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『破天のディベルバイス』第4話 カエラ・ストライク①

 ①渡海祐二


 メタラプターとの戦闘中、格納庫に忍び込んでいたカエラが僕に向けた笑顔は、優艶を通り越し、最早妖艶の域に達していた。その上、傷付き毛羽立った精神にすっと這入り込んでくるようなものがあり、僕の緊張はそこで不意に解けた。

 強張っていた体から力が抜けると共に、涙腺が緩んだ。

「………っ」

 重力発生装置が皮肉に働いた。宇宙に居るというのに、水玉にもならずこれ程頰を伝っていたら──泣いている事は、はっきりと分かってしまうではないか。

「何があったの、祐二君?」

 ──あったよ、本当に色々。

 僕は口を開こうとして、嗚咽が喉の奥で暴発した。熱い二酸化炭素の塊が、声にならない音と共に吐き散らされる。

 カエラは笑みを潜め、僕の両の二の腕を柔らかく掴んだ。体温が感じられる距離まで接近され、彼女がペースメーカーででもあるかのように、荒ぶった僕の拍動が元の調子を取り戻していく。

 思いがけなく自然に、口からすっとその言葉が零れた。

「殺してしまったんだ……千花菜のお父さんを、スペルプリマーで……」

「……そう」

 カエラは右手を僕の頭に当て、背中の方まで撫で下ろしてくる。

「でも、祐二君はちゃんとやった。祐二君が戦ってくれなかったら、私たちは皆、連合軍に殺されていたかもしれなかった」

「あの人は、知らなかったんだよ……この船の中に、僕たちが居る事を。メタラプターなんか使うから、きっと僕たちが、とんでもないテロリストだとでも思わされていたのかもしれない。あの人は、何にも悪くないんだ……そうだよ、そうじゃないか。そうじゃなきゃおかしいんだ。だって……綾文のおじさんだよ? 千花菜のお父さんなんだよ……!」

 再び、涙が溢れ出す。

 背中に回ったカエラの手に力が込もり、涙に濡れた僕の顔は彼女の胸元へ押し当てられる。温かな体温に感情が吸収されていくのに、僕はただ身を委ねた。

「……祐二君は、千花菜の事が好きなの?」

 そっと──先程の僕と同じくらいごく自然に、カエラは核心を突いてきた。

 好きじゃなかったら、この僕が守りたいだなんて思って、ここまで来るはずがなかった。だが、守りたいと思ったその時から、千花菜に対して僕がそれを言う事は出来なくなった。

 僕は、彼女を愛する者として傍に居てはいけないのだ。だから、守るという事をしようと思った。ただ失いたくない大切な存在として、()()()彼女の傍に居ようと考えたのだ。

「僕は……好き、だった」

「過去形なの?」

「もう叶わないんだって知ってるから。だって千花菜が護星機士になろうとしたのは──戦場に出て命を賭けようとしたのは、自分の為じゃないんだ」

「彼女は他に、命を賭けたいと思う人が居たのね」

「その人が死んでいるから、もう僕の想いは叶わない。千花菜が好きだったその人、僕の兄さんなんだよ」

 そうだ。だから千花菜は兄さんが死んだ時、同じ護星機士を目指した。

 いつも僕の前を行き、僕に対して姉貴分のように振舞ってきた千花菜。

 その彼女は、生きてユニット五・七に居る僕よりも、死んだ兄が戦っていた宇宙に出る事を選んだ。同じように死んでしまうかもしれないのに。仇討ちのつもりならそれも無意味なのに、僕は止めるよりも彼女を追い駆けた。

 彼女が僕に、そうさせたのだ。兄に対して張り合う事は、生きている僕にはもう許されなかったのだから。

「お兄さん、どんな人だったの?」

「普通に、いい兄貴だったと思う。でも、僕にないものを色々持っていた。周囲に打ち解けられる事も、千花菜に対して素直になれる事も。勉強も運動も、僕よりずっと出来た。軍曹としてダイモス戦線で、過激派と戦っていた」

 何故、何故なのだろう。

 兄が千花菜の傍に居る事を、彼女と想いを寄せ合っている事を、ずっと鬱陶しく思っていた。兄が最初から居なければ、僕も引け目を感じる事なく千花菜を独り占め出来たのに、と思った事もあった。

 だがこうして実際死ぬと、彼のいいところばかり浮かんでくる。

「いっそ、僕を虐めてくるような大嫌いな兄だったら良かったのに、って思う。そうすれば、こんな事になった今でも、兄さんに申し訳ないなんて思わず、千花菜を好きで居られたのに、って」

 段々、女の子相手に何を言っているのだろう、と思えてきた。

 僕の弱いところだ。何事にも熱くなる事が出来ない。そして、そんな自分を引き摺る。未練が断ち切れない。自分を不幸だと思い込む。だから決心をしても、それは決心をした振りなのではないか、と呟く、心の奥に居るもう一人の僕に、何も反論する事が出来ない。

 そこまで自己分析した時、それでは今の僕は何なのだろう、という思いがふと頭を(もた)げた。

 僕はこの間、スペルプリマーを起動した。その時にも、千花菜を守りたいという思いを再確認した。だが、それもまたいつも通りの「決心をした振り」とは言えないだろうか。

 言えない、と思う事は出来る。その「決心」は彼女を大切に想う気持ちに基づくものだから。だがそうすると、思考は次の深度へと潜り込む。彼女をそもそも、大切に想っているのか、という恐ろしい自問。

 愛だというのか。ならば何故、兄と張り合う事を出来ないなどと思うのか。

 そんな思考にこそ、根拠はないじゃないか、と”僕”は思う。

 悪魔の証明だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、僕は”僕”に対して、証拠を突き付ける事が出来る。今ここに居る”僕”、この僕は怖がっているではないか。スペルプリマーに乗れば、精神構造が回復不能になるという事を。

 まだ、兆候は見られない。現れたのかすらも定かではない。だが僕は……怖い。逃げたいと思っている。これから僕に何が起こるのか。そう思うと、どうしても息苦しくて……?

「祐二君……!?」

 カエラの声が、突然恐怖に飽和したように思えた。僕ははっと我に返り、いつの間にか少し身を引いていた彼女の方を見、そして自分を見た。

 僕は、両手の指の関節を鷲の鉤爪の如く曲げ、カエラに向けていた。口を閉じようとして、唇を引ん剝いていた事にも気付く。あたかも、切歯から犬歯までを露出させ、獲物を襲おうとするかの如く。

 弾かれたように、僕は後方に跳躍した。

 僕は今何をしようとした? 明瞭な事だ。カエラに襲い掛かろうとした。それも、性的暴行などの意味ではない。獣の如く、食い殺そうとしたようだった。

 無意識のうちに止めていた呼吸を、僕は再開する。涙はとうに乾き、千花菜の父親を殺めたという事に対する沈痛な気持ちも、彼女に対する想いの確認も、いつの間にか頭から掻き消えていた。

 僕は、一時的な無呼吸状態から回復すべく懸命に喘ぎ、酸素を摂取する。

 これが、そうなのか。スペルプリマーに乗って以来感情が昂りやすくなったのも、全てがこの前駆症状だったのか。もしカエラが声を上げなかったら、僕は何処までやったのだろうか。自分で、自分が怖くなった。

「落ち着いて、祐二君。深呼吸。リラックス、リラックス」

 カエラはまだ少し怯えているようだったが、先程までのように僕に接近し、背中を(さす)ってくれた。僕は、激しい呼吸の後に、絞り出すように呟いた。

「これが……スペルプリマーの精神干渉……?」

「びっくりしたよ、急に。何か、興奮するような事考えたの?」

 言いながら、カエラはあっと小さく声を上げる。その視線が自分の胸に落ち、涙の浸み込んだ痕跡を捉えて微かに頰が染まった。

 僕は先程までの自分の行為がフラッシュバックし、「違う!」と咄嗟に叫んだ。

「そうじゃないよ。ただ……丁度、スペルプリマーのリスクの事を考えたんだ」

「リスク? そういえば今祐二君、精神干渉とか何とか言わなかった?」

 カエラに言われ、僕はしまった、と思った。

 そうだった。彼女や千花菜、伊織や恵留の立ち会う中でユーゲントに語ったスペルプリマーの「警告」とは、膨大な情報を処理する事になる為脳に負担が掛かり、疲労が激しくなるという内容だった。カエラは「精神構造が回復不能になる」という内容については知らないのだ。

「教えて、祐二君。あなた、もしかして物凄く危険な事をしたんじゃないの? ……いえ、あんな近くで敵と戦うなんて、それ以前に危険なんだけど」

 彼女の真摯な眼差しに僕は、ごまかしてはいけない、と思った。今彼女には、僕が襲い掛かろうとする場面を見せてしまった。このような事がこれから起こるのなら、知っている人が居た方がいい。

 僕は「皆には言わないで」と前置きした上で話し始めた。


          *   *   *


 全てを話し終わった時、カエラは「何故黙っていたのだ」と僕を責めるような事はせず、ただぎゅっと口を引き結んで沈黙した。

「アクティブゾーンか……」

 やっと再び口を開いた時、カエラは最初にそう言った。

「今、戦闘中に感じていた集中力の増大とかはどう?」

「……ない。スペルプリマーの操縦方法を口で説明しろって言われても、多分無理だと思う。自転車の乗り方を一から思い出せって言われても、無理なように」

「じゃあ……私の仮説なんだけど、聞いてくれる?」

 彼女は両腕を胸の下で組み、少し俯きがちに睫毛を伏せて語り始める。

「多分最初、祐二君はスペルプリマーによって何かの『因子』のようなものを埋め込まれたんだと思う。そしてスペルプリマーは、乗る度に祐二君の脳を刺激して、深層意識と表層意識を逆転させる」

「どういう事?」

「自転車の乗り方、って祐二君言ったでしょ? それは手続き記憶だから、無意識にあるのよ。それからさっき、色んなものがはっきり見えたとも言ったけど、それもまた無意識は拾っている事。ほら、例えば祐二君、私の事」

 カエラは、少し躊躇うように言葉を切り、唇をちろりと舐めてから言った。

「祐二君、私を助けてくれた時見覚えがあったみたいだけど、『プレシャス・プレジャーズ』の事は知らなかったでしょ? でもきっと、以前何処かで見る機会はあったのよ。自慢じゃないけど、大ヒットしてたんだから。ポスターとかテレビとかでちらっと見て、それが無意識に残っていたのよ。

 ……無意識は、色んなものを拾い上げる。五感から入るもの全てを処理していたら脳がキャパオーバーになっちゃうから、余計なものは無意識に放り込まれるんだと思うの。だけど、それが戦闘中全部見えた。これは、無意識領域が表層意識まで浮上してきた事の証拠なんじゃないのかな。

 だけど、キャパオーバーで脳回路が焼き切れるような事はなかった。これは、戦闘中に限り祐二君の頭の処理速度が急激に上がっているから。その急激な回転に耐え得るように精神を改造するのが、その『因子』。だから、スペルプリマーから降りても『因子』そのものは消えない。

 もし、その何らかの『因子』に、副作用があったとしたら?」

 僕は、カエラの言う事を懸命に処理しようとした。

 つまり、これは反動などではない、という事か。この先スペルプリマーに乗る事をやめても、もう僕の体は元には戻らない、と。

「まだ、全部私の仮説だからね」

 慌てたようにカエラが言う。だが僕にとって、慰めにはならなかった。否定するには、あまりにも筋が通りすぎているような気がした。

 ……僕は、何をしてしまったのだろう。怖い思いをしてまで、千花菜を大切に想うが故に守りたいと思い、無我夢中でスペルプリマーを起動した。それが、愛ではなかったら何だというのか。

 結局、僕は彼女に振り向いて欲しかった。だがそれが叶わない事を知っているからこそ、自己満足だと思い込もうとしていた。

 そう、「叶わない」という現実は変えられない。ならば僕は、何故このような宿命を背負わねばならなくなったのか。何の対価もないというのに。

 これ以上慰めの言葉を掛けられたくはない、と思い、僕は口を開かなかった。これ以上は甘えだ。僕にも、男としてのプライドはある。だが、僕が何を言うよりも先にカエラは「可哀想」と小さく呟いた。

「……私とおんなじなんだ」

「えっ?」

 僕が言った時、カエラは何かを決意したように顔を上げた。

 一瞬、僕は自分のおかしな情動が彼女に伝播したのか、と疑った。

 彼女は笑っていた。配膳の時のようなアイドルスマイルでも、先程僕に浮かべて見せた聖母のような包容力のある笑みでもない。何だか、安心したような、満足したような、吹っ切れたようなさっぱりとした表情だった。

 そして不意に、何も言わずに身を翻した。驚く僕に見向きもせず、彼女は一直線にスペルプリマー二号機の縄梯子へと向かっていく。

「カエラ、何するつもりだ!?」

 僕は、この前僕が彼女と全く同じ行動を取った時、千花菜が叫んだ台詞と同じ事を言っていた。それで彼女の目的に気付き、慌てて追い駆けた。

「待て、カエラ! 君、さっきそこまで考えたんだろう? それは……」

「祐二君、すぐ下から登ってきちゃ駄目よ。スカートの中、見えちゃうじゃない」

 先程までとは打って変わって軽い調子で言うと、カエラはコックピットの中に消えた。僕は縄梯子が落とされるような気がして、考えるより先に跳躍する。間一髪でハッチに掴まり、中に滑り込んだ。

 滑り込むと同時に、コックピットの様々なボタンが発光した。座席に腰を下ろしたカエラの足元から、あのタブレットが上がってくる。早くも起動キーが回されたらしい。

「ほんとだ、祐二君の言った通りの文面ね」

「カエラ、よせ。僕みたいになったら、もう取り返しが付かないんだ」

 僕の警告は、全くの無意味だった。

 カエラはあっさりと、何の躊躇も逡巡もなく、タブレットに触れた。

『アイ・コピー。転送を開始します』

 彼女の隣に腰を下ろし、画面を覗き込んだ時には、既にそのメッセージが表示されていた。僕が絶望するのに構わず、登録の手続きは淡々と進んでいく。

 カエラの方を見ると、座席の後ろからヘルメットのような、ヘッドフォンのような形をした材質不明の白いものが滑り出てきて、その頭に嵌め込まれるところだった。サイドからはあの無針注射器に似たコネクタが出現し、彼女の肩甲骨から鈍い音が鳴る。

「痛っ……!」

「カエラ!」

 僕が名を呼んだ時、彼女の表情が変わった。苦痛に呻くような歪んだ顔が、恍惚にも似た心地良さげなものに変化し、口から吐息が漏れ出す。

「祐二君が言っていたの、こういう事だったんだ……気持ちいい……」

 やがて情報のダウンロードが終わったらしく、彼女はヘルメットから頭を抜いた。コネクタも抜かれ、肩には円い痕だけが残る。

「何やってるんだよ? これで君も、体に何が起こるか分からなくなった。僕の話を聴いていなかった訳じゃないんだろう?」

「ええ、そうよ」

 カエラは言うと、突然僕の手をぎゅっと握ってきた。その指が妖しく動き、僕の指の谷間に通される。柔らかく、温かな感触についドキリとした。

 その瞬間、彼女が座席から身を乗り出し、僕の膝の上に跨った。二人の体の前面が密着し、甘ったるい香りに心臓が跳ね上がる。

「これでやっと二人きりになれたね、祐二君」

 言うや否や、いきなり唇が奪われた。

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