『破天のディベルバイス』第8話 分かり合う為に①
①神稲伊織
「アンジュ、聞こえている? ストリッツヴァグンが姿を消したわ。また死角に回り込まれたんだと思う、回頭して、もっと回頭! ……えっ? そうなの、それじゃあ……分かった。気を付けてね」
六月三十日、午後六時五十三分。
伊織たち射撃組が、いつ敵に攻撃されるかと竦む気持ちを宥めつつビームマシンガンのスコープを覗き続けている背後で、シオン先輩が早口で受け答えしている。最後の方で急に尻窄みになったので、伊織は咄嗟に「何です?」と彼女に言葉を掛けていた。
「何でもないわ」
シオン先輩は、慌てたように元のきびきびとした調子に戻る。
「敵は死角に入ったけど、またいつ現れるか分からない。でも加速上昇は始まりつつあるし、ずっとスコープばっかり覗いていたらあんたたちも酔うわよね。疲れたら、目を離して休憩してちょうだい。勿論、ブリッジから通信があったらすぐに射撃に戻れるようにはしておいて」
「はっきり言ったらどうなんですか?」
伊織が「アイ・コピー」と答えるより先に、男子生徒の一人が言った。
「神経張り詰めっぱなしなので、先輩の無線は全部聞こえるんですよ」
「よしてっ!」シオン先輩が再び狼狽の声を上げた瞬間、
「着艦されたんでしょう、ストリッツヴァグンに!?」
その男子生徒は、機銃室中に響き渡るような声で叫んだ。スコープを覗き込んでいた射撃組は皆、はっとしたように彼と先輩の方を振り返る。伊織も、ぞっとして彼らの方を見つめた。
「全部、全部分かっているんですよ! ニルバナはこれから潰れるかもしれない、さっき放送で、渡海たちが戦闘不能に近い状態だからダークギルドを待つしかないって言っていたけど、それすら大丈夫か怪しいんでしょう? 何で隠すような事ばっかり言うんですか、何で事態が行くところまで行ってから、俺たちを焦らせるように言ってくるんですか?」
「違うの、私はあなたたちを、不安にさせないように……」
シオン先輩は弁解するように言ったが、そこで自分の失言に気付いたらしい。男子生徒の言葉を黙って聴いていた訓練生たちの中から、一斉に非難するような声が上がった。
「不安なのは最初からです! そして、いちばん死ぬ危険性がある場所で戦っているのは俺たちなんですよ? それなのに何で、俺たちを信用しないんですか? 前に逃げた奴が居るからですか?」
男子生徒は追い討ちを掛けるように言い、伊織の二つ隣で列の最後尾に並んでいるアイリッシュを咎めるように見た。侮蔑の視線を向けられたアイリッシュは、ぱっと顔を紅潮させて男子生徒に飛び掛かろうとする。仲間が、そんな彼を羽交い締めにした。
どうしていつもいつも、こうなってしまうのだ、と伊織は苛立たしい気持ちで一杯になった。ユーゲントもユーゲントだ。何時間か前にシオン先輩の回線から怒声が漏れてきたが、ブリッジで揉め事があったらしく、ジェイソン先輩がブリッジを出て行ったようだ。マイク同士がハウリングを起こすように、ユーゲントと訓練生たち、双方の行き場のない不満や陰惨な空気感が、相互に波及し増大させ合っている。これでは無秩序が到来するのも時間の問題だ。
「アイリ、俺はお前に同情するよ。……違うな、皆きっと同じ事を思っているんだ。逃げたくて、逃げたくて堪らないんだよな。先輩たちの態度は、俺たちをあからさまに役立たずだって言っているようなものだ。何が加速上昇フェイズだよ。……それなのに、気休めみたいに俺たちにはここに居るように言って、身を守る術はこのビームマシンガンのハンドルだけ」
「違うわ!」シオン先輩は叫んだ。「どうしてそんな事言うの? 皆頑張ってこの窮地を乗り越えようとしているのに、苦肉の策も一杯やって、何とかここまで凌いでいるのに、水を差すような事言わないでよ!」
「……じゃあ、先輩」
ショーンが、ぽつりと口を挟んだ。
「先輩は、俺たちが生き延びられる可能性はどれくらいだと思っているんだよ?」
シオン先輩は唇を噛む。「……分からない」
「ほら、これがユーゲントの本音なんだ」最初に声を上げた男子生徒は、最早軽蔑の色を隠そうともしなかった。
「どうせ皆、死んじまうと思っているんだ! 俺たちを守るとか、最初に大見得切ったユーゲントがだぜ? 俺たちがこれ以上、ここでスタンバっている意味があるっていうのかよ、なあ?」
その時、乾いた音が機銃室の空気を走った。シオン先輩が手を挙げ、男子生徒の頰を思い切り張った音だった。だが、先輩がまた何かを言う前に、男子生徒は自棄を起こしたように言い捨てた。
「やめだやめだ、やってられるか、こんなの! 加速上昇フェイズが始まっているんだろう? 俺たちも避難しなきゃな、あーあ!」
彼はそのまま、出口に向かって駆け出そうとする。アイリッシュは仲間の腕を振り払い、それを追うようにして逃げた。
「待ちなさい!」
シオン先輩は追い駆けようとするが、すぐに続々と続く射撃組の移動の波に呑まれて身動きが出来ないようだった。「神稲君、連れ戻して!」
言われなくてもだ。伊織は、出口に殺到する訓練生たちを後方から押し退け、引き倒し、殴りつけ、最初に逃亡した数人を追うべく廊下に駆け出した。
(ガキどもが……っ!)
心の中で毒吐く。自分たちのその甘えた態度が現実逃避だと、何故気が付かないのだ。ニルバナでの今までの生活の、終盤の方でも思った事だが、不条理は不条理を以て制する事は出来ない。それで生まれるのは、混沌だけだ。
機銃室という、比較的広いながらも一種の閉鎖状態に在る空間で、ハンドルに齧り付いている時には気付かなかった事だが、確かにディベルバイスの縦横への急激な加速は危険なものだった。電車に乗っている時のように、壁に囲まれた空間自体が激しく揺れ、震動する度に遠心力で吹き飛ばされそうになる。
廊下に出た伊織は、壁に掴まるようにしながら前進した。闇雲に走っていった生徒たちが引き倒されて壁に激突し、呻いているのが見え、進みながら彼らを最寄りの部屋に入れる事も忘れなかった。廊下に放置していたら、反対側の壁に叩き付けられる事も有り得る。
慎重に、かつ急ぎながら居住区画へ向かう階段の方まで進んだが、その先から彼らの走る音は聞こえてこなかった。悲鳴も、部屋の扉が閉まる音も聞こえない。おかしいな、と思いつつ少し考えを巡らせると、次の可能性に思い至った。
ブリッジ。ユーゲントたちが、この目茶苦茶な急加速を繰り返している場所。
アイリッシュたちがそこに行って、何をするのかは分からない。だが以前も、最初に過激派の司令官セントー直轄の月面制圧部隊と交戦した際、彼らはブリッジに押しかけて先輩たちを困らせた。彼らは今回、何を訴えるのか。降伏を促すのか、或いはこのような事になった責任を追及するのか。ややもすれば、舵取りの権限を剝奪しようとすらするかもしれない。いずれにせよ、ろくでもない事が起こるのは間違いないような気がした。
伊織は方向転換すると、水平飛行が始まったタイミングを見計らい、壁際に寄りつつ一か八かで、全速力の走行を開始した。
* * *
もうすぐブリッジ、という所の廊下で、先程逃走した射撃組が立ち尽くしているのを見、伊織は肩を怒らせて彼らに近づいた。最後尾に居る生徒の一人の肩を力任せに回し、自分の方を向かせて胸倉を掴む。
「な、何だよ、神稲……?」
「何だよ、じゃねえよ。先輩たちに不満があるなら、これ以上邪魔するような事はするな。お前たちが、俺たち全員を殺すかもしれないんだぞ!」
「舵取り組の犬め、渡海祐二の友達だからってデカい顔しやがって。お前こそ見ろ、これを! これがユーゲントのやり方だよ、汚ねえ真似しやがる!」
生徒は右手の親指を後方に向け、他の訓練生たちが立っている辺りを示す。伊織は苛立ちながらも顔を上げ、彼らの見ているものをちらりと窺った。
ブリッジへと続く廊下に、防火シャッターが下りていた。シオン先輩の回線から、ユーゲントたちが射撃組の言葉を聞いたらしい。以前のように緊急事態に狼狽した生徒たちがブリッジに押しかけ、指揮の邪魔をしないようにという事だろう。仕方のない措置なのかもしれないが、自分たち訓練生を露骨に厄介者扱いしているようで、決して愉快とは言えない光景だった。
「開けろよ、おい! 卑怯だぞ、また何か隠しているんじゃねえだろうな! え、何とか言えよ! 先輩だろ? 正規軍なんだろ!」
ダンダンダン、と一人の生徒が、シャッターに拳を打ち付ける。だが距離的に考えて、ブリッジまでその声が届くとは思えない。
「……お前たち、これで分かっただろう。お前たちは何をやっても無駄なんだ、状況が変わらない以上、ユーゲントはこうするしかないんだ。機銃室に戻ろう、少なくともこんな廊下で立っているよりは、ずっと安全だ」
言いながら伊織は、自分の言う事こそ気休めに過ぎないな、と感じた。敵の、最強の機体に着艦された。最早ダークギルドが間に合うか、間に合わないか、などという問題ではない。
自分たちは、詰む一歩手前だ。
* * *
先程倒れている仲間たちを押し込んだ部屋から彼らを連れ戻しながら、機銃室に戻ると、伊織が張り倒して残留させたメンバーたちに加え、シオン先輩までがスコープに目を押し当てていた。射撃組の殆どが出て行ってしまったので、ついに先輩自身が自棄気味に自分で戦おうとし始めたのか、と冗談にもならない事を思ったが、そうではなかった。
「皆……もう隠さないで言うわ。大変な事が起こったのよ」
シオン先輩は、伊織たちが入って行くや否や顔を上げ、こちらを向いた。その彼女の顔は、蒼白だった。
「ストリッツヴァグンの着艦は、もしかしたら予期せぬトラブルだったのかもしれない。ホライゾンが、追加の戦闘機部隊を出してきたの。今丁度、左舷がホライゾン側に向いているからよく見えるけど……」
彼女は伊織を手招きし、スコープを覗き込むよう示す。伊織は、頭から昇り気味だた血液が落下するのを感じながら、それに従ってスコープに目を当てた。
向かってくるのは、大量のケーゼやキルシュ、ハイラプター、そしてメタラプターの群れだった。