『破天のディベルバイス』第19話 モデュラスの宿命⑧
⑥神稲伊織
「さて、それでは話を始めましょうか」
ケーゼの格納庫に入ると、ウェーバーは内側から鍵を閉め、言った。伊織は肯いたが、彼が何かを続け、主導権を奪う前に「まずは」と先手を取った。
「先に話すのはあんたの方だ。……俺に、アンジュ先輩を殺させようとしたな。一体何が目的だ? あんたも、彼女に私刑を加えなきゃ気が済まなかったのか?」
「いえ、私が彼女個人に恨みがあった訳ではありません」
「だったら……」
「あなたのやり方が、温いと思ったからですよ、神稲さん」
ウェーバーは、至極あっさりと言い放った。伊織は絶句し、数秒遅れてかっとしたが、声を抑えて「どういう事だ?」と問う。
「俺は、訓練生たちの船内に於ける自由行動を制限した。ルールを破った奴は容赦なく懲罰対象とするし、能力主義の観点から、リバブルエリア時代の友達ですらブリッジから追い払った。現に、俺の脅迫じみた支配を恐れて生徒たちは大人しくなっている。……俺が、これを喜んでやっているとでも? 自分にも他人にも、温く接してきたつもりなんてない」
「いえ、甘いですよ。一部の生徒には分かっている、あなたが行っている行為は”脅迫”に留まり、その気になれば反逆する事も可能だ、過敏に恐れる必要はない、と。まあ、生徒たち皆の命を保証する、自分に従えば守ってやる、と最初に宣言しているので、当然と言えば当然ですが」
「それを目標にしなくてどうする? そうじゃなかったら、俺もこんな行動を起こしたりしなかった。……オーズの討滅は、俺だけが知っている、俺に深く関わりがある事なんだ。俺しか、皆を助けられる人は居ないんだ」
実際、祐二たちは自分たちが保護されたところで、フリュム計画が連合上層部に居る限り自分たちの命はない、と考えていた。
「皆を、という考え方がいけませんね」ウェーバーは、淡々と言葉を紡ぐ。「あなたは先程、自滅する人間をカバーする事は出来ない、と言いましたね。本心でなかったとしても、口に出した事には責任を持って頂きます。船を生かす為に、不要な人間を切り捨てる覚悟を持って下さい」
「不要な人間……?」
その言葉が、代用品として生まれた自分の存在に通ずるものがあっただけに、伊織は抑え込んだ怒りに重油を注がれたような気がした。堪えきれずに腕を伸ばし、ウェーバーの襟首を掴み上げる。だが、彼は全く臆さなかった。
「だから……」声が震える。「だから俺に、アンジュ先輩を撃たせようとしたのか。俺の手で引き金を引かせて、後から明かすつもりだったんだろう。俺はもう手を下したのだから、引き返す事は出来ないって。俺の中に、殺すという選択肢を作る為。命の価値を曖昧にする為に。その為のデモンストレーションに、あんたが”不要”と判断したアンジュ先輩を使ったのか」
「命は尊い、などと言旧られた文句を口に出すつもりはないですよね?」
平然とした態度のウェーバーに、伊織は舌打ちする。暖簾に腕押し、という言葉が実感され、彼の襟首から手を離した。
恐らくこの男は、本当にアンジュ先輩を不要と見たのだろう。彼女が監禁されている間、ダークの一件から彼女を恨んだ生徒たちが襲撃を掛ける事は常に懸念されていた。実際、ユーゲントには襲撃された者が居る。そのせいで舵取り組に見回りの必要が生まれ、生徒間の空気が悪くなったのも事実だ。
彼はそういった生徒たちを取り締まる事より、「元凶」を除く事を選んだ。そしてアンジュ先輩は、彼の思惑通りに散った。
「……あなたに、引き金を引かせる事は出来ませんでしたね。彼女がモデュラス化する事は予想外でしたが、あなたが重力による交信を行ってしまったのだから仕方がありません。ですが、私には一つ解せない事があります」
「何だ?」
「あなたはあの時……何故、アンジュさんが乗っていると知る以前から四号機を撃とうとしなかったのですか? 無人機で、今後の戦闘行為が不可能な上に自爆の危険があれば、普通は躊躇なく撃つでしょう」
いつの間にか、主導権はウェーバーに渡っていた。彼はずっと、伊織が隠している事の正体に薄々勘付いていたのだろう。無論、伊織が星導師オーズのクローンで、第一世代モデュラスだった事などは除いて。
彼が知りたがっているのは、ハープや四号機以上に伊織自身の事だ。
何処まで言うべきか、伊織は逡巡した。しかし、今回のような事がこれからも続くのであれば、ここでウェーバーに逆らうのは得策ではないと思った。
「……言っておくが、この事を誰かに言った場合、俺も、あんたが俺にアンジュ先輩を殺させようとした事を公表する。いいな?」
「ご安心下さい、私はそのような事はしませんよ。あなたには、引き続き船の舵取りを一任したい。ただ、その隘路となる甘さを除かねばならないと思っただけです」
合理主義な男だけに、それに嘘はないな、と判断した。伊織は、言葉を組み立てながらゆっくりと口を開く。
「お察しの通り、四号機にはハープが居たよ。ただ、あれは彼女じゃない。彼女の脳回路──感情を司る偏桃体を含めた──を、システム上にトレースした人工知能に近いものだろう。プログラミングされていない、というところが人工知能とは違うけどな。その彼女と、俺はシェアリングで対話した」
「私が予想していた通りですね。彼女はシェアリングによって、我々に何かを訴えようとしていた。問題は、火星で何故彼女が四号機の暴走を引き起こしたのか、という事です」
「信じられないと思うが、ここまで言わせたからには信じて貰うぞ。……五年前、火星でハープを暴行した”人鬼”……第一世代モデュラスは、星導師オーズだ。奴の本名は神稲シン。俺のオリジナルだ。彼女は俺を見て、自分を襲った”人鬼”だと思ったんだ」
「………」
ウェーバーは、小馬鹿にするような態度は取らなかった。沈黙したまま、続きを促すかのように微かに肯いた。情報の真偽は、全てを聴いてから判断しよう、というつもりなのだろう。
「伊織っていうのは、死んだ兄さんの名前なんだよ。七年前、伊織とオーズ……本物のシンは、フリュム計画に関する何かの試験に登用され、失敗したらしい。俺はこの話を、里親だと思っていた実の両親から聞いた。まさか、それがフリュム計画だとは思っていなかったけどな」
「……では」
ウェーバーはそこで、再び口を開いた。何処まで話していいのか分からず、生い立ちの事を口に出そうとしていた伊織は言葉を切る。
「フリュム計画に関わっていた本物の神稲シンが、何故今星導師オーズとなり、ラトリア・ルミレースを率いているのですか?」
あなたが全ての後で公表しようとしているのはこの事ですか、と彼は尋ねてきた。伊織は唇を噛み、「ああ」と答える。
「フリュム計画上層部、恐らく宗祇少佐らの仕組んだ事だ。この宇宙戦争は全部、フリュム船を用いた最終目的を果たす為のものだったんだ」