『破天のディベルバイス』第4話 カエラ・ストライク⑤
⑤木佐貫啓嗣
ボストークの居住区画で趣味である観葉植物の剪定を行っていると、HMEが着信音を響かせた。気分が暗くなるのを感じながら、木佐貫は機器に手を伸ばす。
『プロジェクト・H 関係者各位へ一斉送信。
フリュム船ディベルバイス(無色)の起動がガイス・グラによって確認された。交戦した護星機士によると、スペルプリマー一号機スヴェルドのモデュラスが登録された事も判明した。尚、ブリークスへの通信ではディベルバイスに乗船している者たちの情報も明らかになったが、訓練生と民間人を含め、船に乗っている者は全員が未成年者だという。犠牲者はユーゲント一名、養成所の正規護星機士全員。
彼らは現在ボストークの軌道を外れ、リージョン二へと移動中。周知の通りフリュム船から外部に向けて電信機器による情報発信は不可能だが、彼らがコラボユニットに着陸し、外部端末を利用する事を想定し、以下の措置を取る』
読み進めるに連れて、木佐貫にはシャドミコフが手段を選ばなくなってきている事を実感した。いや、これらは全て、ブリークス大佐が地球圏防衛庁で台頭してきた事を示唆するものなのかもしれない。
シャドミコフは確かにフリュム計画に於いて、計画を次の段階に移す事を急いでいるようだった。だがサウロ派が居なくなった事で、その方針が半ば強行のような形で行われ始めている。ブリークス大佐の思惑通り、計画全体が流され始めているような気がする。
ホログラムメールに書かれていた内容は、まず各ソーシャルネットワークサービス提供会社、及び通信機器販売会社に連絡を取り、バックドアの使用権限を一部安保理に貸与するという事だった。
ブリークス大佐は、計画の外に居る連合軍に悟られぬようディベルバイスを捕獲するつもりのようだった。だからこそ、軍が彼らを保護するような形にはしたくない。彼らの正体が判明せぬよう、ネット上に書き込まれたディベルバイス乗船者たちの情報や救援要請をリアルタイムで削除出来るよう、バックドアの使用権限が必要になるようだった。シャドミコフ始め安保理は最早、ブリークス大佐の後始末を一手に引き受けているようなものだ。
また、その権限の移譲を許可させる為、ディベルバイスは連合を騙る過激派の船だという情報を民間に流すべく、準備が始まるという。これはフリュム計画が極秘であり、HR系列の巨大宇宙船の存在が外部に広まっていない事を逆手に取ったものだった。同時に根回しを行う事で、宇宙空間に出たディベルバイスの裏に計画がある事をより強く隠蔽出来る。
ここまで──宇宙連合という組織のみならず、各コラボユニットをも巻き込んで計画の影響が波及するとは、木佐貫は想像してもみなかった。ラトリア・ルミレースとの戦いという喫緊の課題すら、計画の隠れ蓑になろうとしている。
これ程大掛かりな事態に発展してしまったのに、その果てにある目標が何も知らない子供たちの皆殺しとあっては、木佐貫も嘆きたくなる。
『現在最大の問題は、図らずもモデュラスが出現してしまったという事である。これについて早急に対応を協議する必要がある為、午後一時より臨時会議を行う。関係各位は閣議室へ集まるように。 Pyotr Shadmikov』
メールは、そう締め括られていた。
* * *
最早見慣れた面々となった、フリュム計画関係者たち。今回はディベルバイスと交戦した者として、ブリークス大佐も席に就いていた。
「ブリークス・デスモス」
安保理議員の一人が最初に、彼に声を掛けた。
「あなたは現在、ここには居ない事になっているはずだ。地球圏防衛庁の目は欺けても、安保理全体をごまかす事は出来ない。我々も情報操作に関して出来る限りの事はするが、滞在可能時間に限界があるのではないか?」
「その必要はありません。既にディベルバイスに関する情報操作は済ませ、地球圏全域の軍にはこれを拿捕するように命じてあります。宇宙連合がこの会議について突き詰めたとしても、対ディベルバイス作戦に於ける緊急会議として、安保理が招集されたという釈明が利きます」
「ブリークス、あなたが過激派に故意に情報を流したという疑惑もあるが、それについて何かあらかじめ述べておきたい事などは?」
「……それについての言及は差し控えさせて頂きます。ですが彼らは遅かれ早かれ、フリュム計画の全貌を暴いていた可能性がある。故意に、という言葉をどれ程布衍して良いものかは分かりませんが、古代中国には『苦肉の計』という故事もある。私の行動が結果的に過激派の背を押す事になったとはいえ、それは奴らの諜報による被害を最小限に抑える為の措置です。
この際はっきりと言わせて頂きますが、私の行動によりこのような事態が招かれたと仰るのであれば、それは組織内にラトリア・ルミレースの諜報員が居ると勘付きながら、それを放置した安保理全体の責任でもあります」
落ち着いた調子で、しかしはっきりと言うブリークス大佐を見ながら、木佐貫は胸の内で、そう来たか、と呟いた。
慎重派が排除された以上ここに居る者たちの意見はほぼ似通っているが、誰もがブリークス大佐の凶行を恐れてもいる。先程の安保理議員──木佐貫の同僚の発言は、計画の総意として見て見ぬ振りをした、大佐のビードル襲撃の工作について彼を牽制する為のものだったが、大佐は素早く切り返して彼に主導権を与えなかった。
連合内に居る、ラトリア・ルミレ―スの諜報員の存在。
それが計画のメンバー内に存在しない事は、この事件が発生する以前の状況から考えて明らかな事だった。フリュム計画について過激派は、HR系列の存在をそこはかとなく掴みながらも確信を持つ事が出来ない、というのが精々だったはずだ。これは計画内に諜報員が紛れ込んでいれば、有り得ない状況だ。
故に、月軌道の内側、ボストーク周辺が戦場と化した原因がブリークス大佐だという明確な証拠がない以上、彼は自分の所業を隠蔽するどころかそれを盾にして、安保理に圧力を掛ける事も出来る。安保理が彼に対して強く出られない以上、これは計画に於ける彼の発言力強化にも繋がる──。
「……今は、互いに責任を擦り付け合うべき時ではない」
シャドミコフが、咳払いと共に言った。
「そのような目的で、わざわざ危険を冒してまで臨時会議を開くものか。今はただ、皆が一丸となってモデュラスへの対応を考えねばならぬ」
彼の発言と共に、静かな牽制を掛け合っていたブリークス大佐や議員たちが、一斉に表情を引き締めた。
「モデュラス……新人類が出現したという事ですか?」
「そこまではまだ言えん。モデュラスとはスペルプリマーの起動因子を、覚醒状態にまで導いた者、あの神の器を動かす為の電池に過ぎない名前だ。新人類という意味であれば、また別の名前を考えねばな」シャドミコフが唸る。
「ではまだ、完全体には程遠いと?」
「スペルプリマーそのものが未完成なのでな。ディベルバイスは五隻のフリュム船のうち、最も完成形に近い。だがあくまで、それだけだ。最終調整の為、そして残る四隻をよりディベルバイスに近づける為、あの船を我らの手に取り戻す必要がある。最終調整のみで、早期に『破天』を行い人類の悲願を達すべしという意見には、私も賛同はしているが」
「あのモデュラスが不完全体、ですか?」ブリークス大佐は、信じられないというように首を振った。「実際スヴェルドの機動力を間近で見た私には、取り立てて問題があるようには見受けられませんでしたが」
「ブリークスよ。新人類は本来、兵器とすべきではないものだ。現モデュラスの不完全さは、むしろ戦闘以外に於いて強く現れるだろう」
「と、言いますと?」
木佐貫には、ブリークス大佐の眼光が一瞬鋭く閃いたように見えた。シャドミコフは真っ直ぐに彼を見つめ、やがて僅かに不快の色を眉間に滲ませた。
「貴様はこれ程サウロと並び、計画を主導する人間でありながら、未だ結果に先立つ因子についての関心はその程度だったのか」
「……私はただ、悲願の為に”戦う”事のみを極めて参りました故」
「では、その戦いの為に重要な情報を教えよう。
……我々現人類は、七百万年前アフリカ大陸に出現した猿人とは違う。それは脳の構造の違いだ。モデュラスは、その意味では我々とは全く別種の生物なのだ。意識を使い分ける事が出来、大量の情報を一度に受信しても負荷に耐え得る処理速度と記憶容量を持つ。これは魔法ではなく、脳細胞の数と神経の構造を、二足歩行をする人類の姿を維持出来る限界まで作り変えたものだ。
人体改造ではない、これは進化だ。最終的な目標を考えた時、この変節を一世代で終わらせてはならない。故に、この形質が次世代に引き継がれるよう、遺伝子レベルでの書き換えが求められる」
「つまり私が交戦したモデュラスは、現人類ではないと?」
ブリークス大佐の顔がそこで初めて、動揺したように歪んだ。木佐貫も改めてモデュラスについての概要を復習し、戦慄を感じる。
分かっていても、何とも表白し難いグロテスクだった。血や臓器が飛び散るような分かりやすく、衝撃を孕んだグロではない。磨き上げられたリネンの実験室で、ホルマリンの匂いや、銀色に光る刃物の羅列という視覚情報などを身近に感じた時のような、得体の知れないながら惨劇の予兆を知覚するような、静かな、だが深刻な猟奇性を秘めたグロだ。
「現在スヴェルドを操縦しているパイロットは、モデュラスの遺伝情報を持つ細胞が脳を中心に分布している状態だ。体細胞の殆どが新しいものに置き換われば、そのパイロットは現人類から完全なモデュラスとして──『完全な不完全体』として、新しい生物へと進化した事になる」
「完全な、不完全体……」
モラン情報庁長官が、放心したように呟いた。
「何故、モデュラスは新人類の前身としかなり得ないのか。それは、彼らが人為的に作り出されたという意識を、生物としての本能が排除しきれない事にある。彼らは種の保存という本能に従い、SBEC因子を有する細胞の欠片を、周囲の人間に植え付けようとする。血液や粘膜を通す事によって、だ。荒唐無稽な例となるが、増殖するゾンビを思い浮かべてみれば分かるだろう」
無作為に、「新人類」ではない不完全な人類の進化形──モデュラスを増殖させてはいけない。それが、スペルプリマーの未完成に当たる部分だった。
アクティブゾーンと呼ばれる、戦闘中の躁状態の余波で本能を抑える事が出来なくなる事。これに調整を利かせる事が、ディベルバイスで「破天」を行う為に必要な最終調整だった。
「モデュラスという名は、彼らが戦術兵器としてのスペルプリマーを動かす『電池』である事に焦点を当てた呼称だ。だが新人類は、かの神の器を単なる戦争の道具として使って貰っては困る。……ブリークス」
「はっ」
ブリークス大佐は、また何らかの重要な命令が下される事を悟ったらしく、席から立ち上がった。シャドミコフは彼に応えるよう、同じく腰を上げる。
「スヴェルドのパイロットであるモデュラスを抹殺しろ。スヴェルド本体は破壊しても構わん、残り四機があればまた作る事が出来る」
「了解しました」
「諸君らの忌憚なき意見を聞かせて欲しいのは、既にブリークスの報告にあったモデュラスが、船内の子供たちの内に第二、第三のモデュラスを生み出している可能性についてだ」
シャドミコフは、そこでようやく議題らしきものを口に出した。木佐貫は「モデュラス出現に関する対策会議」の真の目的を悟り、ごくりと唾を嚥下した。
「一部民間人を除き、彼らは皆一度の因子移植で”進化”する可能性がある。……知っての通り、第一二四代護星機士団、ユーゲント以降の者たちはSBEC因子に呼応しモデュラスとなる為に、既に第一回目の接種を受けているのだから」