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『破天のディベルバイス』第21話 明滅する宇宙⑦

 ⑦綾文千花菜


 伊織に撃たれたウェーバーが気を失ってから、もう何時間が経過しただろうか。至近距離で放たれた弾は貫通しており、彼の体内にめり込んでいる訳ではない。ただ、その摘出の必要がない代わりに、出血が酷かった。

 伊織が逃げ出してから、千花菜はたった一人で処置を続けていた。彼は今、ブリッジで船の指揮を執っているのだ。その彼がウェーバーを撃ったと明らかになれば、彼は皆からの信用を失う。千花菜が、ウェーバーに銃を突き付けられた事を口に出したところで信用されないかもしれないし、もし信用されたら、今度はウェーバーをこのまま見殺しにしよう、或いは(とど)めを刺そう、と考える者が現れるかもしれない。自分の力では限界がある事は分かっていたが、千花菜はやれる限り自分でやるしかないのだ、と思った。

 切られた動脈は、応急処置で学んだ最低限の知識と技術で繋ぎ合わせた。不完全ではあるが、これで出血は抑えられる。それから血の池の吸引を行い、縫合を続けていく。戦闘が始まってからは船が揺れるので、その作業は非常に難航した。

(ウェーバー先輩……ちゃんと話して貰うまで、絶対に死なせませんから。死んで楽になろうなんて、させませんからね)

 心の中で呼び掛けながら、縫合は背中の表面に至る。局所麻酔しか使っていなかったので、ウェーバーはその辺りで意識を取り戻したようだった。

「うう……っ!」

 呻き声を上げ、俯せた彼が肘で起き上がろうとする。千花菜は鋭く、「動かないで下さい」と言った。彼の行動は無意識のものだったらしく、まだ周囲の認識は混濁しているらしい。焦点の合わない目を前方に向けたまま、

「神稲伊織を……」

 と呟いた。

「二号機を爆破したら……彼の遺体を回収せねば。それをボストークに持って行って……星導師オーズは死んだと……」

 何を言っているのか、千花菜には全く分からなかった。ただ「喋らないで下さい」と声を掛け、処置を再開する。この男を助けたい、というより、伊織を人殺しにしたくない、という気持ちが強かった。

 彼に、越えてはならない一線を越えさせる訳には行かない。同じ船員を殺すという選択肢を、彼に与えてはならない。少なくとも彼が、船を守りたいと思っている気持ちは嘘ではない、と千花菜は信じたかった。

「私は……別に悪役になろうとした訳では……なかったのに……」

 ウェーバーの言葉が、段々独白めいたものに変化してくる。千花菜はそれを、半分流すように聴きながら縫合を続けたが、そこで彼がまた呻いた。それが目を覚ました先程とは異なり、苦悶の色を帯びていたので、慌てて患部に触れる。ぐにゃり、という液体の入った袋のような感触を感じ、ぞっとした。

 大分マシにはなったが、出血は依然続いているらしい。縫合を中止し、吸引機とガーゼを手に取る。が、その時船体が大きく揺れ、溜まった血液がパッと散った。また爆撃を受けたらしい。

 千花菜は薙ぎ倒されそうになれながらも、ウェーバーを押さえ込んだ。再度傷を開き、吸引しつつ出血個所にガーゼを当てるが、

(足りない……)

 ケースの引き出し口から、もう新たなガーゼは出てこなかった。

 あるだけの量を詰め込むと、「ちょっと待っていて下さい」と声を掛け、部屋の外に出た。この隣には、恵留が眠る病室がある。そこも元々処置用の部屋なので、探せばまだ残っているものがあるかもしれない。

 そう思いながら駆け込んだ時、また轟音と共に震動が襲い掛かってきた。窓のすぐ外が一瞬明るくなり、壁が震える。このすぐ外に爆撃されたのだ、と分かり、千花菜は座り込みそうになった。

 ベッドでは、恵留がここ一ヶ月前と変わらない状態で眠り続けている。先程から、この近辺に着弾する様子が多い。左舷の機銃はほぼ全滅したそうだが、右舷はまだ使用出来る。メタラプターたちが祐二の防衛ラインを擦り抜け、懐に入り込んできた以上、パーティクルフィールドによる防御よりもビームマシンガンでの迎撃が優先されるらしい。防壁は張れないのだろう。

 壁の外で、また明滅が起こる。今度は揺れなかった為、今し方攻撃してきた戦闘機が機銃に撃墜されたのだろう。しかし、確認しようとして足を踏み出した千花菜の前で、壁に亀裂が走った。

「ひっ……!」

 喉から、笛のような音が鳴る。千花菜は咄嗟に、眠り続ける恵留の上に覆い被さっていた。壁が崩壊した時、瓦礫の直撃を受けたり、空気の流出に巻き込まれたりしない為の気休めだった。

 次に同規模の攻撃が来たら、この部屋は間違いなく潰される。単純な規模だけで考えれば、更に隣で同じく昏睡しているケンも、先程まで千花菜の居た部屋のウェーバーも、巻き込まれて共に死ぬだろう、と思った。恵留は、眠ったまま命を落とす事になるのだろうか。このまま、伊織の後悔と苦しみを置き去りにし、彼に懺悔と称した戦いを続けさせたままで。

「恵留……」

 千花菜は声に出し、小さく呟いていた。自分は今、今までで最も死に近い場所に居るような気がした。

 怖い、というより、悲しかった。伊織は、恵留が目を覚ます事はもうないと諦めているようだったが、千花菜はそうは思えなかった。いつか彼女は目覚め、また今までのように自分と時間を共有するのだ、と思っていた。その未来が、待つよりも早いうちに失われる。それが、どうしても無念でならなかった。

 その時、船内放送がまた流れた。今度は、伊織が直接喋っていた。

『ディベルバイス、全乗組員に告げる。先程、日付が変わって十一月三十日、午前零時四分、スペルプリマー一号機との通信が途絶した。機体の崩壊と地表への墜落、及び活動停止は、既にブリッジにて目視確認済みだ。……現時刻を以て、我々は主力であるスペルプリマーの全てを失った事となる。しかし、希望を捨ててはいけない。同時に……』

 ──祐二が?

 千花菜には、その先の内容など頭に入らなかった。

 祐二が、撃墜されたというのか。機体が崩壊し、彼との通信も途絶した? 何故、という疑問と共に、認めたくないとも思った。そこまで立て続けに、悲劇が起こってなるものか。しかし、そう思う気持ちが逃避願望である事を、胸の内の冷静な自分はしっかりと理解していた。

「祐二……が……」

 口に出した瞬間、頰を涙が伝った。

 伊織は、この上でまだ戦いを続ける気なのだろうか。彼は一体何処まで行けば、この戦いの惨さを悟る事になるのだろう。彼がウェーバーとの間で、何か気掛かりな事を言っていたな、と思い出す。だが今は、彼の思惑通りに運ばなくても、どのような結果でもいいから、早くこの悲劇が終わって欲しい。

 無論、伊織も心を痛めているには違いない。それなら、もうその痛み、苦しみを続ける必要が何処にあるというのか。

(恵留、私……もう嫌だよ……)

 心の中で呟くうちに、いつの間にか手に力が込もっていた。恵留の指を探り当てた自分の手が、軋む程それを握り締める。一度流れ出した涙は止まる事なく、毛布越しに彼女の胸に吸い込まれていった。

 (しば)らく、千花菜がそうしていると。

「……痛い」

 小さな呟きが、耳のすぐ近くで聞こえた。千花菜ははっとして、がばりと顔を上げる。幻聴かと思われたその声が、紛れもない現実である事を裏付ける光景が、そこにあった。

「千花菜ちゃん、痛いよ……手、そんなに強く……」

「恵留!?」

 薄く目を開けた恵留の顔が、少しだけ持ち上げられて自分を見つめていた。

 千花菜が何かを言おうとした時、また衝撃が襲ってきた。

「危ない!」

 声を上げ、恵留を抱き締めたまま体を後ろに倒す。二人は、床を転がるようにして壁から距離を取った。

 その数秒後、亀裂の入っていた壁が鈍くも大きく響く音を立て、ガラガラと崩れ落ちた。突風と共に、飛び交う戦闘の光が、驚く程近くに見えた。

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