『破天のディベルバイス』第5話 新しい生活①
①エギド・セントー
地球近傍小惑星群アモール、小惑星エロスのプシュケ(クレーター)。
要塞の如く影を落とすラトリア・ルミレースの旗艦、ノイエ・ヴェルトの居住区画に作られた聖堂にて、セントーは星導師オーズに跪いていた。
銀河の如き無数の白点が散りばめられた闇色のローブを纏い、同色の布で顔を覆った星導師の表情は見えない。だが、彼が決して愉快な気持ちを感じてはいない事を、セントーははっきりと分かっていた。星導師が感情を露わにする事はない。だがその冷たい怒りは、烈火よりも恐ろしいものに感じられた。
「……それで?」
星導師オーズは、セントーの報告が終わって暫らく経ってから静かに言った。
「あなたは月面制圧部隊を、失ったという訳ですか?」
「いえ、完全にではありません。オルドリンを支配する者たちはまだ健在であり、宇宙連合軍による攻撃に対しての防衛力としては何ら問題はありません。ただ、あの忌まわしき船・無色のディベルバイスを追撃する戦力としては、非常に心許ないものと言わざるを得ません」
「ディベルバイス……かほどに恐ろしいものでありましたか」
星導師の呟きを聞きながら、セントーは先日のユニット二・一での戦いから実戦部隊の生き残りが持ち帰った情報を思い起こした。
重力を操る人型機動兵器、スペルプリマー。その出現は、セントーにとって一種の啓示を思わせるものだった。
星導師が”彼ら”、多くの者が宇宙人、地球外生命体などと呼ぶ存在から「天啓」を受け取るのは、一種の思念伝達によるものだ。彼らが送り込んできた使徒、ヴィペラ・クライメートを引き起こした小惑星ネメシスの存在が、災厄の僅か一年前まで確認されなかった理由。それは、ネメシスが人類に知覚可能な宇宙の範囲外から現れたものだからだ。
光の届かない場所、事象の地平面を越える事の出来る物質は、質量を持たない、重力に支配されないものだ。それは重力子、重力の正体そのものだとされる。”彼ら”は現人類よりも発達した文明を持ち、未だ地球人類では想像の産物に過ぎない重力子を支配する術を体得している。重力による空間の歪みはワームホールを生み出し、事象の地平面の更に向こうへと物質を旅立たせる事を可能とする。
「宇宙は人類にとって未知の環境です。そして未知の環境は、進化を促進する。食物連鎖の頂点に立った事により、人類は進化の必要性を喪失しましたが、それを取り戻す時こそが今なのです」
星導師は、ラトリア・ルミレースを興す時にそう言った。そして、人類にとって特殊化が起こり得る場所は脳だと述べた。
「思念とは、重力なのです。汎心論という考え方をご存じでしょうか。これは平たく言えば、全ての物質が意思を持つという事です。
地球上に生命が誕生した際、無から突如として有が生まれたとは考えにくい。電子レベルの動的な物質の、状態の差異の反復が複雑化し、絡繰仕掛けのように心を生み出している。これは万有引力が何故存在するのかという問いに対しても、答えになり得ると私は考えます。
日本語で、思いと重いは同音です。摂理として自然に、自覚もなく、人は自分たちが重力を発生させている事を知っている。脳が思念粒子として発生させる重力の増大こそが、新人類のアイデンティティなのです」
そうでなければ、地球の何倍もの環境に個々人が広がって暮らす事は出来ない、と星導師は力説した。そして、それが最初に可能となった自分こそが”彼ら”と交信する術を得たのだ、と。
重力を操作する兵器スペルプリマー、フリュム船の守り人。進化を技術発展と履き違えた愚かしき者たちが、地球にしがみ付く為の楔。やはりディベルバイスは、先駆者たる自分たちが除かねばならない隘路だ。
「連合に潜り込んでいる諜報員から、ノイエ・ヴェルトに新たな連絡は入っているでしょうか? ブリークス・デスモスは今や地球圏防衛庁を掌握しつつあり、ディベルバイスの捕獲に向けて動いているようです。人類生存圏全域にあの船の捕獲命令が出されたらしく、先日リージョン二で交戦した者たちも、戦場に周辺の護星機士団が現れたと報告しました」
セントーが尋ねると、星導師がちらりとこちらの顔を見たように思えた。
「真実は分かりませんが、フリュム計画が第二の船を動かしたかもしれない、という情報はもたらされましたよ。土星圏開発チームのザキが、小惑星タイタンにて保管していた『水獄』を、『無色』に差し向けた可能性がある、と」
「ブリークスが、意図的に第二の船を起動したと? それでは、乗組員は……」
「普通に考えて、使い捨てにするとは思えない。ですがあの男は先月から、常軌を逸した凶行を繰り返してきました。真実を見極めるのは非常に難しいでしょうが、我々は不正確な情報に踊らされる訳には行きません。憶測は控え、次なる情報がもたらされるのを待つのが賢明でしょう」
すっと、空調設備が乱れたかのように周囲の気温が落ちた。
今までの話が本当なのであれば、ディベルバイスは限りなく完成に近い船だ。あれがブリークスの手に渡らせない為に、宇宙航空を続けているうちに破壊せねばならないが、もしも仮に、本当に第二の船がこちらに向かっているのだとすれば。
ディベルバイスは今、戦犯指名手配を発令され、全ての連合軍から警戒網を敷かれている。これが、自分たちラトリア・ルミレースとしては都合のいい事なのか、悪い事なのかは判断出来ない。だが彼らの足が止まるのだとしたら、この隙を利用しない手はない。
(何が迫っているにしても、到達する前に我々が事を終わらせれば済む話だ)
セントーは拳を握り締めると、顔を上げて星導師と向かい合った。
「主よ、私に実戦部隊、一個師団をお授け下さい。必ずやディベルバイスを討ち、先日の無念を雪ぎます」
「いいでしょう。……但し」
星導師オーズは、心なしか揶うような声色になる。
「あなたは独立した特殊部隊ではありません。この革命運動に於ける我が陣営の総司令官です。宇宙連合総本部を目と鼻の先に控えながら、主戦力である月面制圧部隊を浪費しすぎた事については、あまり感心出来ませんね」
同じ過ちを繰り返す事がないよう、ボストーク陥落にも神経を向けて下さい、と星導師は言った。