『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活⑤
* * *
翌日は午前六時に起床だった。昨夜と同じコンビニ弁当の朝食の後、ユーゲントにより点呼が取られ、その後外に集合した。
僕はダークギルドが指示に従うかどうか、と不安を抱いていたが、町内会の男──昨日僕たちをこの団地まで案内した者の一人──がバリスタを伴って現れたので、大人しく出てきたようだった。
僕は、長い間未成年者だけで共同生活を送ってきた為、如何に自分たちが招かれざる客で歓迎されていないとはいえ、大人が居る事に安心感を覚えた。普段は鬱陶しく思ったり、子供だけの方が気楽だと思ったりするのに、人の心理とは勝手なものだな、と自虐的な思いが過ぎった。
「お前たち、車の運転は出来るか?」
最初に、案内役の男がそう尋ねてきた。ジェイソン先輩が皆を代表して「ええ」と答える。
運転免許の取得は、護星機士になる以前に義務付けられている事だった。訓練課程が始まってからはすぐに宇宙船を操縦する訓練に入る事になるのだが、その際自動車の運転は基礎となるスキルだ。実際に正規護星機士になってからはそれ以外にも、小惑星などで軍用車両を使う事にもなる。
案内役の男はジェイソン先輩の答えに、しかつめらしい顔で肯いた。
「班を三つに分けろ。一つはバリスタと共に都市部に移動、そこで彼から詳しい説明がある。残り二つは俺と一緒に農場を抜けて、山に入る。念の為確認するが、マスクを着けていない奴は居ないか? 居たら正直に名乗り出ろ。ここに予備があるから、すぐに着けて貰う」
「何でさ?」
ショーンが忘れていたらしく──口振りからすると息苦しくて最初から着けて来なかったのかもしれない──、進み出ながら尋ねる。その反抗的な言い方に、案内役は微かに眉を潜めたようだった。
「死ぬからだ」
「死ぬ?」
「お前だけだったら自業自得で済むがな、ここにはお前たちのような精気のある若者ばかりが住んでいる訳じゃない。一歩間違ったら、ユニットごと経営破綻になってもおかしくないんだ」
「何なんだよ、大袈裟だなあ……」
脅すような口振りが気に障ったのかショーンが文句を垂れると、案内役は彼の襟首の布を掴み、額が接触する程に顔を突き付けた。
「いいか、お前たちの誰かせいで、ここまで平穏にやってきた俺たちの生活が脅かされるようであれば、問答無用でそいつは処刑だ。他の者も全員、ここから出て行って貰う。分かったな?」
ごくり、と誰かが生唾を呑み込んだ音がした。それが緊張感を煽ったように、ふざけているような表情だったショーンの顔が引き攣る。彼が無言でこくこくと肯くと、案内役はやっと彼を解放し、マスクを手渡した。
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班分けの結果、〇一から〇四までのクラスが一班、〇五から〇八とダークギルドが二班、残りの一三クラスまでが三班となり、それぞれにユーゲントが三人ずつ着く事になった。
三班がバリスタに誘導されて、昨夜歩いてきた道を去って行くと、僕たちは山の中へと導かれていった。牧場のような大きな家の裏手を抜けると、山道は当然のように舗装などされておらず、僕たちは落ち葉や石に足を取られそうになりながらもそこを登って行った。方角的に、やはり昨夜宿舎の窓から目撃した煙が立ち昇っていた辺りだな、と思った。
やがて、伊織が火葬場と見当を付けていたものらしい、巨大な煙突のある石積みの建物に出た。入口に「Incinerator」と書かれており、火葬場ではなく焼却炉だったのか、と分かる。
「二班にはここで、三班が運んでくるものを燃やして貰う。一班はそれの後処理をして、もう少し登った先にある共同墓地に運ぶ。少し見ていろ、実際に作業している連中が、もうすぐ出てくるはずだ」
案内役が言い、煙突を見上げるようにするので僕たちも倣うと、既に昨夜と同じような煙が空に立ち昇っているのが見えた。昨夜からずっと炉を回していてユニットが煙っぽくならないのは、排気システムと酸素供給タービンが余程酷使されているからだろうか。
「燃やすものとは何なのですか?」
アンジュ先輩が尋ねると、男はぐっと唇を噛んだ。
焦らすような長い沈黙の後、ゆっくりと決定的な言葉が漏出した。
「死体だ」
僕は驚かなかった。来るべきものが来た、というような気持ちだったが、目を逸らしてきた現実から追い着かれたような、やりきれない感情があった。
「三月頃だがな、地元であるここにUターンした奴が強力な伝染病を持ち込んだ。それから三ヶ月も経たないうちにこの有様よ」
「伝染病……?」
「オセスウイルス感染症だ」
その病名にはっとしたような顔になったのは、リージョン一、二を出身地とする者たちを中心とする、一部の生徒たちのみだった。
僕は案内役の男が口に出した病名について、ごく僅かな知識しか有していない。昨年の十二月から今年一月頃、インフルエンザの陰に隠れて一部のユニットで猖獗を極めたという感染症。症状は同時期に例年の如く流行したインフルエンザと殆ど変わらないが、感染力はそれ以上で、同居しているなどの濃厚接触があった場合ほぼ百パーセント感染する上、全員が一週間程で熱が下がらなかった場合突然悪化し、急性肺炎などの呼吸器系疾患を引き起こす事も多い。
初期症状がインフルエンザと似ており、検査で陽性反応が検出されるのも遅い為、初動が遅れる事が多発した、という話を聞いた事がある。その上昨年突如として流行したものはウイルスが未知の変異を遂げていたらしく、特効薬もワクチンも存在しなかった。
幸か不幸か、ラトリア・ルミレースとの戦争により宇宙連合が戦時体制を広域に敷いており、ボストークに近いリージョンにはテロリストの侵入を防ぐという名目で渡航の制限が掛けられていた為、人類生存圏での感染爆発などは起こらなかった。その為僕たち離れたリージョンの者たちには、自覚出来るような危機感は感じられず、メディアの向こうで起こっている出来事のような気がしていた。やがて連合がワクチンを突貫工事で開発、特例措置として二月頃、人への治験を経ずにユニット全域での第一回集団接種に踏み込み、三月頃には感染は収束に転じた。
二週間前のユニット二・一は、観光客で賑わっていた。明らかにロックダウンは解除され、人々に活気が戻ってきたように思っていたのだが。
「オセスの流行は、昨年度末には収まったんじゃ……」
千花菜が、戸惑ったような声で言う。僕たちのイメージにあった、一部の地域だけで起こった自分たちとは無関係な出来事、という印象と、昼夜病死者の遺体を処理する為に焼却炉が──火葬場での荼毘が間に合わない程に──作動している、という目の前の状況が、頭の中で上手く結び付かないらしい。
「そこが、半独立ユニットの宿命とも言えるところだ。ワクチンの輸入が間に合わなかったんだ。そして周りのユニットが感染を収束させ、渡航が再開した事でここに持ち込まれちまった。元々人の立ち寄らない場所で、それまで感染が起こっていなかった事も大きかった。遅れているんだよ、何事も」
僕は、ニルバナの住民たちが僕たちを保護する事を決意したのは相当な決断だったのだろう、と思った。僕たちリバブルエリアの訓練生は無論、養成所にて訓練課程の最初に、各種感染症の集団予防接種を受けている。だが事情を知らないうちに騒ぎ回り、ウイルスを媒介する恐れはある。昨日先輩たちが交渉を行った時、或いはユニットに迎え入れられた時、レスリー村長らがやたらと気を張り詰めさせていたのも、そのような葛藤があったからだろう。
葛藤の原因となった事が、恐らくこれだ。死者が多すぎて、ユニット内で人手不足が起こっているのだ。その時に先輩たちが提案した、ニルバナの仕事を手伝う、という事、労働力の提供が一種の魅力になったのだろう。
その時、焼却炉の裏手でガタンという音がした。
そろそろ来るぞ、と案内役が呟き、それと殆ど時間を違えず人の姿が現れた。大きな棺のような箱を、四人掛かりで運び出してくる。手にはゴム手袋を嵌め、なるべく中身に触れないようにしているようだった。
目の焦点だけを動かし、僕は箱の中を覗き込む。中には、大量の灰と砕けた骨片が入っていた。骨壺を持った町内会役員がその後から続き、また別の箱を担いだ四人が出てくる。
「二班は、三班が霊柩車で運んでくる棺を車から降ろし、この中に運び込め。一班は火葬が終わった骨を骨壺に入れ、共同墓地へ移せ。手を休めたら承知はしない、そのような暇は俺たちにないからな」
現実を容赦なく叩き付けるような言葉に、一同は黙り込んだ。
ほら、さっさと行け、と僕たちの方に手が振られ、ラボニ先輩やヨルゲン先輩が動き始めた時だった。
「あの……」千花菜が、案内役の方に進み出た。
「何だ、まだ説明の足りない事があるのか?」
「いえ、少しお聞きしたいんですが」
皆の視線が集まる中、千花菜は数瞬言葉を探すように睫毛を伏せたが、やがて再度言葉を発した。
「この方たちって、遺族の方に最後のお別れは出来たのでしょうか?」
「誰だよ?」
「オセスで亡くなった方々です」
「ああ?」男は面倒臭そうに顔を歪める。「こんな人数が居て、街でも人手不足だっていうのに、そんな余裕があると思うか?」
「それじゃあ……」
千花菜は意を決したように、首を振って顔に掛かった髪の毛を払った。
「あんまりではないでしょうか? 焼却炉まで使われるような状況で、お葬式も挙げられないんですよね? そのような中で、大切な人々とお別れも出来ないような死者の方を……流れ作業で、モノみたいに扱うのはちょっと」
千花菜、よせよ、と、伊織が彼女の肩に手を置いた。恵留も不安になったように、伊織の隣まで行って千花菜の袖を掴む。が、彼女は二人の手を払いのけた。
案内役の男は、話にならないというように乱暴に息を吐いた。
「生きている人間の、意味のねえ自己満足に付き合っていられる程悠長じゃねえんだよ。そんな事している間に、街が死体で埋まっちまわあ。本当は燃やした後、そのまま処分するくらいの時間しかねえんだぜ。それをわざわざ骨壺に入れて共同墓地まで運んでやってるんだ。これ以上は現実に見合ってねえ。今に墓地も限界が来るだろうな、とは思ってる」
「そんな! 私だったらそんなの、悲しすぎます!」
「いい加減にしろ! 死人は何も感じねえんだからよ」
このままではマズいな、と僕は思ったが、何を、どう口に出していいのかは分からなかった。このユニットは窮状に立たされており、住民たちには彼ら自身のやり方がある、とは理解したつもりだった。だが、案内役の男の口振りには思わず反論したくなるものがあった。理性と感情は、全く別のところにある。
「千花菜ちゃん」
千花菜が更に何かを言おうとした時、アンジュ先輩が割り込んだ。
「悲しい事だけれど、考えてみて。こんなに沢山人が亡くなる病気で、命を落とした人の遺体にご家族が近づいてしまったら、どうなるか」
先輩に言われ、彼女ははっとしたように目を見開く。数回唇を戦慄かせ、それからぐっと口を引き結んで俯いた。目尻に光るものがあった気がして、僕はどうしようもない無力感を感じる。
アンジュ先輩は彼女の頭を優しく撫でると、二班の方に戻っていった。伊織と恵留は暫らく何も言葉を出せないまま彼女の傍に寄り添っていたが、やがてどちらからともなく「行こう」と短く声を掛けた。
* * *
作業自体は単純だったが、不快な仕事だった。火葬用でもない焼却炉で燃やされた死体は決して綺麗な、人の尊厳を留めるものにはならず、時折黒っぽくなった血液の塊や肉片などが見られる事には閉口した。
僕は千花菜のように、見ず知らずの誰かの為に涙を浮かべられる程思いやりのある心は持ち合わせていない。父や兄が死んだという報せを聞いた時ですら、生きていた時のままの姿と対面出来なかったという事もあるだろうが、感慨も湧かずに無力感、徒労感を感じていた。だがこの仕事を不快に思う理由は、兄の遺体の一部が届けられた際のトラウマが刺激されるからだった。
死体が怖いのは、死が怖いからだ、と聞いた事がある。僕は蚊が飛んで来たら容赦なく叩き殺すし、肉や魚も平気で食べる。動物の死体を見ても、不気味だとは思わない。だが、元々人間だったものを見るのは恐ろしい。
スペルプリマーに搭乗する事の副作用に怯えているのも、自分が自分でなくなるという怖さからだ。積み上げてきた時間が無に帰すという事が恐ろしいのか、と考えてみると、どうしようもなく自虐的な気持ちにならざるを得なかった。積み上げてきたと言える程、僕は上手く生きられていただろうか。
黙々と作業を続けていると、不意に「おい」と声を掛けられた。
丁度、蓋を閉めた骨壺を手押し車に積み込もうとしていたところだったので、僕は何か良くない事でもしてしまっただろうか、と思い、びくりとした。振り返ると、案内役の男がそこに立っていた。
「お前が渡海祐二だな?」
「はい?」
思わず声が上擦ってから、慌てて咳払いをした。「そうですが」
「さっきの女が、お前を呼べと言った」
「アンジュ先輩ですか?」
僕は、男の更に後方を窺う。そこではクラフトポートのスタッフや作業服の男数人と共に、アンジュ先輩とカエラが並んで立っていた。
「煙が上の方で滞留している。さすがに連日換気システムを使いすぎたな、外の循環設備がオーバーヒートしているかもしれないから、修理をしたいんだが」
「僕が……ですか?」
「人型ロボットであれば、作業船を使って大人数でやるよりも効率がいい。俺はよく知らんが、お前らの船の中でトラブルがあったらしいな。あの女が、お前とあそこに居るカエラ・ルキフェル……だったか? その二人であれば何とかなるかもしれないと言っている」
僕は、雷に打たれたような衝撃が体幹を劈いたのを感じた。何故、スペルプリマーの事を彼らが知っているのだ、と思った。格納庫には、鍵が掛かっていたはずではなかったのか。
アンジュ先輩の方を見ると、彼女は困ったような顔で視線を合わせてきた。僕は、すぐに彼女たちの方に駆け出した。