『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活⑧
* * *
それから一週間、同じような毎日が続いた。班はローテーションを行い、死体の運搬、焼却、埋葬をルーティンで行った。とはいえ毎日何十人、何百人規模で病死者が出ている訳ではなく──本当にそのような事になったらユニットの経営自体が崩壊している──、今まで人手不足で処理されてこなかった死体が溜まっているからこのような状態になっているのだ、との事だった。
僕、カエラは普段は班内で働き、時折換気システムなどに異常が出れば外に出て作業を行う。確かに人型のスペルプリマーは、システムの復旧作業に於いては作業船で行う仕事の何倍も効率が良かった。
ニルバナでの生活が始まってすぐに分かった事だったが、当然ながら村人たちは病死者の死体処理などという、リスクがあり、不快な仕事を率先して行う事は避けたいようだった。だから、僕たちが必死で働くに連れ、次第に例の案内役の男などは指示を出すだけになり、現場に現れる人々の数も減った。
レスリー村長も村人たちのそのような姿勢を黙殺しているようで、五日目は丁度先月分の給料計算が終わり、この臨時休業に携わる人々への支給日だったのだが、現場で一度も顔を見た事のないような人までもがクラフトポート付近の役場に向かっていた。実際村長自身、僕たちを都合のいい労働力のような考えで見ている部分があったのだろうが。
そして一週間目に、来るべきものが来た、というような事件が発生した。
共同墓地へと続く山道で、作業中にダークギルドのキム・ジュウォンが、疲労したように切り株に腰掛けていた。それを見た案内役の男が、「サボっている」と怒鳴り散らし、彼を無理矢理立たせようとした。キムが抵抗した為、案内役は力任せに彼を引っ張り、その切り株に叩き付けた。
そこにダークが現れ、案内役の頭にパンチを喰らわせた。不意を突かれた彼は卒倒し、幸い気絶しただけだったが、騒ぎを聞いて集まってきた村人たちによってダークは拘束された。ダークは到着早々に自警団長バリスタと一戦交えていたので、村人たちからの印象は悪い。たちまち村長が呼び出され、彼は棒打ち五十回という前時代的な刑罰を言い渡された。
またもアンジュ先輩が村人たちを宥め、ダークは救われたが、真の問題はここまでではなかった。
その日ずっと怠そうにしていたキムが翌日になっても回復しないので、現場監督たちもただ事ではないと判断し、体温を測定した。その結果百三・一度(摂氏三十八・五度)あり、ただちに彼は隔離される事となった。
「……検査キットで調べても、異常はなかったのよね?」
その日の宿舎での夜、ケイトが頻りにアンジュ先輩に尋ねていた。
「ねえ、大丈夫よね? キムは絶対に、オセスなんかじゃないよね?」
「……絶対、とは言い切れないわ。何しろオセスは陽性反応が出るまで遅いし、市販の検査キットじゃそこまで正確には調べられないから……でも、早い段階で解熱剤を使って、栄養を摂って安静にしていれば一週間で治るわ。最初の一週間を越せるかどうかが、オセス快癒の鍵なんだから」
アンジュ先輩は、無責任と受け取れるような楽観的な事は言わなかった。だが、事実の範疇で希望となる事をケイトに言い、彼女を精一杯安心させようとしているようだった。
僕は、この情報をなるべく伏せるように、とアンジュ先輩から口止めされた。無論憶測が飛び交ってしまう事は避けられないかもしれないが、敵から逃れて辿り着いた場所、安息の地となるはずだったニルバナで災いに見舞われ、精神的に疲弊しきっている生徒たちをパニックに陥れてはならない、というのがその理由だった。
また、これは生徒たちを村人たちの偏見から守る為でもあった。
──いいか、お前たちの誰かせいで、ここまで平穏にやってきた俺たちの生活が脅かされるようであれば、問答無用でそいつは処刑だ。他の者も全員、ここから出て行って貰う。分かったな?
案内役は、最初にそう言った。今後、いつ感染が再拡大するか分からない中、こちらにオセスと疑われる病人が居るという状況は、僕たちを最初から疎んじている村人たちが僕たちを攻撃する口実になりかねない。
だが、無論村人たちに全てを隠しておく訳には行かない。
僕たちは一応、リバブルエリアから出る際に金銭は持ってきていたが、市販の検査キットで陽性反応が出れば、病院で更に綿密な検査をせねばならない。病院に掛かったり医薬品を手に入れたりするのも、ただ金があれば良いという話ではない。
ユーゲントは仲間たちに過剰な反応を与えないように、ダークギルドに口止めをしつつ作業に携わる監督者たちに、情報をなるべく端的に、憶測を交えずに話した。その際、キムの所属するダークギルドは民間人のグループであり、行動を共にしているとはいえ訓練生たちと濃厚接触に当たるような交流はなかった、とも伝え、偏見からの保護も忘れなかった。
僕は、先輩たちに感謝した。僕たちが今や作業の中枢を担っている事、村人たちの厳しい監視下で生活している事が、村人たちにとっては皮肉な事に、ディベルバイスの乗組員たちが決して感染防止措置を疎かにした訳ではない、と知らしめる事になり、キムは今や村医者から手厚い訪問看護を受けている。
スペルプリマーのパイロットとして、半ば成り行きで加わる事となった僕とカエラを含むディベルバイスの舵取り組と、監督者たちの危機感は、ここで一種の連帯のようなものを生み出した。その危機感は一部の者たちで共有され、一般の訓練生たちにはキムが軽い風邪で寝込んでいる、というような印象が伝播した。
伝染病の現実を嫌でも思い知らされる事となった生徒たちにとって、キムの発病は恐慌を発生させるのに十分すぎる出来事だと思われたので、一種楽天的ともいえる彼らの空気は関係者全員にとって、情報操作が想像以上に、混乱防止として効力を発揮したと言えた。それはまあ、いい。
だが、極限状態に置かれた若者たちの天秤にも似た心を、緊張と冷静のバランスが良くなるように釣り合わせる事は、ユーゲントにとっても難しい事だった。
* * *
ニルバナでの新しい生活の開始から、十日目の朝だった。
今朝の検温で、キムの熱は百五・四度(摂氏三十九・八度)まで上がっていた。昨晩から咳や頭痛も酷くなっているようで、その日はトレイやシックル──二人はダークギルドの故郷時代、裏社会の抗争などで怪我をした仲間を治療する為、医学的知識にある程度通じていた──が看病の為彼に付き添う事となった。
だが点呼の際、彼ら以外にもショーンやアイリッシュ、和幸を始めとする一部生徒たちの姿が見えなかった。
「困ったわね……まだ部屋に居るのかしら。祐二君、見てきてくれる?」
アンジュ先輩に頼まれ、僕は自分たちの部屋があるA棟に戻った。表から聞こえよがしに「早くしろ」と言ってくる案内役の男に苛立ちながら、まずショーン、和幸の部屋に向かい、ノックした。
「二人とも、起きてるの? もう集合時間だよ」
何度か続けて呼び掛けていると、ショーンの声が返ってきた。
「うるせえなあ……何だよ?」彼の声は眠そうだった。
「今日の作業が始まるんだ。朝飯は食べた? 早く集合だよ」
「悪りい。何か怠いんだよ……今日は休むわ。ユーゲントにそう伝えといて」
「怠い? 熱があるの?」
既に病人が出ているだけに、僕は焦燥を感じた。
「分かんねえよ。でも、俺も和幸も何か起きる気がしねえ」
なあ、と彼が和幸に呼び掛ける声が聞こえた。和幸がそれに対し、口籠りながら何事か答えている。揉めているのかな、とふと思った時、和幸のいつになく控えめな声が扉を伝わってきた。
「ごめん、渡海。別に大した事はないと思うんだ。一日静かに寝ていれば治ると思うよ。だから放っておいて」
「放っておいてって言われてもなあ……ああいう作業をしている以上、少しでも体調が悪いならちゃんと診て貰わないと」
僕が言った時、扉の向こうで舌打ちが聞こえた。
「ああもう、しつこいな」
ショーンの気怠そうな声に、いつもと変わらないトーンで苛立ちが混じる。僕は、ついびくりと身を引いた。
「調子悪りいって言ってんだから、余計な世話焼かずに休ませてくれたっていいじゃねえか! あの半グレの男だって、大した事はないってユーゲントが言っているんだろう。どうせ検査して問題なかったら働かされるんだ、あいつはダークが居るから特別扱いされてるだけでよ」
俺はもう寝る、と一方的に宣言され、何かが扉に投げ付けられたような音が響いたので、僕はついびくりとして身を引いてしまった。和幸がショーンを窘めるような声がぼそぼそと聞こえ、やがてまた彼が言った。
「じゃあ、そういう事だから……本当に大丈夫だから」
「………」
僕は何も言えず、黙って扉から離れた。何故ショーンはあれ程むきになったのだろう、と考え、解せない気持ちを感じながら、これ以上体調に異変がある人が出なければいいけれど、と心から思った。
そんな僕のささやかな願いは、またもや嘲笑われた。
その後アイリッシュや他数人の部屋を回り、同じように呼び掛けたが、いずれもショーンと同じく体調不良を訴え、異口同音に作業への参加を拒否してきた。