『破天のディベルバイス』第3話 見えざる敵⑦
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アンジュ先輩からスペルプリマーの格納庫の鍵を借り、僕は駆け込む。ここに来る途中、廊下でテン先輩が数人の生徒に問い詰められている現場を目撃した。
自分たちは何故、誰に攻撃を受けているのか。救助はどうなったのか。テン先輩はそれらの問いに答える術を持っていないようだった。彼自身、起こっている現象を理解しているからこそ、起こっている”事態”が把握出来ていないのだ。そんな状態で生徒たちに、これ以上の周章狼狽を起こさせない事が出来ようか。
やがて彼はユーゲントたちからの連絡を受け取ったらしく、生徒たちに背を向けてインカムを強く押さえた。その顔が絶望の色に染まったのを、僕は確かに見た。
──早く、何とかしなければ。
僕は縄梯子をするすると登り、コックピットに滑り込む。前回は縄梯子を落としたせいで出る時に落下したので──宇宙服と重力制御のお陰で怪我はなかった──、今度はしっかりとコックピット内に引き上げた。
私服を破り捨てるように脱ぎ、備え付けのパイロットスーツに足を通す。本来は宇宙服ではなく、これを着て操縦すべきらしい。
座席に座り、起動キーを回す。円く開いた肩甲の辺りに前回同様筒状のコネクタが打ち込まれるが、以前よりも痛くはなかった。あのダウンロードのような現象はもう起こらなかったが、視界が開けたような気がした。コックピット内にあるあらゆるものや、スペルプリマーの起動に対応するかのように開いていくカタパルトデッキへのシャッターの向こう、ガイス・グラが威圧するように浮遊する宇宙の星々などが、一つ一つ鮮明に見える。
何と表現したらいいのだろう、視線を動かす度に、大量の情報が頭に流れ込んでくるようだ。だが、それで脳がキャパオーバーになるような事はない。一つ一つが、正確に意味のある形として処理されている。
スーツのお陰だろうか。前回もスペルプリマーを操縦した時、頭の回転が異様に速くなったような、自分が機体と一体化したような感覚を感じられたが、これでそのシンクロ率のようなものが上がったのか。
『祐二君、聞こえる?』
自動的にブリッジとの通信も繋がり、僕は慌てて「はい」と応答する。
『レーダーの反応では、敵は二機だけよ。ガイス・グラ本体は、追撃してこない限りこっちから攻撃はしなくていいわ。ディベルバイスはこれより進路をリージョン二方面に変更、メタラプターの射撃を回避しつつ衛星軌道を離れる。祐二君は船体周囲を飛行しながら、波状攻撃で交戦してちょうだい』
「アイ・コピー。……スペルプリマー一号機、行きます!」
宣言し、駆け出す。ガイドラインをなぞってカタパルトに飛び乗り、軽いGに身を委ねる。その間にもディベルバイスは回頭を始め、正面に陣取っているガイス・グラがたちまち視界から外れていく。
射出と回頭が、スペルプリマーに弓形の軌道を与えた。僕はそれに逆らう事はせずに、自動的な旋回と共に宇宙空間に飛び出す。進路を変更し、進み出したディベルバイスを追撃しようとする敵の一機をスコープに捉えた。
刀を抜き、翼を狙う。僕たちに明確な敵意を向けているとはいえ、相手は連合軍なのだ。可能な限り、護星機士を手に掛けるような事はしたくない。
(爆発させないように、エンジンを切り離さないと)
いや、違うな、と思った。
機体を爆発させてしまったら、飛び散る護星機士の炭化した肉片や臓器の欠片を、この目で見る事になるだろう。そう思った時、トラウマが刺激されそうになって僕は慌てて首を振った。
余計な事を考えてはいけない。このようなタイミングで兄の末路を思い出してしまったら、もう戦えなくなるかもしれない。スペルプリマーがあまりにも無意識的に操縦出来るので、戦闘中だというのに雑念が過ぎる。
僕の心中の作用力動を読み取ったかのように、メタラプターのもう一機が背後からミサイルを撃ってきた。ロックオンされた事を示す警告が表示され、振り向こうとした瞬間、最初にターゲットを付けた機体も機銃を放つ。大砲が撃たれたような爆発音に、僕はひやりとした。
どちらを狙って防御しても、もう一方でスペルプリマーは爆砕される。咄嗟にそう判断し、僕は逆立ちをするように機体の下半身を持ち上げた。それと同時に、重力のバリアを展開する。
ミサイルと機銃の弾が圧し潰され、爆散。爆炎を避けるように、二機のメタラプターは急上昇してきた。
……ひとまず、最初の目標は達成した。二機は確実に、ディベルバイスから遠ざかっている。僕はガイス・グラが先程の位置から動いていない事を確認すると、ディベルバイスの左側の壁に張り付くように高度を下げた。刀を上段に構え、回転しながら急降下してくるメタラプターの一機を捉える。
斬れる、と思い、宙空を蹴るように飛び出した瞬間、僕は不思議な高揚感を味わった。
スペルプリマーを起動した時のように、全てのものが見え、全ての情報が在るべき形に完結されるような。それが僕を、ある種の”境地”に到達させたかのような興奮を血液に注いでくる。刀を軸に、宇宙が「斬るべき位置」へと収斂する。
「う……おおおおおおっ!!」
裂帛の気合いと共に、僕は刀から赤黒い閃光の緒を曳き、メタラプターの翼を思い切り切断した。慣性に引かれそのまま突っ込んでくる機体を、脚部を振り上げて蹴り返す。飛行の術を失った機体はくるくると回りながら上昇していき、やがて脱出レバーが引かれたらしく座席が放出された。
刀を振って金屑を払い落とした時、コックピットの下から現れたタブレットに「アクティブゾーンに突入しました」というメッセージが表示された。
次の敵は、と思った瞬間、動いたのは相手の方が先だった。
背後から、戦闘機の腹で体当たりするかのようにメタラプターが張り付いてくる。これでは斬れない、と思う間もなく、至近距離で榴弾が拡散した。
腰の辺りを断続的に撃たれ、脚部の制御が効かなくなる。全身に、あらゆる方向から絶え間なく衝撃が掛かってくる。こちらの足が抜けそうな震動の後、また急に押し出すようにして解放された。
僕は、敵方に主導権を完全に奪われていた。向き直ろうと旋回しかけた時、また重砲が飛んできて脚部を痛め付ける。何故コックピットを狙わないのだろう、と思った途端、僕の中で更に感情が燃え上がった。
「愚弄して……!」
脚部が機能を回復するのも待たず、僕はスペルプリマーを加速させた。歩行ユニットなど、陸から離れてしまえば飾りに等しい。
僕の無茶な動きに驚いたのか、メタラプターが一度距離を置こうと後方に下がりかけた。だが、僕はそれを逃がさず、突きを繰り出して機体の腹を貫いた。
接触により、簡易的ではあるが有線通信での会話が可能になる。
「あなた方は一体何なんですか? 今あの船には……ディベルバイスには、子供しか乗っていないんですよ。ユーゲントの人たちも困っています、救助して下さい。ブリークス大佐はどうして……」
敵機からは返事の代わりに、空気が漏れる間の抜けた音が響いた。パイロットが脱出しようとしているらしいが、上手く行かないらしい。僕が脱出装置を貫いているからだ、と思った時、またエアーの音。
馬鹿にしている、と思った時、僕は考える間もなく重力を発生させ、すぱりと機体を両断していた。火花を散らし、今にも爆散しそうな後部が離れていくと、刀を手前に引いてコックピット付近まで切り裂く。
「ねえ! 何とか言って下さいよ!」
『……君』
掠れた声が、微かに伝わってきた。
「えっ?」僕はその声に聞き覚えがあるような気がして、思わず耳を澄ます。
『祐二君……やっぱり、君の声だ……!』
「あなたは……?」
僕は、パイロットスーツの手袋の内側が、冷たい汗でじゅっと音を立てるのを聞いた。高揚感が瞬く間に引いていき、代わりに背筋に震えが走った。
僕は……とんでもない事をしてしまったのではないか。
『綾文のおじさん……廉三だよ。良かった、無事だったんだな……』
綾文廉三──千花菜のお父さん。僕の兄さんの、義理の父親になるかもしれなかった人。
「おじさん……何、やってるんですか?」
本当に、そうだ。何をやっているのだ、このような所で。
千花菜の父親が連合軍に所属する護星機士である事は知っていた。ボストークの、地球圏防衛庁に詰めている事も。階級は少佐、火星の衛星ダイモスで戦線に参加していた僕の兄や、コラボユニットのシステムエンジニアを行っていた父と職場で顔を合わせる事はない為、千花菜から話を聴かないと実際に何をしているのかは全く分からなかった。
それが何故、こんな場所に居るのだ。何故、僕たちと敵対するガイス・グラに所属し、ディベルバイスを攻撃してくるのだ。
僕ははっと我に返り、ディベルバイスとの通信を切った。ブリッジには千花菜が居るのだ、この音声を拾ってしまったら彼女がどのようになってしまうのか、想像するに難くない。
『祐二君……逃げろ。ブリークス大佐は、その船……ディベルバイスを狙っている。千花菜は……そうだな、私は千花菜を止めようとした。だが、あの子の意志は固かった……祐二君、ありがとう。君はあの子を、守ってくれようとしていたんだね……私のたった一人の娘を』
僕ははっとする。綾文のおじさんたちは、ブリークス大佐から知らされていなかったのか。ディベルバイスに乗っているのがユーゲントたちと、僕たち訓練生だけだという事を。
では彼らは──僕たちの事を、何だと伝えられていたのだろう?
不吉な予感が、背筋の震えを増大させる。
『すまない祐二君……千花菜を、宜しく頼む……!』
彼が言い終わるか終わらないかのうちに、メタラプターの残骸が強く発光した。僕は反射的に刀を抜き、ダメージから立ち直った脚部を屈伸させて離脱する。
メインモニターが、光焔で塗り潰された。残酷な爆発音が、僕と彼とを永遠に分かつ残響の尾を引く。
操縦桿を握っていた僕の手が、だらりと椅子の横に落ちた。
その弾みに、幾つかのボタンを同時に押したらしい。謎のテキストが複数タブレットに表示され、ブリッジとの通信が復活した。
『渡海君、渡海君聞こえるか? 応答してくれ!』
ジェイソン先輩の声が聞こえ、僕は返事をする。
「……はい」その声は、自分でも驚く程生気がなかった。
『ビブロメーターの反応が一つ停止し、もう一つはロストした。やったんだな?』
「はい……追撃はないようです」
『よくやった! ガイス・グラが引き揚げていくぞ!』
僕はのろのろと首を動かし、ガイス・グラの方を見る。ブリークス大佐の船はゆっくりと回頭し、ボストーク方面へ引き返していくようだった。
「渡海祐二、これより帰投します」
──僕は、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。
千花菜の居る場所を、僕の居る場所、帰るべき場所だと思えない気がしたのは、これが初めてだった。