『破天のディベルバイス』第20話 絶望の王③
③ピョートル・シャドミコフ
銃声が響いた、と思った瞬間には、モランが動いていた。
「議長!」一声叫ぶと共に、自分の前に飛び出す。飛来した銃弾は彼の肩口を貫き、回避しようとしたシャドミコフの腕を掠めた。スーツの生地が過熱した鉛に撫ぜられて綻び、モランは小さく血飛沫を散らしつつ転倒した。
「ちっ……」
襲撃者の口角で舌打ちが弾け、再び銃口が自分に向けられる。モランは苦悶の声を上げつつ、その人物を睨むように見上げた。
シャドミコフは後退りながら、襲撃者に「待て」と呼び掛けた。
「これは一体何の真似だ、ヨアン君?」
襲撃者──ヨアン・スミスは、肘を曲げて銃口を上げ、硝煙にふっと息を吐き掛ける。その仕草は、普段「アルバイト」などと綽名される童顔の秘書官とは思えない程こなれていた。
彼がただの秘書官でない事は、シャドミコフも知っていた。自分とモラン、そしてアドバイザーの宗祇を中心とするほんの数人しか知らない、フリュム計画の行く末の事。その為に、存在そのものが必要な人物こそ彼だった。だが……
「僕が、星導師オーズ様がフリュム船の存在に勘付いている、と計画関係者に認識させる為の人物に過ぎないとでも思っていましたか? 単に星導師様がフリュム船の存在に気付き、それを狙うという事のバックボーンであると?」
ヨアンは、低い声で淡々と言う。
彼こそが、「連合に紛れ込んでいるラトリア・ルミレースの間諜」だ。それは、シャドミコフも認知している。あらかじめ、その為にオーズ──シン・クマシロと話し合った。
宇宙戦争は、最初から出来レースだったのだ。
ラトリア・ルミレースとの抗争が始まり、その裏でオーズがフリュム船を狙っていたのではない。フリュム計画が全ての中心にあり、ブリークスすら知らない場所で、宇宙戦争はその一環として演じられた。
無論、自分やモラン以外にこの事を知っている者は居ない。連合の首相や民間人は勿論の事、実際に戦闘を行っている宇宙連合軍もラトリア・ルミレースの者たちも、ブリークス始めフリュム計画のメンバーたちですら知らない。
来る将来、百年前に地球を滅ぼしたヴィペラ・クライメートは必ず起こる。人類生存圏に、それを引き起こすナグルファル船は再び到来する。ナグルファル船を阻止する術を自分たち人類は未だ持たず、出来る事は猛毒の雲が放たれた後で行われる『破天』のみ。次は、それを行う間もなく人類は滅びてしまう。だから、その前に人類の新たな故郷を目指し、外宇宙へ旅立つ為の船を作り出した。赤方偏移の観測圏内に、地球と同等の環境条件を備えた星は発見されなかったから。
そこまでは、フリュム計画の関係者たちが全員把握している事だった。だが、シャドミコフ個人の思案は、そこで終わらなかった。
外宇宙に出た人類は、未知にして広大な環境に適応し、簡単に行き来する事が不可能な空間で相互に意思疎通を図らねばならない。だから、重力子による通信能力を得た新人類──エスベックが必要となった。
自分たちはその為に、自分たちの属する連合そのものを欺いた。生命の根幹にも関わる遺伝子操作技術、その人間への使用という禁忌すら犯した。たとえフリュム計画が成就したところで、『破天』が実現したところで、人民はその行いを決して許す事はないだろう。フリュム船を用い、外宇宙に出る事すら拒絶するかもしれない。そうなれば、待っているのは自滅のみだ。
しかし人民は、一度確立された支配体制には弱い。それが暴力で形成された国家であろうとも、畢竟支配者のやり方には従う。そこで、ラトリア・ルミレースという存在が必要になる訳だ。
「宇宙連合は、ラトリア・ルミレースに負ける。ボストークまで彼らが到来した時、安保理議長であるあなたはブリークスに降伏を促す。あとは連合上層部の隘路となる人々を、革命のプロパガンダに見せかけて過激派に処刑させ、抹殺する。これで連合の舵取りは、現政権からラトリア・ルミレースに移る。
星導師様の唱えたルミリズムは、人類は再び進化を再開し、宇宙生命の招きに従って外宇宙に旅立とう、という運動でした。その裏付けという形で、フリュム船を”彼らが作ったもの”として公表する。フリュム計画そのものを、ラトリア・ルミレースが行ったものする。
星導師様の信者は、貧困地域である火星圏を中心に続々と現れました。連合が彼らを過激派と指定しても、彼らは一定の支持を集めた。だから、彼らがフリュム船での旅立ちをルミリズム運動の延長線上にあるものとすれば、きっと支持者は現れ、外宇宙へ旅立った後も種を存続させられるだけの人間が集まる。
……よく、考えられたプランです。ある程度の犠牲を割り切る事の出来ない人間であれば、立案は不可能だった」
ヨアンは言うと、そこで目つきを鋭くした。
「しかし……あなたは、あの人の内心を読み切る事が出来なかった。あの人が、あなたによってどれだけ心に深い傷を負わされたのか」
「君は……」
シャドミコフは、彼の顔をまじまじと見つめる。
ヨアン・スミス。それは、彼が連合に潜り込まされた際、IDを得る為に抹殺された護星機士訓練生の名前だった。今目の前に居る彼の本名は不明で、素性も分からない。月生まれでソフォモアだという事も、本物のヨアンの情報であって彼の過去ではない。
彼が、作られていない本心を見せるのはこれが初めてだったかもしれない。今、彼は素の感情で自分と相対しているのだ、と思うと、シャドミコフは何故か動悸がしてくるようだった。
「星導師様は、女性を愛せません」ヨアンは告げた。「あなたによって、起動試験が失敗した際のトラウマを蘇らされた彼は暴走し、理性を失い、あのサイス・スペードという娘を傷つけました。それが、また彼の新たな心の傷となった。……僕という存在を笑いたければ、笑えばいい。ですが、この”事実”だけは否定出来ないものなのです。星導師様が、あなた方を恨んでいるという事は」
「……そうか」
シャドミコフは、ふっと息を吐き出した。
「私は七年前の事故の後、火星の協力者である宗祇と共にシン・クマシロを探し出した。私たちが接触した時は一年後だったが、彼は廃人のような状態を脱せてはいなかった。あの”発作”を目の当たりにし、サイスへの行為に自分を責めていた彼を見て尚、彼の恨みの深さを読み切れなかった私は……愚者なのだろうな」
「当然です。起動試験の記憶を取り戻した星導師様が、自分を踏み台にしたようなあなたの計画に、無条件で協力するなどと本気でお思いですか?
彼は、あなたに従う振りをし、『敵対者を演じる味方』を演じながら、本当にフリュム船の破壊を目指していたのです。更に、自分に起こった悲劇の真相も調査し、あなたを殺すつもりだった。その為に送り込まれたのが僕です」
その時、左腕を血液で染め上げたモランが身を起こした。何かに気付いた様子で、呻くような声を上げつつヨアンを睨みつける。
「そういう事か……それで、泡坂がここ最近スペルプリマー起動試験の記録にアクセスしていた理由が分かったぞ。お前が、彼を唆したんだな。そういえばお前は、サウロが死んだ後に木佐貫の秘書となった……木佐貫と泡坂は、友人同士だったとも聞いている」
「その通りですよ」
ヨアンは銃を構え、再び何の前触れもなく引き金を引く。まだ動けるモランが邪魔になる、と判断したようだった。
弾丸は容赦なくモランの足首を撃ち抜き、彼は再び翻筋斗打つ。シャドミコフが制止の声を上げようとした時、ヨアンは「僕は」と言った。
「木佐貫議員と一緒に、ここ四ヶ月間ずっと調査を行ってきました。二年間調査を行って何の成果も得られず、ここで急転直下的に全てが明らかになった事には、ブリークス大佐の行動も大きく関わった幸運ともいえるのですが。これで、星導師様が人生を狂わされたスペルプリマーの起動試験に関する事も、全てが判明しました。僕の最後の役目は……あなたの殺害です」
彼の銃が、三度火を噴いた。シャドミコフは咄嗟に伏せ、議卓の陰に身を隠す。弾丸は壁にめり込んだが、跳弾はしなかった。
「逃がしはしない」
ヨアンが近づいて来る。丸腰の自分は反撃の術を持たない上、相手が飛び道具を持っているという状況に、マズいな、という気持ちが湧いた。逃げるにはこの閣議室を出るしかないが、それは最も撃たれる確率の高いタイミングを自分から作り出すという事でもあった。
その時、足首を押さえて倒れていたモランが両手を撥条のように使って床を押し、自分のすぐ脇を通過しようとしたヨアンに飛び掛かった。
「この陰間が!」
「……っ!?」
ヨアンは再び彼を狙撃しようとしたようだったが、モランの方が早かった。彼はヨアンの腰に組み付き、床に這い蹲らせると、引き伸ばされたその手首に手刀を打ち込む。モランも軍人ではないが、関節部を強打された事はヨアンに大きなダメージを与えたらしい。彼の手から拳銃が飛び、床の上を転がった。
モランは彼を踏み付け、拳銃に飛び掛かる。狙撃された足に激痛が走ったようだったが、体勢を崩しながらもそれを掴み、ヨアンに向ける。彼は、手刀を受けた右手を庇いながら、じりじりと後退りした。
シャドミコフは、モランの指が引き金に掛かるのを見、声を上げた。
「よせ、早まるな」
「構いません、撃ってしまいましょう! 奴は生かしておいては危険です」
「……同じ言葉、あなた方にもそっくり返させて貰いますよ」
ヨアンが、顔を歪めながら絞り出す。モランは「負け惜しみを」と言いながら、震える手で照準を合わせようとした。
次の瞬間、閣議室の扉が勢い良く開かれた。
「何やっているんだよ……ヨアン君!?」
場に居る全員の視線が、声の主の方に向けられた。
立っていたのは、木佐貫議員だった。深夜だというのに、スーツとネクタイをしっかりと身に着けている。先程ヨアンが「木佐貫と共に調査を行った」と言っていたのを思い出し、彼もそれが終了した後のヨアンの動きについて、何か感じるものがあったのかもしれない、とシャドミコフは思った。
ヨアンは木佐貫を見ると、普段のように自信のなさげな表情に戻った。
「やっぱり、僕の今言った事を聴いていたんですね……あなたも」
「ヨアン君……いや、シャドミコフ議長。教えて下さい、あなたがラトリア・ルミレースと繋がっているとはどういう事ですか?」
木佐貫の言葉を聞きながら、シャドミコフは心の中で息を吐いた。