『破天のディベルバイス』最終話 天を破す②
②渡海祐二
辛うじてコックピットが原型を留めているエインヘリャルⅡに乗り込むと、アンジュ先輩はエンジンを掛けようとした。だが、操縦はおろか再起動する事すら出来なくなっている。落下した際、制御系を打ち付けすぎたようだ。
「駄目……ですか」
僕が言うと、先輩は「ごめんね」と謝ってくる。僕は「気にしないで下さい」と返したものの、内心の落胆は抑えられなかった。
デスグラシアは、左舷の一角に巨大な穴を穿たれていた。崩壊した箇所は崩れてワームバリアに吸収され、ブリークスが損傷を広げる事を防ごうとしたのか穴の周囲に黒い膜は展開されていない。船体そのものが漆黒である為、中から光が漏れていないと遠くからでは何処までがバリアなのかよく分からない。船の色は単なる「常闇」の名に合わせたデザインのみならず、ワームバリアの穴をカモフラージュするという意味もあったようだ。
ディベルバイスは、反撃とばかりに放たれたデスグラシアの艦首砲に右舷側を掠められていたが、それでも前進する事をやめない。伊織が、ブリークスを生け捕りにしようとでも考えたのか、外壁の穴から内部に人員を乗り込ませ、攻撃を仕掛けるつもりのようだった。
「……私、伊織君をどうしたらいいのか、分からない」
アンジュ先輩は、ぽつりと呟いた。彼女の視線の先では、損壊したディベルバイスの外壁に敵戦闘機が群がり、空中で静止していた。敵も、船内に直接護星機士を投入しての攻撃に入るようだ。
元々、ブリークスたちはディベルバイスを”破壊”ではなく”捕獲”しようとしているようだった。最終的にこのような作戦が採られるのは、考えてみれば当然だったが、追い詰められる仲間たちの気持ちはどのようなものだろう、と想像すると、一刻も早く駆け付けねばならないような気がした。
僕は、アンジュ先輩の言葉に肯いた。伊織の戦いは、次第に消耗戦になりつつあるようだった。彼は、何としてでも集団としての船を守り抜こうとしている。その一方で、船に居る皆の命を削る事は出来ない、とも思っている。誰かを犠牲にしたら、その分だけ彼は傷つく。だが、降伏という形での戦いの終わりは、ブリークスによって僕たち皆が殺されるという事を意味していた。
伊織はいずれ壊れてしまうだろう、と思った。結局、全ての犠牲を止める事は出来ないのか。僕たちに襲い掛かる敵は、それ程に絶望的なものなのだろうか。それが分かっていて尚戦う事に、僕は皆、伊織と同じなのだと考えた。
皆、生き延びる為に戦っている。死の淵を、その向こう側へと突き抜けようとしている。その行為を、僕は否定する事が出来ない。ならば、伊織のしている事は「正しい」といわれる事なのか?
(正しく回って、誰かが傷つくのが世界の本質なら……)
「……彼と、話をしたいです」
僕は、正直に口に出した。
「伊織をどうする事も、僕には出来ません。どうにかしよう、なんて、誰かの意思に介入しようとする事こそが傲慢なのかもしれない。伊織は……少し遠くに行ってしまったような気がするけれど、僕は彼の事、まだ友達だって思っています。ジェイソン先輩やアンジュ先輩が、今までスペルプリマーに乗っていたユーゲントを、敵だとは思えなかったみたいに」
「祐二君……」アンジュ先輩は顔を上げる。
「彼は今、一号機と一緒に僕が死んだと思っているでしょう。それで彼が、心を痛めているのなら……まだ僕の言葉は、届くと思います。だから彼と話して、お互いに抱え込んだ気持ちを、少しだけでも共有出来たら……」
僕が言うと、アンジュ先輩は数秒間沈黙した後、
「……そうね」
彼女自身も気持ちに整理がついたらしく、引き締まった声で言った。
「私も、色んなショックを経験した。機体に閉じ込められた事、モデュラスになった事、ウェーバーに殺されかけた事……目の前で、ベルクリが死んでいった事。ねえ、祐二君。私が最初に戦った時、あなたに言いかけたのはね、伊織君が星導師オーズの命を狙った理由なの」
「えっ?」僕は、唾液を嚥下して先輩の次の言葉を待つ。
「オーズに助けられて、私、ラトリア・ルミレースの存在理由を聞いたわ。彼はフリュム計画上層部によって、連合の敵対者としての役割を与えられた人。表沙汰にしたらスキャンダルになりかねないフリュム計画を、安全に公表する為の布石。フリュム船は、連合を転覆させた後のラトリア・ルミレースが、ルミリズムの一環として作り出した箱舟。……その為に、宇宙戦争を操っていたの」
「……それじゃあ、宇宙連合は、この戦争に負ける予定だったと?」
「連合を解体してでも、人類の為に行わなければならない計画だと、シャドミコフ議長は思っていたらしいわ。だけど今大事なのは、そこではないの。……オーズはモデュラスだった、って言ったでしょ? 彼の本名は神稲シン、伊織君のオリジナルなんだって。……スペルプリマーの起動試験に登用された、第一世代のモデュラス。その中に居た双子、伊織とシンのうち、訳あって生み出された後者のクローンが……私たちの知っている伊織君」
僕は、心臓が大きく跳ねたのを感じた。同時に、なるほどな、と思った。
火星圏での戦いから、僕たちはフリュム計画に深く入り込んだ。その中で伊織は、何らかの理由で連合のシャドミコフ議長らが進めている計画と、自分の正体について悟る事になったのだろう。
オーズを倒せば、フリュム計画の究極目標は瓦解する。そして、秘匿されているオーズの素顔を公開し、自分がそれと瓜二つである事を示した上で計画を公表すれば、僕たちを狙う勢力は失脚し、宇宙はディベルバイスの保護に向けて動き出す。連合もそれを促さざるを得なくなる。
「……伊織は」
僕は、余計な質問をせずにそう言った。
「ずっと一人で、それを抱え込んで戦おうとしていたんですね」
僕が伊織でも、この真実を皆に言う事は出来ないだろう。彼は最終的な公表の時まで、これを秘めておく事にした。そこまで何としてでも漕ぎつける為、船員たちの脅迫という手段を選んだのだ。
「祐二君。あなたの口から全部知っていると言えば、伊織君は独りじゃなくなる。きっと彼は、皆に真実を告げる事を恐れてもいるのかもしれない。それで自分がどう見られるのか、分からないから。……彼と話したいって祐二君が言ったの、間違いじゃないと思うわ。それで全てが解決する訳じゃなくとも、彼の心を、少しでも楽にしてあげられるように」
アンジュ先輩は僕の手を取り、噛んで含めるように言ってきた。僕は肯くと、ディベルバイスを見上げる。
「その為に、まず僕たちも船に戻らなきゃいけませんね。でも……もうスペルプリマーの制御系は壊れてしまっている。何か、方法はないでしょうか」
「そうねえ……」
アンジュ先輩は機体から飛び出ると、僕と有線通信を続けたまま機体の周囲を歩き回り、検分する。暫らくの後、彼女は戻って来て
「エンジンは無事そうね」
と言った。
「何とかして点火する事が出来れば、ディベルバイスの高度まで垂直に飛び上がる事は出来るかもしれない。そうじゃなくても、アイリ君たちに私たちの居る事を知らせられるんだけど……」
「その点火が、システムを通しては行えないんですよね……」
「真空中じゃ、手動で爆発を起こす事も出来ないわ」
僕は頭を捻る。ディベルバイスに移動されれば、僕たちが船に戻る事は不可能となる。その前にせめて、ケーゼ隊の二人に僕たちの事を知らせねば。
「信号を上げるのはどうでしょう? 光を出して、それが届けば……」
「光? 火を使わずに?」
僕は肯くと、考えながら発言した。
「エンジンを起動する為のシステムは死にましたが、エンジンそのものはまだ健在なんですよね。……伊織は船内の防火シャッターや格納庫のロック解除を、重力干渉で行っていました。恐らくフリュム船やスペルプリマーには、ナノマシンサイズのBMIが搭載されているのでしょう。モデュラスの捻出出来る重力出力であれば、感知して動かす事が出来るように」
「有り得なくはないわね」先輩は首肯する。「オーズも、ノイエ・ヴェルトのシステムをそうやって操作していた。あの船も、フリュム船ではないけどベースは同じらしいから……フリュム船はそもそも、重力出力の向上した新人類の為に造られた船のはずだしね」
「それでエンジン本体に干渉したら、機体を上昇させる事も可能なのではないでしょうか? 勿論、制御が出来ないので僕たちが乗る事は出来ませんが、この機体はこれ以上動かせば爆発します。打ち上げれば、信号弾の代わりを務めてくれるかもしれませんよ」
僕が言うと、アンジュ先輩は唇を噛んだ。憶測が過ぎたか、と反省しかけた時、彼女は「もしも……」と発言した。
「それを誰も見てくれなかったら、もしくは敵が最初に気付いてしまったら、私たちはおしまいよ。賭けとしては、危険なものに思えるけど」
「……先輩が、それを言いますか?」
僕は、意図的に笑みを浮かべた。
「さっきまでベルクリ先輩と一緒に、事象の地平面に行って戻ってこられなくなってしまうかもしれない作戦を立てていた癖に」
「でも……それは、私がユーゲントだから。後輩であるあなたたちを、命に代えても守らなきゃいけないと思ったからよ。今危険を冒そうとしている祐二君は、その後輩の立場じゃない」
「もう、先輩も後輩もありませんよ」
言いながら、僕の脳裏には千花菜の屈託のない笑顔が浮かんでいた。
「義務とか、責任とか、そういう聞こえのいいものじゃない。僕たちは、自分たちの意志で守りたいものの為に戦ってきた。船の皆に死んで欲しくないって気持ちは、僕も先輩も同じじゃないですか」
このような言葉を、衒いもなく本心から言えるようになったのも、僕自身の成長なのだ、と思った。もう僕は、誰かに流されるのでも、ただ引っ張って貰うのを待つのでもない。
守らなきゃ、という、一歩間違えれば呪いに変わってしまう義務でもない。それは千花菜が、一度カエラの件で躓いた僕に気付かせてくれた事だ。僕は、僕自身の意志を貫き通す。
「……分かったわ」
アンジュ先輩は肯くと、コックピットを出て外壁に触れた。僕もそれに従い、エンジンに近い位置に降り立って手を翳す。
行け、と念を込め、僕は感情を絞り出した。
モデュラス回路によって増幅された感情。外界からの情報収集能力。時には自分を凶暴化させてしまう程のものだったが、そのベクトルを正負どちらに向けるかは、僕たち個人に委ねられている。
元々、僕の中に渦巻いていた思念だ。そして人は、その感情を、その一時的な作用力動以上のものへ昇華させる事が出来るのだ。欲望が昇華して夢になるように。根源に生物的な本能を秘めた衝動に、愛と名前を付けられるように。
「……っ!」
隣で、アンジュ先輩も同じように気を込める。だがその表情は、隠しきれない程に苦しそうだった。彼女は、先の戦闘でエインヘリャルの重力捻出機構とされ、脳を絞られ続けたダメージが回復しきっていないようだった。しかし彼女は僕の視線に気付くと、心配するな、というように目配せしていた。
例のヘルメット型インターフェースがないので、僕には自分が重力を捻出出来ているのか分からなかった。それを機体で直接読み取るナノマシンタイプのBMIが、スペルプリマーに搭載されているか否かも理論上の考えに過ぎない。しかし、アンジュ先輩は先程、危険を承知で作戦の決行を認めた。その覚悟が無駄になるはずはない、と、僕は科学的にではなく確信していた。
何分、そうしていただろう。
実際にモデュラス回路が使われていた証拠なのかもしれないが、僕が頭に痛みを覚え始めた時、変化は起こった。
エンジンの噴出口に、紫色の淡い光が集まり始める。それは、エインヘリャルの接合部で発光していたものと同じ、スペルプリマーを起動した時に機体が発する光と同じだった。
(思念は、重力だ。それが光を生み出すのは、オカルトでも何でもない)
思った時、発光は次第に強くなり始める。エンジンの筒の中で小爆発のような音が響き、手を触れている部分が震え、熱を持ち始めた。
「アンジュ先輩!」「ええ、分かってる」
僕たちは手を離し、機体から数歩下がってそれを見届けた。
エンジンが、今にも破砕しそうな音を立てて震動した。噴射口から炎が見え、そこに紫色の光は集まり、絡みつくように一体化していく。行け、と、僕は心の中で叫んでいた。
エインヘリャルⅡの残骸は、バチバチと火花を立てながらも上昇を開始した。それはディベルバイス、デスグラシア双方がぶつかり合う高度を更に超え、遥か上空に上って行く。
そして──温かな、と感じるような光を散らし、爆ぜた。
デスグラシア周辺を飛行していた戦闘機の群れは、皆自然にその光を見上げ、それが消えると同時にゆっくりとイカルスの地表を向いた。