『破天のディベルバイス』第6話 見棄てられた者たち⑤
③綾文千花菜
祐二や伊織、カエラが、団地の入口を封鎖するバリケードを破壊している事には気付いていた。聞き覚えのある遠鳴りが夜陰を伝わってきて間もなく、廊下を誰かが走っていった気配があり、その後間もなく金属を叩き付けるような鋭い音が外から聞こえてきた。そっと窓から覗くと、水銀灯の弱々しい光の中、彼らがバリケードに鉄パイプを振り下ろす影が見え隠れしていた。
テン先輩やマリー先輩が呼ばれ、皆で駆け出して行くのが見えた時、千花菜は自分が抱いていた〝嫌な予感〟と同質のものを舵取り組も共有している事を知り、気分が暗澹と沈んだ。彼らが戻ってきてそれを皆に告げる時の事を考えると、もう未来なんか要らない、とすら思えてしまった。
自分と同じく窓の外の光景を眺めていた恵留が、あたしたちも行ってみよう、と言うのを止め、また他の棟から同じく祐二たちを見ていたショーンらが彼らに続こうとするのを窓から叫んで制止すると、千花菜はベッドの上で膝を抱え、頭を埋めた。本当に、自分たちが何処まで落ちるのか分からなかった。
(駄目だな、私……)
あの大人しい、だが本当は敏感な祐二の傍に、自分が居てあげなければならないのに、と思った。同い歳とはいえ、ずっと自分は彼にとって姉貴分のような存在だったのだから。不吉な夜の中に駆け出して行くような彼を、放っておいてはいけないはずなのだ。
そこまで考え、違う、と思い直した。
違う。彼の傍に居なければならないのは、自分の為だ。
祐二は弟ではない、弟になるはずだった存在だ。実際は同い歳で、発育も世間一般と全く変わらない。男子である彼は、思春期に差し掛かった辺りから急に背が伸び、千花菜を越えてしまった。無論伊織などと比較すると小柄な方ではあるが、それでも普遍的な「男子」だった。顔つきも、声も、明らかに男子のものになった。兄の嘉郎と同じように。
自分は祐二を通して、嘉郎の面影を感じようとしているのかもしれない、と千花菜は考えた。祐二を驚かせる為、一種の悪戯心で彼を肝試しに誘った際、自分も怖くなってしまった時に隣で自分たちの手を繋いでくれた嘉郎。誕生日に風邪を引いて寝込んでしまった時、駆け付けて看病してくれた嘉郎。この人が居れば大丈夫だ、とどのような時でも無根拠に信じられた彼の面影に、それを宿す祐二に、千花菜は今の不安の中で縋っていたいのかもしれない、と自己分析した。
スペルプリマーに乗るようになってから、祐二は自分との距離が遠くなってしまったような気がする。伊織に引っ張って貰う事も、大分減った。引っ込み思案な部分や少々優柔不断な部分も、全てひっくるめて彼なのだ、と自覚するには、彼はあまりにも、不自然な程に自然だった。
* * *
気付けば千花菜は、ベッドに倒れ込んでいた。何やら狭苦しいな、と思うと、恵留がこちらの体を、自分と壁の間に挟み込んでいる。ふと、身に何も着けていない事に気付いて慌てて跳ね起きた。
昨夜、膝を抱えて考え事をしている間に、いつの間にか眠ってしまったらしい。恵留がそんな自分を寝かそうとし、着替えさせようとしたところで挫折したようだ。カーテンの隙間から、細く、凝縮された光が部屋に差し込んでいる。もう朝だ。
(そうだ、祐二たち……!)
まだ眠っている恵留を踏まないように跨ぎ、ベッドから降りる。寝冷えした体を抱くように床に屈み込み、荷物の中から新しい服を引っ張り出して着込むと、顔も洗わずに廊下に出た。
出るとすぐに、昨夜の面々が立ち話しているのが目に入った。アンジュ先輩を除いたユーゲントの他の面々も居り、舵取り組のほぼ全員が集合している事になる。
「おはようございます」
千花菜が声を掛けると、彼らはこちらを向いた。
「おはよう、千花菜」
伊織が真っ先に返してくる。その声は心なしか硬く、早口だった。
「昨日」彼らがどう切り出すか悩むような気配があったので、千花菜は一足先に言った。「マリー先輩たち、祐二たちとここから出て行きましたよね? クラフトポートに言っていたんですか?」
「………」
一同が黙り込む。責めたつもりはなかったが、焦りのあまり詰問口調になってしまったかな、と千花菜は反省した。
やがて、テン先輩が答えた。
「まあ、殆ど皆そう思っているよな。俺たちが何を見てきたのかについても」
「教えて下さい、先輩。クラフトポートで何があったんですか?」
また、十数秒の沈黙。千花菜が焦れてきた時、カエラが言った。
「村人たち、逃げ出したのよ。私たちを置き去りにして」
「……そうなんだ」
驚きはしなかった。ただ、昨夜からの〝嫌な予感〟が既に予感に留まらなくなった事を悟り、諦念にも似た胸中の暗雲がやや厚みを増した。
「コンビニと、それから街の方も回ってオセスの検査キットを集めてくる。念の為もう一度全員で検査をして、暫定的な陽性者が居ない事を確認した後、ディベルバイスでここを脱出する」
テン先輩が言った時、これは他のユーゲントも初耳だったらしく、ジェイソン先輩が慌てたように閊えながら発言した。
「そんな事をしたら、また敵に狙われるんじゃないのか? ニルバナが捨てられた以上、ここの環境はディベルバイスよりも明らかに安定している。食糧だって幾らでも手に入るじゃないか」
「ジェイソン」
ヨルゲン先輩が、鋭く息を吐いた。
「お前はどうしてそう、目の前の事しか考えられないんだ? ユニットは、あいつらが居て初めて自治体だ。宇宙連合軍とラトリア・ルミレースがどかんどかんやり合っている宇宙に出て、あいつらがまずする事は自分たちの保身だ。これこれこういう訳で自分たちは避難した、この船は民間船だから攻撃しないでくれ、とな。
それだけで終わればまだいいが、あいつらが俺たちを売ったらどうする? 俺たちはブリークスから攻撃を受けた事を、あいつらに話した。あいつらは言わば、秘密を知ってしまった者たちだ。保身の為には、進んでそれを明かし、俺たちをブリークスに売るしかないんだよ」
「そんな……そんなの、あんまりじゃないか」
「もうとっくに、あいつらは俺たちに『あんまり』な事をしてきた。おまけにまだ、病人の死体は村に残っている。このユニットはウイルス塗れなんだ」
ジェイソン先輩は顔を歪め、更に何かを言おうとする。だが、その前に祐二が言葉を発した。
「この件は、先輩方の口から全員に伝えて下さい。皆動揺する事は避けられないでしょうが、連日の事で皆限界です。あまり動揺を与えないように、ここから脱出するという事も含めて話して下さい。先行き不透明と思われないように、次の目的地も決めておいた方がいいかもしれない」
「祐二……?」
千花菜は、少し眩しいような気持ちで彼を見た。祐二はそんな自分の視線に気付いたのか、少々気恥ずかしさのようなものを浮かべ、だがすぐに表情を先程までの真剣なものに戻した。
「僕たち訓練生に、各コラボユニットの事情は分かりません。ですが、過激派のセントー司令官を含む主力は衛星軌道周辺に集まっているんでしょう? 火星圏の方面まで進んで行けば、奴らの目も薄くなるのでは?」
「火星方面か。あの辺りは確かにラトリア・ルミレースが興った場所だけあり、戦火に晒されていないユニットや衛星もあるはずだが」
ヨルゲン先輩が言った時、千花菜の頭に思い浮かぶ事があった。
「あの、ちょっといいですか?」
控えめに手を挙げると、すぐに皆の視線がこちらに集まった。皆無言だったが、それに先を促されたような気がしたので、千花菜は言葉を続ける。
「その……ダイモス戦線の状況は、今どうなっているのでしょうか?」
「………!? 千花菜、それは……」
祐二の顔色が、明らかに変わった。伊織も、何かを言いたそうに口元を動かす。千花菜は祐二に申し訳ないような気がしたが、それでも思いつく宛てが他になかったので言うしかない、と思った。
「ダイモス戦線? 過激派の旗艦ノイエ・ヴェルトを攻撃しようとして、失敗して大勢が犠牲になったって聞いたけど」シオン先輩が答える。「フォボスは完全に制圧、でもダイモスはほぼ陥落に近い状態とはいえ、部隊が全員死んだ訳ではないみたいって聞いたわよ。今は、補給ユニット九・二『アマゾン』に隠れて、二つの衛星を取り戻すべく協議中だったはず」
「でも、どうして? 宇宙連合軍は全部敵になったんじゃ?」
ラボニ先輩が尋ねてくる。千花菜は、目線で祐二に「ごめん」と小さく謝り、意を決してそれを言った。
「ダイモス戦線に、祐二の亡くなったお兄さんが所属していたんです」
「おい、千花菜……」伊織が容喙してくるが、手を挙げてそれを制する。
「彼は……渡海嘉郎軍曹は、同期生の中でも特に階級が上で、上官たちとのパイプ役にもなっていたんです。弟の祐二の事は皆知っているでしょうし、私は彼らが、話の通じる相手だと思います。ブリークス大佐は情報を隠蔽して、ディベルバイスを戦犯指名手配しました。だから事情が分かれば、彼らも私たちを攻撃する事はないと思うのですが……」
言いながら、祐二の方をもう一度窺う。彼は動揺の表情を浮かべたままだったが、やがて小さく「ありがとう」と唇を動かした。何故、彼から感謝の言葉を掛けられるのかは分からなかったが、きっと強がりだったに違いない。
カエラが、彼と千花菜との間で視線を動かし、目を細めた。また一時的な沈黙が皆に下り、それからウェーバー先輩が言った。
「まあ、希望があるプランとは言えますね。しかし、火星圏まで行くとなるとかなりの時間が掛かります。約半年……いや、途中でノイエ・ヴェルトが陣取っている小惑星帯アモールを通り抜ける事も考え、近いうちにそこが激戦区になるかもしれない事を鑑みると、更に掛かるでしょう」
「捨てられたこのユニットの食糧や物資を、ディベルバイスに詰め込みましょう。顔を知っている人に話を聴いて貰うしか、私たちの生き延びる道はないんです」
自分の言っている事がどれだけの重みを持った事なのか、千花菜は分かっているつもりだった。だが、僅かにでも可能性がある方法を片端から試すしか、今の自分たちに残された道がない事も分かっていた。