『破天のディベルバイス』第20話 絶望の王⑦
⑦綾文千花菜
戦闘状況が続く中、千花菜は部屋から駆け出した。非戦闘員の者は廊下に出ないように、と船内放送で言われていたが、構っている余裕はなかった。
フリュム船、デスグラシア。それとの戦闘が熾烈を極めている事は、窓から見える戦場の様子で分かった。敵船は、ディベルバイスの中からでも目視で確認出来る程近づいている。
全てに於いて、気味の悪い相手だった。船は漆黒のボディを有していたが、それは次第に、より黒い影が増殖するように広がり、闇の色に包み込まれていった。その前で祐二の一号機、伊織の五号機と戦っているスペルプリマーも、人型をしているものの幅が異様に広く、千花菜には鎧を纏った騎士というよりも怪獣に近く見えた。それが、果敢に突進して行った五号機を、デスグラシアと同色の黒い霧で覆い尽くしてしまった。
真空の宇宙空間で、音は伝わらない。戦闘状況が、明らかにこちらが不利であるにも拘わらず何が起こっているのか分からない、という状況は、見ているこちらの不安をも掻き立てるものだった。
千花菜は、状況が知りたかった。昨日、初めて祐二とお互いの関係に結論を見出せたのだ。自分は祐二に対して、彼を苦しめるような付き合い方をしていたのだ、と分かった。嘉郎への気持ちが捨てきれない事を口に出しながら、いつの間にか彼を嘉郎と重ねて見ていた。自分はカエラとの事で、祐二を責める資格などない。しかし、彼は自分のそのような部分も受け入れて、好きだと言ってくれた。
この先自分が、本当に彼を、彼として好きになる事が出来るのかは分からない。嘉郎に対する想いに、決着を着ける事が出来るのかも不明だ。だが、このような状況の中でも、自分は未来で、彼の事を愛せる可能性がある気がした。嘉郎と重ねるのではなく、渡海祐二という一人の男性として。だから、ここで彼に、絶対に死んで欲しくなかった。
ブリッジの方へ駆け出すと、以前戦闘中に封鎖されていた防火シャッターは開いていた。伊織であれば、生徒たちが混乱を起こし、ブリッジに押し寄せる事を防ごうとするはずだが、何故このような大きな戦闘の時に、と疑問が浮かぶ。
しかし、考えている余裕はなかった。廊下を駆け抜け、自動扉が開くのを待つのももどかしく、隙間から体を捻じ込むようにしてブリッジに入り込む。忙しなく指示を出し合い、報告を交わしているクルーたちの声が聞こえた。
「五号機大破! 神稲伊織、応答して下さい! フォーゲル一!」
「アイリ、スカイ! 回収急げ!」
「畜生、何なんだあのスペルプリマーは!」
口々に放たれる台詞を拾い、千花菜ははっとして正面の窓を見つめる。いつの間にかデスグラシアは、船前方五キロメートル程の位置──ホライゾンとやり合った時とほぼ同じ距離──まで接近していた。そこでは一号機が刀を逆手に振り上げ、群がるメタラプターを上から突き刺して倒し、五号機は半壊したコックピットブロックのみとなって漂っていた。
千花菜は、暫し呆然として言葉が出なかった。だが気付いた時、「伊織!」と悲鳴を上げて彼の名前を呼んでいた。ブリッジクルーたちが一斉にこちらを向き、目を見開いた。
「綾文……お前、どうして……」
男子生徒の一人が声を出し、ウェーバー先輩が船内システムに目を通す。彼の口から、「シャッターが開いている……」という独白が零れた。
「神稲伊織による重力干渉が途絶えた……という事は」
「ねえ、戦況はどうなっているの? 伊織、どうなったの? 祐二は?」
咳き込むように尋ねると、ウェーバー先輩は溜め息を吐いた。
「綾文さん、あなただけは冷静な、賢明な状況判断の出来る人間だと思っていたのですがね。半月前の生徒たちと同じような、幼稚な行動は控えて下さい」
「そんな事言ってる場合ですか! 伊織はやられたんですか? ここに運ばれて来るんですか? 私に何か、出来る事は? あのままじゃ祐二だって、一人で戦う事になってしまいます!」
その時、船が大きく揺れた。天井から轟音が響いてくる。爆撃されたのか、と思った直後、素早く被害状況を調べた生徒が叫んだ。
「上部に被弾! メタラプターの対艦ミサイルです!」
「パーティクルフィールドを展開して下さい。出力は出し惜しみせぬよう。一箇所で長時間は使用出来ない為、六十度回頭、デスグラシアと擦れ違い、エロス方面に移動します」
ウェーバー先輩はやや動揺したようだったが、すぐに表情を引き締めててきぱきと指示を出す。彼は続いて、「渡海さん」と無線機に呼び掛けた。
「ケーゼ隊の二人に、神稲さんを船に運んで貰います。その間、メタラプター全て一号機で押さえる事は難しいでしょう。こちらに来てしまった敵はパーティクルフィールドで防ぎますので、あなたは敵スペルプリマー、エインヘリャルの接近を防ぐ事のみを重点的に行って下さい」
『そんな!』
祐二が、千花菜の居る位置にもはっきりと聞こえる声で反論した。
『メタラプターは対戦艦用、あんな量の敵から爆撃を喰らったら、パーティクルフィールドでも防ぎきれません! エインヘリャルに比べれば、親衛隊専用機だろうが雑魚の範疇です。僕がまず、戦闘機部隊を叩きますから……』
「その間に、雑魚でないエインヘリャルがこちらに向かって来てしまう可能性が高いのです」
ウェーバー先輩は言ったが、祐二の言葉にも一理あると思ったらしく、やや俯きがちになって考え込んだ。が、やがてグレーテの方を向いて指示を出した。
「射撃組の旧メンバーを招集して下さい。ビームマシンガンは多くが破損していて危険もありますが、このままメタラプターの爆撃を受け続けるリスクと比較すれば、期待度の方が高い。……指示には、以前と同様シオンさんを解放して当たって頂くように」
「先輩!」また一人の男子生徒が声を上げる。「あんた、この戦闘状況にかこつけてユーゲントを……」
「そのような事を言っている場合ですか?」
早くして下さい、と有無を言わせぬ口調で催促され、グレーテは逡巡するように目を泳がせながらも戦闘記録を確認し始める。ウェーバー先輩はそれを確認すると、続いて正面の窓に向き合う位置に居るクルーたちに言う。
「デスグラシアの後方に移動したら、即座に艦首レーザー重砲を使用します。一撃で仕留めねば、後はありません。心して掛かって下さい」
「ウェーバー先輩」
千花菜はもう一度、彼に向かって言葉を放つ。
「本当に、私に出来る事は何もないんですか? お願いです、伊織を介抱するとか、二号機に乗るとか、私だってちゃんとやれるはずです! ……単なる私情じゃありません、私も今まで、舵取り組に居たんですから……」
「あんた、いい加減に……」
グレーテが振り返り、こちらをきっと睨みつけた時、
「そこまで言うのであれば、一つ仕事を割り振りましょう」
ウェーバー先輩は、淡々とした口調のまま言った。
「神稲さんの負傷を確かめ、場合によっては応急処置を行う為、病室を一部屋確保しておいて下さい。それから諸々の機材の準備も。出来ますね?」
「分かりました……いえ、アイ・コピー!」
千花菜は叫び、身を翻す。伊織の脅迫による体制を否定し、舵取り組から降りる事を選んだ自分の突然の行動は、ブリッジクルーたちから顰蹙を買ったようだった。だが、構っている暇はない。
(待ってて、祐二、伊織。私、二人が居なくなるなんて、絶対に嫌だから……!)
傍に居てくれるだけでいい。そんな存在になりたかった。
祐二はそう言っていた。千花菜も、本当はそれを望んでいた。そのたった一つの望みすら、踏み躙られてなるものか。心の中で、そっと拳を固めた。
* * *
恵留の眠り続ける部屋の隣に病床を確保し、治療の準備を整える。それが終わるや否や、狙い澄ましたかのようなタイミングで騒々しく扉が開いた。先程ブリッジには連絡し、用意した部屋の位置と処置係を要請した。部屋の中に入って来たのは、アイリッシュ、スカイに両脇を抱えられ、ぐったりとしている伊織と、マリー先輩、テン先輩、クララや万葉など処置に長けた生徒たちだった。
「伊織!」
「心配するな、外傷はないよ。でも、何か精神的に負荷を掛けられたみたいだ。気絶から覚めない。暫らく休ませて、それから気付けをするんだ」
スカイは言うと、素早く伊織をベッドに寝かせる。
「戦闘は……」
「五号機が大破しちまっている。無理したところでどうせ戦えないから、休ませるだけ休ませておけ。ブリッジの通信機を通して、物凄い悲鳴が聞こえた。何か、よっぽどショックなものを見せられたんだ」
マリー先輩が脈や体温を測り、万葉たちがタオルや気付け薬を用意する。彼らに伊織を任せると、ケーゼ隊の二人はすぐに部屋を出て行こうとした。
「待って、二人とも。また出るの?」
「デスグラシアとの邂逅がイレギュラーだったからな。昨日の戦闘から、燃料や弾薬の補給がまだ済んでいないんだ。このままだと、若干危ないかもしれない。今ショーンたちにやって貰っているから、それが終わり次第だな」
スカイは、焦れの滲む口調で答える。千花菜が続けて「祐二は?」と尋ねると、二人は顔を歪めた。
「分からない……でも、あいつ今一人で戦っているんだろ?」
「ウェーバー先輩が、射撃組を再登用するって。それから敵船と擦れ違って、エロス方面に回る。重レーザー砲で直接敵本船に攻撃を仕掛けるから、それまで耐えてくれるといいんだけど……」
「……そうか」
スカイは、「非力な俺たちだけど」と言い、軽くこちらに頭を下げてくる。千花菜は首を振り、ありがとう、と口に出した。誰もが恐怖と焦燥に囚われ、生徒たちが荒んでいる中で、彼の心遣いがありがたかった。
二人が出ていくと、マリー先輩たちも伊織への処置を終えたらしく、ベッドの脇から立ち上がった。
「負傷はしていないし、脈も安定してきているから命に別状はないはずよ。私たち謹慎中で、用が終わったら部屋に戻るように言われているから……ウェーバーに。他の皆も、ディベルバイスが加速して危険だから、そろそろ部屋に帰さないと。綾文ちゃんがウェーバーに、神稲君に付いているように言われたのよね?」
「はい、伊織が目を覚ますまで、私が付き添います」
千花菜が肯くと、マリー先輩らは扉の方に向かった。何処か申し訳なさそうにこちらを見つめてくるので、千花菜は「心配しないで下さい」と言った。
「私たちも、先輩方に頼りっ放しという訳には行きませんから。でも……私たち、舵取り組としての役目を果たせなかった……」
その結果、伊織は無茶をした。
唇を噛んだ千花菜の肩を、マリー先輩は戻って来て軽く叩いた。そのまま何も言わず、部屋の外に出て行く。テン先輩も、処置に当たった生徒たちもその後に続いて出て行くと、部屋の中には伊織と千花菜だけが残った。
彼の命に別状はない。だから大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせてみるものの、不安は拭えない。理屈と感覚は、全く別のところにあるのだ、という事を改めて実感せざるを得なかった。
と、その時再び船を激しい震動が襲った。窓の外が明るくなり、千花菜ははっとしてそこに駆け寄る。窓のすぐ外にパーティクルフィールドが展開され、それを透過して巨大な戦闘機の影が見えた。メタラプターが、すぐそこに居る。
思わず心臓が竦み上がった瞬間、敵機は旋回し、船から距離を取った。すかさずバリアが解除され、下方から光線が飛んで来てその機体を貫く。メタラプターが爆散するのを見、射撃組が戦闘を開始したのだな、と思った。
『ディベルバイス、回頭。加速上昇を開始します。総員、直ちにGに備えるように。転倒しやすいものの傍からは離れて!』
ブリッジに居る女子生徒の声が、船内放送のスピーカーから響く。千花菜は窓枠に掴まり、流れていく景色に沿って視線を滑らせた。
繰り返し爆撃されているらしく、船が断続的に揺れる。倒れそうになるのを堪えながら見ていると、段々窓の外にデスグラシアの船尾が入り始めた。デスグラシアを覆うように増殖していた影は、既に船の端から端まで完全に埋め尽くしているようだった。
(何なの、あれ? あれが、デスグラシアの固有能力?)
思った時、ディベルバイス前方で白い閃光が拡散した。微かに光の筋が敵船に向かって行くのが見え、重レーザー砲が発射されたのだ、と分かる。千花菜の位置からは正確に見る事は出来なかったが、あの軌道ではエンジンに直撃するコースとなるだろう。つい加速上昇が始まっている事も忘れ、千花菜は両手を胸の前で組み、祈るような気持ちでその光景を見つめた。
だが次の瞬間起こった事は、それを意識する前から自分を絶望の淵に突き落とすような出来事だった。
デスグラシアの表面で、最早滲む液体の如く蠢くのを止め、凪いだ水面の如く静止した黒い膜に当たったレーザー光線は、そこに波紋のような静かな円形を描きながら吸収されていき、やがて消滅した。