『破天のディベルバイス』第3話 見えざる敵⑥
⑥渡海祐二
ディベルバイスで地球を脱出してから、今日で五日目だ。ウェーバー先輩の読み通り、今日の昼前には宇宙連合総本部ボストークがレーダーに入る距離に到達するという。
休まず飛び続けて四日、という事だったが、実際ディベルバイスは何度か地球、不可住帯に降下していた。メンテナンスとエナジー確認の為だ。それで尚予定通りという事は、ディベルバイスの推進力が僕たちの計算を遥かに上回っていたという事だ。相変わらず動力源は不明だが、今のところ警告らしきものは一度も表示されていないので、心配する必要はないのだろうか。
僕はこの四日間、不安に苛まれている訓練生たちに限界が来る事、ダークギルドが反乱を起こす事を懸念していたが、どちらも杞憂に終わりそうだった。個人的な心配と言えばスペルプリマーに搭乗した事による「精神構造が回復不能になる」事だったが、それらしい兆候は未だ表れていない。慢性疲労のような怠さは相変わらず抜けないが、これも急を要するようなものではない。保護された後、病院で一回検査を受けてみよう、と思っていた。
「ボストークへの接近はある意味賭けでもあるわ」
アンジュ先輩は、ブリッジに居る僕──スペルプリマーのパイロットとなった故、僕はユーゲントたちの話し合いに頻繫に呼ばれるようになった──に言った。
「可能性は僅かなものだとはいえ、ボストークが制圧されている可能性だってまだゼロになった訳じゃない。一応、伊織君たちにも機銃室で待機して貰うように言ってある」
「僕も、スペルプリマーに乗った方がいいでしょうか?」
「いざという時は、お願いする事になるわね。でも、体は大丈夫?」
「まだ、おかしな事は起こっていません」
「そう。でも、無理はしないでね。今と少しでも変わった事があったら、すぐに私たちに言うのよ」
「アイ・コピーです」
僕は、ブリッジのユーゲントたちを見る。シオン先輩、テン先輩、ジェイソン先輩の姿が見えない。シオン先輩は機銃室の生徒たちを監督しており、テン先輩は生徒たちの誘導に向かっているようだが、ジェイソン先輩はどうしたのだろう。
「アンジュ先輩、ジェイソン先輩がリーダーなんですよね?」
尋ねると、彼女は何とも複雑な笑みを浮かべた。
「一応、そういう事になっているわね。でも話し合いはユーゲント皆でするし、最終的な決定も民主主義的な多数決になるし……名義上ってところかしら」
「それでも、到着した時にブリッジに居ないのはちょっと……」
「ふふっ、そうね。でも、何処に行っちゃったのかな?」
「アンジュ先輩たちも、聞かされていないんですか?」
僕は目を見開く。その時、ヨルゲン先輩が声を上げた。
「前方に船影発見! 識別信号……宇宙連合軍。系列はGG、ガイス・グラ」
ユーゲントが、わっと沸いた。ラボニ先輩やティプ先輩は拍手すらしている。
「テンに伝えましょう。こっちからも艦内放送で流さなきゃ」
ラボニ先輩が言い、早速通信機を操作し始める。彼女が「一旦静かに」と一同に言っても、なかなか歓声は止まなかった。
当然だろう、僕たちは今までずっと、ガイス・グラは沈められたものと思っていたのだ。ラトリア・ルミレースがリバブルエリアを襲撃した時点で、ブリークス大佐の生存は絶望的だと。だが、今この船のヒッグスビブロメーターは、狂いのないその感度でそれを拾い当てた。
これも、ディベルバイスの起こした奇跡なのか。いや、ディベルバイスの存在を含めた〝宇宙のご都合主義〟的な、ある種の運命なのだろうか。
「向こうに信号を出す。……あー、こちらユーゲント。聞こえていますか?」
ヨルゲン先輩は、ヒッグス通信を送り始める。
「私は護星機士ヨルゲン・ルン、他ユーゲント八名、護星機士訓練生六三二名……民間人の未成年者九人、当方に乗船しています。保護を要請します」
「距離、五キロメートルまで接近」ウェーバー先輩が短く言う。
「繰り返します。所属不明船となっているでしょうが、我々は宇宙連合軍、ユーゲントです。未成年者を大勢乗せています、保護をお願いします」
段々と、僕の位置からでも前方の窓に船が見えるようになってくる。向こうも接近しているらしい。こちらの通信は繋がっているのだ。
あと少し、ほんの十数分で僕たちは解放される。
全員宇宙服着用、とアンジュ先輩が指示を出した。
「ガイス・グラ、応答お願いします。私たちの保護を……」
「百メートルまで接近」
その時、既にその巨大な船体が目視で分かる程になっていたガイス・グラのカタパルトで何かがキラリと光ったのが見えた。
「救助が来る……?」
思わず口に出した時、それが射出された。
何故か、そこで僕はざわざわという胸騒ぎを感じた。それは刹那の違和感から始まり、たちまち鳥肌となって全身に広がっていく。
あれはケーゼ──いや、UF – 2ではない。
「UF – 8、メタラプター……!?」
ラボニ先輩が驚いたような声を上げた時、窓のすぐそばまで突進してきたその戦闘機が大きく旋回し、上の方へと消えた。何事か、と思う間もなく、轟音と共に船が震動する。それは、五日前ラトリア・ルミレースの月面制圧部隊と戦った時に受けた衝撃と同じだった。
「何!?」
「攻撃された!?」
「三階の外壁に被弾! メタラプターのミサイルによるものです!」
ウェーバー先輩が叫び、誰もが静まり返った。
「嘘……だろ? 救難信号は出したし、通信も入れた。連合はそれを分かった上で、俺たちを攻撃してきたって事かよ?」
「しかもメタラプターって……」
高機動中型強襲戦闘機、宇宙連合軍親衛隊専用機。ドラゴニアなどのSF系空母とUF系戦闘機の技術を両方取り込んだハイブリッド、メタラプター。
それは、安全保障理事会議長の身辺警護で大佐以上の階級を持つ将校が使用する、いわば虎の子だった。ブリークス大佐が司令官に抜擢されたこの戦争に於いて、投入されたという話は聞いていない。
誰もが固まる中、二度目の衝撃が船を襲う。先程よりかなり強い。アンジュ先輩が足元を浚われ、僕の方に倒れ込んできた。他の先輩たちも、各々机や壁にしがみ付いている。
「被弾箇所、船尾の展望デッキ!」
ウェーバー先輩が再度声を上げ、至近距離で見えるアンジュ先輩の顔からすっと血の気が引いたのが分かった。僕も、同じ顔をしているのだろうか。
ディベルバイスの全長は約一キロメートルもある。その船尾に被弾して船全体が揺れるとは、さすがの高火力と言うべきか。
「先輩! 防御システムは何かないんですか!?」
僕が叫ぶと、ヨルゲン先輩は片手でシステムを操作する。
「戦艦はそもそも、接近して戦うものじゃないからな……!」
「だから、メタラプターなんかが造られるのよ!」
ラボニ先輩は、もう駄目だというように金切り声を上げた。
実物を見たのは僕も初めてだが、宇宙船や戦闘機の種類については既に教わっていた。メタラプターはケーゼを含むどの戦闘機よりも飛行速度、機動性に優れ、敵が接近した瞬間に懐に飛び込み、その火力で殲滅する。親衛隊仕様という事で、敵が如何なるものであれ要人には近づけない、という理念が反映された機体だと言えるが、コストが掛かるので量産には向かない。
ブリークス大佐らは、僕たちがディベルバイスという強力な戦艦に乗っている事を知ってメタラプターなどを送り込んできたのだろうか。という事は、彼らはディベルバイスが何であるのかを知っている人間なのか。
それ以前に、何故僕たちを攻撃してくるのか。サウロ長官の話では、ユーゲントに託され輸送命令が出されたこの船は、連合の機密事項だそうだ。という事は、これはまさか、口封じというものなのか。
船を動かし、奇跡の産物としか思えないシステムを幾つも暴いた僕たちを消そうとしているのか。ならばそれは、誰の意志なのだろうか。地球圏防衛庁の総意だとしたら、僕たちはどうなるのだろう?
「設備確認の時、何かあったはずなんだ……この船に、もっと何かが……!」
ヨルゲン先輩の声が、一瞬上擦った。呼吸が止まったような沈黙がコンマ数秒あり、そして「これだ!」という声と共にキーが音高く押された。
次の瞬間、また船を震動が襲う。だが、それは先程よりも小さかった。アンジュ先輩はそこで我に返ったように僕から体を離し、仲間たちの方を見る。
「ウェーバー、被弾箇所は?」
「ありません。これは……ヨルゲンさん、あなた何を?」
ウェーバー先輩は、少し落ち着きを取り戻したようにいつもの冷静な声で尋ねる。ヨルゲン先輩はふっと息を抜いてから答えた。
「パーティクルフィールド、ディベルバイスの防壁らしい。重レーザー砲に使われる熱エネルギーは宇宙空間から採集される粒子らしいが、それを重力操作で並べて、少しずつエネルギーに転換しながら壁を作る……って、何言っているのかさっぱり分からないな」
「とにかく、凄い緻密な重力操作とエネルギー変換が行われるって事ね」
「一箇所で長時間は使用出来ないらしいがな。ディベルバイスで四つ目のトンデモだな」
少しはこのままで時間が稼げるだろう、と彼が言うので、一同はひとまず落ち着いて座り直した。僕とアンジュ先輩だけは立ったままだったが、足元がぐらつくような事は最早なかった。
「それで……一旦状況を整理しよう。今俺たちは連合軍のメタラプターから攻撃を受けている。ガイス・グラは俺たちの救援要請を黙殺し、それどころか敵対を選んだという事だ」
ヨルゲン先輩が言うと、小柄なティプ先輩は上体を目一杯彼の方に伸ばすようにしながら応じた。
「という事は、僕たちは……?」
「……宇宙連合軍は、俺たちの敵となった」
突如、入口の扉の方から声が聞こえた。全員の視線がそちらに集まると、何とダークがブリッジに入ってきていた。
「お前……!」
ヨルゲン先輩は立ち上がりかけたが、すぐにまた腰を下ろした。ダークが、ジェイソン先輩にヘッドロックを極め、その頭に銃口を突き付けている。その後ろでは、サバイユが千花菜の手を後ろで組ませ、手の甲に血管が浮かび上がる程の力で押さえ付けていた。
「千花菜!」僕は叫ぶ。
「祐二……」彼女は、弱々しくも笑みを浮かべている。
「ダーク君、二人を離しなさい!」
アンジュ先輩が、足を震わせながらも毅然と言った。が、ダークはそれに軽蔑するように鼻を鳴らして報いた。
「最初から痛め付けるつもりはない。このようなつまらぬ男など」
そして徐ろに、ジェイソン先輩をこちらに押し付けるように投げた。投げられた先輩は咄嗟に受け身を取ったが、その拍子に腰を痛めたらしい、目を剝き出すようにして呻いた。
サバイユも、千花菜を放り出す。僕は手を差し出そうとしたが、彼女の方は自力で床に踏ん張った。
「ジェイソン、お前何やったんだよ?」
ヨルゲン先輩は今度こそ立ち上がり、彼に駆け寄る。アンジュ先輩と二人掛かりで助け起こされた彼は、恐怖心からか腰の痛みからか、涙目だった。
「もうすぐボストークに着くから、彼らを拘束しておこうとしたんだ。綾文君は比較的彼らに信用されているようだから、彼女に格納庫を開けさせて……」
「二人だけで行こうとしたの?」
ラボニ先輩は、呆れたようにジェイソン先輩を睥睨する。
「いや、廊下で擦れ違った数人に協力させて。でも、綾文君は違う。私が何も言わずに、格納庫を開けて欲しいとだけ言ったんだ。すまん、本当に!」
「本当ですよ……全く」
千花菜は、声を尖らせて言う。
「全く、何やってんだか」ラボニ先輩は心底呆れたようだ。
「おいいいかてめえら、俺とダークは今、すこぶる腹を立てている」
サバイユが、僕たちを脅すように腕捲りした。皆の空気が張り詰める中、ウェーバー先輩が静かに口を挟む。
「今、そのような下らないやり取りに時間を費やしている場合ですか?」
「下らないだと?」
サバイユがまたいきり立つが、ダークは左手を挙げて彼を制する。
「この件については、お前たちにも覚悟していて貰う。だが、今神経を向けるべきは轍鮒の急だと思うが?」
彼が言った時、また狙ったようなタイミングで轟音が響く。
ウェーバー先輩は、今度は動じずにダークに目を向けた。
「あなたは今し方、宇宙連合軍が我々の敵になったと言いましたね?」
「それ以外に、何の説明のしようがある?」
「ブリークス大佐は私たちを攻撃している。ですが、それが誰の意志に基づく行動なのかは分かっていません。彼の独断なのか、防衛庁のサウロ長官の指示なのか、もしくはその上、安全保障理事会からの命令か。すぐに判断するのは危険です」
「じゃあ、どうやって調べろって言うんだよ?」
サバイユは何処までも喧嘩腰だ。「おい、祐二!」
「ぼ、僕?」急に馴れ馴れしい呼び方をされ、僕は面喰らった。
「お前、あのロボット動かせるんだろ? 外に居る奴は敵みたいだから、やっつけて来いよ」
「待ってよサバイユ。相手はガイス・グラよ」
千花菜が止め、ほぼ同時にウェーバー先輩が
「それよりも、まずは混乱を収束させる事が先決です。安全確保の為、衛星軌道から遠ざかる事を提案します」
と言った。
「月軌道に入って逃げるって事ですか? でも、過激派が……」
「ここなら、月自体とは距離があります。ガイス・グラが健在である以上過激派は、こちらまで接近してくる可能性は低いと考えられますが」
「逃げて、それからどうする?」
ダークが、鋭い口調を維持したまま尋ねる。
「最寄りのコラボユニット群に向かいます。駐在している連合軍の対応で、宇宙連合が私たちとの敵対を選んだのか否かが分かる」
「ここからだと……リージョン二?」
マリー先輩が応じ、ティプ先輩は「悪くないんじゃないかな」と言った。
「ディベルバイスから、防衛庁に直接連絡する術はない。宇宙船同士の通信回線しかないしね。リージョン二のユニットに行けば、HMEも電話も使えるかもしれない。ネットに書き込めたらもっといいし……」
「よ、よし。そうしよう」
ジェイソン先輩は言うと、きょろきょろと皆を見回した。その視線が、窓の外に飛ぶメタラプターを捉え、彼はひっと悲鳴を上げた。
「ななな、なんだあれは! 我々を攻撃してきた機体は、船尾の方に居るんじゃないのか!?」
「二機目が現れたって事は……」
アンジュ先輩が呟いた時、メタラプターがミサイルらしきものを翼の下から露出した。それが炎を噴き始め、マズい、と思った瞬間ヨルゲン先輩がまた何処かのボタンを押す。
窓の外に光の壁のようなものが出現した。ミサイルはそれに当たると爆散し、こちらには微弱な震動のみが届く。これがパーティクルフィールドらしい。
僕は助かった、と思いながら、先程アンジュ先輩が言いかけた事を考える。
メタラプターの操縦許可が与えられているのは大佐以上。現司令官がブリークス大佐である以上、彼に貸し出された機体は一機のみのはず。無論部下の護星機士に操縦させる事も可能だが、二機目が現れたという事は、この一件が大佐の独断である可能性は低くなった。
「……今は、衛星軌道からの安全な離脱を考えよう」
マリー先輩は、恐怖を抑えるように拳で胸を押さえながらそう言った。
「渡海君、スペルプリマーで敵を引き付けられる?」
「け、結局戦うという事か?」ジェイソン先輩が狼狽える。
「離脱する為には、それがいちばんだと思う。パーティクルフィールドも、一箇所で継続しては使えないんでしょ?」
「し、しかし……」
「……その女の言う通りにしろ、渡海」
ダークが、僕の方に銃口を向けてきた。千花菜が咄嗟に僕の前に立ち塞がろうとしたので、僕は慌てて引き止める。守るのは、僕の方だ。
「……分かったよ。あのメタラプターたちを追い払えばいいんだろう?」
「祐二君、お願いしていいわね?」
何処か申し訳なさそうに、アンジュ先輩が言ってきた。口ではそう言いながらも、まだ逡巡が抜けない、というように制服の袖口を指先でもじもじと弄っている。
僕は、何でもいいから皆が安心して欲しい、と思い、無理に微笑んだ。
「任せて下さい、先輩。でも……」ダークの方を向き、つい余計な事を口に出してしまう。「人に何かを頼む時、いちいち銃を向けるのはやめてくれないかな」
どうも昨日から、僕は忍耐心が薄れてきているな、と感じる。
ダークは何も言わなかったが、やがて微かに鼻を鳴らした。