『破天のディベルバイス』第6話 見棄てられた者たち④
* * *
その日も作業はなく、僕たちはバリケードで封鎖された団地に閉じ込められたまま一日を送った。夕方には最早食糧が投げ込まれる事もなくなり、行き場のない不安は今や隔離場所と化した団地に漂い、濃密になっていった。
そして日が暮れた時、僕は窓の外に違和感を覚えた。彼方の山々の麓で、毎晩ぽつりぽつりと見えていた農場の灯りが見えない。午前中にキムの遺体を灰燼へと変えてしまった焼却炉も、僕たちがニルバナに着いてから初めて煙を吐き出していないようだった。
昼の残り物の食糧で飢えを凌ぎつつ──皆食欲がないようだったので、余り物で十分にそれは果たされた──、僕たちが次に起こる事を待っていると、夜になって気温が下がった為か、よく聞こえるようになった遠くの音が微かに伝わってきた。それは微かなものでありながら、確かに密集した公団住宅の外壁に反射し、反響するだけの確かな実体を持った音だった。
ガターンッ……という、巨大な扉が動くような音。
早くもベッドで微睡み始めていたカエラが、びくりと身を震わせた。
「あれは……何の音?」
「分からない」
僕は短く言い、部屋を出ようとした。当然のようにカエラが続いてこようとするので、僕は彼女の双肩を掴む。
「君はここに居ろ」
「どうして?」
「確認は、誰かがするだけでいい」
「それなら、祐二君も自分でしようとは思わないでしょ」
彼女に図星を差され、僕はうっと言葉に詰まった。確かに僕は、誰か一人がそれをすれば済む時、自ら進み出ようとはしない。僕が自分の思い付きを何と言おうかと考えている時、カエラは不意に言った。
「クラフトポート。今のは、ユニットの入口が開いた音よ」
「……君も、そう思う?」
僕は、声を押し殺して尋ねる。彼女はこくりと肯いた。
現宇宙戦争に於いて中立を謳うニルバナのクラフトポートが、この夜に開門した。今日は住民たちと僕たちの関係性が決定的に冷え切ったような一日だったので、これは一体、と身構えざるを得ない事だった。
ディベルバイスは現在、クラフトポートに停まっている。スペルプリマーもその中で、僕たちからはダークの拳銃すらも取り上げられた。ニルバナの住民たちが宇宙連合軍に与しないのはユニットが戦場になるのを防ぐ為だが、今の僕たちでは連合軍と戦う術はない。とすれば、僕たちに疫病神とまで言い放った彼らが厄介払いをするべく、連合軍と取り引きした可能性も十分に有り得る。
「敵が来ているなら、私たちが戦わなきゃ。そうでしょ?」
「……そうだね」
どうやらカエラも、僕と同じ事を考えていたようだった。顔を見合わせて肯き合うと、僕たちは廊下に出た。
同室に居た事が誰かに露見しないよう、廊下の左右を確認してから室外に出る。そのまま外に向かおうとすると、伊織が部屋から現れた。
「祐二、お前も音を聞いたのか?」
伊織はまたもや僕とカエラが一緒に居るのを見て眉を潜めたが、今回は何も言う事なくそう尋ねてきた。僕は肯く。
「クラフトポートが開いた音みたいなんだ。思えば街の方からも自動車の音とかが聞こえてこないし、街からここまで、それなりに離れているにしてははっきり聞こえすぎたのが気掛かりだ」
「俺も同感だ。お前たち……もし敵が来ていたら、戦う気だな?」
「当たり前じゃないか」僕は即答した。
「ユニット内で戦闘をするのか?」
「どうせここに居る人たちは、僕たちが何をしても責め立てるんだ。それに本当に敵が入ってきたとしたら、それは村人たちの方が僕たちを裏切って敵に回ったって事だろう。誰かが巻き込まれたって、そんなの……」
構うものか、と言いかけ、僕ははっと口を噤んだ。また、僕らしからぬ考え方をしている。伊織とカエラの視線から何かしらを感じるのが怖くて、僕は俯いて咳払いをした後に言い直した。
「ユニット内で戦わなくていいように、早く行かなきゃ」
「……先輩たちも呼んで行こう」
伊織は僕の台詞について何も追及する事なく、声を低めて言った。
* * *
少々乱暴に、廃材置き場から拾ってきた鉄パイプなどを使って入口のバリケードを突き崩すと、僕たちはマリー先輩、テン先輩を加え、これまで何度も通った道を急ぎ足で歩いた。
街灯の感覚が段々広くなり、街の中に入り始めた頃、僕たちの感じていた異変は気のせいなどではない事が分かった。まだ夜中とは言えないような時間帯であるにも関わらず、家々や店が全く灯りを点けていないのだ。
遠くに、あたかもユニットの最果てを示す城壁の如く聳え立つクラフトポートの、やたら多いガラス壁面から漏れる灯りだけが煌々と輝いていた。僕たちは何も言葉を発さず、半ばふらつくような足取りでそちらに向かう。
人用の自動ドアを開けて港へ入ると、発着場の方から大勢の人々の声が聞こえてきた。引かれるように声のする方へと進むと、連絡通路で待ち受けていた光景に僕たちは思わず絶句した。
キャリーバッグやアタッシュケース、登山用と見紛うような巨大なリュックサックや、やや時代錯誤な感じのする風呂敷包みなどを持った村人たちが、そこに犇めいていた。空港スタッフの制服を着たバリスタや、彼の仲間の自警団が銃を持ち、女子供や老人から先に発着場に追い立てている。人々の中には、普段は港に連れ込む事の禁止されている家畜の口を引いている者も居た。彼らは、動物が暴れ出さないよう絶えず手を動かしながら、慎重な足取りで通路を進んでいるのだった。
「連中……何処に行く気なんだよ?」
テン先輩が、虚脱したような声で言った。
「何処に? 行く?」伊織が、その言葉を繰り返す。「ここじゃない何処かに行くって事か? ニルバナを見捨てて?」
「嘘でしょ……何で?」
マリー先輩が言った時、バリスタがこちらを向いた。僕たちは何故か、咄嗟に傍の柱の陰に身を隠していた。だが彼が振り向いたのは僕たちに気付いたからではなかったようで、目だけを出して窺うと、彼は壁の何処かに付いているらしいボタンを押していた。連絡通路とこちらを繋ぐ辺りに、天井から壁が下りてきて彼らの姿を覆い隠した。
それが合図だったかのように、僕たちの居る場所も含めたクラフトポートの施設全体から電気が消えた。残っている光源は、消火設備や非常口を示す標識の、内蔵された微かなLEDのみだ。
伊織が、不意に怒りが湧き上がったように立ち上がり、封鎖された連絡通路の方へずかずかと進もうとした。だが、マリー先輩が即座に彼の肩を掴み、無言で首を振った。彼は悔しそうに再度座り込む。
「村人たちは、ニルバナから逃げる事を決めたんだ」
テン先輩が、唸るように言った。
「オセスのせい?」とマリー先輩。
「それ以外に考えられない。彼らはきっと、俺たちが全員オセスに感染していると決めて掛かっているんだ」
「でも、昨日の検査じゃ陽性者は居なかったじゃない」
「陽性反応が出るまで遅いのが、オセスの特徴だ。そして、病人との濃厚接触者はほぼ確実に感染して、発症する。そういう知識だけ持っているから、こうやって俺たちを捨てる事に決めたんだろう」
「でも……死んだあの子の命を軽く見る訳じゃないけど、まだ一人が発症して死んだってだけじゃない。それだったら、今までだってニルバナでは普通に起こっていた事なんでしょう?」
「……じゃあ、俺たちを全滅させる気なんだろう」
伊織が、吐き捨てるように答えた。テン先輩が顔色を変える。
「神稲、あまり軽々しく言うな」
「分かっていますよ、俺たちはあいつらにとっては厄介者。そして、小康状態の村にウイルスを撒き散らすかもしれない危険人物たち。全員が感染しているようだから、ずっと隔離していたのをいい事に、内々で滅んで貰いましょうって魂胆なんだろう。ここは宇宙連合へ情報提供もしないユニットだ、俺たちさえ口を利けなくなれば、どんな事が起こったとしても隠蔽出来る」
僕は頭の中で、何かが切れる音を聞いた。彼らしからぬ、不貞腐れたような伊織の態度が気に入らなかった。彼が、僕の信頼していた数少ない友人であるだけに、裏切られたような気持ちになった。
「黙れ、伊織!」怒声を上げ、彼に飛び掛かろうとする。だが僕は逆に、彼に振り上げた腕を取られて捻られ、関節を極め上げられた。
「お前こそ現実を見ろ、祐二! 不思議な事じゃないんだ、ずっと俺たち、体験してきたじゃないか。監視され、消毒され、面と向かって黴菌呼ばわりもされた。殺すと何度も脅された。宿舎は封鎖されて、食糧すら来なくなった。気付かなかったとは言わせないぞ、お前はずっと舵取り組に居て、あいつらの俺たちへの所業を見続けていたはずだ。目を覚ませ!」
「伊織……」
僕は正論を叩き付けられ、またもや自分が現実逃避していたのだと気付く。だから伊織はわざと、先程のような態度を取ったのだ。
彼は、僕に掛けていた力をそっと緩める。至近距離だったからだろう、薄い暗闇の中でも、彼の泣き笑いのような表情ははっきりと目視する事が出来た。
「悪い夢は終わったんだ。ここからは、悪い現実なんだよ。……今までの事を考えたらもう、言葉遊びかもしれないけどさ」
「でも……でもだよ」カエラが言った。「私たち全員が、感染しているなんてさすがに考えられない。確かに作業もしたし、キム君の傍にも寄ったけど、高確率はあくまでも『高確率』でしょ。百パーセントじゃない」
「ルキフェルの言う通りだ。村人たちは脱出した後、自分たちがニルバナの住民で、民間の船である事を連合に言うだろう。このユニットももう、自治体じゃなくてただの入れ物だ。保護される見込みがなくなった以上、俺たちももう一回ディベルバイスを起動して、脱出しないと」
テン先輩が、重々しく肯いた。
僕は、伊織の肩越しに閉め切られた連絡通路を見る。ユニットのシステムダウンが実行されたのでない以上、再び通路を開き、ディベルバイスの元へ行く事は確かに出来るはずだ。
そのような、慰めと言うにはあまりにも些細な事柄だけを意識からサルベージし、僕たちは港を後にした。遠くで、無数の民間船がエンジンを起動させた音が、閉鎖的なユニットの無情さを伴って追い縋ってきた。