『破天のディベルバイス』第21話 明滅する宇宙④
④木佐貫啓嗣
「ヨアン君……いや、シャドミコフ議長。教えて下さい、あなたがラトリア・ルミレースと繋がっているとはどういう事ですか?」
木佐貫は、今耳にした衝撃的な情報が真実であるのか、シャドミコフに問うた。その問いは、彼に否定して欲しい、という願望から生じたものであり、変える事の出来ない現実なのだという事は分かっていた。そうでなければ、今、血に塗れたモラン情報庁長官がヨアンに銃を向けている事に説明はつかなかった。
シャドミコフが、観念したように溜め息を吐いた時、
「知られたからには、生かしておけませんね」
モランが、照準をこちらに移動させた。木佐貫はぎょっとし、両手を挙げる。ヨアンは目を見開き、それから悲しげに顔を歪める。それは、今まで彼が自分に向けていたのと、何も変わらないものだった。
「……モラン」
シャドミコフは、絞り出すように声を発した。
「やめろ。ヨアン君の言う事は、真実と見て間違いない。……私たちは、最初から人という存在を甘く見すぎていた。あの少年が……シン・クマシロが、私たちを許し、計画に手を貸す事など有り得なかったのだ。フリュム船の破壊……それが彼の目標ならば、私たちの計画通りに行く事は最早ない」
「しかし……」モランは反論しようとする。
「木佐貫を撃っても、どうにもならないだろう。だが……エスベックは、確かに出現したのだ。フリュム船のデータも、まだ消滅した訳ではない。私たちのプランが潰えてもきっとまた誰かが、来るべきナグルファル船の到来に備えて我らの意志を継いでくれる」
シャドミコフは言うと、木佐貫を真っ直ぐに見つめた。
「君の聞いた通りだ。この宇宙戦争は、私や宗祇が演出していた。宇宙連合という体制を解体し、ルミリズム運動を展開する星導師オーズに人類生存圏の舵取りを移譲する。それによって、来る災厄の為に外宇宙へ出る事を目指すフリュム計画を、ルミリズムより生じたものとして喧伝する。
……しかし、君たちにはこの究極目標を明かしていなかった。サウロやブリークスにすらな。宇宙連合軍や、オーズが集めた私設部隊には、本気で戦争をして貰う必要があった。そうでなければ、百億を超える連合国民を欺き続ける事は不可能だっただろう。『破天』は、計画の公表後に人々からの支持を得るべく、デモンストレーション効果を狙って行う”布石”に過ぎなかった。計画を完成形にする為の準備に必要な余力を得る、という意図もあったがな。
だが、これがブリークスの跳梁を招いた。彼は『破天』を、当面の最終目標と認識していたようだった。その結果私は、彼の引き起こした事態の後始末に忙殺されるようになった。ブリークスといいオーズ……シン・クマシロといい、私は彼らを御する能力に欠けていたのかもしれん」
究極目標である、災厄からの人類救済。その部分は否定されなかったが、その為に払う犠牲が多すぎた。木佐貫は絶句したが、すぐに「自分にはショックを受ける資格はない」と思い直した。
犠牲が多い、少ない、被害が大きい、小さい、という話ではないのだ。自分は、サウロの暗殺に端を発するブリークスの行動を、仕方のない事として見て見ぬ振りに努めてきた。無色のディベルバイスに乗った少年少女たちの犠牲を、暗黙のうちに是とした。ヨアンが、何故サウロが死ななければならなかったのか調査したい、などと言い出さなければ、今でも木佐貫は目を瞑っていただろう。非力な自分には何も出来る事がない、と胸中で言い訳をして。
人類の悲願、そしてその先にある希望の為、今ある人命の少数を犠牲にする事を受容していた。その何処が、シャドミコフたちと違うというのだろう。
「……木佐貫さん。僕を、止めないで下さい」
ヨアンは、今までと何ら変わらない口調で言ってきた。
「木佐貫さんを騙していた事、利用していた事、申し訳ないって思う気持ちはあるんです。それは、嘘じゃないんです。こんな僕だけど、この半年の間に、ほんの少しでも木佐貫さんを……フリュム計画に居るあなたに対して、情を湧かす事が出来るようになったのかな。でも……僕には、星導師様が居るんです」
彼は言い終えると、一歩ずつこちらに接近してくる。モランは木佐貫に銃を向けたまま、背後のヨアンの動きに気付いていない。シャドミコフも、ぐっと口を噤んだままだった。
木佐貫は、モランに声を掛けるべきか迷った。もし警告すれば、彼はヨアンを撃ってしまうかもしれない。ヨアンが最初から敵で、自分との事が全て偽りの関係だったのだとしても、木佐貫は彼が死ぬところを見たくはなかった。
そして、その一瞬が命取りとなった。
ヨアンは突然、床を蹴ってモランに飛び掛かった。シャドミコフが「モラン!」と鋭く叫び、モランが振り返った瞬間、ヨアンの手指が蛇の如く動き、弾丸に射抜かれたモランの傷口に食い込んだ。
「ううっ!」
情報庁長官は苦痛に身を捩ると、腕を拘束されながらも振り返り、発砲しようとする。ヨアンはもう片方の腕でその手首を掴み、銃口を床に向けようと試みる。
「やめろ、二人とも!」
シャドミコフが叫び、木佐貫が間に割り込もうとした時、突然鋭い破裂音が響き渡った。
木佐貫は、踏み出しかけた姿勢のまま硬直した。シャドミコフも、口を半開きにしたまま微動だにせず二人の様子を見つめている。やがて、ヨアンががくりと床に膝を突き、俯せに倒れた。ほっとしたように、モランも両膝を折る。彼は既に大量出血により、立っているのがやっとという状態のようだった。
「ヨアン君!」
気が付けば、木佐貫は叫んでいた。倒れ伏したヨアンに駆け寄り、仰向けに抱き起す。何処を撃たれたのだ、と思い、素早く彼の全身を見回すと、腹部にどす黒い血の染みが出来ていた。水飲み場の水道を捻った時の如く、弱々しいながらも確実な速度と量で、彼の中から生命が漏れ出している。
「ヨアン君、君……何という事を……!」
「木佐貫……さん」
ヨアンは、紫色になり、今にも閉じそうな瞼を震わせながらこちらを見つめた。
「僕、今までずっと……真っ当に人生を歩んできた訳じゃないです……名前も、経歴も、全部嘘。過激派の人間で……安保理議長を狙う暗殺者……でも、木佐貫さんが僕に……ヨアン君、って呼んで、優しくしてくれる度に……少しは、普通の人間になれるような、気がしました……」
彼の手が震えながら、ゆっくりと木佐貫の方に持ち上げられる。木佐貫は彼の名を呼び、つい涙が流れそうになる目を瞬きながら、その手を握ろうとした。
手が触れ合った瞬間、ヨアンは思い切りこちらの体を押した。突然の事に、木佐貫はそのまま床に仰向けに薙ぎ倒される。反射的に受け身を取ったので、後頭部を強打する事だけは避けられた。
ヨアンは撃たれた腹を押さえて立ち上がると、寂しそうにこちらに微笑み掛けた。
「さようなら、木佐貫さん」
そのまま、足を引き摺るようにして駆け、閣議室から飛び出して行く。モランはぎょっとしたように立ち上がり、彼が潜り抜けた扉に向かって発砲した。
「待て! 逃がさないぞ!」
モランも、ヨアンを追って部屋を出て行く。木佐貫が再度制止の声を上げる間もなく、二人の姿は見えなくなってしまった。
木佐貫が呆然とする中、突然シャドミコフの緊急用HMEから着信音が響いた。彼は忙しく機器を操作し、素早く文章に目を通してから掠れ声を出した。
「何だと……?」
「どうされたのですか?」頭を上げ、議長に問い掛ける。
「浪川藤吾を追わせていた護星機士たちと、連絡が途絶した事は周知の通りだ。だが……その周囲を調べるうちに、小惑星タイタンで常闇のデスグラシアが起動され、昨日姿を消した事が明らかになったそうだ」
シャドミコフの言葉を聞き、木佐貫は拳を握り締める。
最早、これ以上保身半分の躊躇いを続けている時間はないのだ、と思った。
「……シャドミコフ議長」
何処か殉教者のような面持ちの彼に、木佐貫は言葉を放つ。シャドミコフはただ一言、「分かっている」と答え、目を伏せた。