『破天のディベルバイス』最終話 天を破す①
①神稲伊織
「……ディベルバイス、全乗組員に告げる」
伊織は、声が震えないよう気を付け、艦長席の肘掛けをぎゅっと掴みながらマイクに声を放った。痙攣する指や腹に、ぐっと力を込めて息を絞り出す。
「先程、日付が変わって十一月三十日、午前零時四分、スペルプリマー一号機との通信が途絶した。機体の崩壊と地表への墜落、及び活動停止は、既にブリッジにて目視確認済みだ。……現時刻を以て、我々は主力であるスペルプリマーの全てを失った事となる」
一号機がイカルスに墜落した瞬間を、伊織は自分の目で見た。各パーツが破砕し、コックピットは潰れかけていた。そして通信が完全に途絶した時、止めを刺すかのような爆発が起こった。
(祐二……ごめん……!)
彼との関係の悪化については、分かっていた。作戦を優先するあまり、伊織はわざとそれを改善しようとしなかった。だが、彼は紛れもなく、自分にとって最良の友で在り続けたのだ。
その彼を、見す見す死なせてしまった。それも、あの機体に宿る本物の神稲伊織によって。怨念の化身と化し、全てを破壊しようとする敵対者となった、もう一人の自分によって──。
自分の作戦は、間に合わなかった。フリュム計画を挫き、彼の恨みを晴らす事は叶わなかった。もしも自分がオリジナルのシンであっても、同じ結果を導いていたような気がする。彼の命を奪ったのは、自分であるにも等しい。だが、今彼を悼んでいる時間はなかった。
伊織は息を吸い直し、続けた。
「しかし、希望を捨ててはいけない。同時に元々の計画通り、二号機を利用してデスグラシアの守りに穴を開ける事にも成功した。これから俺たちは、船をデスグラシアに接近させる。模擬対人戦の成績が上位の者を呼名するので、呼ばれた者は敵船への突入に備えるように。
ブリークスを捕虜にする事が出来れば、彼が月面での作戦に参加していない事の照明になる。戦闘データも記録済みだ、これはフリュム計画を明るみに出し、宇宙連合の悪事を暴く事に繋がる。……皆、諦めるな。ここまで戦い、犠牲となった仲間たちの為にも、俺たちは勝たねばならないんだ」
言い終えると、伊織は通信を切る。ほっと息を吐き出し、座席に沈み込みそうになるが、渾身の力で上体を支える。何とか、動揺を見せずに言い切る事が出来た、と思っていると、一人の男子生徒が声を掛けてきた。
「神稲、大丈夫か? その……渡海の事」
「……問題ない」
答えると、「そんな訳ないだろ」と別の生徒に口を出される。
「お前、本当にそれでいいのかよ? 渡海がやられちまったんだぞ、もっと心を痛めろ! 親友なんだろう!」
「それであいつが戻って来るなら、そうするさ!」
伊織はかっとし、怒声を叩き付けた。口を挟んだ生徒はびくりと肩を震わせ、黙り込んだままこちらを見つめてくる。伊織は我に返ったが、敢えて声を落とさずに続けた。
「ここでデスグラシアを倒さなかったら、皆を守れなかったら、命を張ったあいつの行動が全部無駄になる! そんな単純な事が、何故分からない? 何故それで、俺に着いて来ようとしたんだ!!」
相手がさっと紅潮し、何かを怒鳴り返す為か息を吸い込んだ時だった。
「デスグラシアの艦首砲に、エネルギー反応あり! 重力場の変化も始まっている、多分これは……主砲が放たれるね」
オペレーティングを続けていた女子生徒が、勢い良く振り返って言った。伊織に何かを言おうとしていた生徒は激しく咽返りながら、そちらを向いた。
「何だって?」
「射線予測だと、直撃コースみたい!」
伊織は歯を食い縛り、「船体を四十五度傾けろ!」と叫んだ。
「射撃組に、機銃室中央に密集するように指示を出せ。上部居住区画、倉庫や救護室を掠めるかもしれない。被害予想は?」
「ちょっと待って」
最初に報告した女子生徒は素早くキーボードを叩く。それが止まり、窓の外に見えるデスグラシアの砲口が更に輝いた時、彼女は鋭く息を呑んだ。
「敵の出力は分からないけど……美咲の居る病室の辺り、神稲が運び込まれた部屋の周囲に直撃するかもしれない」
「何……?」
嘘だろう、と口に出しかけ、ぐっと堪えた。
恵留が、巻き込まれるかもしれない。しかし、ここで回避せねばブリッジが潰される。迷ったが、心の中では「何を躊躇っているのか」と囁く声があった。俺はもう、恵留が目を覚ます事はないと、割り切ったはずではなかったのか。それに、これは彼女の弔い合戦でもあったはずだ。自分が皆を守り切れなくなった時、この船は敵の手に落ち、その仇討ちも果たせなくなる。
「早く決めて、神稲!」
黙り込んでいると、叱咤する声が耳を打った。
「発射されるまでもう十秒もないのよ! 回避するしかない、でも……私たちは神稲に許可して貰わなきゃ、命の選択は出来ない。何も言わなきゃ、私たちは死ぬしかない。あなたは私たちに死ねって言うの!?」
「……っ!」
伊織は奥歯を食い縛ると、迷いを振り切るように叫んだ。
「実行だ。ディベルバイス、取り舵四十五度!」
「アイ・コピー!」
皆も、覚悟を決めたように叫び返す。船が左側に傾倒を始め、伊織は振り落とされぬよう足を踏ん張る。
それと同時に、デスグラシアから赤黒い光線が放たれた。反射的に体を強張らせたが、光線はブリッジの正面を微かに逸れ、右舷側を掠めて激しい衝撃を伝えてくる。壁際に居たクルーたちが、機械から飛び散る火花を受けて身を引いた。
実際には数秒間に過ぎなかったのかもしれないが、伊織にはその照射時間が、永遠に近いものに思われた。やがてその赤黒いエネルギーの渦が消えると、クルーたちはゆっくりと顔を上げ、被害状況の確認を始めた。
「右舷損傷! ビームマシンガン、九十七パーセントが砲身を損害! 居住区画第八……外壁崩壊。部屋番号の詳細はこれから把握します」
もしも、これで死者が出ていたら、と考えた。
自分はこれで、ウェーバーと同じく命を取捨選択したのではないか。皆を救う為、という大義名分の元で行った脅迫行為が、正当化出来ないものへと変質してしまったのでは。
心臓が、早鐘のように鳴っていた。その切り捨てた命の中に、恵留が含まれていたかもしれない。伊織には自分が何をしたのか、その結果として何を招いたのか、分からない事が最も恐ろしかった。
「……神稲」祐二が撃墜された時、自分に口を出してきた男子生徒が、おずおずと声を掛けてきた。「大丈夫か、本当に?」
「ああ……心配しないでくれ」
伊織は、明らかに青褪めているであろう顔を見られないよう、右手で覆い隠しながら返事をした。また彼らが何かを言う前に、言葉を続ける。
「重レーザー砲とは大分組成が違っているようだったが、同じく宇宙空間にある粒子を使用しているものなら、そう乱発は出来ないはずだ。敵船に攻撃する突破口は開けた、この隙に突撃を掛けるぞ」
ちょっと待って、と一人が言った。
「居住区画に反応あり。敵の戦闘機部隊が、船の周囲で止まっている……?」
『神稲!』
機銃室に居るグレーテが、回線越しに言った。どうやら彼女たちは無事だったようだ。ほっと胸を撫で下ろしながら、伊織は指示を出した。
「戦列を立て直したら、船の周囲に居るメタラプターを撃墜しろ。まだ使える機銃は残っているんだろう?」
『それがね、神稲……』彼女は、躊躇いがちに報告した。『スコープで見たら、船内にメタラプターを操縦していた護星機士たちが、入って来ているみたいなの。壊れた部屋があるって言っていたよね? そこにロープが掛けられて、居住区画に侵入が始まっているかも……』
一瞬、通信を聞いた誰もが凍りついたように動きを止めた。
いちばん最初に我に返った伊織は、クルーたちに鋭く言った。
「全防火シャッターを下ろせ! 船内放送を流して、誰も部屋から出ないように徹底しろ! バリケードを使い、出来るだけ窓や扉から離れ、可能であれば室内で身を隠せる場所を探すように言うんだ」
「わ、分かった!」
動き出す各々を見ながら、伊織は考え込む。
敵スペルプリマーは倒れた。だが、こちらにも戦力は殆ど残されていない。敵はまさに、自分たちがこれから採ろうとしていた策を先に採ってきた訳だ。
作戦は続行しよう、と心を固めた。
降伏が死を意味する状況下。自分はもう、進むしかないのだ。
恵留、と心の中で呼び掛けたが、浮かんでくる彼女はそこでも眠っていた。