『破天のディベルバイス』第7話 蒼き災い⑧
⑦渡海祐二
先程の大波に襲われたディベルバイスは、更に不安定な状態となっていた。ブリッジのユーゲントたちは必死に船体を浮上させようとしているようだが、重力もエンジンの出力も、ホライゾンの重力操作に抗いきれないらしい。
エンジンがやられれば万事休す。カエラの言った事は、ディベルバイスにも言える事だった。あの船は今、沈没ぎりぎりの状態で辛うじて拮抗しているに過ぎない。一度ホライゾンの強力な重力場に入ってしまった以上、ディベルバイス単体の出力では抗いきれないという事なのか。
僕は、執拗な攻撃を仕掛けてくるストリッツヴァグンに対し、高度を高く保ちながら主武装の光線を誘い続けていた。人工衛星を一撃で破壊するあの攻撃を、真面に喰らう訳には行かない。だが、回避してそれが海面に当たれば、先程の如く大波を発生させてしまう。
敵を、一号機の居る位置よりも高い場所に行かせてはいけない。だが、このまま一方的に守っているだけでは埒が明かない。ディベルバイスはいつ限界になるか分からないのだし、ホライゾンもいつ次の攻撃に出てもおかしくない。アンジュ先輩はずっと通信で個別の指示を入れてこないが、本当はすぐにでも僕にこう言いたいに違いない──ディベルバイス下方に一号機の重力場を展開して、ホライゾンの重力フィールドを中和してくれ、と。
僕も、そうしたいのは山々だった。だが、ストリッツヴァグンに背を向ければたちまち機体を撃墜されてしまうに違いない。もし振り切れたとしても、ディベルバイスの守りがなくなり、ストリッツヴァグンがブリッジに光線を直撃させたりしたら一巻の終わりだ。
戦力が、明らかに足りないのだ。カエラは水圧により、ユニット内の発着場に閉じ込められてしまっている。機銃室には伊織たちが控えているはずだが、あの位置取りでは敵を狙う事は出来ない。彼らはさぞ、歯痒さを感じている事だろう。ダークギルドのケーゼが届くまで、あと約四時間。その間、綱渡りのような現状が持ち堪えられるだろうか。
(僕も、ストリッツヴァグンに仕掛けていかないと……)
僕は海面から百メートル程の位置で留まり、刀を正面に向ける。肘を曲げて真っ直ぐに構え、重力を発生させる。ストリッツヴァグンが無傷の右腕をこちらに向け、またもや光線を放とうとした。
反射的に回避しそうになるが、僕はそれを堪え、今度は正面から突進していった。光線が直撃して機体が粉砕される、というビジョンを頭から振り払い、意を決してそれとぶつかる。刀の重力が、軌道を絞る為に発生させた敵スペルプリマーのそれを上回ったのだろう、光線は刀を中心に真っ二つに切り裂かれて一号機の横を通過して行き、背後で例の赤黒い光が爆ぜた。
(上手く行った……!)
僕は機体の前で構えていた刀を倒し、下から掬い上げるようにしてストリッツヴァグンに斬り付ける。今までの観察では、光線を放つにはチャージが必要で、連続して撃ってくる事は不可能らしい。
敵も、僕と同じスペルプリマーパイロットの持つ、瞬間的な情報処理能力を有している事を見せつけてきた。即座の反撃として繰り出した、殆ど対処不能と思われる僕の斬撃に対し、敵は破壊された左腕を上げてコックピットを庇った。金属同士がぶつかり合う激しい火花の後、ストリッツヴァグンは大きく押されてバランスを崩す。が、それは渾身の斬撃を受け止められた一号機も同じだった。
敵機の上で台上前転をするように、一号機は翻筋斗打ち、のめり込むように脚部を浮かせた。そこに、ストリッツヴァグンが機体を捻るようにして叩き付けてきた右腕が直撃した。
「うわあっ!」
足元から激しい震動が体幹を伝わってきて、感覚が著しく鋭敏化された体の中を掻き回されるような衝撃に僕は悲鳴を上げた。
揺らぐ視界に追い討ちを掛けるように、密着状態の敵機に反応して接合部の点滅が激しくなる。目がチカチカし、視線を下ろすと、例のタブレット画面のメッセージが大きく浮かび上がってくるように見える。
『STRIDSVAGNが感覚共有を求めています』
「邪魔なんだよ……っ!」
僕は画面を拳で殴り付けると、敵機を跳ね飛ばすように重力場を展開した。敵は空中で体勢を崩したが、すぐに中和を図るように同じく重力操作を行う。
赤黒い光として可視化された空間の歪みが、波動の如く二機のスペルプリマーから迸って重なり合う。押し切られまいと、僕はどんどん出力を上げていく。途端に、ヘルメットが頭を締め付けてきて、脳が膨張して頭蓋骨に当たるかのような痛みが襲ってきた。
(何だよ、これ……!?)
そう思った瞬間、完全に重なり合った重力場が目も眩むような閃光を放った。
* * *
ふっと、頭の痛みが消えた。閃光も段々と弱まり、眩んでいた視界が次第に元に戻ってくる。……否、〝元に〟ではなかった。
コックピットはいつの間にか、正面のメインモニターと操縦系、座席だけになっていた。壁や天井、側面モニターのあった場所は、赤黒く歪んだ空間になっており、奥行きが遥かに延長されている。僕はコックピットで、その謎の空間を漂っているような気分になった。
「これは……?」
呟いた時、タブレット画面に新たなメッセージが表示された。目を落とすと、そこには『視覚を移動させますか?』『シェアリングを終了しますか?』というメッセージと、それぞれにイエス、ノーのダイアログボックスが現れていた。戸惑いながらも上のメッセージに対し「イエス」を押してみると、突然メインモニターの映像が変わった。
すぐ目の前に、スペルプリマーが浮かんでいる。だがそれは、先程まで交戦していたストリッツヴァグンではない。鎧を身に纏った人の姿をし、関節部から赤い光を放っている。……一号機。
驚いて機体を前方に動かすと、目の前の一号機も近づいてきた。そこで僕は、今見ているものがストリッツヴァグンから見える風景なのだ、と気付いた。
「これが……シェアリング?」
「あなたは、誰?」
突然、すぐ横で声がした。やや高い、中性的な声。顔を向けると、そこに淡く発光する人影が見えた。ぼんやりとしか見えないが、僕と同じくスペルプリマーのパイロットスーツとヘルメットを身に着けているらしい。僕と同じく座席に腰掛け、こちらを向いているようだ。
僕はごく自然に、その人影がストリッツヴァグンのパイロットなのだ、と思っていた。今まで──操縦者が居るとは分かっていても──戦っている相手は「敵機」であり、何処か言葉の通じない機械を相手にしているような気がしていたが、そこでは不思議と、相手が自分と同じ存在なのだ、という感慨にも似た気持ちが湧き上がってきていた。
「あなたが、スヴェルドのモデュラスなんですか?」
モデュラス? 一体、何を言っているのだろう。
「僕は……」
口を開きかけた時、突然ヒッグス通信からアンジュ先輩の声が響いた。
『祐二君、何があったの!? 今の光は何? 無事なの? 応答して!』
はっと、僕は我に返る。思考が乱れた瞬間、空間を跳躍するようにして目の前の景色がぐるりと回転し、元のストリッツヴァグンが目の前に現れた。隣に座っていた人影も消滅し、謎の空間は元のコックピット内の景色に戻る。慌てて周囲を見回すと、至近距離でストリッツヴァグンが放心したように漂っていた。
『祐二君?』
「は、はい!」
僕は急いで返事をする。だがその間にも、手は操縦桿を前方に倒していた。シェアリング──どうやら今のがそうらしい──から復帰して我に帰れずにいるのか、敵の動きは止まっている。今が絶好の機会かもしれない。
「渡海祐二、一号機異常ありません! 先輩方は!?」
刀を鞘に戻し、両手でストリッツヴァグンの体側を掴む。一号機はいつの間にか、敵の下方から懐に入り込む形となっていた。相手の質量は、こちらよりも明らかに大きい。格闘戦では、少し機転を利かせねばならない。
『やっぱりディベルバイスの出力じゃ、ホライゾンの重力場を抜け出すのは難しいみたい! それも重力操作だけじゃなくて、浮上用のジェットもフル稼働させているのよ。ディベルバイスが今まで、燃料補給なしで飛び続けられている理由は分からないけど、それに賭けるなんて楽観的な事は出来ない。リミットはあると考えたら、そろそろ本当に沈んじゃうかもしれない。……ごめんね、祐二君。あなたは今、そこで精一杯戦ってくれているのに……ディベルバイスは……』
「分かっていますよ、アンジュ先輩」
答えつつ、僕は一号機の頭を敵機のコックピット付近に押し付けた。両腕を前に引き、ストリッツヴァグンを背中側に引っ張る。敵も再起し、僕の行動に気付いたらしく、右腕を曲げて光線を放とうとしてくる。だが僕は素早く脚部を曲げてコックピットの真下に膝蹴りを喰らわせ、操縦を妨害した。
「僕が、そちらに加勢しますっ!」
気合いを吐き出すと共に、僕は敵の機体を頭越しに放り投げた。体勢を立て直される前に、重力バリアを押し当てて更に突き飛ばす。ストリッツヴァグンは、真っ逆さまに海中へと落下していった。
……これで倒せたなどと思ってはならない。ホライゾンに属し、その戦闘方法に適合したスペルプリマーならば、水中に落下した程度でエンジンが止まり、再起不能になるはずはない。だが、今はこれだけでも時間稼ぎになったと信じる外ない。
僕はストリッツヴァグンが波間に消えるのを見届けると、機体を旋回させた。加速し、ユーゲントたちが必死に浮上させようとしているディベルバイスの方へ飛ぶと、一号機の重力場を最大出力で展開しつつ降下。先程の如く、頭が割れそうな程の激痛が襲ってきたが、痛覚に呑み込まれる訳には行かない。
「ディベルバイスの浮上方向に一号機の重力を働かせて、ホライゾンのフィールドを中和する……!」
それで居ながら、下方向からエンジンを襲おうとしてくる奔流も押し返さねばならない。ディベルバイスの現状が”拮抗”であるだけに、僕の重力操作を加えても敵のフィールドに敵わないという事はないだろうが、機体を中心に、上下に重力を発動せねばならないのだ。無理な事をすれば、スペルプリマー自体が真っ二つに引きちぎられてしまうかもしれない。
だが、僕は迷わずディベルバイスの船尾付近、激しく波立つ海面へと機体を躍らせた。脚部方向の、下へと向いた重力ベクトルの干渉域に触れた途端、飛行機着陸時に生じる風圧の如く、円形に水飛沫が舞い上がった。
海面を抉るようにしながら、僕はディベルバイス後方の船底に入り込む。空間が陥没したかのように大瀑布が生まれ、穿たれたフィールド内の水が崩れ落ちては球状になり、凍り付いていく。ディベルバイスは滝に嵌まり込んだかのようにやや後傾したが、僕が「先輩方!」と叫ぶと、
『はいよっ! 取舵一杯!』
テン先輩の声が届き、すぐに船尾が元の位置まで上がった。
僕は、船底に向かって重力を吐き出し続ける。水諸共船を下に引いていた重力フィールドが中和され、そこから解き放たれた水が次々に波となって船の側面を通過して行く。
ニルバナへと打ち付けていた波の勢いが更に増し、二号機との回線から、閉じ込められたカエラの声が不安そうに響いてきた。
『祐二君、どうなっているの? この音は何?』
「カエラ、心配しないで! 僕もディベルバイスも、大丈夫だから!」
『ごめんね……皆、皆戦っているのに……』
「カエラ……!」
こんな戦いは、早く終わらせなければ。
僕は歯を食い縛る。敵の正体も、能力の真相も分からないまま戦っているのだ。皆命懸けで、ユニット内のティプ先輩やダークたちも、今ディベルバイスの中に居る者たちも、迫り来る死の恐怖に怯えている。仲間は既に、敵の攻撃によって一人命を落とした。
『ストリッツヴァグン、浮上を確認!』
マリー先輩が、焦燥感を孕んだ声で叫んだ。刹那、またもや波がこちらに押し寄せてくる。僕は機体をディベルバイスの更に下方へ潜り込ませ、重力操作が途切れないよう踏ん張った。どうやら今のは、僕が先程海中に叩き込んだストリッツヴァグンが再起した事に伴う波だったようだ。
「早いよ、幾ら何でも……!」
僕は毒吐き、頭部を絶え間なく襲う激痛に抗うように俯いた。
『光線のチャージ機構に異常が発生した模様……だけど、まだ武装が残っているみたい。こっちに来る!』
焦ってはならない。ここで集中力を乱したら、文字通り全てが水泡に帰す。ディベルバイスは沈み、僕は滝の崩落に呑み込まれて死ぬ。……だが、そのような事を考えてしまえば、焦るなという方が無理だ。
「こ……のおおおおおおおっ!!」
僕は左手を振り上げ、円形の重力バリアをディベルバイスの船底に押し当てた。肘の接合部がビシビシと嫌な音を立て、血液にも似た赤黒い粘度のある液体が漏出してくる。壊れるな、まだ壊れるな、と、脳裏で繰り返し唱えた。
その時、ディベルバイス側面の機銃が一斉に火を噴いた。何事だ、とちらりとアングルを上げると、復帰したストリッツヴァグンが両腕から破損したような火花を零しつつ、船尾に回り込もうとしていた。
あの状態ではもう主武装の光線は使えまい、と思ったが、いつの間にか機体の下半身、多脚戦車のくっついている辺りに、ディベルバイスのビームマシンガンにも似た巨大な砲筒が出現している。あれも、両腕の銃と同等の威力なのだろうか。このままでは間に合わない。
僕は、スペルプリマーの腕が捥げるのを覚悟した上で思い切りディベルバイスを押し上げた。手首の辺りが砕け、肘の関節が力なく折れた瞬間、鳥もちの如く船底を捕らえていた水が引き剝がされた。
「アンジュ先輩!」
『重力場からの脱出を確認!』ヨルゲン先輩の声。
『ディベルバイス、浮上!』
アンジュ先輩が叫んだ時、複数の事が同時に発生した。
致死性の海面で浮沈していたディベルバイスが、ゆっくりと上昇を開始し。
重力操作が限界になった僕の手が、だらりと操縦桿から落下し。
伊織たちの射撃を避けながら、崩れかけの目茶苦茶なフォームで放たれたストリッツヴァグンの光線が、崩落しつつある滝に命中した。それは一号機の上に激流を降らせ、僕は成す術もなく重力に引かれて沈み始めた。