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『破天のディベルバイス』第7話 蒼き災い⑩

 ⑨アンジュ・バロネス


 ホライゾンの重力場という(いまし)めから解き放たれたディベルバイスは、小気味いい程の速度で上昇を始めていた。背後でニルバナがどんどん遠ざかっているらしく、船体を激しく叩いていた水音がみるみるうちに小さくなっていく。

 一時間程前、ニルバナ内で訓練生のスカイたちと共にユニット本体を浮上させようとしているティプから、祐二が最初に危惧した通り核パルス推進装置が燃料切れである事が告げられた。曰く、他の燃料では燃焼速度の都合上、やや水没状態のエンジンを噴かせる事は出来ない、だから、動力と熱を一瞬で調達すべくユニット内で落雷を発生させる、その準備を行うが時間はどれくらい残っているか。

 ウェーバーはそれに対し、あと三時間が限界だろう、と告げた。つまり、現時点ではあと二時間。ティプの準備がどのようなものかは分からないが、アンジュは恐らくぎりぎりの賭けになるだろう、と考えていた。間に合わなければ、ユニット内に居る十三人の命はない。

 アンジュは、リバブルエリアを脱出する際訓練生たちに「皆の安全は保障する」と宣言した。だが実際には、既に二人の命が失われた。一人は病気で、もう一人は敵の攻撃で。そして今、自分は正式に指揮を委ねられた。ここで更に犠牲を出してしまったら、仲間たちに合わせる顔がない。

「祐二君……」

 先程、ディベルバイスを押し上げると同時にスペルプリマー一号機は、敵機ストリッツヴァグンの攻撃に巻き込まれて海中に姿を消した。重力の影響を受けないヒッグス通信がまだ作動している為、彼が生きている事は分かるが、このままでは遅かれ早かれ一号機は重力の影響を受けて圧壊するか、エンジンがショートして爆炎を上げるかのどちらかしかない。

 更に、アンジュの危惧はもう一つあった。ストリッツヴァグンは少し前、祐二に水没させられたがすぐに復帰した。恐らく、ホライゾンの重力出力に拮抗し得る固有重力操作装置と、水中での活動に適した仕様を有しているのだ。敵が祐二を追って海中に潜行すれば、一号機は成す(すべ)もなく破壊されてしまう。

「敵スペルプリマー、本艦後部下方に移動! 幸い奴は渡海を探しているからこっちには向いてこないが、上昇してきてがら空きの船尾を狙われたらおしまいだな」

 ヨルゲンが、レーダーを睨みながら言った。被せるように、アンジュも早口で返答する。

「ディベルバイス、左に九十度回頭。左舷のビームマシンガン射角に、敵機を捉えます。シオン、聞こえる? 射撃組に、再度一斉射用意を!」

『アイ・コピー、アンジュ!』

「九十度回頭! 微速前進、ようそろっ!」

 テンが操船装置のキーを音高く叩く。各員がプログラムを組み始め、窓の外の景色がゆっくりと流れ始める。ディベルバイスとの相対的位置がかなり下の方になっていたホライゾンが、その時微かに動いた気がした。

『敵機捕捉! 左舷総員、照準下降、四十五度! 撃って!』

 シオンの声が聞こえ、無線機の向こうからビームマシンガンが連射される音が聞こえてくる。ブウーン、という重低音は、ストリッツヴァグンが高度を上げてくる音だろうか。

『アンジュ先輩!』

 今度は、祐二の声がした。アンジュは咄嗟に、耳が潰れる程に力を込めて無線機を顔に押し当てる。

「大丈夫、祐二君!? 脱出出来そうかしら!?」

『ストリッツヴァグン、僕を見失ったようですね……僕は何とか、重力バリアで押し返していますので大丈夫です。けど……』

「ごめんね祐二君、ディベルバイスを助けてくれたばっかりに……」

『謝らないで下さい、アンジュ先輩。僕が伝えようとしているのは、そこじゃないんです!』

 祐二は、()れったそうに叫ぶ。アンジュは肯き、口を噤んだ。

『水の流れが、急流になっています。重力操作に伴う空間歪曲の傾斜角が大きくなっているんです。ホライゾンがそちらを追うように浮上して、重力場展開位置を上げているんですよ!』

「それじゃあ、また……?」

『はい、今度こそホライゾンは、重力フィールドで完全にディベルバイスを捕らえるつもりです。僕も水と一緒に上昇しています。先輩方、どうか敵を振り切って下さい! ホライゾンの正面から離脱して、出来るだけクラフトポートのゲートから離れるんです! ニルバナ下部の浸水が依然続いている以上、敵が何処までフィールドを拡大出来るのかは分かりませんけれど……』

『アンジュ!』

 通信に、シオンの声が割り込んできた。アンジュは祐二に「ちょっとごめんね」と断ってからそれを受ける。「何かしら、シオン?」

『ストリッツヴァグンの右腕、潰した! でも、まだ向かってくる! 敵が射角の外に出ちゃいそう! 回頭、回頭!』

「ホライゾンに新たな反応あり!」すぐ傍で、マリーも叫ぶ。「渡海君からの通信通りよ! 敵艦が高度を上げてる、重力場に変化あり、レーダー座標、現区画の四十三の八十五から約五キロメートル四方に、Z軸マイナス方向への歪曲を検知。海溝が出現しそう!」

「う、海が……」

 ラボニが、呆然と手を止めて窓の外を見た。

 アンジュは思わずそこに駆け寄り、眼下に広がる光景を眺める。大量の水を巻き込んだホライゾンが、ディベルバイスを追うようにゆっくりと回転し、浮上を開始していた。水の引っ切りなしに吐き出される空間の揺らぎが、あたかも船の一部であるかのように共に浮き上がり、流れる水は糸を引くかの如く滝に変わる。先程までディベルバイスが浮かんでいた場所は大きく陥没し、漏斗(じょうご)型になった海面は中心部分に底知れぬ暗闇を生み出す。その光景は、あたかも巨大な怪物が口を開け、海底から海を飲み干そうとしているかのようだった。

 外からみしみしという不吉な音がし、アンジュは精一杯体を捻って船尾の方を見ようとする。限界を感じ、ラボニのモニターに3D映像を読み込むと、ディベルバイス後方のニルバナが滝に引かれるように、ゆっくりとこちらに向かって流れ始めようとしていた。

「圧壊どころの騒ぎじゃない……進路上では、まだ渡海が海中で藻掻いている……あれが落ちたら、今度こそ俺たちはおしまいだ……」

 テンが、掠れ声で呟いた。アンジュは絶望的な気持ちになりながらも、自分の頰を張って気合いを入れ、せめても抗おうとしてラボニに尋ねた。

「あの黒い所、どれくらいの重力が掛かっているの?」

 彼女は我に返ったようにキーボードを叩いたが、やがて青褪めた。

「測定不能……」

「嘘っ……?」

 アンジュは、続いてティプに通信を繋ぐ。

「ティプ、そっちの様子は? ユニットの上昇はまだ?」

『精一杯やってるよ! スカイ君たちの準備はもう少し、だけど僕の方はタイミングを計算するのに、大分掛かりそうで……それよりアンジュ、何でこんなに揺れているの? 何の音だよ、これ?』

「………」

 答える事が出来ない。共有してはいけない絶望は、どんな状況下でも存在する。自分が現在のティプの状況で、この現実を告げられたら、きっと全てを諦めてしまうと思う。

「どうすればいい、アンジュ!?」

 マリーが尋ねてくる。アンジュは袖口を弄り、数秒間逡巡した末に言った。

「ホライゾンの重力場にもう一回捕まったら、今度こそ私たちは負ける。祐二君の行動を無駄にする訳には行かないわ。何が何でも、逃げ切るわよ。……リージョン一、コラボユニット群中心部に向けて全速前進。でも、ニルバナの管轄空域から出ては駄目。周回して時間を稼ぐわ」

「Gと震動で、船内が目茶苦茶になるかもしれないぞ?」

 ヨルゲンが不安そうに言う。

「船内放送を流して。皆、物に掴まって身の安全を守るようにって。必要以上に部屋の外に出ない事、倒れやすいものの傍には近づかない事。……祐二君たち、射撃組にスカイ君たち、もう一部の人を除いて情報を隠しながら戦うのは困難よ。現実を見ろって、ヨルゲンもテンも、さっき自分で言ったじゃない」

「アンジュ……」

「最悪の場合、暴動が発生するぞ?」

 マリー、テンが同時に発言した。どちらも、恐れを孕んでいる声色だ。

「ニルバナでの奴らの様子、見ただろう。あいつらは極限状態になったら、それを受け入れるなんて出来ないんだ。訓練課程の序盤で急に教育を打ち切られて、そんなに大人になれていない奴らなんだよ。

 ……ホライゾンが今の俺たちの高度に到達するまで、まだ時間はある。その間に、ティプたちが作戦を成功させる可能性だってあるじゃないか。もう少しだけ、今のままで踏ん張ってみる事は出来ないのか?」

 テンが言ってくるが、アンジュは首を振った。

「私は、あの子たちを信じる! こんな事になるまで押されたのは、私の指揮が稚拙だったから。読みが甘かったから。何と言われてもいい、ユーゲントはもう信用出来ないなんて言われても、絶対に責任を取れる! だから……私たちが、守るべき相手を信じられなくて、どうするの?」

「それは……」テンは言葉に詰まる。

 アンジュは弄っていた袖口から指を離し、もう一度、恐怖や焦燥を跳ね除けるように毅然と言い放った。

「放送を、船内全域で流して。ディベルバイスはこれから、ニルバナ管轄空域内で加速上昇フェイズに入るわ!」

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