『破天のディベルバイス』第3話 見えざる敵⑧
⑦アンジュ・バロネス
「では皆さん、何かあれば連絡して下さい。お世話になりました」
言ってから、大袈裟すぎたか、と反省する。これではお別れ会ではないか。
雰囲気に引導されたのか、ラボニやティプは寂しそうな顔になった。
「アンジュ……すまない、私のせいで」
ジェイソンは、しおらしく項垂れている。今回の一件ではさすがにアンジュも苦言を呈しかけたが、その様子があまりに哀れっぽかったので、咎めようという気持ちも薄れてしまった。
「いいのよ、ジェイソン。……皆の事、宜しくね」
そろそろ来い、とダークが声を掛けてくる。アンジュは唇を噛み、それでも決心が揺らがないうちに彼の方を振り向いた。
ボストークの軌道を離脱し、ガイス・グラの魔手を逃れた後、ダークは作業船の格納庫に戻る前に一同に言った。
「今日のような事がこれ以上起こると厄介だ。お前たちも、連中に敵意を向けられるのは望むまい。故に、誰か一人を俺たちの傍に置いておく必要がある」
それは、誰か一人を人質としてダークギルドと共に生活させる、という事を意味していた。今回ジェイソンが彼らを捕縛しようとしたように、人数的に優位のこちらが彼らに奇襲を掛ける事を防ぐ為だった。
最初は千花菜が指名されたのだが、そのような事になればそれこそ伊織や祐二が暴走するだろう、と判断し、アンジュが自分から代わりに名乗り出たのだ。
人質とはいえ、危険はそれ程ないだろうと思った。ダークギルドも、訓練生たちを敵に回す事の危険性を把握している故にこのような措置を取ったのだし、ジェイソンらもこれで当分大人しくするだろうから。
無論、理屈ではない怖さがあるのは否めなかった。だが、ならばこそ後輩にこの役目を押し付ける訳には行かない。
「ダーク君……」廊下を歩きながら、アンジュは彼に声を掛けた。
「何だ?」
「あなたたち、私たちが保護された後で連合軍に捕まる事を恐れているの?」
これは、最初に確認しておかねばならない事だ。アンジュたちの不安は、ダークたちがこの船に「囚われている」と認識する事だった。それでは、今回のように旅の終わりに近づく度にいざこざが発生するかもしれない。
囚われた彼らが反乱するかもしれない。それが、ジェイソンをあのような狼藉に走らせたのだ。そしてその気持ちを、アンジュは全否定出来ない。
「……恐れる必要は、もうなくなった」
ダークは、ぼそりと呟くように答える。
「私を捕まえたから?」
「いや。当分、この船での旅が続きそうだからだ」
そんな希望のない事を言わないで、と口に出しかけたが、アンジュはそこでぐっと押し留めた。
無責任な事は言えない。恐らく今、誰もが予想している事だろう。敵は、反乱を起こしたブリークス大佐の一派に留まらないかもしれない。これから先、自分たちは人類生存圏のあらゆる地で似たような攻撃を受けるのかもしれない。
禁忌を冒すような気持ちで起動させた正体不明の船ディベルバイス。それは一体、これから行く先々でどのような目を向けられるのだろう。現在情報操作や命令の権限を掌握し、連合軍を操る事の出来るブリークス大佐。敵にした相手が、あまりにも悪すぎる。
「……あなたたちにとっては、都合のいい事でしょうね」
アンジュはつい、皮肉めいた口調になってしまう。それは、不吉な想像を否定しきれない事の裏返しだった。
「確かに連合軍は、俺たちにとって敵だ。だが俺たちには、成すべき事がある。過激派の手も迫っている以上、ドラゴニアを使う必要も出てくるだろう」
「まあ、仲良くやろうぜってこった」
後ろを着いてくるサバイユは現金なもので、差し迫った危機が去った瞬間に態度を軟化させていた。「別にあんた、ダークの好みそうな女でもねえし。保険以外に他意はねえよ」
「……サバイユ」
ダークが鋭く彼の名を呼ぶ。サバイユは肩を竦め、「口チャック」の仕草をした。
「あの無能な男に、船に居る全員に射撃訓練を施させるよう促せ。それから、作業船ガンマを小型攻撃艦として魔改造する」
独り言かと思われるような小さな声で、それは黒髪の少年の口からぼそりと呟かれた。その台詞に、アンジュは「えっ?」と小さく声を出す。
「スペルプリマーは五機しかなく、パイロットは一度登録されたら変更する事は叶わない。無能者が当たってしまえば、俺たちは終わりだ。慎重に運用していく必要があるが、それでは戦力が間に合わん」
「そ、それって……」
「第一二五代護星機士団独立部隊……軍隊として、訓練生を編成しろ」
「それは、宇宙連合への反逆行為です!」
アンジュは思わず足を止め、叫んだ。
その途端、ダークは勢い良く振り返り、こちらの肩を掴んで顔を近づけてきた。
「大きな声を、出すな」
「ダ、ダーク君……」
「最悪の事態になってからでは遅い。そして今、事態がその”最悪”に近づきつつある事を、お前たち自身も分かっているはずだ」
──一体、自分たちが何をしたのだろう。宇宙連合とラトリア・ルミレースの戦争の裏で、誰の、どのような思惑が動いているのだろう。
アンジュは正体の分からない、見えざる敵の視線に、全身に寒気を感じた。
⑧渡海祐二
格納庫に戻り、私服に着替えた時、またどっと疲労が襲ってきた。視界で、様々なものの境目が溶け合い、ぼんやりしたような気がする。
遂におかしくなったか、と思ったが、すぐにこれが普通なのだ、と気付いた。スペルプリマーを操縦している間、あまりにも様々なものが見えすぎていた。視力が良くなったのではない、知覚による情報収集力が鋭敏化されたのだ。
この疲労は、前回気を失った時のようなスペルプリマーによる反動ではない気がした。脳や神経を含む、体の疲れではない。心の中に重石を投げ込まれたかのような、思考をネガティブにするようなメンタルへの損傷だ。
千花菜の父親を手に掛けてしまった。護星機士を殺すだけでも心が痛みそうだと思ったのに、最初に命を奪った相手がよりにもよって綾文のおじさんだった。
これから千花菜に、何と言ったらいいのだろう? いや、恐らく僕はこの事を、彼女に話す事は出来ないだろう。
だがそれで、彼女が父親への懐古を何かのタイミングで口にしてしまったら。
もしいつか、何かの拍子に全てが明らかになったら。
そう考えると、気が重いなどでは済まなかった。
縄梯子を降り、暗澹とした気持ちのまま格納庫を出ようとした時だった。
「祐二君」
スペルプリマー二号機の下から、不意討ちの如く声が飛んできた。
驚くより先に、不用心だった、と後悔した。格納庫に入った際、中から鍵を掛けるのを忘れていた。鍵穴に、差しっぱなしのまま放置してしまっていた。
「な……何で……?」
振り返ると、カエラ・ルキフェルが二号機の足元に立っていた。
「安心して。私、入ってからちゃんと鍵を掛けたから」
ほらね、と彼女はスカートのポケットを探り、取り出した鍵をじゃらじゃらと鳴らす。僕は、何も言葉が出なかった。
「お願い祐二君。誰にも、この事は言わないで」
「………」
彼女はこちらに近づいてくると、にっこりと微笑む。
その笑顔は、観客に振り撒くアイドルのものではなく。
僕には──聖母のように感じられた。