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『破天のディベルバイス』第19話 モデュラスの宿命④

 ④カエラ・ルキフェル


 ──知ってる。特別な場所からじゃ、見られない景色もあるんだって事。


 カエラがスペルプリマーの格納庫に入ると、残された二号機の足元にウェーバー先輩が座り込んでいた。宇宙服を着用し、傍らにヒッグスビブロメーターを置いて跪きながら、無線機を顔に当て続けている。

 何故彼がここに、と一瞬思った。彼もまた、カエラが入って来たのを見ると、しまった、という表情になる。どうやら、彼が中から鍵を掛け忘れていたらしい。だが今のカエラは、彼が何をしていようが、咎める気はなかった。

「どいて下さい」

 歯に衣着せぬ口調で言うと、カエラはウェーバー先輩を横に突き飛ばした。彼は軽い悲鳴も上げなかったが、やや動揺したように無線機を顔から外した。思えば、彼は何かが起こるのを待っているような様子だった。

 カエラはそれには構わず、二号機のコックピットまで上る。機体内に滑り込むと、いつものように私服を体から引き剝がした。パイロットスーツに四肢を通し、座席に座る。起動キーを回し、コネクタが肩甲骨に打ち込まれる。

 ディベルバイスに、過激派船団、二個旅団級の大編隊が向かっている事は伊織から聞かされていた。だが、最早カエラには、そのような事はどうでも良かった。ただ、作り上げていた夢幻の迷宮が崩れ落ちた今、カエラにとってそれらは既に過去の遺物と化していた。

(結局私は、誰かに認められたかっただけなんだ……)


          *   *   *


「十年間進歩し続けろっていうのも、まあ無理な話よね」

 月面のアイドルグループ、「プレシャス・プレジャーズ」に参加し、アイドルとして活動を始めたカエラは、瞬く間にセンターの座に上り詰め、観客の心を鷲掴みにした。

 六歳、小学校に入学する年齢の頃から、子役や演劇を皮切りに、画面の向こうの世界に生き始めた。芸能界とは、常に進化し続けなければ飽きられる。芝居や歌の稽古も厳しく、カエラは決してその世界を「楽しいもの」として生きる事は出来ないまま成長した。

 自ら望んで、始めた事ではなかった。

 両親は平凡な人間だったが、何故か自分は人目を惹く子供だった。幼児期に入った頃には既に、子供としてではなく、女として、周囲から「可愛い」と言われ始めていた。恐らく隔世遺伝で、先祖に居た誰かが整った容姿を有してていたのだろう、と思うが、両親はこれを奇跡と判断してしまった。

 多少絵が上手い子供が居ると、周囲の大人たちは「将来は画家に」などと勝手な夢を見る。自分の場合も、それと同じだった。

 両親は、何も分からない自分を音楽教室に通わせ、幼稚園の発表会のような芝居から始め、いわゆる芸能と呼ばれるカテゴリの教育を施し始めた。彼ら自身、何処から自身が湧いたのか分からない。そのような世界とは全く無関係に生きてきた彼らなので、現実を知らない、偏見と酔狂だけがその原理だったのかもしれない。実際、彼らはカエラの学んだ事に対し、一切の容喙をしなかった。その方面の教育は指導者に丸投げしており、だからカエラには自主トレーニングに両親から付き合って貰った事もない。

 指導者は、カエラが自主練習を()()()()()事をプロの慧眼で見抜いていた。やる気があるのか、と何度も叱責された。好き好んで始めた事ではない故に、それはとても(つら)い事だった。だが当時からカエラは、逃げる事を潔しと出来ない子供だった。それに、自我が芽生える頃から「奇跡」だといわれ、持て囃された事で、自尊心だけは成長していた。自ら、自身の持ち合わせたものを不意にしてしまう事を許せず、またそれを人から「逃げ」だと思われる事も屈辱だった。

 今度は、自分一人で練習に励んだ。オルドリンの外、静かの海へ出て、何度も発声練習をした。無重力空間で踊り狂った。何処まですれば認められるのか分からず、必死になった。

 カリスマ性。それは、最初に人を惹きつけるだけの能力だ。それが才能であったとしても、それ以上の身体的な技能は、決して天与のものではない。カエラは、自身をそう分析していた。

 早いうちから猛練習をし、身に着けたもの。それを、年齢でしか物事を見る事の出来ない人々は、「天才」などという軽い言葉で片付けた。

 才能。嫌な言葉だ。血の滲むような努力の果てに得たものを、得体の知れない、人智を超えた存在から無償で手渡されたものに落としてしまう。過程を全く顧みない、()()()()()()になっている無神経な言葉。

 カエラはそれを裏切りたくて、劇団に所属した後も研鑽に励んだ。停滞すれば、どのようなものでも色褪せる。飽きが来る。新鮮な果物でも放置すれば腐っていくように、不可逆現象というものは大抵、自然には悪い方向にしか進まない。現在ディベルバイスを支配している空気も、それに通ずるのかもしれない。

 だが、それは自身の「限界」を常に更新し続けるという、地獄の作業でもあった。十四歳、八年間そうして走り続けた自分にも、大規模転換(パラダイムシフト)が求められた。新鮮味を与えるには、同じ場所では無理だった。

 アイドルは、表で見られるような華やかさがずっと続く訳ではない。

 若い時期を過ぎれば引退があるし、ライブやグッズ制作、様々な事に費用が掛かるので、売れない頃はかなり厳しい生活を強いられる。「プレシャス・プレジャーズ」は当時結成され、メンバー募集が始まったばかりであり、加入すればその「厳しい生活」が始まる事は明白だった。

 それに、いつか停滞が来るとはいえ、その頃カエラは客観的に見れば全盛期と言えた。リスクがある以上役者の仕事は続けるしかないが、それがメインの中、アイドルと両立する事は難しい。下手をすれば、本業に支障を(きた)し、どちらも失敗して途方に暮れる事となる。それでも挑戦という道を選んでしまったのは、それ程に自分の胸中で、幼少期の苛烈な訓練が”傷”を作り出していたからだろう。

 そう、今考えてみれば、自分の硬直した観念の証憑は”傷”だった。

 両親からは反対された。無難な道を選べ、と説教された。カエラは心の中で彼らを軽蔑した。我が子に自分たちよりも稼がせながら、その子が恐れている事を何も理解していない。「努力の仕方を知る努力」なしに、ただ努力をすれば大抵の事は上手く行くと思っている。早合点した道徳のみで成り立つ、学校での勉強しかしてこないで大人になってしまったのだろう、と思った。

「アイドルとしてデビューするなら、その顔じゃ売れないよ」

 母の口からは、そのような言葉も飛び出した。

 それでカエラは、自分が八年間、両親を誤解してきた事に気付いた。

 彼らが、自分を「奇跡」だと言ったのは、平凡な自分たちから特異な容姿を持ったカエラが生まれたからであり、芸能界でも()()()()()()に進めば、取り立てて自分が特別という訳ではなくなる、と思っていたのだ。

 終着点ありきで、芸能界を見ていた。自分が恐れ、何よりも真面目になろうと頑張っていた理由に、そもそも気付こうとすらしていなかった。

 カエラの失望は、そこで反発へと変化した。

「失敗して(つら)い思いをするのは、お父さんとお母さんじゃない。私でしょ」

 そう言い放ち、カエラはプレプレに加入した。

 だがそれもまた、一時的な韜晦である事は自覚していた。走り出した自分に、ここまで来れば止まる事が出来る、という場所など存在しない事は、最初から分かっていた。しかしそれを達観し、受容する程大人にはなれていなかった。

 最初の頃は、楽しかった。新しい自分に生まれ変わったような気もしていた。メンバーやスタッフとの関係も良好だった。プレプレ自体が大ヒットしたのもあり、世間はカエラの事を以前よりもよく認知するようになった。ややもすると、同世代だと役者としてのカエラより、アイドルとしてのカエラを知っている人の方が多いのかもしれない。

 だが、停滞を人一倍恐れていた自分は、世間よりも”それ”を感じ始めるのが早かった。そして丁度その頃、トレーナーが変わった。

 女性のトレーナーであったその人は、カエラの中にある怯懦な気持ちに(いち)早く気付いた。そして、その恐れが表面に現れ始めている事を容赦なく指摘した。練習中、歌をワンフレーズ口(ずさ)んだり、一回足を上げるだけで「違う」と何度も言われた。それが純粋な教育の為であったら、自分も受容しただろう。劇団でも、事務所でも、ずっと経験してきた事だから。

 だが、彼女は自分に「驕っている」と言った。カエラの経歴を知っている彼女は、子供の頃から天才と言われてきた事で、自分が慢心していると言ってきた。カエラはむしろ、自分を天才だと思った事など一度もなく、それどころか誰よりも自分の成熟が「腐敗」に変化するのを恐れていたのに。

 一言口に出せば、「違う」と言われ、ありもしない慢心を咎められる。そのうちカエラは、歌う事に恐れを抱くようになった。それこそ引退後、リバブルエリアにヴィペラの雲が侵入してきたあの日、閉じ込められた場所から助けを呼ぶ為、声を通す為に歌っただけで、過呼吸を起こして卒倒してしまったように。

 二年前、カエラはステージの上で同じように倒れてしまった。突発的な貧血だと外には説明されたが、違った。自分の中で、歌う事がトラウマへと変化してしまっていたのだ。そしてトレーナーは、それすらも健康管理を怠ったからだ、と決めつけ、自覚の足りなさを指摘した。そこでカエラに限界が訪れ、自分の中に積もり積もっていた負の感情をぶち撒けてしまった。

 あなたのせいで、私はこのような事になった。今まで出来ていた事までも出来なくなってしまった。私が恐れている本当の事を、誰も見ようとしない。考える事を放棄している。だから、そのような稚拙な指摘しか出来ないのだ。あなたは一歩間違えれば、本当の意味で私を殺していた。

 その糾弾を、トレーナーは何も言わずに聴いていた。感情的になって怒鳴り返してきたり、という事も一切なかった。やがて言われたのが、憐れむような、見限ったような口調で紡ぎ出されたその台詞だった。

「十年間進歩し続けろっていうのも、まあ無理な話よね」

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