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『破天のディベルバイス』第4話 カエラ・ストライク③

 ③渡海祐二


「な……何だよ、これ?」

 今日の朝食当番だった僕は、分担表の貼り出されている壁の横に画鋲で留められている何枚かの写真を見、腰を抜かしそうになった。

「祐二、お前はそんな奴だったのか?」

 伊織の、嘘だと言ってくれ、と言わんばかりの声の裏に隠しきれない軽蔑の声音を感じ取り、僕は「知らない」を連呼する事しか出来ない。

 この問題の写真が発見されたのは、当番で同じメンバーだったショーン・トレヴァラウト、(ハルカ)和幸(カズユキ)が最初に厨房に踏み込んだ時だった。彼らは口々に、写真に写っているものが即ち何なのか、何故、どのような経緯でそのようになったのかを問い質してきた。そこに、当番の他の生徒たちも加わった為に事が大きくなった。

「渡海、どういう事だよ!?」

「スペルプリマーパイロットの特権を濫用して!」

「アイドルを独り占めするのは、世間一般に対して失礼だぞ!」

「失礼どころの話じゃない、謀反だ!」

 写真の内容は、全て僕とカエラだった。窓辺で話している様子や養成所での授業内容の復習に付き合っている光景、身に覚えがあるものばかりだ。

 カエラの「登録」の後、彼女は妙に僕に接近してくるようになった。スペルプリマーに関する事で話がある、と言ってきたり、このような時だというのに何故か勉強を見て欲しいと頼み込んできたり。

 無論、僕はその都度相手をした。二号機のコックピットの中でキスされた事に対して、気まずくなったり訝しく思ったりしないでもなかったが、あの日があってから僕はあまり伊織や千花菜たちに接近したくなかった。あの日、自分が爪を立て、歯を剝き出していた事が何よりも恐ろしく、彼らにも襲い掛かってしまうのではないか、と思ったからだ。

 カエラにまたその衝動が向かうかもしれない危惧は、勿論あった。だが、彼女なら事情を知っているし、あの時のように僕を止められる気がした。だが、まさか僕が知らないうちに、このような写真を隠し撮りしていたとは。

 唯一身に覚えがないのは、僕が眠っている間にベッドの傍らに腰掛け、カメラに向かってウィンクをしているカエラや、実際背中合わせに横になっている彼女を撮影した一連のものだった。これのせいで、僕が言い訳出来る他の写真にまでいかがわしい印象が与えられている。

 先程述べたのと同様の理由で、僕は伊織と違う部屋に移っていた。事情が事情だけにユーゲントには内密で、伊織には「スペルプリマーに乗っているせいか疲労が溜まっている、気休め程度の措置かもしれないが夜は一人で気を落ち着けて寝る」と伝えて納得して貰っていた。が、これが裏目に出た。

「カエラの仕業だな……全く、僕を何だと思って……」

 僕は、印刷機で刷ったと思しきそれらの写真を壁から剝がし、まとめてポケットに突っ込んだ。彼女には後でしっかりと話して貰わねばならない。

 生徒たちは(しば)し、そのような僕の様子を冷たい目で見つめていたが、やがて伊織が「ちょっと来い」と言って袖を引いてきた。僕は不意を突かれ、半ば引き摺られるように厨房の外に連れ出される。中から、生徒たちの声が聞こえてきた。

「うわっ、神稲がキレた」

「おっかねえ……」


          *   *   *


 伊織は僕を引っ張り、まだ人気(ひとけ)のない廊下まで辿り着くとこちらを向いた。

「祐二。お前、カエラと何かあったのか?」

「ないよ、何も……あれは、彼女が勝手に……」

 だが、その言葉は正確ではない。確かに僕は、彼女からキスされた。

 思い出し、顔に熱を感じながら俯くと、伊織は「俺の目をしっかり見ろ」と覗き込んできた。

「お前、千花菜はどうなるんだよ?」

「はあ? 何でそうなる?」つい、若干早口になる。

「ずっと千花菜の事好きだったんだろう? いいのかよ、こんな事で?」

「だから誤解なんだって! カエラが勝手にやったんだ!」

 伊織は、怒ったように口を噤む。信じられないのは当然だろう。僕ですら、彼女の真意を疑っているのだ。僕に、あの美しく人を惹き付ける魅力を持ったカエラが好くようなところがあるとは思えない。だからと言って、彼女が僕を何らかの罠に陥れようとしているとも考えられない。自惚(うぬぼ)れではないが、コックピットで僕に囁いてきた彼女は本気だったように思う。

 僕の必死な態度が伝わったのか、それとも確認事項としてまだ聞くべき事があったのか、伊織は幾分か声の調子を和らげて再び口を開いた。

「俺は実際、半年でお前の事を全部知った気になったりはしない。でも、今までの様子で千花菜に対する気持ちだけは分かっていたつもりだ。その上で幼馴染とまで言うんだから、羨ましいとも思っていた。なら、千花菜の傍に居てやれ。あの時だって、傍に居たあいつを守りたくてスペルプリマーに乗ったんだろう?」

 それは、そうだ。

 だがそう思った時、僕の胸の内で囁く声があった。そのスペルプリマーで、彼女の父親を奪ったのはお前ではないか、という。

「お前が居なきゃ……千花菜が可哀想だ」

「可哀想?」

 彼女にそう思われていたら、どれだけ良かった事か。

「伊織に、僕と千花菜の事なんて分からないだろう!」

 つい、声を荒げてしまった。僕がこのように怒鳴った事は今までに一度もなかったので、伊織はそこで弾かれたように僕から身を引いた。

 僕は我に返る。「いや、ごめん……でも」

「……何にせよ、お前にその気がないならカエラにちゃんとそう言っておけ。曖昧なまま引き摺る事は、いちばん良くないんだ」

 伊織は咳払いし、幾分か調子を取り戻したように言う。

 僕は、今し方の自分の態度に戸惑いながらも一言付け加えた。

「何だか伊織、恋愛の先輩みたいだ」

「先輩……反面教師っていう意味なら、そうとも言えるかな?」

 別に彼も、異性交遊事情がそこまで乱れている訳ではないだろうに。

「そこまでは言わないけどさ。気軽に女子に『可愛いね』とか声を掛けるのは控えた方がいいと思うよ」

「お前がそういうなら、気を付けるよ」

「それと、恵留から好かれているのに気付いていないだろ?」

「そうだったのか!?」

 伊織は本気で気付いていなかったらしく、たじろいだように目を丸くした。

 中身はかなり初心(うぶ)らしい。僕たちに的外れな事を言う前に、彼自身も自分に目を向けて欲しいものだ、と、僕は胸の内で小さく呟いた。


          *   *   *


 皆の視線から隠れるように当番の仕事をこなし、ダークたちのところにも千花菜に配膳して貰うと、僕は自室──引っ越した方──に食器を持ち込み、カエラにも来るようにHMEを送信した。

 そう時間を置かず、彼女はやって来た。僕は一応マナーとして食事に手を付けず待っていたのだが、冷めずに済んだ。

「祐二君、あなたの方から呼び出してくれるとは思わなかった。嬉しいな」

「カエラ。……ここ最近の事で、色々と話したい事がある」

 この間、千花菜に事を明かすのは気まずかったので、伊織に協力して貰って恵留を味方に引き入れ、二人掛かりで彼女たちの部屋に繋ぎ止めて貰っている。千花菜がカエラを探して、ここまで来たりするとマズい。

「カエラ、これを撮ったのは君だろう?」

 僕は、ポケットに突っ込んできたあの写真を机の上に並べる。彼女が白を切るとは思わなかったが、一応言い訳が利かないように真っ先にこの部屋の写真──カエラが眠っている僕の傍らでカメラにウィンクしているものを出して見せた。

「そうよ。何かマズかった?」

 平然と言う彼女に、僕は頭がくらくらした。もっと儚く処女のような、おしとやかな印象があったので、思いがけず開けっぴろげなところに押されてもいた。

「マズかったって……そりゃあ……」

「流行りって勝手なものでさ、歌って踊れる女の子としてメディアに出ていた頃は掃いて捨てる程居る芸能人の一人みたいな扱いだったのに、引退すると元アイドルだって騒がれる。一般人が比較対象になるから目立つのかな、『アイドル』より『元アイドル』の方が世間的価値が高かったりして」

 カエラは冗談めかして言うと、スープを一匙口に運んだ。

「確かに私は本名と素性を明かして、やっと偽名の自分から本当の私になれたよ。でも、皆都合良くアイドルと一般人を使い分けちゃうから。一般人になったら手を出していいよねって、モーション掛けられると困るからさー、ちゃんと私には祐二君が居るんだって事、アピールしとかなきゃ」

「つまり僕は、男避けの男って事?」それはそれで複雑だ。

「違うよ。私と祐二君は本当に恋人でしょ? 私は、ちゃんと祐二君の事が好き」

「恋人? 全然、自覚がなかった」

 言葉が滑った。もしあったら大変だ。

「あんな事までして、恋人じゃなかったら何なのって思わない?」

 カエラは蠱惑的に首を傾げてみせる。僕はまた、コックピットで重ねられたカエラの唇を思い出し、背中に震えが走りそうになった。紙パックのコーヒーを勢い良く啜り、熱を持った体の内側を冷やす。

「あれは……君が勝手にやってきた事だろう。大体、何であの時『二人きりになれたね』なんて言ったの?」

 尋ねると、カエラはそこでやっと元気が抜けてきたようにふうっと息を()いた。

 (しば)し沈黙し、箸やスプーンを動かす。やがて、急に声のトーンを下げた。

「祐二君はさ、まだ千花菜の事で気持ちの整理、出来ていないんだよね」

「……前に言った通りだよ。前は確かに好きだった。今、好きで居る事が(つら)くなっている自分が居る。だけど駄目なんだよ、それじゃ。僕は考えなきゃ駄目なんだ。綾文のおじさんを、殺してしまったからこそ」

「そうなると、きっと祐二君は永遠に千花菜を追い続ける」

 カエラは言うと、寂しそうに笑った。

「幼馴染ってさ、最強の関係なのよ。片方が好きになってしまったら、もう蚊帳の外の私たちに介入する余地はない。だから、千花菜も祐二君も可哀想。千花菜はもうあなたのお兄さんには届かないし、届かない彼を想い続ける千花菜に、祐二君の想いも届かない。そして、祐二君を好きな私も届かない」

「分かっているなら……」

 言いかけた時、彼女は人差し指を伸ばし、僕の唇に当てた。

「孤独は人にとって、耐えられないものよ。独りの方が気楽でいいなんて言う人は、本当の孤独が分かっていないから。そうでしょ? 自分は独りだって訴える人、訴えている相手っていう人が居るじゃない」

「………」

「そして祐二君は、あの時孤独の予感を抱いたはず。私がそう思ったの、間違いじゃないと思う。最近伊織君と部屋を話したし、千花菜とも一緒に居ない」

 僕は、反論出来ない。「精神構造を回復する事は出来ません」という一文が、僕の幻視一杯に映し出されている。

「祐二君には悪いけど……私、チャンスだと思った。ずっと自分の事、独りぼっちだと思っていたから。それでも、独りぼっちじゃないでしょって言われたら否定出来ないとも思っていたから。田辺先生も居たし、この船に乗って、千花菜や恵留とも友達になった。

 だから……孤独感を消す為に、一回本当に独りぼっちになろうって思ったの。祐二君を見て、私もスペルプリマーに登録すればそうなるだろうって。これであなたと、二人きりになれると思った。……格納庫で言ったのは、そういう事」

「そこまでして、僕を……?」

 それだけの為にスペルプリマーを、という言葉の裏返しは、昔から自分の中に閉じ籠りがちだった自意識を妖しく刺激するものだった。だが、まだ解せない。

「何で、僕なの? シンパシーは、それより後なんだろう?」

「誰かを好きになる事に、理由が必要?」

 カエラは、即座に返してきた。

「じゃあ祐二君は何で、千花菜が好きだったの?」

「それは……ずっと傍に居たから、かな?」

 確かに、何が「好き」なのかは分からない。ただ、時を共有してきたという事は僕の中で、彼女への気持ちを育む土壌となったはずだ。

「違う、祐二君。答えちゃ駄目だよ」カエラは首を振る。「それは惰性よ。小さい頃からずっと傍に居たから、なんて執着じゃない。……私の勘違いだった」

「勘違い?」何がだろう?

「祐二君はまだ、分からなかったんだ。答えられないものだと思っていた。だから教えてあげる、祐二君。好きって事は、頭で考えちゃ駄目なの。あなたは今、ずっと独りだった自分に昔から寄り添ってくれた千花菜に、感謝している。救いを差し伸べてくれた人だって思っている。一種の偶像のように信仰している。好きだって気持ちが分からないから、これを好きっていうんだ、って思い込んでいる。だから彼女を想う事で、それに返そうとしている。お兄さんに張り合えないのも、戸惑っているからなんでしょ? こんなはずじゃないって」

「カエラに、そんな事分からないじゃないか」

「本当に好きだったらね、叶わない恋が(つら)くても、()()()()()()()()()()()は辛くないはずなんだよ。私みたいに」

 これもまた、反論出来なかった。

 ──伊織に、僕と千花菜の事なんて分からないだろう!

 万に一つの可能性として、千花菜が僕に好きと言ってくれたら、僕はどうだろうと考えた。嬉しい、と思うだろうか。それは思うだろう。だが同時に、申し訳ない、とも思ってしまうのではないだろうか。

 誰に? 兄にか、千花菜本人にか。

 相手に応えられる事を嬉しく思うのが、恋なのだろうか。

 それとも、相手が自分と結ばれない事によって幸せになったとしても、それを喜ぶ事が出来るのが恋なのだろうか。

 僕には、カエラの言う通りまだ恋の何たるかが分かっていなかったのだろうか。

「ねえ、祐二君。あなたがそれを分かった上で答えを出せるまで、私には祐二君を好きで居させてよ。確かに写真を貼るのはやりすぎた……ごめんなさい。でも、私があなたを好きだって事を、口に出すくらいはいいでしょ?」

 カエラの声がそこで、急に(すぼ)んだ。先程まで自信たっぷりだったような彼女が突然しおらしくなったので、僕は何だか申し訳ないような気持ちになる。

「分かったよ。でも……何か言えるのは、大分先になりそうだ」

 言いながら僕は、これ程異性から好きだと言われたのは今日が初めてだ、とちらりと考えた。

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