『破天のディベルバイス』第1話 地球が終わる日⑥
④渡海祐二
伊織と共に、コンビニで買ったスナック菓子類を居住区画の部屋に運び込もうとしていると、背後から「おい」と低い声が飛んできた。
「ディ、ディートリッヒ教官……」
振り返ると、昨日お目玉を喰らったばかりの相手がそこに立っている。僕も伊織も体を強張らせたが、彼は数秒間厳しい表情をこちらに向けた後、急にニヤリと破顔した。
「ヴィペラ潜航前の栄養補給か」
「そ、そうですね。カロリーを……」
少々安堵し、力が抜ける。伊織は「へへへ」と笑い声さえ立てた。
「ヒッグスビブロメーターの回収。あのスパコンは、毎年養成所での予算が嵩む原因だ。何度口を酸っぱくして言っても、壊す奴は壊すからな」
「はい、ですから俺たちも、これから命に代えてでも回収を」
「馬鹿者。ヴィペラ内で命を守る為に必要な機械を回収するのに、命を賭けてどうする? ……確かにあれは貴重だ。壊したら弁償だ。だが、貴様たちが危険な目に遭った時、ビブロメーターを捨てて生き残れると判断したら容赦なく捨てろ。今回は二台目をオルト・ベータに積む事を許可するが、これもいざとなったら捨てていい」
「教官……」
いつになく優しい事を言うディートリッヒ教官に、僕と伊織は思わず顔を見合わせた。その様を見、彼はやれやれと首を振る。
「念の為に言っておくが、今日は高度四百キロメートル以上を飛行する事、つまり大気圏外へ出る事は禁止だ。ビードルが目視出来るくらいまで昇ったら、すぐ引き返すんだ。ヴィペラ内と重力場外でのデブリ掃除を行う者たちにも徹底させる」
どうしてですか、と聞こうとし、気付いてぐっと口を引き結んだ。
「……ビードルの近くまで接近しているんですね、過激派が?」
伊織が、僕の思考を代弁するかのように言った。
「ちゃんと皆に伝えた方がいいですよ。いざとなったら逃げる事にもなるんですし、ぶっつけ本番で戦う事にもなるんでしょう。俺たちだって、将来戦う為にここで訓練を受けているんですから」
「それはそうだ。だが勘違いするな、リバブルエリアに過激派が入ってきたとして、最初に戦うのは貴様たちではなく、俺たち正規護星機士──大人だ。俺たちにとっての優先順位は、まず第一に貴様たち訓練生なんだからな」
教官は、心配するな、と僕たちの肩を叩いた。
「戦況は思っていたよりも連合軍が押される形となっているが、ブリークス大佐殿が出撃したのであれば問題はない。貴様たちもあまり気に病まず、任務を果たしてくるんだな」
* * *
「なあ、祐二」
ヴィペラに潜航してから一時間近くが経過した時、伊織が言った。
「何?」
「ラトリア・ルミレースとの戦いが始まってからさ、あっちこっちのユニットが攻撃受けてるだろ? それで家族が被災して、速達貰って里帰りしている訓練生も沢山居る」
「そうだね」
リージョン七系列のユニット群など、ほぼ壊滅に近いらしい。何でも、閉鎖型のユニット内で過激派が連合軍基地に投げ込んだ可燃性の毒ガスが漏れ出したらしく、昼時で料理中だった家庭も多かった為爆発が起き、大規模火災と毒の蔓延で住人の九十五パーセントが死亡した場所もあるという。
「俺たち、リージョン五が攻撃されたら、帰る事になるのかな?」
「どうしたんだよ、いきなり?」
「いや、こんなに戦争が身近に感じられたの、初めてでさ」
伊織は、オルト・ベータの中からでは見えるはずのないヴィペラの雲の上を眺めるように、頭を天井へと傾けた。
その奥に彼が幻視しているものは、僕にも分かった。トンネルを抜けた時、頭上の空で流星のような無数の輝きが点滅しているのを見た。昨日は見えなかった光景だ。僕たちの手の届く場所で、宇宙連合軍が過激派と戦闘を繰り広げている。
「祐二は家族の事、心配か?」
「そりゃ、そうだよ。殆ど喧嘩別れみたいに家を出てきたけど、母さんは僕に残ったたった一人の家族だから」これは、間違いなく本心だ。
「そうか。お前が戻るなら、俺も帰らないといけないよな」
「伊織ってさ」僕は、気になっていた事を尋ねる。「どういう家族構成なの?」
半年程前出会い、流れで親友になった彼については知らない事が多い、と既に述べておいたが、彼は家族についても話した事がなかった。僕が、宇宙で働いていた父と兄を亡くした、という話をすると、いつもお通夜のような雰囲気になってしまい相手の話を聞く事が出来ないまま会話が流れてしまうのだ。
「親父、おふくろ、その娘、居候の俺」
さらりと言われ、僕は「聞かなければ良かった」と後悔した。このような話は、デリケートであり、かつヘビーだ。
僕は、あまり不幸な家族の話は聞きたくない。最終的に、何でも説教じみた話になるからだ。
「里子だったのか……」
「あ、祐二お前、俺の事今可哀想だとか思っただろ」
伊織の口調は相変わらず軽い。
「無事、本当の家族になったから問題ねえんだよ」
「なあんだ。じゃあ、何で戻りたくないみたいな口調だったのさ?」
「そんな事は言ってないけど?」
「『お前が戻るなら、俺も帰らないといけない』なんて」
「言葉の綾だよ、その程度。……でもまあ、俺たちは家族を守る為にも、早く訓練課程を終えて正規護星機士にならないとだろ? 安否確認を電話でしたら、わざわざ戻るのは向こうにも迷惑なんじゃないかなって。それより、少しでも早く一人前にならないと」
「分からないでもないな。兄さんも訓練課程に入る時、『祐二が危険な目に遭いそうになったらすぐ戻ってくるから』とか言ってたし」
それで自分が死んでは世話がないじゃないか、と思った。それに、その”いざという時”に兄が戻ってくるのは、きっと千花菜の為だっただろうし、千花菜は兄が思っていたよりもずっと強い女の子だった。
「実際どうだったんだよ、ダイモス戦線の渡海嘉郎軍曹?」
「家に居た時は普通の兄貴だったよ。普通に鬱陶しくて、普通に面倒見が良くて、普通に時々怖いような。だけど、死んでみると護星機士としての腕が良かったのかは分からないなあ……時々手紙が来たけど、訓練課程の同期生たちはずっと兵長止まりだったらしいから、まあ良かった方なのかな」
「そっか……」
伊織の声に何やら感傷的なものが混じった気がしたので、僕はしんみりしないようにジョークを言った。
「少なくとも、半グレにやられかけて投棄したヒッグスビブロメーターを探す為に、ヴィペラの雲に潜ったりはしなかったと思う」
「冗談だろ? ブラックジョーク……」
伊織は顔を引き攣らせ、ヒッグス通信用レーダーに視線を戻した。
「にしても、ないなあビブロメーター。昨日落としたのはこの辺だったはずだけど。ヴィペラが風で流れているとはいえ、リーヴァンデインの近くでそこまで遠くに行くものかね」
「昨日の風向き、こっちだったっけ?」
「そうだけど、当てにならんからなあ。ヴィペラの中は出鱈目に対流があるし、もしかして天蓋まで沈んじまったかな?」
「オルト・ベータなら潜れるんだろ?」
「そうだけど、燃料がさ。作業船の活動限界は四時間、四千ファゾムまで潜って隈なく探すなんて、時間的に無理だ」
「千花菜と恵留のティコを呼んだら?」
「駄目だ、あの二人には二人の勉強がある。これは俺たちのやった事なんだから、あんまり他に頼っちゃあな。ディートリッヒ教官だって、予備のビブロメーターを借りるのに大変だったんだろうし」
「僕たちだけのせいじゃないけどね……」
「当たり前だ。ダークギルドの不良どもがよ」
ふと僕は、彼らは大気圏外での激戦を凌げているのだろうか、と考えた。
「仕方ねえな。いざって時すぐに浮上出来るように、リーヴァンデインに近づいてから深度を上げるぞ」
伊織はヴィペラの流れに乗るように、スロットルレバーを押し込んだ。
* * *
回収目的のビブロメーターは、ヴィペラを貫くように伸びるリーヴァンデインのトンネル外壁の出っ張りに、今にも流されそうに震えながら引っ掛かっていた。深度は三五二一ファゾム、たっぷりと沈んだ後に流されたらしい。
「どうりで見つからない訳だよ」
伊織が、疲労感と安堵の混ざり合った息を吐き出す。僕は、ワイヤーを操作しながら言った。
「案の定燃料が危ない。一旦浮上しよう」
ワイヤーを使っているのは、この為なのだ。上手くトンネルに引っ掛かっている対象物が流されないよう固定する。僕たちは今すぐにでも確保に当たりたかったが、海面から天蓋上部まで四千ファゾム(一ファゾム=約一・八メートル)あるヴィペラを隈なく探しながら移動するのはやはり時間の掛かる作業だった。
オルト・ベータの燃料が、底を突きかけている。
「軌道修正、自動操縦モードに。浮上コースにデブリなし。ようそろー!」
伊織の掛け声と共に、微かな浮遊感が全身に掛かる。ヒッグス通信のモニターに映し出される景色の中、トンネルの輪郭だけが下へと流れていく。
「二度目の潜航にしては悪くない方だと思わね? ちょっと手間取る部分も色々あったけどさ」
「そういうところを修正すれば、四時間でリバブルエリア上空のヴィペラを半分は探索出来るようになるね。なかなか僕たちも上達が早い」
「二代目ユーゲントになったりしてな」
伊織は言ってから、「ああ、そうだ」と手を打った。
「今日だよ、ユーゲントが降りてくるの。もしかしたら……」
カメラをより上に向ける。リーヴァンデインのケーブルに、こちらへ降下してくる船影が微かに確認出来た。
「俺たちは運がいい。あの船に着艦しよう」
「えっ、それって」
「ユーゲントに頼み込んで、燃料を分けて貰おう。ほら誰だっけ、千花菜たちの合宿でお世話になった先輩が居るそうじゃないか。多分、俺たちを拒んだりはしないと思う」
それはちょっと図々しいのでは、と僕は言った。
「先輩たちに向かって、初めまして、燃料下さい、って、どう言うんだよ?」
「そのまま『初めまして、燃料下さい』でいいだろ。事情は説明するけどさ、どうせ彼らが降りる以上、一緒に降りるしかないんだし」
まさか降りてから改めて燃料を補充しに行くんです、とか言ったら、逆に失礼だろう、というのが伊織の意見だった。僕も、こういう場合はどのような対応が好ましいのかよく分からない。
「とにかく、船に着こう」