『破天のディベルバイス』第20話 絶望の王①
①ベルクリ・ディオクレイ
『Super Primer : EINHERJAR Ⅰ』『You have control』
起動キーが自動的に回転し、足元からせり上がってきたタブレットの画面に、二行のメッセージが現れた。全方向のモニターが点き、格納庫内の光景が見えるようになる。
ベルクリは腰部を金属バンドで座席に固定されたまま、通信機の回線に向かって叫んだ。
「エインヘリャルが起動したら、こんな船すぐに沈めてやる。お前たちの命もなくなる。スペルプリマーに、たかだかメタラプター程度が敵うと思うなよ!」
『そう叫べるまで回復してくれて、ありがたいよ』
ブリッジから、ブリークス大佐の声が届く。
『だが、残念だな。リージョン五駐在軍のうち、貴様の同期生たちが寝食を行っている寄宿舎にエレクトロン・ゲル弾を仕掛けてきた。私の心拍数は測定されており、これがゼロになった時、起爆する寸法だ。君はまた、自分の手で友人たちを殺したくはないだろう?』
何処か揶揄するような口調に、無意識に歯軋りしていた。
これが、人類生存圏を守る護星機士の台詞だろうか、と思った。月軌道に過激派を引き込んでのサウロ長官暗殺、訓練生たちを過激派に仕立て上げ、部下たちに殺させようとした事。このような男が現在、ラトリア・ルミレースとの戦争で総司令官を務めているという事自体が今では疑問だった。そのような事が、何故許されているのだろうか。
月面、コリンズでブリークスに撃たれたベルクリは、その場で死んだ訳ではなかった。出血多量による昏睡状態に陥り、そのままオルドリンへ運ばれてアポロ作戦を遂行した部隊に治療を受けたらしい。その後、医療用カプセルに入れられたまま半月間眠り続け、その間に土星圏へ移動していた。
目を覚ましたのは昨日だった。ただ、その昨日という言葉にしても正確な事は分かっていない。途中で食事を運んできた浪川が「これで二十四時間経った」と零したのを聞いただけであり、いつ日付が変わったのか、今日がそもそも何日なのかも分からない。ただ、その一日の間ずっと、ベルクリはこのコックピットに縛り付けられていた。
スペルプリマー・エインヘリャル。何故か「Ⅰ」と番号の振られたその機体は、外からはまだ見ていないが無色のディベルバイスに配備されているものと同じく、人型をしているようだった。だが、ブリークスたちは機体に自動プログラムをインストールしたらしく、今し方『初期起動を始める』という通信が入ってから、エインヘリャルは勝手に動き始めた。
画面には、ベルクリがナウトゥに最初に乗った時のような警告のメッセージは表示されなかった。その代わり、自分に操縦が可能である事を告げる文章が浮かび上がってきた。どうやら、スペルプリマーはモデュラスであれば誰でも動かす事が出来るようだが、それでもベルクリには疑問が残った。
「ドローンと同じような扱いをするんじゃ、俺が乗っていても意味がないんじゃないのか?」
『いや、貴様は必要なのだ、ディオクレイ准尉。スペルプリマーは、コラボユニットに搭載されているようなただの重力発生機構を使っている訳ではない。それでは艦砲射撃を防ぐ程の重力バリアなど、展開出来るはずがないだろう。搭乗するモデュラスは操縦者である以前に、重力の捻出機構なのだ』
「だから、モデュラスなんて名前が付けられるのか……」
ガリバルダもその為に利用され、使い捨てられたのかと思うと、改めて瞋恚の焔が皮膚を突き破りそうに思えた。すかさずオペレーターから『バイタルが乱れていますが』などと通信が入り、それに油を注がれる。
もう、言っても仕様がない事だ。ブリークスが倒されれば、気付かないうちに人質に取られた部隊の同期生たちが大勢死ぬ。自動操縦ドローンとしての動きをするエインヘリャルだが、自分がそれを補ってブリークスを守らねばならないという事実は、最早変えられない。
ガリバルダの仇を取るべく殺すべき相手だったはずのブリークスが、今度は命に代えてでも死守せねばならない対象となった。事実を知る前は尊敬していた相手だっただけに、皮肉なものだな、という気持ちが湧き上がる。
『共鳴反応、只今発見しました』
ブリッジで、「フリュム船同士の共鳴」を用いてディベルバイスの位置特定を行っていたクルーが報告した。その声に、驚愕の色が混ざる。
『無色のディベルバイス、反応ポイント……アモールⅠ、小惑星エロス近傍。正確な座標データを表示します』
『エロス?』ブリークスが声を低める。『ノイエ・ヴェルトが停泊しているすぐ近くではないか。奴らは、進んで危険に身を投じたというのか?』
この船に乗っている者たちは、エルガストルムのラザロ艦長のように、ディベルバイスに乗船する者たちが過激派の特殊部隊だ、という虚偽の情報を吹き込まれてはいないようだった。彼らは皆、ブリークスが直接指揮を執る腹心たちらしい。
『或いは、彼らがラトリア・ルミレースに投降したという可能性は?』
『考えにくいな。過激派はフリュム船に対して、目的を破壊と定めている。あの子供たちに投降の意図があったとしても、接近する前に攻撃されるだろう。第一、彼らは宇宙連合が敵になっても、過激派に屈するような者たちではない。……あのような者たちは、勇気の持ち方を誤っているのだ。幼稚な美徳など、歯車としては害悪にしかなり得ない』
随分、彼らを知っているような口振りではないか、と心の中で毒吐いた時、
『ディオクレイ准尉』
ブリークスは、こちらに呼び掛けてきた。
『近づいてみれば分かる事だ。ノイエ・ヴェルトなど、フリュム船の前には恐るるに足らぬ船。ワームピアサーを用いて転移を行ったら、即座に対象を沈める。ディベルバイスの捕獲に、邪魔を入れたくはないからな。転移が済み次第エインヘリャルを発艦出来るよう控えていろ』
「……どうせ、俺の操縦など求めていないんだろう」
独りごち、「アイ・コピー」と自棄気味に答える。ブリークスはベルクリの怒りなど取るに足らない、という様子で、クルーたちにワームピアサー作動の命令を出し始めた。
異変が起こったのは、まさにその時だった。
突然、正面のメインモニター、側面モニターの映像が暗転した。タブレット画面の微弱な光だけが、ベルクリの手元だけをぼんやりと照らす。通信機の回線が切れ、辺りが不気味に静まり返った。
「えっ?」
思わず、声が漏れる。その瞬間、それを合図にしたかのように、頭上に薄紫色の光の輪が出現した。それは幕が下りるように、薄い同色のベールを黒一色となった空間に下ろしてくる。
光に照らされても、モニターやコックピット内の景色は見えないままだった。薄紫色の空間に、ベルクリは急に放り込まれたかのような不安が込み上げる。次に何が起こるのか、焦燥を必死に抑え込みながら待っていると、突然声が聞こえた。
──あいつら皆、死んでしまえばいい。
怨嗟の込もったその呟きに、背筋がひやりとした。誰だ、と誰何しようとしたが、それよりも早く次の現象は発生した。
ベルクリの腰を下ろしていた座席、そこに自分を繋ぎ留めていた金属バンドの感覚が、たちまちのうちに消滅した。足元の感覚がなくなり、目の前に浮かんでいたタブレット画面の光も消える。
あっと声を上げる間もなく、ベルクリは底なしの暗闇へと墜落した。
落ちたのが自分の身体なのか、意識なのかすらも分からなかった。