『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活④
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僕たちが導かれて辿り着いたのは、団地の跡と思われる、公団住宅が立ち並ぶ塀に囲まれた村の一角だった。
来る途中に通った道は、最初こそ建物の立ち並ぶ商業地区のようで、コンクリートで均された舗道だったが、次第に左右に牧草地のような草原の広がる、木柵で仕切られた砂利道となった。牧草地の向こうには疎らに西洋風の民家が見え、その裏手にはもう森や山が広がっている。
自然が豊かで過度に都市化していないのは、最初に造られたこのユニットが宇宙に地球上と同じような環境を構築する上でのテストケースとして整備されたという事が深く関わっているのだろう。自然環境の再現も他のユニットよりも成されているが、交通の面や買い物のしやすさなどを考えると確かに田舎的で利便性に欠ける、と考える人も現れそうだ。
「随分と閑散としていますね」
千花菜が口を開くと、案内役の男がちらりと振り返った。
「夜とか、田舎とか、そういう理由じゃないんだ。知らないなら幸いだ、明日になれば嫌でも分かるさ。今晩は余計な事は考えず、睡眠を取る事だけを考えな。一ヶ月間も漂流していたんだって聞いた、おちおち眠ってもいられない状況だったんだろ」
団地の跡まで着くと、ショーンが失望の声を上げた。
「廃墟じゃねえか、どう見ても」
ずり落ちかけた有刺鉄線を纏う塀の内側に、等間隔に並ぶ水銀灯の弱々しい光に照らされて浮かび上がる無数の公団住宅は、一言で言うなら「心霊スポット」のようだった。
パステルカラーに塗られていたらしい外壁はペンキが剝落し、或いはくすみ、ひびが入っていた。入口は外廊下の辺りまでぼうぼうと草が伸び、錆びた鉄の匂いがここまでむんと漂ってくる。水銀灯の光と闇の境目に、何か恐ろしく巨大な人間の顔のようなものが浮かび上がっている、と思うと、壁の染みだった。
「そう見えるだろうな。昔は活気があった団地だけど、どんどん人口が減って空き部屋が目立つようになっちまった。その上年度初めからの件で、残った人も全員病院か隔離施設行きだ。住んでいるのは元々、大体年寄りばっかりだったしな。まあ、掃除と消毒は日中に済ませてあるから、中は外見程悪くない」
団地の老人全員が強制的に場所を移された? 消毒?
マスクを配られた事といい、来る途中で案内役からちらりと聞いた事といい、何やら不吉な事を連想せざるを得なかった。考えてみればニルバナに到着してから、村人たちの空気がピリピリと張り詰めているような気もする。僕たちが余所者で厄介者だという事が、閉鎖的な村社会との親和性に欠けるという理由を抜きにしても、妙に村全体に緊迫感がある。やっと敵から追われる心配がなくなったのに安らいだ気がしないのも、この空気が関係しているのだろうか、と僕は思った。
* * *
部屋の振り分けはユーゲントに任されているようなので、全員が揃うのを待ち、先輩たちによってA棟からディベルバイスでの部屋割りごとに割り振られた。僕とカエラにも一人用の部屋がそれぞれに与えられたが、今日は、環境が変わってすぐに伊織までも一人部屋にするのは良くない、と僕が判断し、ディベルバイス乗船時のように彼と部屋を共にする事にした。
部屋に入って最初に、町内会の人々が僕たちの荷物と一緒に弁当を持ってきた。急な来訪だったのによく準備が間に合ったな、と僕は感心しかけたが、それらは近所のコンビニエンスストアで賞味期限切れになって一日、二日経ったものだった。無償で支給して貰っているので、文句は言えない。
「俺はずっと、ディベルバイスは奇跡の船だと思っていた」
処分を前提としていた為保存状態もあまり良くない、硬化しかけた米を口に運びながら、伊織はぽつりと呟いた。それから、思い直したように訂正する。
「いや、そうじゃないな。事実、奇跡の船なんだ。でも、奇跡が必ずしも人を救うものだとは限らないって事を知った」
「救われるように自分たちで手を動かさなきゃ、どうにもならないんだよ」
僕は応じる。それは、ニルバナというこのユニットにも言える事だった。希望を本当の意味で「望み」以上のものにする為には、待っているだけでは駄目なのだ。
人の意思も宇宙の意思も、世知辛いものには違いない。
「祐二の口から、そんな言葉が出るとはな」
「いや、僕だって……何で過激派に襲われて地球から脱出しただけなのに、こんな目に遭わないといけないんだろうって、ずっと思っているよ」
「スペルプリマーに乗り続けて、体調の方は?」
「まあ、相変わらず慢性疲労みたいな症状はあるけど、他に異常はないよ」
ここだけは、若干噓を吐いた。発作の事を明かすのは、今ではない。
「それにカエラのお陰で、僕一人の負担も軽減されたしね」
「カエラ……ねえ」
伊織は、納得が行かないというような息の吐き方をする。
「何だよ?」
「お前さ、ちゃんとカエラには断ったのか? 自分には千花菜が居るからって」
そういえば随分前にそのような話をしたな、と思い出した。ここ最近、部屋を移していた事とカエラとの”実験”の事で、長い間伊織とゆっくり話す時間がなかった、と今更ながら気付く。
しつこいな、と若干の苛立ちを覚えながらも、僕は正直に答える。
「恋人みたいに振舞うのをやめてくれって、一応言いはしたよ。でも、そこに千花菜を介入させる必要はなかったと思う。僕はさ、自分で自分が分からなかったんだよ。恋が何なのかすら、知らなかったんだと思う。だから千花菜の事、言い切ってしまうのは早いよ」
「……そうだったのか」
伊織は考え込むように、箸を持ったままの拳頭を眉間に当てた。
「伊織こそ、恵留とはどうなんだよ?」
わざと話を逸らすように、彼の事について言及してみる。
「お前に言われてやっと気付いたよ。恵留は確かに、俺に気持ちを向けてくれていたんだな。……嬉しかった。こんな俺でもいいんだなってさ」
「伊織って、意外と朴念仁なのか?」
「失礼だな。昔大恋愛の末にとんでもない失恋して、それで慎重になってるんだ」
「君、歳幾つだよ……」
「今は俺の事よりお前の事だ。千花菜への気持ち、暈すのか?」
ぶり返した、と思いつつ答える。
「確かに僕は千花菜を守りたいって思うよ。愛情もあるし、好きだって言ってくれたら多分嬉しくて舞い上がると思う。でも、それを恋愛って一言で括るのは、まだ危険な気がするんだ」
「それも、カエラに言われた事か?」
「……そうだけど」
一体彼は、何をそこまでむきになっているのだろう、と、持ち前の冷めた感情が胸の内を浸した。彼自身が昔カエラのファンだったと言っていたが、それで僕に嫉妬していたり、という事はないだろう。あったら少々愉快だが。
「じゃあ、俺は先に恵留とリア充にでもなるよ。そういや恵留、カエラが羨ましいとも言っていたな。カエラみたいになりたいって」
「凄く美人だもんね」
「でも俺は、彼女にはそのままでいて欲しいって言った。カエラみたいな女は、意外と沢山居るもんだからさ」
「そうかな?」
僕は、今や戦闘時のパートナーであり、秘密を共有し、仲間たちを欺く共犯者となった彼女の事を考える。あれ程美しく、カリスマ性があり、少女らしいあどけなさを残しながらも母性的な包容力を持った女性は、他に居ないのではないか。
「気を付けるべきだよ。カエラのような女の子が一人増えると、千花菜や恵留みたいな子が大勢犠牲になる」
「僕みたいな男を奪ってしまうから?」
「そう単純な話じゃないんだ」
伊織は肝腎な所だけをはぐらかそうとする。僕は解せない気持ちで、先程彼が口に出した過去の大恋愛とやらが関係しているのかな、などと漠然と考えた。
彼が、それ以上話す事はない、というように窓の方を向くので、僕も無意識のうちに彼に倣っていた。
日本をモチーフにしたユニット五・七は何故か陰惨な梅雨をも再現しており、毎年この時期になると湿気に苛立たされたものだが、ここニルバナではそのような事もなかった。天候の調整は各ユニットに任されているのだが、農作物や畜産物に於ける自給自足の割合が高いここでは、効率のみが重視されているらしい。都市化もしていないこの辺りでは空気に不純物がないのか、暗くはあるが不思議と遠くまで見る事が出来た。
人工の山の方から煙が縷々と夜空に尾を引いているのが見え、僕は「何をしているんだろう?」と思わず口に出した。
「野焼きかな?」
「いや、それにしては火らしいものが見えないな。多分だけど、あそこに火葬場か何かがあるんだろう」
「こんな夜に、葬式か……」
僕は、荼毘に付されている人について考えないように意識した。意識するからこそ考えてしまうのだが、出来るだけここで僕たちを待ち受けていたものに対する「嫌な予感」から目を背けようとしていたのかもしれない。