『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活③
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地球を脱出してからきっかり一ヶ月後──二五九九年六月四日、僕たちはユニット一・一「ニルバナ」へと到着した。リージョン一のユニット群からは孤立したように離れ、心なしか気怠そうに浮かんでいるそのユニットは今まで僕が見てきたどれよりも小さく、脆弱そうに見えた。
一・一という番号からも分かるが、ニルバナは今から百五十年近く前、人類の宇宙移民計画が始まって間もない頃に造られた最初のユニットで、試作品という性格が色濃い。開発が進んだ他のユニットと比べれば当然小さいし、それ程設備が充実している訳でもない。
ジェイソン、ウェーバー、マリーの三先輩が最初にガンマでユニットに入り、村長に事情を説明した上で匿ってくれるように頼み込んだ。長い間外部と交流を断つようにして生活してきた彼ら村人は、僕たちが厄介事を持ち込むのではないか、と考えたらしく最初は渋ったが、ディベルバイスの所在が交戦中の両陣営に露見しなければ面倒は起こらない、とマリー先輩が説得した上で村の仕事を手伝うと申し出た為、受け入れられた。
「こんな時にアンジュが居てくれたら、もっとスムーズだったんだが……」
交渉から帰ってきたジェイソン先輩は、最早完全にブリッジ組となった僕にそう零した。ラボニ先輩が呆れたように肩を落とす。
「あんた、リーダーでしょ」
「と言ってもなあ。相当怖かったぞ、あのおっさん……いや、男の人」
「私たちを追い払いたいという気持ちが露骨に表れていましたね」
ウェーバー先輩も言うので、僕は多少なりとも落胆せずにはいられなかった。温かく大歓迎を受けられる、というような事を端から考えてはいなかったが、神経を尖らせ、気が滅入るような生活はまだまだ続きそうだ、と思った。命の危険がないという事は大きいだろうが。
「だけどそれにしては、丁重に準備して下さっているようじゃない? クラフトポートでも他の宇宙船を移動させて、スペースを作っているようだったし」
マリー先輩は言ったが、ウェーバー先輩が首を振った。
「ディベルバイスの全長は一キロ以上あるのですよ。コラボユニット黎明期の小さな港では、余程丁寧に入れないと入りきりません。外に停泊させたら、敵に見つかってユニットが戦場になる恐れもある」
「まあ、そうよね」
僕は先程、どれだけ村人たちが僕たちを疎ましく思い、露骨に嫌な顔をされたとしても、命の危険がなくなるのであればそれでも構わない、と開き直るような事を考えた。
だがユニット・ニルバナでの新しい生活は、そのたった一つの望みすらも儚くするようなものだった事を、あらかじめ述べておく必要がある。
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同日、夕方。
誘導係を四苦八苦させながらも無事港に船が停泊すると、六三二人の訓練生たちはユーゲントの指示に従って下船し、養成所でのクラスごとに整列した。ダークギルドはアンジュ先輩を囲い込んだまま格納庫に留まろうとしたが、アンジュ先輩自身が彼らに、ここで村人たちに逆らうのは得策ではない事、この村には引き渡し協定がない為彼らの海賊行為が告発される事はない事などを語って聞かせると、大人しく下船して僕たちの後ろに並んだ。
僕たちを迎えた村の人々は何故か全員、市販のマスクを顔に着けていた。
「私がニルバナの知事、パブロ・レスリーだ。急な事だが、日中を徹して受け入れ準備と役場での手続きを済ませた。案ずる事はない」
ジェイソン先輩の言っていた通り、大柄で禿頭、レンズの黒く小さなロイド眼鏡を掛けた村長は、見るからに恐ろしく威圧感があった。
「一同、礼!」
ジェイソン先輩の合図で、僕たちは礼をする。レスリー村長は肯くと、窓口へと繋がっている建物の方に手を伸ばす。それが指示だったようで、ユニットの内部から金属探知機やその他のスキャナーなどを手にしたスタッフが現れ、こちらに速足で近づいてきた。
「危険物の持ち込みがないかを確認する。それから念の為、その訳の分からない船の調査もな。船内に置いてきた荷物は我々がひとまとめにして、宿舎まで運ぶ。諸君には先に、案内に従って宿舎に入って貰う」
そこからの検査は長かった。最初に金属探知機に掛けられ、ベルトの留め金や服のホックに反応する度に見せねばならなかったし、その後で手作業でのボディチェックがあった。千花菜たちが触られ、屈辱に顔を強張らせた時には不愉快を感じたが、口を出しても仕方がない事なので目を逸らした。
僕たち〇一クラスの検査で二十分程が掛かり、十三個のクラス全ての検査が終わる頃には既に、時計の数字はグリニッジ標準時で午後八時を回っていた。そこからユーゲントとダークギルドの検査になったが、最初に調べられたダークのポケットからあの拳銃が発見されたので、スタッフたちは顔色を変えた。
「没収だ。ニルバナでは一般人の銃器所持は認められていない」
スタッフの代表らしい、瘦せ型で背の高い男が進み出た。拳銃が発見された時点で見ていた僕たちは嫌な予感を抱いたのだが、その予感は的中した。
「……断る」
ダークが当然の如くそう言った時、傍で様子を見ていた村長の拳が彼の鳩尾の辺りに飛んだ。黒髪の少年の顔が歪み、口から泡が散る。吹き飛ばされていく彼の目は見開かれており、僕は動揺する彼を初めて見たような気がした。
そして僕たちも、彼と同じような表情を浮かべているに違いなかった。
「何しやがる!」
ダークギルド救出後の格納庫で伊織が彼を殴った時と同様、サバイユが血相を変えて怒鳴った。だがダークは動揺しながらも無言で、拳銃を地面に投げ捨てると両の拳を握り締める。彼が村長に殴り掛かろうとした時、彼の検査をしていたスタッフの男が同じくファイティングポーズを取り、前に進み出てその拳を片手で受けた。
「ダーク君、やめて!」
アンジュ先輩が叫んだが、ダークは止まらず反対の拳を振るう。ストレートを繰り出したようだったが、スタッフは素早く身を引き、姿勢を低くして今度は足を振り上げた。右の脹脛を鋭くダークの左脇腹に叩き付け、追い討ちを掛けるように連続してジャブを繰り出す。
ダークは両手を交差させて肝臓を守り、傾倒した体勢を立て直しつつ足を垂直に上げる。爪先が男の顎を捉え、蹴り上げた時には僕たち訓練生もあっと声を上げそうになった。
不思議と、村長は止めようとしなかった。それをいい事に、ダークは右手に撓りを付けて男の顔面を狙おうとする。が、次の瞬間、上体を大きく仰反らせていた男が弾かれたように身を起こし、反発力に乗せるようにして左手の指二本を彼の瞼に突き立てた。眼球を思い切り圧迫されたダークは、遂に膝を折って蹲った。
「こいつ……!」
大柄で筋肉質なヤーコンが仇を取ろうとするかのように前に出たが、
「無駄だ」レスリー村長がそこでやっと、口を開いた。
「彼は自警団の団長を務めているガラハウ・バリスタだ。彼に盾突こうなどとは考えない方がいい」
「自警団……?」伊織が、掠れた呼吸音と共に言った。「このユニットには、連合軍は居ないんじゃあ……?」
「その分、自衛部隊を独自に育成している。各ユニットは高度な自治が敷かれているが、ニルバナは中立故にそれが顕著だ。これで宇宙連合から独立出来れば言う事なしなんだがな」
僕たちは押し黙る。アンジュ先輩が無言でダークを助け起こす中、村長は皆をじろりと睨み回した。
「本性を現したな、お前たち。ここは我々のユニットだ。独立した自治区だ。利害が一致している故に匿ってやる事を承知したが、それ以上に面倒を起こせば条例に基づいて私刑を加える。最高刑は殺す事だ。お前たちはあくまで、善意によって生かされているのだという事を肝に銘じておけ!」
誰も、声を発する者は居なかった。ダークギルドの面々ですら、横面を張られたように呆然と立ち尽くしている。
ダークの狼藉により港の空気が一気に緊張感を増したようだったが、触れれば切れるようなその雰囲気を破ったのはアンジュ先輩の声だった。
「利害の一致については、既に伺っております。私たちは保護して頂く以上、皆さんのお力になれるような事があればお手伝いしたいと望んでいます」
「………」
レスリー村長は、射るような視線を彼女の方に向ける。
「先輩、強いんだな」伊織が小さく、僕の耳元で囁いてきた。
「彼の……ダーク・エコーズの行為につきましては、私たちユーゲントが代わってお詫びを申し上げます。この者たちの監督責任は、私たちにありますし……ですから、どうか私たちのすべき事についてご指示を願います。私たちは絶対に、このユニットのお役に立ってみせます」
アンジュ先輩の真摯な声に、村長もバリスタと呼ばれたスタッフも毒気を抜かれたようだった。村長は咳払いをすると、幾分か元の声色を取り戻した。
「……では、残りの者の検査を済ませる。終わった者たちは、先に宿舎に向けて出発だ。具体的な仕事については明日、その場で説明する」
その言葉を合図に、案内係の者たちが動き始める。クラスごとに彼らが付き、僕や伊織たちの〇一クラスを先頭に進み出した時、村長が付け加えるようにこちらに叫んできた。
「クラフトポートを出る前に、全員にマスクが配られる。外を歩く時は、それを着用する事を忘れるな!」