『破天のディベルバイス』第19話 モデュラスの宿命③
③神稲伊織
『こちら、ウェーバーです。神稲さん、ディベルバイスの前方一キロメートル辺りをご覧下さい。四号機が、再び暴走を開始しました』
「はあ?」
船の撃沈に当たっている祐二を追わせないよう、発艦された戦闘機部隊の残存戦力を叩いていると、船からウェーバーがプライベート通信を繋いできた。その機体番号に、伊織は思わず頓狂な声を上げつつ後方を見る。
段々とこちらに接近してくるディベルバイスの前方より、船を圧倒的に上回る速度で飛行する物体があった。スペルプリマー、だが緑色の輝きを放つそれには、四肢も頭部も存在しなかった。火星でシェアリングを試み、暴走した挙句カエラによって半壊させられた機体、四号機。それは間違いない事だった。
だが何故、と思った。あの後、伊織は封印された四号機を解放し、もう一度ハープと語り合う事で現在の行動を起こす嚆矢を放った。しかし、あの後自分はもう一度、機体に縛めを掛けたのだ。それにハープが暴走を起こしたのは、伊織を星導師オーズ、かつて自分を襲った”人鬼”と思い込んだ為だ。誤解が解けた以上、彼女が再び荒ぶるなど有り得ないはずだった。
「……嘘だろ?」
呟くと、
『あなたのせいですよ』
ウェーバー先輩は、突き放すようにそう言った。
『神稲さん、あなたは何かを隠している。その事実は、我々に何かを報せようとしていた四号機によりもたらされたのでしょう? あなたは、我々には内証にして四号機に接触した。封印を解放したのです。そして、それを戻す際の手順に抜かりがあった為、このような暴走を招いたのです』
ウェーバー先輩の糾弾に、伊織は何も言い返す事が出来なかった。
そうなのか。自分が焦ったあまりに、守るべき生徒たちを今、逆に危険な状態に置く事になったのか。
自分は確かに、フリュム計画の産物だった。オリジナルの自分は起動試験で多大な負荷を受け、錯乱して姿を消した挙句、過激派組織の設立者へと堕ちた。それは結果として事実だったが、自分が本当の事を知ろうとして勝手に四号機とシェアリングを行ったのは確かだ。それも、一度それでケンを意識不明に追いやった、という事実がある中で。
「何で……どうしてだよ? ハープはちゃんと、俺と話したじゃないか。俺の行いを肯定するって……そう、認めたじゃないか……!」
『……後で、ゆっくり聴かせて貰いますよ』
自分の独白を聴いたウェーバー先輩は、変わらぬ冷たい口調で言ってきた。伊織は頭を振り、問い詰めるように言葉を重ねた。
「船に被害は? ディベルバイスは、この事を把握しているのか?」
『四号機は武器を失ったのですよ。攻撃出来るはずがないでしょう。ただ、それで安心するのはまだ早い。自爆という、最後の攻撃手段は残っていますから』
「自爆……」
伊織は鸚鵡返しする事しか出来ない。
まさか、そのような事があって堪るものか。もう一度、ハープと語り合う事は出来ないのか。自分たちの犠牲者となった彼女は、まだあの機体の中に居る。それが彼女の魂などではない事は百も承知だが、自分は確かに彼女と分かり合えた。もう、四号機は決して同じような悲劇を起こさないものだと信じていた。
もしハープがまた暴走を起こしたのだとしたら、自分はまた話を聴きたい。それがせめてもの自分の懺悔であり、船を守る為に出来る事だ。
そう思ったが、先輩の続けてきた台詞は非情なものだった。
『あなたがこの先、船を牽引していくという覚悟が不動のものであるなら、せめてあなた自身の手であの機体を葬り去って下さい』
「葬るって……」
『完全に破壊して下さい、という意味です。どうせ、もう四号機は補修が不可能。戦闘能力も残されていませんし、なくなったところで何も問題はありません』
「そんな! だって……」
──まだあの中には、ハープが宿っているのだ。
そう言おうとして、伊織は口を噤んだ。全てが終わるまで、自分とフリュム計画、星導師オーズの関係については明かせない。だがその沈黙は、現在の状況に於いてウェーバー先輩に有利に働くものでしかなかった。
『何を躊躇っているのですか? あの機体は無人です、手遅れになる前に早く』
あなたも分かっているのでしょう、と彼は言った。
既に本物が死んでしまった疑似的なハープよりも、今生きている者たちの命を優先させねばならない。
伊織にも、殊更に考えずとも分かる事だった。だがそれが出来ない理由を探しているうちに、今まで気付かなかった自分の内心を悟り、慄然とした。
疑似的な彼女。それは、オーズのクローンであり、代用品として作られ、代用品として神稲家に送り込まれた自分にも言える事だった。あの四号機に宿っているハープの存在を死者として否定する事は、自分の存在を自分で否定する事にも繋がりかねない。
(作戦が終わって全てを公表したら、俺は生きていられない。そんな事、とっくに分かっていたはずじゃねえか!)
自分の覚悟とは、その程度のものか。
接近して来る四号機を見ながら、伊織は優柔な自分に苛立ちが込み上げてきた。
と、その時、今度はブリッジから直接連絡が入った。
『こちらグレーテ・ケンプフェル! 敵戦闘機部隊、第三陣の出現を確認! 何で皆攻撃しないの!』
『ディベルバイス前方に熱反応を検知! ヒッグス信号を放っていない正体不明機が一機居る模様。畜生、死角になって目視確認が出来ねえ!』
四号機が動いている事に気付かれた。だがそれよりも、グレーテの報告に伊織はぎょっとして後方を振り向いた。
祐二が、また一隻ルビコン級を沈めたようだった。視界が開け、一号機を取り囲んでいたバーデやボーアが吹き飛ぶのが見える。その向こうから、先程までの間に伊織たちが撃墜した戦闘機群の何倍もの規模の部隊が飛行して来るのが見えた。
四号機に気を取られすぎた、と思った瞬間には、既にそれらが一斉に機銃を撃ってきていた。急いで重力バリアを使用するものの間に合わず、五号機は脚部の辺りに被弾した。それだけに留まらず、伊織の機体を逸れた弾丸は後方へ飛び、ナイジェルの駆るケーゼを貫いた。
『……ん! 後は……』
重力操作による電波障害から、ナイジェルからの光通信は途切れ途切れのまま終わった。ケーゼが爆散し、脱出機構が作動したらしく彼の座席が機体外へと飛び出して行くのが見える。宇宙空間では殆ど意味を成さないパラシュートも開いたが、彼はそのまま流されるようにして四号機の方へ向かい始めた。
『マズい!』祐二が、ボーアを爆散させて炎を浴びながら叫んだ。『伊織、ナイジェルを助けるんだ! 急いで!』
「分かってる!」
伊織はそこで、遂に自分の中で何かが切れるのを感じた。活字化出来ないような、腹の底からの雄叫びを上げて重力出力を上げる。広域に広がったそれは、圏内に入ってきた過激派の第三陣を瞬く間に圧し潰した。
四号機がすぐ傍まで来る。機体の発光部の点滅が顕著に見えるようになり、それに呼応するかのように五号機も明滅を始めた。座席下のタブレット画面に『HAMMARが感覚共有を求めています』と表示される。
伊織が判断するよりも早く、交錯した重力場を染め上げる白い光と共に、それは開始された。
* * *
シェアリングが開始されると、伊織はすぐにハープが現れると思った。現れたら、彼女がパニックを起こしてそれを終了してしまわないうちに、自分から宥めに行かねばならない。
だが、そこで座席の隣に浮かび上がったのは、彼女ではなかった。
『……君。伊織君!』
声と共に、光の粒が集合して女性の姿を浮かび上がらせる。モデュラス専用のパイロットスーツを纏い、ヘルメットを被っている姿は自分と同じだ。四号機には搭乗者が居た、と分かるとほぼ同時に、その人影ははっきりと自分の方を見、ヘルメットのバイザーを上げた。
「あなたは……」
伊織はその顔を見て驚いたが、それはすぐに怒りに変化した。
「何処まで皆を危険に晒せば、気が済むんですか、アンジュ先輩!」
その相手は、監禁されているはずのアンジュ先輩だったのだ。伊織が怒鳴ると、彼女は強く頭を振った。『伊織君、違うの!』
「何が違うって言うんですか! どうりで変だと思った……ハープが、また暴走なんて起こす訳がない!」
『確かに私は、モデュラスとして登録したわ。でも、それは今の状況をあなたに伝える為。シェアリングは、四号機のハープちゃんが手伝ってくれたの。機体が勝手に動いているのは……』
「ハープ? 誰が、そんな事をあなたに教えたんだ?」
伊織は息を呑んだ。アンジュ先輩はこちらの言葉を聞き、はっとしたように口元を両手で押さえた。『それじゃあ、本当に』という呟きが、掠れながらこちらに届いてくる。苛立ちは増々募った。
「何なんだよ、先輩は! 鎌を掛けたのか? 俺が本当の事を言わないから、そうやって姑息な手を使って」
『違う、本当にハープちゃんがこの機体に居るなんて、信じられなかったの! 全部ウェーバーがでっち上げた嘘なのかと思って……私がモデュラスになったのは、伊織君にウェーバーの事を教える為なの。シェアリングがその時始まったから、もしかしたらハープちゃんが、と思ってはいたけど……』
混乱しているのか、先輩の言葉は支離滅裂に感じられた。だが、聴いているうちに伊織は気付き、ぞくりと背筋が震えた。
先輩が、自分に鎌を掛けたのではない。
「ウェーバー先輩が、俺がシェアリングでハープと話した事に薄々気が付いていたのか……それとも、単純な推測だったのか、出鱈目に言ったものがたまたま本当の事だったのか。そして、アンジュ先輩を四号機に乗せて……」
『そう! 機体のプログラムに、無人戦術機用のデータが上書きされているみたいなの! ハッチも開かないし、無線も壊されてる。あなたたちと話すには、こうしてモデュラスの能力を使うしか……!』
──あなた自身の手であの機体を葬り去って下さい。
──あの機体は無人です、手遅れになる前に早く。
ウェーバー先輩の先程の言葉が、伊織の脳裏に蘇ってきた。彼はアンジュ先輩を四号機に閉じ込め、誤作動を起こさせ、そして自分にプライベート通信を入れてきた。それが何を意味するのか、最早疑う余地はなかった。
彼は、伊織にアンジュ先輩を殺させようとした。アンジュ先輩の言葉を信じるのであれば、ハープがこのタイミングでシェアリングを起こしてくれなかったら、自分は間違いなくこの手を汚していた。
(船に居る皆を守る……それが俺の大義名分だった)
それを、一歩遅ければ自分の手で突き崩していた。何も知らないまま、ある意味自分の──フリュム計画に運命を狂わされたアンジュ先輩を、懺悔するべき相手を殺しているところだった。
ウェーバー先輩は何処まで知っているのだろう、と思った。何故、自分にそのような行動をさせようと目論んだのだろう。彼の目的は、一体何なのだろう。考えれば考える程、恐ろしい事ばかりが頭に浮かんだ。指先が痙攣し、操縦桿が握れなくなっていくのを感じた。
祐二が、ディベルバイス乗船までにしばしば発症していたPTSDの事が頭に浮かんだ。兄・嘉郎の遺体を見た光景がトラウマとなり、それが蘇る度に指先が震えるというあの症状だ。スペルプリマーに乗り、思考がモデュラス回路に切り替わっている時、彼はその症状が発症する事はないと言った。それが今、自分に現れているという事は。
(これが、俺の気付いた瞬間なんだ……)
そうだ。自分は、ずっと一種の強迫観念に支配されてきた。
気付いていなかっただけで、代用品の自分が存在意義を失うという事、それを極端に怖がっていた。義姉だと思い込んでいた本当の姉と姦通を行った事でも、自分が人工子宮で”培養”されたクローンである事実を知った事も、きっかけではない。自分が生まれた瞬間、他人には絶対に想像が出来ないような特殊な出生だった時から脈々と続いていた、いつ発症してもおかしくなかった、生まれながらのトラウマ。当たり前すぎて、自分の一部となっていた異常。
『伊織君、コックピットを開けて。私、もう勝手な事はしないわ!』
アンジュ先輩が、悲痛な声で叫んだ。
『全部をウェーバーのせいにするつもりはない。私も彼に同意して、自分がダーク君ともう一回話したくて……完全に私情で、こんな事を引き起こしてしまった。それについて、何を弁疏するつもりはないわ。謹慎がずっと解けなくたって構わない。だからお願い、私をここから出して!』
「……分かりましたよ」
伊織は、最早目を逸らせなくなった自身への圧力を押し返すように、声を絞り出して応答した。
「第四陣が撃ってくる前に、俺はあなたをそこから出す。その後、ウェーバー先輩の指示通り四号機を完全に破壊する。それで彼が、俺があなたを殺したという事を口に出してきたら……彼の行動に関わる大きな証拠を得る事が出来ます。あなたは、コックピットが開いたら自力でディベルバイスに帰投して下さい」
幸い、残っている第三陣はアイリッシュとスカイが大半を駆逐してくれていた。ディベルバイスの方に回り込んでしまった敵は居ないようだ。念の為敵船団とディベルバイスの進路を迂回すれば、十分安全に戻れるはず。
伊織はシェアリングを解除すると、四号機の方へと飛んだ。どうやらシェアリング中は、回転速度の上がった脳同士が逓増させ合う重力の感応により、普段よりも短い時間で会話が出来るらしい。アンジュ先輩との会話は大分長引いたように感じられたが、第三陣の戦闘が撃滅されてからそれ程時間は経っていないようだった。
ナイジェルが狼狽しながら、自分の前を漂って四号機へと流されていくのが目に入った。何やら叫んでいるようだが、真空中では音が伝わってこない。彼に、自分の行動が見られてはいけないような気がした。伊織はスペルプリマーの手を振り、彼をディベルバイスへ帰投するように追い立てた。
腕を振り上げ、コックピットブロックのみとなった四号機を受け止める。それから斧を逆手に持ち直し、閉鎖されたハッチをこじ開けようとした。
その瞬間、後方で何かが発光したのが視覚に拾われた。それが、モデュラスの思考回路によってコンマ数秒で処理されるや否や、伊織は四号機を掴んで大きく横に飛んでいた。
赤黒い光の矢が、船の方から飛来した。それは、伊織が回避しきるまで時間を与えず、四号機のジェットエンジンを後方から貫いた。
それは、伊織がハッチを開放するのとほぼ同じタイミングだった。小さな影──アンジュ先輩がコックピットから出てきた瞬間、伊織は四号機を思い切り投げ飛ばそうとしたが、それを待たずに矢は強く光り輝いた。
至近距離から爆風が襲い掛かる。伊織は五号機の腕を交差させ、叩き付ける衝撃を必死に中和した。だが、五メートルと離れないうちに爆風を背後から受けたアンジュ先輩は、木の葉の如く宙を舞って下方の彼方へ飛ばされて行った。
「あっ……」
無意識のうちに、口から小さく声が零れていた。
こちらに手を伸ばしたままのアンジュ先輩のシルエットが、どんどん遠ざかって行く。祐二が沈めようとしているジウスド級戦艦がまた一隻、矢の飛来した方向に向かって艦首砲をチャージし始めた。
「やめろ───っ!!」
伊織は我に返り、絶叫しつつその小型戦艦に飛び掛かろうとした。が、その行動は空しい結果に終わった。如何にモデュラスの知覚能力であっても、視線を一点に釘付けにされてしまっては意味がない。
五号機を戦艦の前に滑り込ませようとしたまさにその瞬間、敵の艦首砲が宇宙空間を一直線に貫いた。底のない闇の中へと落下していくアンジュ先輩の影が、それに覆い隠されるように見えなくなった。
「うわああああああっ!!」
自分のせいだ。自分のせいで、取り返しのつかない事になってしまった。
そう思うか思わないかのうちに、伊織は喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。祐二が、戦闘機部隊を押し退けながら『どうした!』と叫んでくる。
『伊織、さっきシェアリングしただろ。何があった? 四号機はどうなった? ナイジェルは助かったのか?』
「うるさい!」
その時、たった今の射撃のお返しとばかりに、ディベルバイスの方から二射目の矢が飛んだ。それは四号機を貫いた時よりも極太で、只今射撃を行ったジウスド級の中心を貫き、跡形もなく爆散させた。船体のすぐ下で戦闘を繰り広げている祐二が『うわっ!』と叫び、拡散した衝撃に押されて高度を下げた。
伊織は、何が起こったのかを確かめるべくディベルバイスの方を向く。立て続けにショッキングな出来事が起こり、冷静になれ、と自分に言い聞かせるのがやっとだった。
そして、伊織のその自制心は、目に入ったそれによって完全に崩壊した。手の付けられない程の、激しい怒りが湧き上がる。
そこに浮かんでいたのは、スペルプリマー二号機だった。
回線からカエラの声で、『はあい』という戯けた通信が入ってきた。