『破天のディベルバイス』第20話 絶望の王⑥
⑥神稲伊織
画面が暗転した瞬間、距離感や方向感覚が奪われた。ただ、何もなく真っ暗な虚無の中を、コックピットのみの空間で漂っているようだった。伊織は身を乗り出し、タブレット画面を覗き込む。そこには、『シェアリングを継続しています』という一文のみが表示され、ボタンも何もなかった。
(シェアリング? これが?)
以前、四号機に宿っていたハープのモデュラス回路やアンジュ先輩とシェアリングを行った時とは、大分様子が違う。開始も、画面に表示されるメッセージも、エインヘリャルに乗っている誰かと感覚を共有しているようにも感じられない。
これがエインヘリャルの固有能力だろうか、と一瞬思った。自分は、敵機の攻撃を喰らい、何か致命的な罠に囚われたのだろうか。ならば、この虚無的な、何処か弛緩すらした空気は一体何なのだろう?
(そうだ、操縦系……!)
伊織は、機体を前進させようと操縦桿を押し込む。だが、機体にGが掛かる様子はなく、レーダー画面の座標も変化しなかった。のみならず、戦域に居る他の機動兵器たちの座標も動かない。時すら止まってしまったのではないか、と錯覚するような状況だった。
スペルプリマーのシステムが乗っ取られているのだ、と思った。ヒッグス通信は電波と違い、環境に左右されない。タブレットや照明が変わらず点いている以上、システムダウンした訳ではないだろう。レーダーは働いているのに、それが画面上に共有されていないのだ。
(戦況は? 祐二たちはどうなった?)
自分がディベルバイスを守らねばならないのに、と思った。今自分が倒されれば、船はデスグラシアに拿捕されてしまう。それ以前に、ウェーバーが反乱を起こす可能性もある。
昨日、伊織が全てを──自分が星導師オーズのクローンである事、彼はスペルプリマー起動試験の被験体である第一世代モデュラスだという事、フリュム計画に於ける最高位の者たちはラトリア・ルミレースを生み出した張本人であり、この宇宙戦争自体が仕組まれたものである事──語り終えると、ウェーバーは
「あなたは、人柱になるつもりですか?」
と尋ねてきた。
「だから、星導師オーズを討ち、フリュム計画が人類生存圏の牽引を彼らに委ねる、という究極目標を挫く。そうすれば計画は破綻し、彼らが機密保持を続ける意味もなくなる。戦争が宇宙連合の勝利という形で終わり、戦後のラトリア・ルミレースに捜査が入れば、フリュム計画上層部の陰謀も芋蔓式に明らかになるでしょうから、私たちを狙っていた者たちは戦犯として連合から除かれる。我々はもう、フリュム計画によって迫害を受ける必要はなくなる訳です。
……短絡的に見えて、よく練られたプランだと思いますよ。少なくとも、自分とフリュム計画の関係について知っていなかったら、立てる事の出来なかったプランでしょう。ただ、あなたが何らかの手段でこれを公表した時、あなたの生涯は終わる事になるでしょう」
そうだ、と伊織は答えた。
自分が星導師オーズと同じ存在。それは仲間たちに恐怖を与えるだけでなく、自分や両親のせいでフリュム計画は進み、多くの犠牲が出たという事実を糾弾される事になる。きっと彼らは、自分を許さないだろう。それ以前に、このような事実を隠していた事も責められるかもしれない。自分たちを騙していた、と断罪され、本当に殺されてしまうかもしれない。
だが、伊織はそれを覚悟していた。オリジナルの自分の存在を否定し、命を奪うからには、当然代用品である自分もその後、生きている事は出来ない。たとえそうなったところで、自分には悔いはない。もう自分の恋は叶わず、自分を必要としてくれた恵留も、恐らく目を覚まさないのだから。
「俺は、誰に殺されようが構わない。だが、それはこの作戦を成し遂げてからだ。その前に秘密が漏れ、船が保護される見込みがなくなったら……俺は、あんたのした行為を公表する」
いいでしょう、とウェーバーは言った。
「私も、あなたが私の行動について皆に知らしめる事がない以上、この件は黙っておきましょう。同じく、あなたが約束を破った時、私もこの事を拡散します」
「エビデンスは、取らなくていいのか?」
「あなたが、この状況で嘘を吐く理由が見当たりません。モデュラスの知能が我々の比でない事は重々承知ですが、咄嗟に考えた嘘とも思えませんしね。仮に嘘だったとしたら……公表しても問題はないでしょうか」
「いや、それは……」
口籠ると、ウェーバーは「その反応からして、嘘ではないでしょう」と言った。相変わらず、何を考えているのか分からない人間だ、と思い、伊織は警戒を強めたのだった。
彼は、元々の予定では伊織にアンジュ先輩を殺させるつもりだった。その理由が、彼が言った通り単純に、伊織に駄目押しを行うという事だけだとは、どうしても思えなかった。
伊織は、彼がこちらの弱みを握り、脅迫材料を作る為にあのような行動を取ったのではないか、と考えていた。という事は、彼には何か策略があったという事。伊織がアンジュ先輩をその手に掛けなかったからといって、ウェーバーがそれを諦めたと考えるのは楽天的すぎる。
彼は自分を操り、指揮権を奪おうとしたのだ。ならば、伊織の支配体制に納得が行かなかった訳だ。彼が、自分が居なくなった船でどのような行動を取るのか、考えると慄然とせざるを得なかった。
(畜生、動け! 動けよ!)
シェアリングをしている相手が居るのならば、脳波──重力通信で何か呼び掛け、働き掛ける事が出来るはずだ。伊織は、今までのシェアリングの時のように相手の影が自分の近くに現れないか、懸命に思念を送り続ける。操縦桿を動かす手も、無駄だとは思いつつも休めずに動かす。
体感時間では何分、十何分も経ったと思われる程、焦りがピークに達してきた時、突然正面のメインモニターが点灯した。一瞬、自分の努力が通じたのか、と思いかけたが、そうではなかった。
画面に映っていたのは、子供部屋のような場所だった。託児所や幼稚園の自由時間のような、ごく普通の光景。二、三歳程度と思われる子供たちが三々五々集まり、遊んでいる。だが、その遊びの様子が異様だった。
ある子供は、床に広げた紙に、定規やコンパスも使わずに緻密な幾何学模様を描き出していた。また別の子供は迷路遊びのような事をしているが、その進め方が尋常でないレベルに速い。ブロックを組み合わせ、普通の子供には絶対に考え付かないような複雑な造形を生み出している者も居る。奥に見えるガラス越しの空間では、垂直に立てられたポールに複数人の子供が攀じ登り、オリンピック選手顔負けの演技を行っていた。無重力空間か、と思ったが、その傍に居る子供たちは床に立ち、飲み物と思しき容器を手に持っており、重力の設定された空間なのだ、と分かった。
天才児たち、という言葉が直感的に浮かんだ時、場面が変わった。今度は機械室のような、雑多なものが散らばった部屋だ。スペルプリマーのパイロットたちが取り付けられるようなヘルメット型装置の付いた椅子に座った子供。だが、ヘッドマウントディスプレイの如く顔面の上部を覆われたその子の、微かに見える口元には耐え難い苦痛の歪みが認められる。やがて口元から泡が噴き出され、微かに痙攣していたその体が動かなくなる。白衣を纏った大人が画面内に駆け込んで来て、慌てたように装置を外し始めた。皆、口々に他者を責めているようだった。
(これは……)
伊織は段々、自分の見ているものが何なのか分かってきた。その後、同じような実験や研究室、試験会場のような場面を経て、決定的なものが映る。
それは、岩石に覆われた荒野だった。遥か遠くに、幅広いリングを纏った星が見える。土星圏にある小惑星と思われるその場所には、人型のロボットが幾つも並んでいた。視点の持ち主は、周囲を忙しく動き回る大人たちの中に混ざり、その様子を眺めているらしい。
やがて、画面に宇宙服姿の男が一人入ってくる。男と分かったのは、ヘルメットのバイザー越しににその顔がはっきりと見えたからだった。宇宙連合軍大佐、ブリークス・デスモス。しかし、今よりずっと若い。彼は”視点”より後方に居る誰かに向かって何かを怒鳴っているようだったが、やがてこちらに背を向け、人型ロボット──スペルプリマーたちの集っている場所を見つめる。
それらが、一斉に赤黒い重力の波動を拡散させ、白い光を放った。シェアリングが行われたのだ、と思った瞬間、それらは一斉にジェットを噴射し、空中に浮かび上がる。そして、次々に墜落を始めた。
伊織は、目を閉じようとした。このままでは、決定的なものを見せられてしまう事になる。自分には、恐らく耐え難い何かが。だが、目を閉じたところでそれは見えるようだった。自分は画面を見ているのではなく、シェアリングによって脳に直接流し込まれるショックイメ―ジを見ようとしているのだ、と思った。
そして、それは見えた。”視点”の誰かを引き取りに来た、伊織の両親。ユニット五・九「クシナダ」に移動した事。生活の風景。そして、自分が見た事のない、義姉にして実の姉・瞳美の幼い頃の姿。
(俺が……今、シェアリングしているのは……!)
場面は、ダイジェスト的にどんどん進んだ。画面の中に現れる人物に、自分と瓜二つの少年の姿も見えてくる。その少年がシンであり、”視点”が本物の神稲伊織である事を、伊織は自然に察していた。
ハープと同じなのだ。本物の伊織は、スペルプリマー起動試験の二回目で命を落とし、機体に同化された。システム上に構築された彼の脳構造のうち、記憶としての情報が今、シェアリングを通じて自分に流れ込んできている。
やがて、再び映像が荒野となった。そこは伊織にも見覚えのある光景で、ダイモスにある宇宙連合軍の基地のようだった。当然、まだラトリア・ルミレースに占拠されているような事はないが、確かに分かる。岩場に向かって、”視点”の伊織は一歩ずつ足を進めていく。見上げる先に、今まさに戦っているエインヘリャルがあった。隣ではシンが、同じエインヘリャルを見上げている。それらの機体は、先程伊織が見たものよりも小さかった。
画面が更に変わった瞬間、伊織は歯を食い縛り、襲い来るものに必死に耐えようとした。だが、煮え滾る黒い感覚──怨念や恐怖を完全に受けきる事など、不可能だった。
「う……わああああああああっ!!」
伊織は絶叫した。画面に何が映っているのか、もう分からない。脳を押し潰し、掻き回すような、どす黒く熱い奔流が容赦なく頭蓋に流れ込んでくる。涙が滲む程目を閉じているはずが、光景は消えない。
”視点”の中、二機のエインヘリャルが背中合わせに引き寄せられていく。見えない位置で起こっているはずの事象が、シンとのシェアリングにより手に取るように知覚される。第三者の目線でその場を眺めたように、エインヘリャルが合体していくのが見える。その形状は、先程自分が見た巨大な人型と同じだった。
「やめろ……やめろ───っ!!」
──絶対に、俺は許さねえ。
自分と同じ、本物の伊織の声が頭に響いてきた刹那、闇が消えた。モニターに映る景色と操縦系が回復し、レーダーの反応が動き出す。だが、伊織にはもう、機体を操縦する事は不可能だった。
エインヘリャルが、先程と同じく光球を放ってくる。一機の巨大なスペルプリマーだと思っていたそれは、二機が合体したものだったのだ。どうりで、重力出力を始めとしたスペックが異様に高い訳だ。至近距離で攻撃を喰らった五号機は、宇宙空間を大きく吹き飛ばされた。
同化され、機体に残るモデュラスの人格はあくまで脳回路のコピーであり、彼らの魂ではない。エインヘリャルの起動試験で命を落とした本物の伊織が、その時の記憶を引き継いで今の機体に残っている訳はない。だとすると、先程の怨念は、ダイモスでの起動試験を通じて彼の胸裏に萌したものではない事になる。
彼はずっと、フリュム計画を憎んでいた。生まれながら、モデュラスという人ならざる自分である事を強い、実験体として自分を生んだ両親と共に暮らす事を余儀なくし、成長して尚もその人体実験を続けたフリュム計画。彼はそれを、自我が芽生えてからずっと抱え込んできたのだ。その憎悪は、怨嗟は、何処まで熟成され、肥大化していたのだろうか。
不自然な方向に力を加えられた五号機は、四肢や頭部を捥ぎ取られ、腰部の辺りを拉げさせながら戦闘機部隊の居る方へ落下していく。消えていく意識の中、伊織はエインヘリャルに居た彼が、この機体に乗っているのが彼の弟、シンの代用品である事に気付いただろうか、と考えた。