『破天のディベルバイス』第1話 地球が終わる日⑦
⑤ブリークス・デスモス
「大佐、お急ぎ下さい。ハンニバルが発艦しました、このままでは我々が戦場に居ない事が露見してしまいます。ラトリア・ルミレースも、我々に騙された事を知ってこちらに向かってくるでしょうし」
リーヴァンデイン最上層である船着き場、ビードルのデッキに出ると、すぐさま待機していた兵士が声を掛けてきた。
見上げればラトリア・ルミレースの戦闘機、RF – 3 バーデは、既に目視で機体が確認出来る程に接近していた。攻撃を受ければひとたまりもない。
「サウロ長官が隠そうとした船は、今まさに天蓋へ突入しようとしている。このままリーヴァンデインを倒し、目的を達成するぞ」
素早く指示を出した。ヴィペラの深度が深くなると船は潜れなくなるが、リバブルエリア内に雲が流れ込んだとして、他の不可住帯と同じ濃度に達するまでは十分に時間がある。あの船を回収する余裕は残されている。
「ガイス・グラとハンニバルがぶつかって、こちらが確実に勝つという保証はない。このビードルを切り離し、衛星軌道を脱出する。悪いがリバブルエリアの諸君には、犠牲になって貰うしかない」
だがこれも、人類の悲願を達成する為だ。ラトリア・ルミレースとの密約では、船は彼らの望み通り破壊すると言ったが、そうする訳には行かない。サウロを葬り、目的を達成するまで彼らは利用させて貰っただけだ。
『バーデ、更に接近!』
『数、三機!』
『ビードル発進フェイズに入ります!』
「発進したらすぐに方向を転換、艦首レーザー重砲で往還軌道の敵を蹴散らす! 射線上にハンニバルが入れば一石二鳥だが……」
このクーデターはテロではない、と、作戦に参加している誰もが信じていた。フリュム計画の主導権をブリークスが握れば、この宇宙戦争も終わる。その為には、悪いがサウロ派の存在はあってはならなかった。
「大佐、ガイス・グラにお入り下さい。先鋒の三機は、ビードル発進まで間に合いません。我々が対処します!」
兵士は、ブリークスを艦内に押し込むようにしながら自機ケーゼに向かって駆け出した。シャッターが降りていくまでの間、ブリークスは接近する戦闘機を見つめ続けた。
(間に合うものか……)
ケーゼたちが次々と発進しようとする。先程の兵士が乗り込んだ機体が動き出した瞬間、それは降下してきたバーデの射撃を受け、離陸する前に爆散した。
『デッキに被弾! ケーゼ隊交戦に入ります!』
『カーター伍長、敵機と接近戦を繰り広げながらヴィペラへ突入しました!』
発進フェイズに入ってから、起動が随分遅い。準備は以前からしていたものの、やはり百年以上宇宙船としての役割を務めてこなかったビードルには、エンジンを動かす事はもう出来なくなっていたのか。
──頼む、動いてくれ。
ブリークスは無意識のうちに両手を合わせ、神ではない何者かに向けて必死に祈っていた。
シャッターが落ち切ってからの数秒間は、その中に限りなく永遠に近い時が凝縮されていたかのようだった。それに終止符を打ったのは、インカムから流れてきたオペレーターの一言だった。
『エンジン点火しました! 推進力十分です!』
聞き終えるまでもなく、ブリークスは大きく息を吸った。
「発艦!」
刹那、腹の底に応えるような重低音と共に世界が震え始めた。足元から突き上げてくるような震動に、ブリークスは最寄りの壁の手摺りを掴む。
『リーヴァンデイン、切り離されます』
ビシッ! という鋭い音が、重低音の中を貫くように響く。繊維方向への強度はダイヤモンド以上だというカーボンナノチューブも、鍍金ごと折れてしまっては重力に引かれ、倒れるだけだ。
(さらばだ地球よ、今はまだ少しだけ……)
ブリークスはシャッターをもう一度引き上げ、デッキに出て駆け出した。ヘルメットを被ってバイザーを下ろし、万が一の事態に備えつつビードル内への階段室を目指す。
頭上を、敵味方の戦闘機が飛行して撃ち合っている。火花が絶え間なくデッキに零れ落ち、降り掛かってくるが、必死にそれを払う。
ビードル内へ降りると、真っ直ぐにブリッジを目指した。
駆け込む頃には、正面の窓の景色が大きく流れていた。回頭しているのだ。
「ハンニバルの戦域突入を確認! 標準を固定!」
「発射準備良し!」
──この命令を出せば、運命は決する。
ブリークスは拳をぐっと握り締めた。心臓の鼓動が速い。
冷静になれ、と自分に言い聞かせた。サウロを銃撃した時、リーヴァンデインからビードルを切り離した今さっき。最早引き返すべき道は要らない。
「撃て───っ!!」
叫んだ数秒後、窓の外が真っ白になった。
何処までも白い大光量の中、奥に見えていた旗艦ハンニバルのシルエットが、ゆっくりと溶けるように消滅していった。
⑥アンジュ・バロネス
デッキから船内へと続く通路に、宇宙服姿の人物が二人立っていた。外回りをしていたマリー、ガストンの二人は拳銃を突き付けており、宇宙服姿の二人は両手を挙げている。
「マリー! ガストン!」
アンジュはショットガンに弾を装填しながら、ユーゲントの二人に声を掛けた。彼らはちらりと振り返り、アンジュの武装に驚いたように道を空けた。
アンジュは宇宙服たちに近づく。だが、こちらが何か声を発するよりも先に、彼らの片方が言った。
「ああ、あなたがアンジュ先輩ですか」
「……? 誰ですか、あなた方は?」
誰何すると、声を出した方はヘルメットのバイザーを上げた。そこから現れた顔が少年のものだったので、アンジュも他の二人もあっと叫びかけた。
「護星機士訓練課程の神稲伊織です。こっちは相棒の渡海祐二」
「何だ、訓練生か……」
ガストンが、力が抜けたようにほっと息を吐いた。
「アンジュ先輩、綾文千花菜と美咲恵留を覚えていませんか?」
伊織と名乗った訓練生は、身を乗り出すようにして尋ねてくる。祐二と紹介された方は、彼に倣ってバイザーを操作していた。
「千花菜……恵留……ああ、そうね、合宿の時に居た。千花菜ちゃんは成績も上位だったからよく覚えているわ」アンジュは、ふっと微笑む。
「良かったー、曲者かと思われたらどうしようって思っていたんですよ」
伊織は祐二に「な、大丈夫だっただろ?」と言う。祐二は呆れたように溜め息を吐くが、その顔には同じく安堵の表情を浮かべていた。
彼らを”曲者”と間違えたマリーたちは、極まり悪そうに俯く。
「あなたたちは、どうしてこの船に降りたの?」
尋ねると、祐二が早口で説明した。
「昨日ヴィペラの中で失くし物をして、ディートリッヒ教官に大目玉喰らったんですよ。それで探していた時に、燃料が切れそうになって」
「ユーゲントが来るって聞いていたので、アンジュ先輩が分かってくれるといいなと思いつつ。それにしても、大きな船ですね。こっちは輸送船でしたが、最初はくっついていると思わなくって」
「大きな船の方は、起動する訳には行かないみたいなのよ。私たちが地球に降りるのは、あれを養成所に運び込む為なの」マリーが言う。
「燃料なら、念の為多く持ってきたから分けてあげられるわよ。倉庫に入ってる」
アンジュが言った時、突然輸送船が轟音と共に揺れた。床が大きく傾き、一同は壁際に押し付けられる。
「何だ!?」
本当に攻撃を受けたのだろうか、と咄嗟に思った。だが今さっき、ビードル上空で宇宙連合軍と交戦していた過激派はまだリーヴァンデインに到達していない、と確認したばかりだ。
「ラトリア・ルミレースが……」
伊織が何かを言いかけた時、今度は反対側に揺れる。ギシギシ、という音が足元から体幹を駆け上がってきた。
「輸送船の揺れじゃないな!? まさか、リーヴァンデインが……」
『アンジュ!』
ガストンの台詞を遮るように、インカムからラボニの声が響いた。
『戻ってきて! 大ピンチかもしれないの!』
「ラボニ、どうしたの!? 今の揺れは何!?」
『説明するから早く来て! マリーとガストンも呼び戻して!』
彼女の声の奥から、ジェイソンの狼狽した声、仲間たちのブリッジを走り回る足音のようなものが拾われた。
アンジュは暫し立ち尽くし、すぐに頭を振って四人に言う。
「ブリッジに戻りましょう。伊織君、祐二君、一緒に来てくれる?」
何故そのような事を言ったのかは、自分でも分からなかった。だが言い終わってすぐに、彼らをここに残しては危ない、という直感がその”咄嗟”を肯定したように思えた。
訓練生二人は一瞬顔を見合わせ、すぐに揃って肯いた。