『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活⑥
③ウォリア・レゾンス
「特別な任務なのに、自分たちユーゲントにしか出来ない事、でありますか?」
第一二四代護星機士、ユーゲントのウォリア・レゾンスは体をシートベルトに拘束されながら、顔だけを動かして隣を見た。座っているのは、土星圏開発チームの代表アクラ・ザキ。生きている間に会える人物だとは思っていなかった。
ロケットの性能は、人類が宇宙の探査を始めた約六百年前に比べて格段に良くなっている。地球との往復に約二年を費やさねばならなかった当時と比べ、約二週間弱で往復が可能となった土星行きは、人類の進歩を如実に表す事柄だろう。
その往還ロケットの中で、ザキ代表はマウスピース──加速が凄まじいので舌を噛む恐れがある為──を嵌めているが故の、聞き取りにくい言葉で返してきた。
「ブリークス・デスモス大佐による、登録データを基にした適性検査で、レゾンス一等兵……失礼、今は准尉だったな。君の数値が非常に望ましいものと判断された。プロトSBEC因子による回路形成も申し分ない」
「それは……喜んでも良い事なのでしょうか?」
ウォリア・レゾンスは、何とも言えない複雑な思いが込み上げるのを感じた。ロケットに乗り込んでから飛行している間、ずっとザキ代表から聴かされ続けた話は、衝撃的という言葉で片付けられるものではない程衝撃的だった。
「君、人間やめられるよ」
急にブリークス大佐直々に呼び出され、一等兵からいきなり准尉まで階級を上げられただけでも驚くべき事だったのに、その上で旅の始まりに、突如としてザキ代表の放ったその台詞に追い討ちを掛けられた。
話によると、自分たちユーゲントには「プロトSBECSBEC因子」なる謎の遺伝子が組み込まれているらしい。昨年の、今から二ヶ月程前、護星機士訓練課程に入って間もなく各種予防接種の一環として注射されたものの中に、極秘で宇宙連合上層部が混ぜたものがあった。接種を担当した軍医にも、接種を受ける自分たちにも知らされていないものだったが、それは現人類を次の段階に移行させる”土壌”を作る為の要素だったそうだ。それはこれから向かう先で二回目の接種を受けた時、ウォリアに常人では追い着けないレベルの回転速度を誇る脳を与える、いわゆる後天的な天才を作り出す為の因子だったらしい。
だがザキ代表は、「天才という言葉で特別扱いをしてはいけない」と言った。脳と神経の構造を根本的に現人類とは全く違うものに作り替える為、それは最早突然変異的に発生する天才には留まらないのだ、と。そしてそうなった者の事を、新人類モデュラスと呼んだ。
いずれは全ての人類が完全な新人類になるのだから、選ばれてこれから進化する事は先駆者の証だ、誇るべき事だ、とザキ代表は言ってきた。だが、遺伝子そのものが作り替えられて人間でなくなる、という言葉は、あまり生理的に良い印象を持ったものとは言えないような気がした。何より、自分たちにそのような訳の分からない因子が無断で移植されたという事に不快感を覚えた。
「君はモデュラスとなり、真の意味も分からないまま人類の革新を訴え続けるあの者たちに報いる事が出来るんだ。ラトリア・ルミレースは、地球に降りた君の同期生たちを皆殺しにしたんだぞ。それを倒して仇を取れると考えれば、喜ばしい事と言わずして何と言う?」
ザキ代表に言われ、反論が出来なくなる。
アンジュ、ジェイソン、ウェーバー、ラボニ、テン、マリー、ティプ、ヨルゲン、シオン、ガストン。同期の友人たちがサウロ長官の命令で地球に運んでいた船は、これから自分が配属される船と同じ「フリュム」という系列の、ディベルバイスという戦艦だったらしい。モデュラスやSBEC因子、フリュム船の事は連合の最重要機密事項で、この名称は一般には公開されていない。
過激派はこの船を奪取し、彼らを皆殺しにした。のみならずリバブルエリアを壊滅させ、サウロ長官をも葬り去った。ディベルバイスを占拠した特殊部隊は、確かに除かねばならない相手だ。ウォリア個人の怨恨などではなく、彼らを生かしておく事は宇宙全体にとって良くない事だった。
「……自分は、命令に従い戦うのみであります」
連合の重役を前にして、ウォリアに言える答えはそれだけだった。
──たとえそれが、人間としての死を意味する事の始まりだったとしても。
* * *
六月九日。土星の衛星である小惑星タイタンの、開発ベース。
最初は今回の任務について不安に思っていたウォリアだったが、到着する頃にはロマンを感じられるようになっていた。
土星の自転周期は地球の一日の約半分であり、内部に液体を持つガス状天体なので音速を超えるジェット気流が吹き荒れ、凄まじい環境である。だが、木星圏でも採取出来るヘリウム3が採れるし、このタイタンを含む多くの衛星ではメタンが、生命の存在が囁かれた事もあるエンケラドゥスでは水素や炭酸ガス──これらもメタンの材料となる──も入手出来るらしい。
「サトゥルナリアがありませんね」
土星圏開発チームの搭乗する船サトゥルナリア。
開発チームは今回の自分たちのようにロケットでここまでやって来た訳ではないので、宇宙船にはコラボユニットに近い居住空間や、食糧や工業製品を作るプラントなどを持つ事が求められる。サトゥルナリアはその要求に応えたもので、ビードルと同等の大きさを誇る連合最大の宇宙船となっている。これを直接見られる機会などそうそうないので、密かに楽しみにはしていた。
「あれは今、衛星ハイペリオンで作業に当たっている。私としても自慢の船だから、是非新入りの君にも見せたかったが、仕方あるまい。その代わり、これから君が配属される事になるフリュム船を見るがいい。さすがに資源発掘船たるサトゥルナリアには及ばないが、宇宙戦艦の中では最大クラスだぞ」
ウォリア・レゾンスとザキ代表は、液状メタンの海クラーケンを横目に、丘陵地帯を歩いていく。地球と同等の大気を持つタイタン(とはいえ殆ど酸素はないが)には大気圧があり、月面などのように軽く歩く事は出来ない。
やがて、宇宙服の重さが息苦しいものとして実感され始めた頃、山を越えた先に現れた光景を見て、ウォリアは思わず感嘆の息を漏らした。
山の上からでもこの大きさに見えるという事は、近くに寄れば圧倒的という形容が最適となるのだろう。そこに規則正しく並んでいたのは、四隻の巨大な宇宙戦艦だった。奥の三隻は岩山の陰となってシルエットしか見えないが、どれも従来の宇宙連合軍で最大の戦艦と呼ばれたガイス・グラ級を遥かに凌駕する船長を有している。
「君の搭乗するスペルプリマーは、あの中だ」
ザキ代表は、いちばん手前にある群青色の戦艦を指差す。ウォリアはごくりと唾液を飲み込み、肯いた。心臓の鼓動が、静かな異星の大地の中で鳴り響く。
ザキ代表はこちらを誘い、山を下りてその船に近づき、梯子を上ってロックを解除した。滔々と進む事態の最中に立ち、ウォリアに許された事は、ただ流れに従う事のみだった。
何故か代表はそこから入ろうとはせず、入口を開けるや否や身を翻す。先程上からも見えたカタパルトデッキに上り、ガイドラインの上を歩くようにして格納庫の入口まで行くと、シャッターを開閉する為と思しきハンドルを回し始める。
ウォリアは、戦闘機の発射を想定したものとは明らかに異なるそのカタパルトのレールを眺めた。何なのだろう、これは? 車輪を載せるべき発射台は前後に二つずつ、微妙にずれて計四つもある。それにランディングギアを載せるにしては台が大きいような気もするし、何処か巨大な靴を思わせる形をしている。
「ザキ殿。スペルプリマーとは、一体……」
「これだよ」
ザキ代表がハンドルを回すに連れて、次第にシャッターが上がり、格納庫の中にあるものがその姿を現し始めた。暗闇が開かれていく速度が、わざと焦らされているかのように遅く感じられる。ウォリアは目を細め、その先にあるものを凝視した。
そしてその兵器の姿が見えた瞬間、背筋に震えが走った。
それは──俄かには言葉にし難い、何か物凄い怪物だった。戦闘機でも小型軍艦でも、砲台でもない。移動要塞でも、人型の近接格闘戦用兵器でもない。それで居ながら、そのどれの特徴も均等に、不気味な程の整合性を持って同居しているように見える。
「これが、君のスペルプリマーだ」