『破天のディベルバイス』第21話 明滅する宇宙①
①ヘルマン・ウェーバー
『展望デッキに、敵機着艦! 先の爆撃でカメラが壊れましたが、ガラスドアが破砕した映像を最後に確認しました! 空気の流出が始まっています!』
キャリーケースの如く引いている小型ヒッグスビブロメーターの通信機から、ブリッジで半泣きになっている後輩の声が届く。ウェーバーは廊下を駆け抜けながら、どうりで船内に風が吹いている訳だ、と思った。
「デッキへ続く通路の、防火シャッターを全て下ろして下さい。空気の流出と、敵の船内への侵入は防がねばなりません」
指示を出しながら、ウェーバーは、後者は防げないだろうと判断する。震動が立て続けに船を襲い、風が流れ始めたのは数分前だ。ブリークス配下の護星機士が相手では、その機動力から考えて既に居住区画に入り込んでいる事は予想出来る。
幸い、訓練生たちが使っている部屋の密集している辺りまでは、それなりに距離がある。防火シャッターで防ぐ事が出来なかったとしても、まだ打つ手はある。自分が直接、侵入者を止めに行けばいい。
逆に、都合がいいかもしれない、とウェーバーは考えた。
自分はこれから、神稲伊織の元へ向かうつもりだった。彼本人は無事だそうだが、五号機は大破してしまった。先程個人的に報告を受けたが、デスグラシアはディベルバイスの重レーザー砲を受けても無傷だったという。
このままではじり貧だ。星導師オーズを討ち、自分の出自と共にフリュム計画を告発するという神稲のプランが、この後実行され得るのかどうかは、ウェーバーにも分からない。既にオーズが死んだ事は事実なのだから、どうにかしてインターネットに繋ぐ事の出来る端末を得られれば彼のプランには成就の余地があるだろう。そうすれば、ラトリア・ルミレースを本当に自然発生した過激派組織だと思っているブリークスは、保身に走るべく手を引くかもしれない。
だが、もし神稲がオーズの討伐と真実の公表について、より具体的なプランを立てており、デスグラシアが手を下した事でそれが水泡に帰した、などという事が起こっていれば。
ウェーバーも、神稲からの告白を聞いてから──最終手段ではあるが──一つ策を立てていた。しかし、それを成し遂げるには最大限に隘路を取り除いておく必要があった。その為に、まず彼に今後の作戦を尋ねておかねばならない。そして、もしも彼が使い物にならないと分かったら……
思案を巡らせながら、廊下を走る。訓練生たちには、戦闘中は自室から出ないように、と厳命してあったが、それでも綾文千花菜はその指示を破った。強制的に彼らを拘束する事が出来ない以上、居住区画に敵が生身で入り込んだという状況は危険極まりない。今し方「都合がいいかもしれない」などと考えはしたが、それは敵当人に対しての感想ではない。
ウェーバーは小型ヒッグスビブロメーターをそこに置き、通信を切ると、わざと足音を立てて駆け出した。自分がブリッジを外した理由について、後輩たちには「神稲の様子を直接確認してくる」と伝えていた。寄り道をしている事が悟られると、後々面倒だ。
(何処に居る? 早く出てこい……)
念じながら進んでいると、自分の足音を聞きつけたのか、船尾方面から軍靴の音が聞こえてきた。ウェーバーは曲がり角で壁に背を着け、屈むようにしながらそれの接近を待つ。敵は武器を持っているだろうし、持っていないと困るが、こちらは丸腰だった。一瞬で勝負を着けねばならない。
微かに目だけを覗かせて様子を窺うと、パイロットスーツ姿の護星機士が一人、こちらに向かって速足で近づいて来ていた。それが十分に近づき、こちらに曲がろうとするタイミングで、ウェーバーはタックルするように飛び掛かった。
「おおっ!?」
護星機士は、抜いていた銃を咄嗟に向けてこようとする。だが、既に懐へ入り込んでいたウェーバーには、それは最早脅しにすらならなかった。
「……っ!」
気合いを入れ、伸ばされた敵の右腕を手刀で打つ。続いてこちらの肩を掴もうとする左腕を、自分の右腕で絡ませるように拘束し、捻る。姿勢を下げつつ膝を曲げ、相手の水月(鳩尾の辺り)に蹴りを叩き込む。
自分は、肉体的な戦闘よりも頭脳戦に秀でた人間だ、とウェーバーは自己分析していた。だが、昨年度の訓練課程で取得した肉弾戦の技術は、軍人の必要最低限の技能として体にまだ染み付いていた。
拳銃が暴発し、弾丸が壁を抉る。ウェーバーに押さえつけられたままの腕で、力を込めて構えもせずに火薬の爆発を起こしたからだろう、護星機士の手が、跳ね上がった銃身に引かれるように上向きに逸れた。ウェーバーはそれを見逃さず、素早く手首まで左手をスライドさせ、敵の関節を駆動しない方向に曲げる。手首を折られた護星機士は悲鳴を上げ、銃をその手から取り零した。
それをキャッチしながら、ウェーバーは内心で肯く。生身での立ち回りは苦手な方だ。ここまで出来たなら、上出来と自己評価してもいいだろう。
「こいつめ……!」
敵の護星機士は銃を奪還しようと、ウェーバーの方に倒れ込むような姿勢で向かってくる。だが、もう恐れる必要はなかった。
ウェーバーは最寄りの部屋の扉を開け、体を捌くと共に敵の背後に回り、蹴りを入れる。相手がよろめきつつ部屋の中に入って行くと、すかさず扉を閉め、隙間から銃口を捻じ込む。そして、微塵も躊躇う事なく引き金を引いた。
何発か撃っていると、護星機士の動いている気配がなくなった。
途端に、生徒たちの足音がドタドタと音を立てて近づいてきた。どうやら今の銃声を聞きつけ、何事かと部屋から出て来たらしい。
つい舌打ちしそうになったが、無理もない、と思った。だが、今見られるのは避けたい。ウェーバーは、今し方敵を蹴り入れた部屋に入り、扉を閉める。むっとするような、金気臭い血の匂いが鼻を突き、振り返ると、護星機士は何発か銃弾を受け、動かなくなっていた。致命傷は、眉間からやや左目側に逸れた辺りを貫通したものだったらしい。
妙に、冷めた気持ちだった。人を殺めたという感覚は、殆どない。害虫駆除をする時のような、当然行うべき”作業”を行った、というような、ごく普通の気持ちしか感じられなかった。
軍人の感慨など畢竟、この程度のものなのだろうか、と思った。考えれば渡海も神稲も、今まで何度も敵と戦い、護星機士を葬ってきた。そしてそれは、ユーゲントが指示したから、というケースも多い。こうして直接手を下したからといって、特別な気分にならないのも、当然といえば当然なのかもしれない。
(まあ、そういちいち気にしていたら、機士など務められないでしょう)
駆けつけて来た生徒たちが、口々に戸惑うような声を出して引き返して行くのを確認すると、ウェーバーは部屋から出た。
手の中の拳銃を確認し、弾倉に弾がまだ三発残っている事が分かると、満足してポケットにそれをしまう。これで、第一の準備は出来た。どのような形であれ、なるべく使うような事にはなって欲しくないが、そうなった場合、厨房から包丁などを持ち出すよりもこれは効果的だろう。
ウェーバーは再び、今度は足音をなるべく殺すように気を付けて走った。
こちらの思想に関しては、神稲は昨日の一件で既に把握しているだろう。だが、もしも自分の望む返答を彼がせず、自分のプランを持ち掛けて警戒を招く事になったとしても。
ウェーバーは、今鹵獲したばかりの拳銃を、ズボンの生地越しに触れる。
自分の指示で彼の病室に留まっている綾文千花菜の事を考え、少々目を細めた。