『破天のディベルバイス』最終話 天を破す⑨
* * *
ブリークス大佐がデスグラシアに戻り、ワームピアサーを用いてボストークへ引き揚げて行くと、木佐貫議員は僕たちを往還シャトルに乗せた。
「誠に厚かましい事ではありますが……」
出発の前、彼は徐ろにこう言った。
「皆さんに、お願いしたい事があるのです。私が、そのような事を許される立場でない事は、承知の上で」
「お願い?」僕たちは首を傾げる。
「エスベック・フィードバックを緩和するよう、現在調整が進んでいる最後のフリュム船、豊沃のカシヴァルスがあります。灰緑色の船体を持つ船で、スペルプリマーは人型三機が配備されています。……フリュム計画は潰えました。しかし、まだ人類生存圏の危機は去った訳ではありません。皆さんを、外宇宙の調査隊として派遣したいのです」
議員の言葉に、一瞬誰もが固まった。先程までのショックから立ち直れない者たちは、更なる衝撃を与えられたかのように座席に沈み込む。皆は、やっと助かる、家に帰る事が出来ると思っていただけに、一様に顔を曇らせた。
僕は、仲間たちの表情が再び暗鬱なものに変わっていくのを見ると、胸にむらむらと怒りが湧き上がってくるのを感じた。そして、自分でも自覚しないうちに声を荒げていた。
「ふざけないで下さい! この期に及んで、またそんな……」
「身勝手すぎます」
僕に続き、千花菜も声を上げる。それを合図にしたように、絶望したような表情で黙り込んでいた生徒たちは次々に叫び始めた。
「そうだ!」「もうごめんだ!」「俺たちを甘く見るな!」
「……そう思われますよね」
木佐貫議員は、寂しげに呟いた。その口調に若干の焦燥が感じられ、僕は自分の中で怒りが急速に萎んでいくのを実感する。代わりに萌したのは、新たな疑問と戸惑いだった。
その時、伊織が発言した。
「……それが、木佐貫さんなりの俺たちへの措置ですか? これからボストークに起こる事から、俺たちを守る為に」
「えっ?」
僕も、声を荒げていた生徒たちも、皆揃って彼の方を向く。彼は「教えて下さい」と、尚も議員に詰め寄った。
議員は逡巡するように視線を彷徨わせた後、意を決したらしく口を開いた。
「月面の、宇宙連合軍の最終防衛ラインが破られました。私の放送が、セントー司令官らを刺激したようです。同時に、ブリークス大佐が前線に居ないと発覚した事も。バイアクヘーを始めとするラトリア・ルミレースの艦隊は、明日のうちにボストークへ到達するでしょう。
同時に、フリュム計画の関係者は目下順次逮捕されていますが、情報庁長官のモランを始めとする一部の者たちが、あなた方訓練生の学籍記録、及びディベルバイス輸送に参加していたユーゲント十名のIDリストと共に姿を消しました。彼らは現宇宙連合の崩壊を待ち、その後暫定政権を樹立してラトリア・ルミレースの残党を叩くつもりのようです」
「だから俺たちにも追手が掛かる、と」伊織は呟いた。「それぞれが故郷であるリージョンに逃げても、必ずその追手がやって来る」
「私は残された時間で、泡坂室長と共に全てを首相官邸に報告します。そして、必ずモランを捕らえる。きちんと罰を受けたら……デスグラシアを用い、あなた方を見つけ出して迎えに行きます。それまで……」
「木佐貫さん……」
「私に出来る事は、これが限界です。あなた方の命と自由を、直ちに両立させる方法が見つからなかった。セントー司令官を止める事は、ブリークス大佐が取るべき責任です。しかし……敵を刺激したのは、私だ」
議員が目を伏せると、伊織は首を振った。
「しかし、あなたが覚悟を決めてくれなかったら、俺たちはデスグラシアに……ブリークス大佐に殺されていた。そして、それ以前に俺は、仲間たちを自分の手で死に追いやってしまうところでした」
ありがとう、と彼は言う。その言葉を聞いた時、僕たちの中に萌していた憤懣や絶望が、ゆっくりと氷解していった。
「そしてもう一つ……」
恵留が、控えめに口を開いた。
「カシヴァルス、じゃないです。あたしたちの船の名前は、ディベルバイス」
宇宙の果てを超え、人間に知覚出来る限界を切り裂いて進む船。天を破す機械。
破天のディベルバイス。
皆がそれに肯くと、木佐貫議員はそこで堪えていたものが決壊したかのように、泣き笑いの表情を浮かべて言った。
「……そうですよね」
* * *
十二月二日。僕たちは、木佐貫議員が密かに手配してくれた往還シャトルで、無人となった月面都市オルドリンに集まった。そこには、デスグラシアで土星圏まで移動した議員が、最速で調整を済ませ、ワームピアサーで運んで来た最後のフリュム船が停まっていた。
豊沃のカシヴァルス、改め、ディベルバイス。
ボストーク近郊では、夜明け頃からラトリア・ルミレースの残党と本庁配属の護星機士団が戦闘を開始したらしく、もう僕たちは接近出来ないという事だった。ここ月からでも、地球の方で無数の光が瞬いているのが見える。それがビームや、機動兵器が爆散する光焔だという事は想像に難くなかった。
昨日、僕たちを乗せたロケットはボストークへは帰らず、各々が故郷であるユニットに送られた。そこで乗組員たちは、半年ぶりに顔を合わせる事の出来た家族と再会を喜び合い、今までの事、そしてこれからの事を話した。
僕と千花菜もユニット五・七に帰り、それぞれの家族と対面した。半ば家出同然に訓練課程に入学した僕も、母に涙ながらに迎えられた。
「祐二……母さんが、どれだけ心配したか……!」
僕の父と兄──夫と長男を立て続けに亡くした母は、リバブルエリア壊滅の報を受けて、僕までもが宇宙で命を散らせたと思っていた。だから、僕の生還を心から喜んでくれ、もう何処にも行かないで、とまで言ってくれた。僕が勝手に出て行った事を責めようともしなかった。
僕も、そのまま家に帰りたいと思った。実際聞いた話によると、フリュム計画の残党に追われる事になったとしても構わないとして、二代目ディベルバイスへの搭乗をキャンセルした者も居たそうだ。だが、僕は溢れそうになる気持ちを抑えながら母に言った。
「母さん、僕は……もう、人間じゃなくなってしまった。それでも、生き延びる為に戦ってきたんだ。兄さんを追ったからでも、千花菜にただ着いて行った訳でもないんだ、僕は自分の意志で、ここまでやってきたんだよ。だから……最後まで、それを貫かせて欲しい」
母はそれに、暫らく黙ったまま何も言わなかった。だが最後には、「必ず帰って来るのよ」と言って、そっと僕を抱き締めた。母と子には、それで十分だった。
第五次舵取り組には、第一次と同じくユーゲントが抜擢された。選挙の結果、代表はアンジュ先輩となった。彼女の事は、最早誰もが許していた。
ウェーバー先輩は故郷の病院で集中治療を受け、一命を取り留めたそうだ。だが、彼はこの外宇宙への旅に加わる事の出来ない容体だった為、苦肉の策として戸籍上死んだものとして扱われ、保護されるのだという。
「祐二君、伊織君」
出発前、僕が廊下で伊織や千花菜、恵留と話していると、アンジュ先輩が声を掛けてきた。彼女は新たな責任を負い、些か緊張しているようだったが、それでも今度こそ、という決意を感じさせる顔になっていた。まだ先輩は、ダークへの未練を完全に断ち切れた訳ではなかっただろう。だが、自分たちに新たな希望が生まれた以上、彼との再会は未来に託したようだった。
「何ですか、先輩?」
伊織は今までと同じように答える。先輩はそれで、少し安心したようだった。
「この船のスペルプリマーをあなたたちに任せたいと思っているの。……私は、これ以上モデュラスを増やしたくはない。私たちが外宇宙へ出たら、その位置を特定出来るのはデスグラシアだけよ。だから多分、もう戦う事はないと思うけど……外宇宙は未知の世界よ。私たちの常識では測れないわ」
「了解しました」
僕と伊織は、口を揃えて答える。僕たちの反応が即座すぎたからか、アンジュ先輩は逆に少々虚を突かれたような表情になった。
「えっと……いいの?」
「それが俺たちの、船に対する役目であれば。個人的な役目なら……」
伊織は、ちらりと恵留と視線を交わす。僕と千花菜もお互いを向き、微かに肯き合った。絡んだ視線は、今まででいちばん昔に近く、自然で柔らかかった。
先輩はそっと目を細め、微笑んだ。
「そう思える人が居るのは、いい事よ」
ありがとう、と彼女は言い、ブリッジへ引き返して行く。
僕は千花菜と向き合い、まだ明かせていなかった事を口に出した。
「……千花菜」
「なあに?」
「全部話しちゃうとね……僕、最初にボストークの近くでガイス・グラと戦った時、千花菜のお父さんが乗ったメタラプターを、撃墜してしまったんだ」
僕の言葉に、伊織と恵留ははっと息を呑んだ。千花菜は一瞬目を見開き、微かに俯いて唇を噛んだが、すぐに口を開いた。「そっか……」
「それで僕は、ずっと君にどう接していいか分からなかった。守るって思っていたのに、それが揺らいでしまった。中途半端に接するようになってしまった……」
「……そうだったんだ」
千花菜は寂しそうに言ったが、すぐに顔を上げた。
「でも私、祐二の事、許すよ。それで、全部分かった……私が祐二でも、多分言い出せないと思う」
「ごめんね、千花菜」
それでも、僕は謝る。それは僕自身の、一つの区切りでもあった。
「カエラが私を襲った夜、祐二が言ってくれた事は、絶対に嘘じゃない気持ちだって思うから。自惚れじゃないよ。だって私……私が祐二の事、何年見てきたと思っているの?」
「……そうだよね」
僕は、深い達成感と共に息を吐いた。
これで、僕は本当に、自分自身に決着を着ける事が出来た。一つの旅の終わりであり、また新たな始まりでもあった。
『皆さん、おはようございます。改めまして、この船の船長を務めさせて頂きます、アンジュ・バロネスです』
船内放送から、アンジュ先輩の声が響いた。いよいよ出発だ、と思った時、廊下に居る皆は表情を引き締め、ブリッジの方に向かって敬礼した。
『ディベルバイスはこれより、エンジン起動、上昇フェイズに入り、ワームピアサーを発動します。目的地、外宇宙。地図もない場所だけれど……私たちは、そこが、今ここに見える星の明かりが届かない世界だったとしても、恐れない。必ず、皆でまたここに生還するわよ』
「ウィ・コピー!!」
生徒たちの声が一つになる。
直後、船の深い場所からエンジン音が微かに届き、船体がゆっくりと浮上を開始した。月が、そして彼方に見える衛星軌道での戦闘の光が、次第に遠ざかっていく。未練を振り払うかの如く、ディベルバイスが回頭して、その光も僕たちの死角へと消えていく。
ワームピアサーが使用されたらしく、震動と共に周囲に闇が広がり始めた。それを切り裂き、向こう側へと突き抜けるように、船は一直線に突入していく。
僕は千花菜の手を、強く握り締めた。
⑨木佐貫啓嗣
一連の事件の後、泡坂と共に全てを公表した木佐貫は、他のフリュム計画関係者らと共に、国際裁判に掛けられる事になった。しかし、その裁判が本当に行われるのかどうかは、非常に疑わしい。
ブリークス大佐は計画への関与を隠蔽されたまま、引き続き総司令官として、ボストークに接近するバイアクヘーと交戦を行った。しかし、前日からの戦闘で疲弊していた事、また常闇のデスグラシアによってエスベック・フィードバックを受けていた事も手伝い、半ば錯乱した彼の船はたちまち撃沈された。
ボストークが攻撃を受け、炎上する中、木佐貫は首相ら上層部と共に脱出し、リージョン一方面へ逃れた。宇宙連合が機能を停止し、降伏を受け入れざるを得なくなった時、行方を晦ましていたモランは木佐貫の予想通り、ユニット一・五に暫定政権を打ち立て、あくまで彼らと争い、陥落したボストークを奪還する事を宣言した。民衆たちも、彼がフリュム計画の関係者だったという事を忘れたように熱狂し、彼を支持した。
木佐貫は顔を隠し、逃亡する中でニュースを見た。自分が計画を公表するという決断に至った、最大の要因である彼──最後に少しだけ、自分と心を通わせる事が出来た名もなき若者が、戦争犯罪人として公開処刑される様を。そして、自らも実感する事になった。何処までも追って来る新政権の刺客から逃げ続ける事が、どれだけ過酷で、苛烈を極める事なのかを。
デスグラシアは、土星圏開発チームの浪川らと連携して敵の手から守られる場所に隠した。モランの追手が、外宇宙に旅立ったあの少年少女たちに襲い掛かる事はもうないだろう。
今では、自分が彼らの経験した状況に立っているのだ、と木佐貫は思った。
奇跡では救われないから、戦わねばならなかった事。何があっても、どのような苦しみの渦中に居ても、生き延びねばならなかった事。生き延びる事こそが、自分の役割となった。
そして、変動する世界の行く末を見続け、いつか彼らを迎えに行く。それまで、決して自分は、解放されてはならないのだ。
* * *
木佐貫は時折、彼らの夢を見る。夢の中の彼らは闇の中を進み、まだ見ぬ星を発見し、人智の及ばないような事物を見ては、驚き、恐れ、笑っていた。時に星の存在しない暗礁に差し掛かっては、励まし合いながら進み続けていた。
それはきっと、重力によって、空間を隔てた誰かに信号を届けられるようになった彼らの呼び掛けなのだ、と、木佐貫は信じてみる。
宇宙の向こうに居る生命が、私はここに居る、と主張するように。
ハロー、そこに、あなたは居ますか、と。
(破天のディベルバイス・終)