『破天のディベルバイス』第6話 見棄てられた者たち②
②渡海祐二
夜が明けて皆が目を覚ますと、多くの者が僕たちの慌ただしく動き回る音を聞いて集まってきた。僕は皆に「落ち着くように」と言い、マスクを装着するよう厳命してからB棟に連れて行った。
ユーゲントたちが、キムの遺体を清めているところだった。ケイトがトレイに肩を抱かれ、泣き声を上げながら遺体に縋り付こうとしている。そんな彼女を、ダークが間に腕を広げて阻んでいた。が、ダーク自身もマスクに半分顔を隠されていても分かる程に、悔しげな表情を浮かべていた。
ダークギルドのキムを「半グレ」と侮蔑していた生徒たちも、ケイトの歔欷が伝播したように静かに顔を戦慄かせていた。それは次第にしゃくり上げるような声を誘発し、声を押し殺したような泣き声になって広まった。
「泣くな、皆。泣くんじゃない」
ジェイソン先輩が押し留めようとするが、そう言う彼自身も溢れ出る涙を隠そうとしていない。
やがてショーンを始め、数人の生徒たちが病室を駆け出して行った。僕や伊織が慌てて追うと、彼らは棟外へ出てバリケードで封鎖された団地の入口へと走り、それを突き崩さんばかりに拳を振るいながら叫び始めた。
「おーい! 誰か、誰か来てくれ! あいつが死んだ! オセスの病人が死んだんだよ! 村長! 監督! ゴードン先生!」
僕は止めようとし、思い留まった。そして息を吸うと、彼らと共に叫んだ。
「誰か来て下さい! お願いします! お願いします!」
伊織もいつしか、隣で叫んでいた。その後ろからも、続々と訓練生たちが集まってきて一緒に声を上げ始める。
段々と人工の空の群青が薄くなり、あたかも本当に太陽が昇っているかのように、公団住宅の影が生まれては短くなっていく。夜明けがこれ程悲しく思える事もこの先ないだろう、と無根拠に思える程、声は空しく、虚空に向かって呼び掛け続けているような、全てを吸収してしまう夜の闇がまだそこに残っているかのような響きを帯びていた。
それは、僕たちの無力感を反映したものだった。地球を脱出してから約一ヶ月半、抗いに抗い続けた末に、遂に一人の犠牲者が出た──それもラトリア・ルミレースや宇宙連合軍との戦いによってではなく、病魔によって──という事実が、運命に対する僕たちの矮躯を容赦なく眼前に突き付けてくるようだった。
そして、一時間近く叫び続けただろうか。
各々が、張り上げた自分の声しか聞こえないような聴覚の奥で、僕は砂利道を団地に向かって歩いてくる村人の足音を微かに拾った。駄目押しのようにもう一声叫んだ瞬間、昨日と同じように塀を越えてどさりと食糧が投げ込まれた。
僕たちがはっとした時、バーンッ! という鋭い破裂音が聞こえた。数秒遅れて、バリケードの向こうでやって来た村人が空に向かって猟銃を撃ったのだ、と僕たちは気付いた。
「朝っぱらから近所迷惑だ、騒ぐな!」
例の案内役の男の声がした。いつも通り無愛想だったが、それでも今の僕たちにとっては救いの声のように聞こえた。
「ビルクさんですか? 大変なんです、キムが……病人が死にました」
僕たちの後方に出てきていたテン先輩が、皆を宥めるように両手を振ってからそう伝えた。バリケード越しに、案内役が黙り込んだ気配がある。
こちらに入るべきか葛藤しているかのようにバリケードがガタガタと揺れ、静かになった後に再び彼の声がした。「待っていろ。ゴードン医師を連れてくる」
* * *
村医者が連れて来られると、バリケードは呆気なく外から押し退けられた。後ろからはレスリー村長や自警団の面々も続いてくる。
生徒たちは投げ込まれた食糧になど見向きもせずに待っていたが、彼らが入ってくるとすぐに後に続き、野次馬の如く再びB棟に向かった。
「死んだのは夜明け前だな?」
医者が言葉を発したのは、それだけだった。指を折って何かを数えるようにし、それから入れ替わりに自警団がビニール手袋を嵌め、キムに近づいた。瞳孔の開き方や口の乾燥、四肢の硬直や死斑の出現を確認する。目の前で一つ一つ繰り広げられるその動作や、目に飛び込んでくる死後変化が、何とも言えず僕たちの感情をちくちくと刺激した。
彼らは、仕方がない事なのかもしれないが、誰もが嫌がるように確認作業を行っていた。まるで、汚いものでも触るかのように身を引いて腕を伸ばし、指先で死者の体を弄り回す。それで居て、ユーゲントが精一杯死者の体を綺麗にしようした努力を踏み躙るかのような検屍はいつまでも続き、見守っている者たち──少なくとも僕の心には、不快な熱が込み上げ始めた。
やがて彼らは、シーツを折り曲げてキムの遺体をくるくると巻いた。簀巻きのような状態になった彼は、自警団の屈強な男二人に上下を持ち上げられた。
「ねえ、待ってよ。キムを何処に連れて行くつもり?」
俯いていたケイトが、はっと我に返ったように村長に詰め寄った。
「火葬する。オセスウイルスは、感染者の死後も暫らく放出されるから、殺菌も兼ねて早期に焼いてしまわねばならない」
村長が言うと、ケイトは首を振った。
「キムはあたしたちの仲間よ。遺体はディベルバイスに積む。火葬もあたしたちでやる!」
「その耳は飾り物か? 私の言った事を、まるで理解していないな」
村長は男たちに目配せする。彼らが遺体を荷物のように運び去ろうとするので、サバイユがケイトに同調した。
「どうしようが俺たちの勝手だろ。ゴミみたいに焼き捨てられて堪るかよ」
その途端、初日にダークを襲ったレスリー村長の鉄拳が、今度はサバイユの頰にめり込んだ。彼は声を上げる間もなく吹き飛び、机を薙ぎ倒しながら壁際の飾り棚へと衝突した。
今度は、誰かが何かを言う間もなかった。案内役の男が猟銃を生徒たちへ向け、言葉を失った僕たちに村長の怒声が追撃を掛けた。
「この疫病神が! 貴様らが勝手に死ぬのは構わん、むしろどんどん死ねばいい。だが、我々ユニットの者には違う生活がある。貴様らだけでは何も出来ない癖に、状況も知らず騒ぎ立てるのもいい加減にしろ!」
大きく振られたその手が、シーツに包まれたキムの遺体を荒々しく打つ。僕たちは怒りと恐怖で何も言えないまま、立ち尽くす事しか出来なかった。
不意に、僕は鳩尾の辺りに違和感を感じた。刹那、嘔気が肉体から精神に転送されたかのような、欲求不満にも似た苛立ちが体幹を突き抜ける。村人たちに向かって爪を突き立てたいような衝動を覚え、例の発作だ、と気付いた。
「……では」
あと数秒沈黙が続いていれば、僕は衝動を抑えられなかっただろう。だがそれより早く、アンジュ先輩が、いつにも増して白っぽくなった顔をきっと上げた。
「火葬には、私たちも立ち会います」




