『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活⑨
* * *
「やれやれ。リバブルエリアの護星機士訓練課程とかいうのも、程度がたかが知れるってもんだ。近頃のガキは人間が一端に出来上がってもいねえのに、不平不満ばっか垂れ流して一人前に自己主張をした気になってやがる」
僕がショーンたちの事を話すと、案内役の男はこれ見よがしに悪態をついた。
「どうせ作業が辛くなったから、病人が出たのをいい事にてめえらも働かねえでいいんだって思い込んでるんだろう。どう上手くサボるかしか考えてねえんだ、無理矢理でも引っ張ってこい」
その言い草に、さすがに僕も堪忍袋の緒が切れそうになった。あれ程感染拡大について僕たちを脅しておきながら、たかが十日前に入った労働力が数人、体調不良を訴えて欠けた途端にその態度か、と言い返したかった。
僕に自制を掛けたのは、持ち前の冷めた理性だった。そのような事を言ったところで、案内役はどうせ、子供の幼稚な癇癪として適当に遇い、噛み付かれた事を盾にまた嫌味を言ってくるだろう。それに何故僕が、別段仲が良い訳でもない同級生の為に顰蹙を買わねばならないのだ、という気持ちと、僕の感情が昂りやすくなっているのはスペルプリマー搭乗の副作用なのだ、自分の意思ではない、という客観的な分析も手伝った。
代わりに僕は、案内役の以前の脅しを逆手に取って論破しようとした。
「僕たちのせいで小康状態が崩れたら、追放なんですよね。なら、少しでも体調が疑わしい者を引っ張り出すのは良くないのではありませんか? ここで彼らをどうこうすると、本人たちを抜きにして話し合うよりも、残っている者たちだけで早く作業を始めた方が得策だと思いますが。……自己主張になっていますか?」
「……生意気な野郎め、何だその態度は」
案内役は悔しそうに顔を歪める。その顔が憤怒のせいか、この間スペルプリマーを無断で起動した村人の末路の如く、赤黒く染まった。
「今に叩き殺してやる。俺たちはお前らを潰す事なんか、訳も……」
「そこまで」
伊織が、僕と案内役の間に入って手刀を切った。
「早く行こう。おっさん、今のは祐二の方が大人だよ」
今まで堪えるように口を閉ざしていた生徒たちも、それを合図に深々と溜め息を吐いたり肩を竦めたりして、呆れを全面的に体現し始める。
僕は伊織に小さく頭を下げると、アンジュ先輩の隣まで下がった。彼女の反対側には相変わらずダークが控えているが、拳銃を取り上げられて幾分か空気が和らいだような彼もまた、僕に少し意外そうな目つきを向けていた。
「アンジュ先輩、ごめんなさい。一応トレイたちにも伝えておいたので、ショーンたちに何かがあったらすぐに対応してくれますよ」
「ありがとう、祐二君。あなたが言ってくれなかったら、私がもっと下手な事を言ってしまっていたかもしれないわ」
少々戯けたように──無理をしているのはよく分かったが──言うアンジュ先輩自身も、案内役を始めとする監督者たちの居丈高な態度には相当我慢をしていたようだった。村人たちとの真の連帯を築くには、まだ時間が掛かりそうだ。
案内役の男は感染対策など忘れたように、マスクの上から親指の爪を噛んでこちらを睨みつけていたが、やがてマスクをずらして草叢にぺっと唾を吐き出した。
「じゃあ、お前たちがサボってる奴の分も多く働け。分かったな?」
* * *
その日の夕暮れ、宿舎に戻ると、僕の今朝方の反骨が馬鹿らしくなるような問題が発生していた。
一足先に帰っていた二班のダークが棟間の空地で暴れており、ジェイソン先輩やアンジュ先輩がそれをはらはらした表情で眺めている。喧嘩のようだな、思い駆け寄ると、アイリッシュがダークの巴投げを受け、砂の上に叩き付けられているところだった。
「何やってんだよアイリ!」
「ダーク、もっとやれ! 懲りさせる必要がある」
「お願い、もうやめてよ……」
体調不良で寝込んでいたはずのショーンや他の生徒たち、トレイ、シックルらが囃し立て、アンジュ先輩は疲れきったように、ジェイソン先輩は慌てたように制止の言葉を投げ続けている。
「ダーク、君という奴は殿様か! ここはリーダーの私が穏便に……」
ジェイソン先輩が喚いた時、ダークが素早く振り返り、先輩の鼻先に拳を突き出して寸止めした。「……黙っていろ、無能」
「何だ何だ、今度は誰が何をやらかした?」
伊織が、揉めている彼らに近づく。アイリッシュが隙を突いてダークに再度挑み掛かろうとしたが、ダークは肩越しに左手を向けて彼の拳を受け止めた。
「祐二、あんたからも何か言ってやって。あの悪ガキたち、仮病使って仕事をバックレたのよ」
トレイが、憤慨したように言ってくる。僕は、「それより」と言った。
「キムの様子はどうなの? 二人が付いているから大丈夫だって思っていたのに、帰ってきたダークたちを巻き込んで喧嘩なんて……」
「医者が来て、あたしたちは追い出されちまったよ。それよりも問題はショーンたちでしょ、キムの病状をあたしたちが明かさない事について、何も考えようとしない。不謹慎にも程があるっての」
仮病とはまた、と思いつつ、僕は彼らの方を見た。ショーンたちは頭に血が昇ったように、ダークと拳を交えるアイリッシュに向かって口々に言葉を投げ付けている。全然元気ではないか、と安堵する前に、今朝心配した分苛立ちがむらむらと湧き上がってきた。
休みたい時に仮病を使った経験は、昔の僕にもある。だが伝染病の危険と隣り合わせだという状況、更に皆が同じ不満を感じながらも村人たちに譲歩し、命を守る為に協力しようとしている中、空気を読まずにそのような行動に出るのは、自分たちの置かれている現状について理解が足りないと言わざるを得ない。
「ショーン」
今朝、僕に逆ギレのように言葉を浴びせてきた彼に声を掛けると、彼は興奮からたちまちきょとんとした顔になり、不貞腐れたように後頭部で手を組んだ。
「今朝は本当に怠かったんだよ」
「じゃあいつ頃、体調が戻ったんだい?」
「今さっき。それなのに帰ってきた半グレども、俺たちを一方的にサボりだって決めつけやがった」
「嘘を言うな」
シックルが、会話に割り込んだ。アルビノ特有の血管が透けた虹彩は、炎が燃えているように一層赤々と輝いている。
「ずっと気付いていたんだよ、俺たちがオセスかもしれねえ病人の為に、狭苦しい部屋で齷齪働いている間、お前たちの部屋からゲラゲラ笑い声が響いてくるのがずっと気に障っていたんだ。挙句には廊下にまで出てきやがって。先に手を出したのはダークだが、この際俺もはっきり言うぜ。お前ら、俺たちに申し訳ねえとは思わないのかよ? 少しは時と場所を弁えろってんだ」
「あ?」ショーンは拳を握り締め、頭に響く甲高い声で喚き返した。
「何だあ、てめえら!? 半グレのてめえらをディベルバイスで助けてやったのは俺たち訓練生だっての! 何でそっちが俺たちに説教するんだよ、このユニットに来る事を決めたのも、てめえらじゃねえだろうが」
「何処まで都合良く話を巻き戻す気だ、ショーン。お前こそ、ディベルバイスの舵取りに関する話し合いに、一度だって参加した事がないんだろう。何にもしていねえ奴が、他人の尻馬に乗って偉そうな口叩くな。俺たちだってこんな村、もう真っ平ごめんだよ、願い下げだよ。仲間まで死にかけて……」
シックルが白熱したように舌鋒を揮っていると、ダークが無言で彼の肩に手を置いた。顎をしゃくり、ユーゲントの方を示す。
進路をニルバナに変えよう、と提案したマリー先輩を始め、彼らは責任を感じているのか無言で視線を逸らしていた。ヨルゲン先輩やテン先輩は奥歯を噛み締め、怒鳴りたいのを必死に堪えているらしい。アンジュ先輩は誰よりも、深い悲しみを湛えた表情を浮かべていた。
「そ、そういう意味じゃねえんだよ……」
失言を悟ったらしく、シックルの言葉が尻窄みになる。が、ショーンはそこで引き下がらなかった。
「半グレは俺たちの仲間じゃねえや! 死にかけようが何してようが、不注意だったんだろう! 何でそれで俺たちまで……って」
言いかけたショーンの目が、そこで大きく見開かれた。自分の口に出した事について、信じられないというように口をぱくぱくと動かしている。僕は一瞬、彼が何に気付いたのか分からなかったが、そこで一同が静まり返った時、集まっていた生徒の中から能義万葉の声が上がった。
「あの……それって、どういう事なの……?」
「それって何、万葉?」恵留が、心配そうに彼女の方を見る。
「さっきから、オセスかもしれないとか、死にかけているとか、それってどういう意味? キム君、ただの風邪だったんじゃないの? 熱とか、どんどん酷くなっているの?」
万葉が言った時、シックルは「しまった」というように口元に拳を当てた。ショーンの気付いた事もそこだったのだろう、彼は先程までの威勢が嘘であるかのように、顎や頰を戦慄かせて先輩たちの方を見る。
ウェーバー先輩が一つ咳払いをし、「アンジュさん」と呼び掛けた。
「最早、隠していてもしようがないでしょう」
「そう……なのかもね」
アンジュ先輩は本当に辛そうに、目を伏せたまま答えた。ダークが、チッと鋭く舌を鳴らす。
「ダークギルド、キム・ジュウォンは……」
先輩は集まった者たちに向けて、現実を受容して欲しいという祈りが痛い程飽和した、言葉のナイフを自分に向けるような口調でそれを告げた。
「オセスウイルス感染症と、酷似する症状が続いています」
その夜、鼻腔から血が出る程繰り返されたキムの粘膜検査の結果が、ついにオセスウイルス感染症に対して「陽性」という反応を検出した。