれば、時差も手遅れにはならない」
「先輩は、指示してくれないんですか?」
「ここより地下は重力の影響で、電波が通じにくい。さっきも実証したようにね。僕は君たちを信じているから、君たちも自分自身を信じるんだ」
ティプは不安そうな後輩たちに精一杯微笑み掛け、「じゃあね」と言って部屋を後にした。もう、あのエンジンのすぐ傍まで行く訳ではないので、防護服代わりに宇宙服を着用する必要もない。
通路に出、小型ヒッグスビブロメーターの傍らに跪くと、ブリッジの仲間たちに目標達成前最後の通信を入れた。
「こちらティプ。もう間もなく目標を達成出来るよ、あとはスカイ君たちの作業が終わるのと、上手く雷が落ちてくれるのを待つだけだ。雷雲が小さいだけに、放電は三十分も掛からずに起こると思う。僕は最後の一仕事の為に、狭い場所に潜ります。スペース的にこの通信機は持って行けないから、暫らく通信出来なくなるけど、心配しないでね」
『アンジュ、了解。ごめんね、大変な事ばっかり……』
相変わらずだな、とティプは苦笑する。
「そう謝らないでってば。……じゃあ、行かなきゃ。今度の連絡は、作戦が成功した時にするから」
通話を終えてから、する必要もないか、と思い、苦笑が強くなった。ニルバナが浮き上がれば、外に居るアンジュたちから見たら一目瞭然だろう。
ティプは、エンジンへのメンテ用接近口ではない反対側の、電気工事用の通路に向かって走った。地面に這い蹲った瞬間、牧草地に居た時からずっと続いていた震動がより強く伝わってくるような気がして、今からこれ程震えている地面に潜るのか、と思うと本能的な恐怖が頭を掠めた。
* * *
街の電力供給をコントロールしている巨大配電盤から、牧草地に向かって電気が流れるように制御室で操作した極太のメインケーブルを引っ張り、ティプはしゃがみ歩きを開始する。感電しては大変なので現在電流は流しておらず、スカイたち三人がエンジンを起動したタイミングと同時に送電が開始されるよう設定した。
だから、今行っている作業が最も危険なのだ。電圧の高低差により電流は流れ、現在のティプは地面と電線の間で接地のような役割を果たしている。エンジンに繋がっている地中ケーブルとこの電線を接続し、触れた状態で送電されれば、自分は十億ボルトの電圧に晒されて死ぬ。
小走りで狭いトンネルの中を進んでいると、頭上から口笛にも似た風の音と、細かい雨粒が地面を叩く音が聞こえてきた。どうやら、既に前線は活発に動き始めているらしい。自然風の吹く事がないユニット内でそれが移動してしまう事はないが、少し急がねば。人工的な雷だけでは、電力が些か足りない。今のまま雷が落ちてしまったら、自分は命を落とし、苦労も全て水の泡となる。残されたスカイたちは、圧死の恐怖に怯えながら残り時間を過ごさねばならなくなる。
急げ、だが焦るな、と自分に言い聞かせながら、ティプは前進する。
そして、間に合った。
(あった、あれだ!)
前方に、自分が一時間弱前に地面に突き刺し、エンジンへとケーブルを張ったアンテナの基盤が見えた。地面に、雑に刳り抜いた穴へとケーブルは伸び、ユニット下部の震動に呼応するように揺れている。ホームセンターから持ってきた一般用のものだが、強度は十分のはず。
ティプは駆け寄ると、基盤のケーブルが突き出ている辺りに電線の先端に付いているフックを掛け、送電設備と接続した。それを合図にしたかのように、頭上からゴロゴロという鈍い音が聞こえ始める。
雷鳴。小規模だからか、天候調節プログラムを書き換えてからそう時間は経っていないのに、既に雲放電が始まっている。よし、とティプは小さく快哉を叫ぶ。ユニット内での雷発生という不可能を可能にする事は、これで叶った。あとは、それがアンテナに上手く落ちてくれるかどうか。地上では近くに建物や孤立した大きな木などがないかを十分に確認し、大きさに細心の注意を払って立てた。きっと大丈夫だ、と信じながら、ティプはケーブルから手を離し、奥の方に離れた。鼓膜が破れないよう、落雷の瞬間に耳を塞ぐ準備をする。
と、その時、視界に違和感を感じた。状況が一種の賭けである以上、そのような感覚が僅かにでもあれば、気のせい、と軽々しく済ませる訳には行かない。数秒間その違和感の原因を探り、興奮は再びの焦燥に変わった。
「繋がっていない……ケーブルが揺れすぎだ」
思わず、口に出して呟いていた。
そうだ。エンジンにしっかり繋いでいたら、ケーブルは揺れたとしても、ユニットの震動とほぼ同じ揺れ方をするはずだ。このように、風に煽られでもするかのように左右に大きく振れたりはしない。
(ユニットは流されている。それで居て、ユニット下部に広がっている重力場は依然下方向に土台壁を引き続けている。それで、市販のワイヤーで作ったケーブルが不自然な方向に力を掛けられて、引っ張られすぎて切れたんだ)
マズい。このままでは、エンジンに電力が届かない。
ティプは慌てて、穴へと飛び込もうとした。だがその瞬間、足が竦んだ。
この中は、エンジンの中。放射能によって、一度死の世界となった場所。数時間前にメンテ用接近口に入った時は、自分は防護服代わりの宇宙服を着用していた。だが今、それはない。
──どうする、と悩んだのは、一瞬だった。
(薄くなってんだ、健康被害は出ても、入って即死はないだろう!)
ケーブルに、そこまでの強度がない事は分かった。降りる為にこれに掴まったら、一層回路を壊してしまうだろう。ティプは穴の縁に手を掛け、命綱なしで身を躍らせた。高さが怪我をする程のものでない事も、一度確認済みだ。
タービンに続いているケーブルを目で追い、沿うように走る。今度は腰を屈めずに走れるので、全速力で。すぐに目的の箇所は見つかり、切れたケーブルを近づけようとティプが手を伸ばした瞬間、運が尽きた。
ビシャ───ンッ!! と、物凄い音が頭上で響いた。
落雷だ。降りてきた穴の方が光り、ケーブルを縫うように光がこちらに向かってくる。スカイたちがエンジンを起動させるまで、残りコンマ数秒。
ティプは、回避に向けて動く脊髄をありったけの理性と覚悟で抑え込んだ。
「う……おおおおおおっ!!」
自分を鼓舞するように咆哮し、ティプは素手で二本のケーブルを掴むと、その切れた箇所を自分の体で繋げた。人体にも、電気は流れる。だからこそ、この作業は危険を極めたのだ。
(やったよ、アンジュ──……)
ティプの体を十億ボルトの電圧が駆け抜け、意識を消し飛ばした。