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『破天のディベルバイス』第3話 見えざる敵⑤

 ⑤綾文千花菜


「ごめんね千花菜ちゃん、結局毎日になっちゃって」

 小麦粉を練っていると、能義(ノギ)万葉(カズハ)が話し掛けてきた。千花菜は手を止めず、顔だけを彼女の方に動かす。

「いいのよ、私料理するの好きだし。アンジュ先輩も、ボランティアやっていいですかって言ったらOKしてくれたし。でも、全部引き受けたら係決めした意味がないから程々に、って事だった」

 壁に貼り出された四日間の食事当番表を見、千花菜は「へへへ」と笑う。総勢六五〇人分の食事を用意するには、一食だけでも材料も手間も大変だ。三十人ずつIDが並んだ隅の方に、手書きで「25990104」と付け足されているのは、千花菜がボランティアとして四日間当番たちの監督に当たる事を意味している。

 一日目の夕食は、自炊訓練で最初に行ったカレーを作る事になったが、初日のメンバーになった恵留たちの腕は、見てきた事ではあったがあまり上手いとは言い難いものだった。

「場合によっては、おかずが暗黒物体の日もあるかもね……」

 万葉が言うと、向こうで味見をしていた恵留が「酷ーい!」と抗議した。

「万葉ちゃんだって、得意な訳ではないんでしょ?」

「恵留ちゃんのは規格外でしょ。野菜、塩水に潜らせただけなのに何で炒め始めて塩の玉が浮いてくるのよ?」

 あんたたちの班だけ遅れているよ、と言われ、彼女は唇を尖らせる。

 千花菜は苦笑せざるを得なかった。

「恵留、中学校までの調理実習全部欠席したって言ってたもんね。それで合宿の時私と同じグループで自炊して、私のを見て(とど)めを刺されたっていうか……」

「止め?」

「だ、だってお母さん、あたしに絶対料理するなって言うんだもん……」

「本当に小さい頃から酷かったのね。で、私も合宿の時」

「あの頃の千花菜ちゃんは、見た目よりも中身って感じだった」

「……それ、料理だけの話よね?」

 千花菜は、ジョークで傍にあった包丁を手に取る。

「そういうとこだよ千花菜ちゃん!」

「冗談だってば。普通でしょ、幼馴染は男の子ばっかりだったし」

 祐二に、その兄の嘉郎さん。彼ら兄弟を始め、祐二が引っ込み思案で──今でもそれは解消されていないが、幼少期は更に酷かった──嘉郎だけと遊んでいる時は、その仲間たちとも千花菜は交流した。

「喋らなきゃもっと美人なのにな、って伊織君が言ってた」

 恵留は、むくれて視線を逸らしたまま言う。

「そんな事言ったの、伊織?」

「伊織君こそ、ああいう陽キャの女好きですよ、遊び慣れてますよ、みたいな気配がなければもっとモテそうなのに」

「伊織がモテたら、恵留が困るでしょ」

「何言ってんの!?」

 彼女が顔を赤らめる。万葉は「何このガールズトーク?」というような目付きで千花菜たちを見ていたが、そこでやっと再び会話に入った。

「それでそれで、合宿で何があったの?」

「千花菜ちゃんが暗黒物体を拵えた。でも、ちゃんとシチューの味がして美味しかった」

「見た目を華やかにするのは苦手だったんだよー。レシピ通りよりもアレンジを加えた方が、もっと風味とか舌触りとかが良くなるって分かってるから。で、見た目を犠牲にする事になった」千花菜は言う。

「練習して、視覚とそれ以外が両立するようになったのはつい最近」

「あたしは、千花菜ちゃんに料理を教わるべき時期を間違えた」

「なーるほどねえ……」

 万葉が納得したように肯く。程度の差はあれ料理初心者は他にも沢山居る。少しずつ慣れていくしかないよね、と千花菜は思う。

「そろそろ恵留たちもいいんじゃない? 火を止めて、鍋ごとカエラの方に持って行って」

「私じゃないわよ、今交替したところ。フランツ君と」

 カエラ本人から話し掛けられ、千花菜は振り返る。先程まで彼女が立っていた場所で、目の落ちくぼんだ猫背の男子生徒が代わりに配膳を始めようとしていた。並んでいた男性陣からブーイングが上がり、彼は「何でだよー」と抗議している。

「アイドルスマイルで配膳していたもんね、カエラ」

「無愛想よりはいいでしょ?」

「でも良かったの、アイドルだったって明かしちゃって?」

 恵留が、鍋を持ち上げながら尋ねる。

 カエラは、既に本名を全員に公開していた。ユーゲントと話し合う中、うっかり千花菜たちが彼女の事を「カエラ」と呼んでしまい、先輩たちから「彼女はミシェルでは?」と尋ねられた。

 ごまかそうとしたところカエラが本名と、かつて「プレシャス・プレジャーズ」のセンターだった事を明かした。ジェイソン先輩が「偽名を使っていると何かと問題が起こる」と言い出し、マリー先輩が「彼女の事情もあるんだから」と宥め、意見が対立しかけた時彼女自身が「本名で呼んで下さい」と言った。

「顔も変えていないんだし、どうせ気付いている人は気付いているんだから。変に気を遣わせたりするのも嫌だし、自分がミシェル・ルーシだって言うのも、何か違和感あるし」

 当然この事を公表すると、やはり少なからずファンが居たようで、同級生の中に彼女が居るとは思っていなかった者、似ていると思いながらも本人だとは思わなかった者、気付いていながら気を遣って言い出せなかった者などから、彼女は質問攻めに遭ったようだった。

 だが、やはり大半はグループを知らないか流行を過ぎたら忘れたかで、彼女が生活に支障を(きた)す程の事態には陥らなかった。

「元アイドル、今は普通の女の子。これでいいじゃない。引退後のあるべき姿に落ち着いたって感じがする」

 カエラはあっけらかんとしている。時々商業用の笑顔を見せるなどはするが、歌ってみせたりなどのサービスは「引退しているから」という事で出来ないらしい。無料イベントになっちゃう、と。

「ところで千花菜、あなたは何を作っているの?」

 彼女は、後ろから手元を覗き込んでくる。千花菜はよく見えるように、体を横にずらした。

「デザートのわらび餅。わらび粉がないから小麦粉で代用しているけどね」

「わらび?」

「リージョン五ではよく売っているのよ。ジャパニーズ・スイーツだもん」

「懐かしいなあ」万葉は頰を緩める。「よく知ってたね、作り方」

「意外と簡単だよ」

 黒蜜ときな粉があるか不安だったが、前者は黒糖があったのでそれを溶かし、後者は豆を煎って砕いて作れそうだ。元からあればいいのだが、と思いつつ厨房の片隅をほぼ自分の独壇場にしていると、「おーい」と配膳台の方から声を掛けられた。

 もう一度見ると、祐二と伊織がフランツからお盆を受け取りながらこちらに手を振っている。「デザート楽しみにしてるぞー!」

「大声はやめて、伊織! 何か恥ずかしい!」

 叫び返しながら、千花菜は約一日ぶりに心が落ち着いている気がした。

 急かされるように作り上げた突貫工事の秩序だが、案外悪くないスタートかもしれない、と感じた。


          *   *   *


 訓練生たちの分をよそい終わった鍋の残りを一つにまとめ、食器やわらび餅と一緒にワゴンに載せて作業船の格納庫に持って行く。いきなり開けたら驚かれると思ったので、一応ノックした。

「ダーク、居る?」

「……何だ?」相変わらず、無愛想な声。

「夕食持ってきたの。入るよ」

 伊織や祐二は念の為自分たちも着いて行くと言ってくれたが、千花菜は断った。日中彼らがここから出てくる事はなく、特に何も起こらなかったが、確かにまだ油断は出来ない。が、警戒しているのはお互い様だ。これから起こるかもしれない戦いに彼らの力が必要となるかもしれない以上、早期に和解せねば。

 そう言うと伊織は反発し、それを油断と言うのだ、と力説した。そこには彼自身、まだダークギルドを許せないから、という理由も感じ取られた。

 無論、千花菜も彼らに腹は立てている。だが、昨夜ブリッジで話し合ったように、四日のうちに反乱を起こされたりしては堪らない。

「まだ、入って良いと言った覚えはない」

 千花菜が足を踏み入れると、ドラゴニアの外に出ていたダークが言ってきた。

「入らないと、ご飯を渡す事も出来ないじゃない」

「断る。ドラゴニアとて、携行食を用意していない訳ではない」

「勿体ないでしょ、残したら。それに作り立ての方が美味しいよ。大丈夫、毒なんて入っていないし、誰も持ってすらいないから」

「………」

 ダークが黙り込んでいると、ドラゴニアの扉が開き、双子のトレイとケイトが顔を出した。無邪気そうな顔をしたケイトの方が、「綾文ちゃーん」と手を振ってくる。千花菜は意図して微笑み、小さく片手を左右に動かした。

「あんまり食べたくないなら、こっちはどう?」

 千花菜は、わらび餅を差し出す。尚もダークは沈黙を続けた。

 困ったな、と思い始めた時、ケイトが跳ねるような足取りで近づいてきて、さっと皿からわらび餅を手掴みで取り、口に入れた。

「ちょっと、ケイト……」

 トレイが言いかけるが、ケイトは聞かず「美味しい~っ!」と小さく叫んだ。

「ダーク、食べなよ!」

 隣の皿のものも手掴みし、少し俯いたダークの口に突っ込む。彼は眉を潜めながら咀嚼したが、やがてぴくりとその眉を上げた。

 ひとまず良かった、と思いながら千花菜は身を翻す。「食べたらワゴン、廊下に置いておいてね」

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