『破天のディベルバイス』第3話 見えざる敵③
③渡海祐二
スペルプリマーの警告に表示された「同化」「精神構造を回復出来ない」「登録」という気掛かりな言葉を口に出しかけ、僕は慌てて口を噤んだ。
下手な事を言わない方がいい。千花菜も恵留も、アンジュ先輩までが聴いているのだ、不安にさせてはいけないし、責められるかもしれない。何より、僕が危険を冒してしまったのなら、それを知った上で誰かが同じ事をするのは、嫌だった。
「何なの? 警告って何?」
千花菜がそう尋ねてきた時、いきなり船内から荒々しい足音が響いてきた。
何だ、と顔を上げると、伊織や彼と一緒に選出された射撃組と思しき訓練生たちが、肩を怒らせて入ってくるところだった。
「伊織……」
「この悪党が!」
自動扉のレールの辺りで床を蹴って跳躍した伊織は、徐ろにダークに向かって拳を繰り出した。ダークは頰を強打され、大きく仰反る。
「伊織君!」「何しやがる!」
恵留とサバイユが、同時に声を上げた。ダーク本人は殴られた箇所を押さえているが、何も言わなかった。
「何しやがる、はこっちの台詞だ。お前たちのせいで死にかけたんだぞ、俺と祐二は!」
「伊織」僕は、意図して硬い声を出した。
「まさか、本当に殴るとは思わなかった」
「祐二、お前……大丈夫か? 怪我とかは?」
「してないよ。少し、疲れて倒れたけど、それも十分くらいだ」
「あんまり無茶しすぎんなよ」
バーデに作業船で特攻を掛けた君に言われたくない、と思ったが、軽口を言っていられる雰囲気ではない。
ダークが上体を起こし、射撃組から恐れるような声が上がった。
「何だよ……俺たちが助けたの、半グレ野郎たちだったのか……」
「しっ、あんまり下手な事言うな。あいつ、銃持ってやがるぜ」
「うわっ、だからさっさと離脱すべきだって言ったのに」
「でも、アンジュ先輩が……」
ごほん、と咳払いする音が谺した。音源に皆の視線が集まり、咳払いの主・アンジュ先輩はやや顔を赤らめる。が、すぐに宣言するように言った。
「皆疲れていると思うので、お開きにします。明日から色々決めなきゃいけない事もあるし、今日は部屋に帰って。食糧は大事に食べる事。余計な事は考えない事。スペルプリマーとダーク君たちの件は、我々ユーゲントが話し合います。祐二君、夕ご飯の時、一緒にブリッジに来てね。これからの事を決める為にも、あなたには色々と聞かないといけないから。あと、ダーク君も」
「断る」ダークは無愛想に返す。
「あなた、『断る』を最初に付けないと喋れない訳?」
ラボニ先輩が尖った声を出すが、アンジュ先輩は「いいから」と制した。
「じゃあ、あなたたちはどうするの?」
「ドラゴニアに居る。ここでな」
「それは駄目。スペルプリマーには、今のところ誰も触らせられないわ」
アンジュ先輩は腰に両手を当て、悪戯をした生徒を叱る先生のように言った。千花菜がそろそろと蟹歩きで彼女に近づき、先程中から格納庫を開けた鍵を手渡す。
「ブリッジに来ないのはいいから、せめてガンマの格納庫の方に移ってちょうだい。ここは施錠するから」
「……仕方あるまい。俺たちは信用されていないらしいからな」
ダークは、仲間たちの方に顎を向ける。彼らも、渋々というように肯いた。
「くれぐれも、おかしな事は考えない事だ」
「お前が言うなよ!」
伊織は、相当怒っているらしい。僕は、また彼がダークに飛び掛からないよう、後ろから接近して服の裾を掴んだ。
千花菜が、格納庫内に着艦したガンマを向こうに移動させるべく、また乗り込もうとしている。ダークギルドも、ひとまず大人しくドラゴニアに戻っていく。シャッターが再度開き、二隻の船が外に出ていくと、
「ほら皆、帰った帰った」
ラボニ先輩が一同を廊下の方に押し戻し、お開きになった。
* * *
レーションの袋とペットボトルを持ってブリッジに向かおうとすると、何故か伊織と千花菜、恵留、カエラも着いてきた。どうしよう、と思ったが、アンジュ先輩から了承が得られたので、彼らも話し合いに立ち会う事になった。
「……さて、と。まず聞かせて欲しい事は、アンジュが君の口から聞いたという『警告』の存在だ。それを、ちゃんと話して欲しい」
ちゃっかり唐揚げ弁当を持ってきたジェイソン先輩が、雑に割った割り箸をこちらに向けてきた。ウェーバー先輩が、「行儀が悪いですよ」と窘めるのを聴き、最近聞いた事があるような会話だな、と僕は思った。
「……はい。『警告』についてなんですが、スペルプリマーを起動した瞬間に表示されたんです」
僕は、変わらず友人たちが聴いているので、先輩たちにだけは正直に伝えようか、などと思っていた考えを打ち消した。
僕に対して過剰な心配をさせないように、だがそれで生徒たちを危険に巻き込まないように、細心の注意を払って言葉を紡ぐ。
「警告の内容は、まずスペルプリマーに搭乗すると無意識領域に『刷り込み』が行われる……一瞬のうちに、手続き記憶として操縦方法がインプットされる事、それが急激な情報の転送である故に、脳に負担を掛ける事。僕が戦闘が終わった時に倒れてしまったのも、その反動だと思います。そしてもう一つは、搭乗者の生体情報が登録される事。恐らくスペルプリマーは一機につき、パイロットになれるのは一人までなのではないでしょうか?」
「という事は、もうあの……一号機は、渡海君にしか動かせないと?」
「はい……他の人が乗った時に何が起こるのかは、分かりませんが」
なかなか上手く言えたのではないだろうか、と僕は心の中で評価する。
僕自身、スペルプリマーのパイロットに課せられるペナルティについて把握出来ていない。精神構造が回復不能になるという不吉な一文があったが、それが疲労を意味する言葉なのかも定かではない。気絶から覚めた後も何だか体が怠い気がするので、慢性疲労を引き起こすという意味なのかもしれないが、早期に断定してしまうのは危険だろう。
僕が機体についてもう少し知るまで、スペルプリマーには誰も乗るべきではない。それが自分で下した判断だが、その為の言い訳として「登録」という言葉からの連想は最適だ。
「もしまた敵が来たら、祐二君に戦って貰う事になるかもしれない。当分の間は、祐二君一人に任せざるを得なくなるかも。それでも、大丈夫? ……な訳はないよね、ごめんなさい」
アンジュ先輩に頭を下げられ、僕は沈黙の間口に入れていたレーションの欠片を慌てて水で流し込んだ。
「大丈夫です。僕は戦っている間、そこまで辛くはありませんでしたから」
伊織たち射撃組も頑張ってくれましたし、と続けると、何故か伊織とシオン先輩は顔を伏せた。どうした、と聞こうとすると、それよりも早く伊織が口を開いた。
「武装はどうだったんだよ? あの波紋みたいなバリアと、黒い斬撃を放つ刀は一体何だったんだ?」
「そうだ、それも聞いておかねばならなかった」
ジェイソン先輩は、左手の甲を鼓の如く拳で打った。僕は、今度は嘘を吐かなくていいので正直に話す。
「小型の重力操作システムが、スペルプリマーにも固有に付属しているみたいです。掌から出たバリアは、異常重力によって、機体の掌を中心に形成される重力場内に入った物体の時間の流れを遅らせ、止めた後に圧潰させるもの。刀も同じように、触れた敵を圧し潰す事で斬るようです。その際に生じる黒い光は、空間の歪みが可視化されたものらしいですね」
これ程長く喋ったのは久しぶりだ、と思いながら、舌を動かす。少し喉が渇き、また水を口腔内に注ぐ。
「緻密な重力操作だな。やはり、ディベルバイスのシステムと同様のものか……」
「その異常重力は、祐二君には負担にならないの?」
「はい、極めて限定的な範囲にのみ重力場が発生するようで、コックピットはその外ですから。ただその分、懐に入られると弱いんだと思います」
「なるほどな」伊織が、気付いたように箸を開閉する。「何でスペルプリマーが近接格闘戦に特化した人型なのか分かったよ」
「何で?」
「重力が武器だからだ。質量と重さは混同されがちだけど別物だ、ヒッグス粒子に重力が与える影響はまだまだブラックボックスだけどな。遠隔で重力を操作すれば、宇宙の通信環境が目茶苦茶になっちまう。まだまだ民間では、光通信の方が主流なんだから」
「因みにだけど、スペルプリマー自体の通信はヒッグス通信なのよね?」
千花菜は確認するように言い、言うまでもなかった、と恥じらうように手の甲を額に当てた。
「そうじゃなきゃ、ディベルバイスと通信出来ないんだった」
「でもなあ、不思議だよな」
テン先輩が、アンジュ先輩の使用していた小型ヒッグスビブロメーターを顎で指し示す。
「最小サイズSD系の船のスペースを、従来なら半分近く占拠するヒッグスビブロメーターが、戦闘機より一回り以上小さいスペルプリマーに搭載出来るサイズまで小型化されているなんて。研究費も開発費も、馬鹿にならないレベルだろ。しかもディベルバイスは、宇宙連合の機密だったっぽいし……」
「財政に用途不明金があったはずだって事? それは確かに……ねえ。サウロ長官に直接聞いてみない限り、分からないんじゃないかしら」
ラボニ先輩が答え、一同に重い空気が下りた。
それを口に出した本人であるラボニ先輩は、居心地悪そうに縮こまる。僕たちが忘れていた──否、わざと考えないようにしていた事が、誰の頭にもはっきりと浮かんでしまったようだった。
「長官……私たちの事、見捨てたのかな……」
マリー先輩がぽつりと言い、ブリッジの空気は一瞬にして重くなった。
一応、先輩たちも訓練生の一部も、登録されている電話番号でボストークに救助要請を出しているのだ。だが、こうして半日が経過しても何の返信もない。
「まさかブリークス大佐、本当にやられて……宇宙連合総本部、落ちたんじゃないのかなあ……」
「ま、まさか。それなら、セントーの部隊がまだ月面に居るはずがないでしょ。夕方に襲ってきた奴らだって、月面制圧部隊だって事は間違いないはずだし。他の連中がボストークに直行したなんて……」
アンジュ先輩は僕たち後輩を安心させるように言うが、無理をしている事はよくわかった。恵留が、上目遣いに彼女の方を見上げる。
「さっきのが残党狩りだった可能性は?」
「………」
空気は増々重くなる。
と、その時千花菜が、恵留の背中をバンッ! と叩いた。
「ネガティブな想像しても始まらないでしょ。真相を確かめる為にも、私たちはボストークを目指さなきゃ」
「それは、そうだけど……」
「先輩方、明日からのプランも話し合うんでしたよね? ボストークに着くまで、どれくらい掛かりそうなんですか?」
「そうねえ……また月との往還軌道を通るのは危険そうだし。そこを通れば一日も掛からないんだけど、過激派も夕方の事で警戒しているだろうしね。ウェーバーが言うには、地球の裏側をぐるっと回ってボストークを目指すルートがいちばん安全なんじゃないかって。慎重に行く事を考えて、ちょっと多めに見積もったら四日……掛かると思う」
アンジュ先輩が言うと、ウェーバー先輩は「但し」と注釈した。
「これは一度も止まらずに飛び続けた場合です。ディベルバイスが何を動力に飛行し続けているのかは分かりませんし、稼働可能時間も不明です。何故か、見える場所に記されておりませんので。適宜、不可住帯に降下して様子を見ながらボストークを目指す事になると思います」
「その間、船内の生活リズムを乱さないようにしないとね。不安が続けば体調不良者も出るかもしれないし……まず明日は船内の探索と、食事、掃除当番を決めようと思うの。保存食やレトルト食品は非常時の為に取っておきたいし、持ち込まれた食糧に意外と生物も多かったしね。自炊、訓練課程の最初の方でやると思うけど」
「はい! 私、料理得意です!」
千花菜が小さくガッツポーズをし、硬直していた空気がやや和らいだ。
「それから射撃組、今日のメンバーだけに任せるのも何だし、訓練の成績が低かった子たちにも練習して貰う必要があるよね。あとはダーク君たちが、ユーゲントの方針にどれだけ従うかだけど……」
「現状が孤立無援である以上、私たちに従うしかないと思いますけどね」
「でもな、千花菜。常に気を付けておかなきゃいけないぜ。ボストークに着けば、あいつらは宇宙海賊だ。何らかのペナルティが課される事は、あいつらにも分かっているはずだ。その前に反乱が起こったら……」
伊織が言い、僕も確かにそうだな、と唇を噛む。考えるべき事は山程あるのだ。まだ船内の秩序も、完全に構築された訳ではない。自分たちを守ってくれる奇跡すらも含め、全てが手探りの状態で、形を作るしかない。
奇跡とは、上等な素材なのだ、と思った。料理でも工業製品でもいいが、何かを作る時、幾ら素材が良くても、それを最終的に加工し形にするのは作り手だ。
まず、この四日間を生き延びる事。
それが、僕たちの最初の目標だ。