『破天のディベルバイス』第2話 ディベルバイスの鼓動⑧
⑩渡海祐二
眼下で、落下していくダークギルドの船ドラゴニアが、先程のディベルバイスと同様真っ赤に輝いていた。だが、彼らの意思はその輝きに関与していない。ただ重力に逆らえず、ヴィペラに覆われた地球へと落ちていく。
千花菜の呼び掛けにユーゲントたちが応え、ディベルバイスの回頭が始まりつつあった。三次元的な楕円を描くように、斜めに大気圏突入軌道に入る。
宇宙船の最前部に居る僕たちは、真っ先に炎に包まれた。ディベルバイスの速度から外れると危険だ、とは突破の際にアンジュ先輩から言われたが、ダークたちに働き掛ける以上ここを動かないという選択は採れない。
SD系は、単体で大気圏突入の熱に耐えられる。ならば、重力に支配されない加速さえあれば上手く行くはずだ。
「千花菜、シートベルトを再確認」
「問題ないよ!」
「飛ばすよ。三、二……一!」
伊織がよくやっているように、力を込めてスロットルレバーを倒す。完全にシャッターの開いた格納庫のハンドルから、アームを引きちぎるようにしてガンマは発進した。
燃え上がる視界の奥、外壁の金属板が剝がれていくドラゴニアの船影が、微かに確認出来た。猛烈な風に抗うように機体を傾け、アタッチメントのハーケンを操作し、そこへ打ち出す。
通信が繋がった気配があり、彼らの叫喚の中から低い声が浮上した。
『……誰だ、お前は?』
実際に声を聴いた事はなかったが、それがダークの言葉であると、僕は直感的に分かった。
「護星機士訓練課程、〇一クラスの渡海祐二だ」
所属だけを言えば良かったはずなのに、僕はフルで名乗っていた。
相手がダークなのだと分かった時、冷めきったと思っていた僕の中で、一欠片の火種に酸素が送られたようだった。
「昨日、君たちに襲われた者だ! 今、ユーゲントが君たちを助けようとしている。自分たちの行為を申し訳ないと思う気持ちが少しでもあるなら、下に入り込もうとしている宇宙船のデッキに着艦しろ!」
言ってから、こんな挑発めいた事を言ってどうするのだろう、とひやりとした。今は彼らを怒らせるべき時ではない。下手な問題が起これば、共倒れになる可能性もあるのだ。
空っぽで胃酸の濃度が強まっている胃袋が、きゅっと引き締まって痛い。心臓が早鐘の如く拍動している。有線を伝う沈黙をどう捉えるべきか、と考えつつ反応を待っていると、幸いダークが怒鳴るような事はなかった。
『……分かった』
短い通信の後、風に耐えきれなくなったかのようにハーケンが抜ける。
一瞬遅れ、下方にディベルバイスが入ってきた。
『祐二君たち、着艦して! 伊織君たちの射撃が始まるわ!』
アンジュ先輩の声がし、僕と千花菜は「アイ・コピー!」と答える。
ドラゴニアの底部がデッキに着くのを見届けると、僕たちは大きく旋回して熱を振り切り、ディベルバイスに降りた。
と、同時に、視界の左側の隅から無数の光が射出された。
「伊織……あそこで、戦っているんだ……」
千花菜が呟くのを聞き、僕は今し方のアンジュ先輩の言葉を脳裏でリプレイする。
そうだ、彼女は「伊織君たちの射撃」と言った。
「ダーク!」
もう通信は繋がっていないという事も忘れ、僕は叫ぶ。ディベルバイスがまたもや上昇し、大気圏を出たらしく炎が収まった。
僕の声が聞こえた訳ではないだろうが、ドラゴニアが動き、僕たちが先程開けた格納庫に避難していく。僕たちも彼らを追い、格納庫へと進んだ。
太陽と反対側を向いているので、その中に光は入ってこなかった。照明も点いておらず、暗い。ダークギルドとぶつからないよう、僕は慎重に操縦してガンマを停止させた。
外で、マシンガンの音の切れ目に、幾つもの爆発音が轟いた。繋ぎっぱなしになっていたヒッグス通信の向こうから歓声も上がる。ユーゲントたちの声は、先程までよりもはっきりと大きく聞こえた。
「アンジュ先輩、今何処に居ますか?」
『ブリッジに戻ったわ。その方が、こっちとも通信しやすいでしょう?』
「ありがとうございます。ところで、敵は?」
『三割方撃破出来たけど、完全に叩くのは難しいかも……半分も倒せば、彼らも引き返していくかな?』
「こちらの損害は?」
『外壁への被弾が何発かあるけど、大した事はないわ。あなたたちは大丈夫?』
「問題ありません。ダークギルドも、ちゃんと乗りました。今、スペルプリマーの格納庫に居ます」
僕が答えた時、一際大きな音と共に船が揺れた。
ユーゲントたちの歓声が一瞬にして途切れ、その後悲鳴に変わった。
「今のって……」千花菜が、怯えたような声を出す。
『右舷三番目のマシンガンに被弾! 操縦者には怪我なし!』
マリー先輩の声が、状況を落ち着かせようとするかのように響いたが、それは僅かに遅かった。ドタバタという足音が聞こえ、ブリッジの扉が開かれる音がした。
『逃げてくれ! 早く離脱するんだ!』
『聞いてねえぞ、あんな大軍が来るなんて!?』
『安全は保障されるんじゃなかったのかよおっ!?』
阿鼻叫喚に陥った生徒たちの叫び声が、回線越しに一気に拾われ、ガシャガシャという音割れを起こす。僕は、つい側面モニターを殴りつけたくなった。
『落ち着いてくれ、頼むから! まだ損傷はそこまでじゃないんだ!』
ジェイソン先輩の、半泣きに近い声がその折々に混じる。隣を見ると、千花菜が今にも泣き出しそうな顔をしているのが目に入った。
──完全なる二次災害だ。
僕は通信を切ると、シートベルトを解いた。席を立ち、ガンマの出口に向かう。
「……祐二? 何処に行くの?」
千花菜が尋ねてきたが答えず、僕は機体を降りる。船内から格納庫に続く扉のロックを解除し、機銃室に行こうと思った。伊織にこの状況をどうすればいいのか、尋ねたかった。
僕は、もう何でもするつもりだった。だが、そのするべき事すらも伊織に聞かないと分からないのだろうか、と思うと、自分の無能さに腹が立った。
何故自分が、ここまで熱くなっているのかについては分かっていた。千花菜だ。彼女が隣に居て、自分たちに危険が迫っているから。彼女を守るべき時こそが、何事にも冷めたような僕を熱くさせる時だ。
彼女が護星機士になるべく猛勉強を始めた時、僕は無我夢中で彼女を追うように勉強した。唯一残った家族である母とも、喧嘩別れのような形で家を出てきた。これはそうだ、あの時と同じ熱さだ。
出口に向かおうと奥へと駆け出したその時、僕の動きに反応したかのように壁際の床から光が湧き上がった。壁沿いに並べられていた照明が、動きに反応したのか体温に反応したのかは分からないが、一斉に点灯したのだ。
(………?)
僕は、足が竦んだ。光に驚いた為ではない。照明に照らされ、突如現れた巨大な、物々しい”それら”に威圧されたのだ。
そこに並んでいたのは、ロボットだった。甲冑を纏った武者のような、七メートル程の体高を持つ黒い機体。壁沿いに五機、両手両足をバンドで止められるような形で並んでいる。
「これが……スペルプリマー?」
思わず独りごつ。類似のものを見た事がない兵器だった。
以前、何故アニメや映画に出てくるような軍用の人型ロボットが実戦投入されないのか、とディートリッヒ教官に尋ねた生徒が居た。教官はそれに対し、下らない事を聞くな、とは言わず、思いがけなく丁寧にその理由を語ってくれた。
まず、近接格闘戦を大型兵器で行う必要がないという事。現在ではレーダーは発達しているし、ヒッグスビブロメーターという最先端の万能通信機もある。わざわざ敵に接近して戦うよりも、明らかに銃撃戦の方がリスクが少ない。
次に、操縦が困難である事。モーションキャプチャではないので、人間のように四肢を動かそうとすると様々な操作が必要になる。体の動きを人工知能が読み取って戦わせるのであればどうか、という議論もあったが、それは感度の調整が難しい。反応が顕著であれば雑念を映して余計な動きをしてしまうし、鈍感であればそもそも動かない。
最後に、重量がある上地上で戦う事を想定して作られるそれらを市街地で戦わせれば、一回の戦闘で大惨事になってしまうという事。十メートル近くあるロボットが街中で殴り合えば、電柱や建物は薙ぎ倒されるし道路も穴だらけになる。そしてうっかり倒れれば、パイロット一人の命では済まない。
よって、近接格闘戦に適した人型ロボットの実戦投入は机上の空論である。教官はそう締め括った。他にも、コストが掛かりすぎるなどの問題があるそうだ。
「何でもあり、その三か……」
武器が足りないのだ、と思った。
如何にディベルバイスの外壁が硬くても、船体が大きくても、守り続けるだけでは勝てない。いつかは限界が来る。ユーゲントが「まだ大丈夫だ」と言ってもパニックが起こるのは、皆その”いつか”が来る事を知っているからだ。
ビームマシンガンは、既に一つ潰された。皆実戦に慣れている訳ではないし、死の恐怖に怯えながら戦っている。敵はまだ半分も倒せていない。僕たちには、他にも武器が必要だ。
──考えている時間はなさそうだ。
僕は、いちばん近くに立てられているロボットに近づくと、胸部の辺りから伸びている縄梯子を掴んで攀じ登り始めた。
ディートリッヒ教官は使い物にならないと言っていた兵器だが、このディベルバイスにはヴィペラに最大深度まで潜れる重力機構に小型のヒッグスビブロメ―ター、絵空事だったモノが奇跡のように存在していた。このスペルプリマーも、そういった奇跡の一つだと信じてもいいのではないか、と思った。実際にはそこまで希望に満ちた考え方は出来なかったが、何であれ、ないよりはマシではないか、という気持ちは確かにあった。
「祐二! 何をするつもりなの!?」
眼下で、同じくガンマを降りてきた千花菜が叫んできた。
ドラゴニアの横には、顔に酸素マスクだけを装着した漆黒の髪を持つ少年が立っている。同じく黒いジャケットの肘には、何やら腕章のようなものが巻かれていた。彼がダークだろう、と僕は見当を付けた。
僕が半開きのコックピットまで到達すると、千花菜は僕の目的に気付いたのか、慌てたように縄梯子に駆け寄ってくる。心の中で、ごめん、と謝り、僕は彼女の手が掛かりかけたそれを落とした。
「祐二! 祐二!」
ハッチを閉じ、手探りでイグニッションキーと思しき場所を回す。当然操縦した事はないが、宇宙船と基本的な起動システムは同じだろう。
パラララ、と電子音らしき音が鳴ると同時に、座席の下から小型のタブレットのような板が上がってくる。画面に赤い光が一筋走った、と思うと、見慣れた宇宙連合軍の汎用フォントで『Super Primer : SVERD』という文字が浮かび上がった。同時に、様々な言語が点滅する。酔いそうになりながら何周か眺めていると、やがて日本語の部分が読み取れるようになった。
『警告:スペルプリマーと同化した者は、精神構造を回復する事は出来ません。登録は慎重に行って下さい』
(同化? 精神構造……?)
すぐ下に、『OK』と書かれたボタンのみが光るダイアログボックスが表示されている。警告、という文字に動かされた訳ではないだろうが、僕は指が震えるのを感じた。押したら、何か良くない事が起こるのではないか、という予感が体幹を貫き、痙攣として指先に伝わっていた。
その時、再び船が震動した。攻撃が激しくなっている。
……この状況を打開する為なら。そこまでの力が僕にないとしても、せめて唯一、何事にも熱くなれない僕が叶えたいと思った願いの為であれば。
僕が守りたいと思った、千花菜を守る為なら。
──彼女にそんな顔をさせるのは、お前のお兄さんだろう?
「う……わあああああああああっ!!」
僕は、一瞬心の底から表層意識に囁いてきた魔物の声を振り払うように咆哮し、右手の親指を『OK』のボタンに押し当てた。
『アイ・コピー。転送を開始します』
再度意味深長な言葉が表示された瞬間、座席の後ろから何かが僕の後頭部に嵌め込まれた。肩甲骨の辺りに、細長い金属の筒──無針注射器のようなものが接近し、パイロットスーツをつつく。
僕が反応する間もなく。
それが、激痛と共に肉体に打ち込まれた。
「………っ!」
辛うじて悲鳴を上げるのを堪え、何度か瞬きして滲んできた涙を払い落とす。だがそうしている間に、僕は痛みを忘れてしまった。
コンピューターにデータがダウンロードされていくように、頭に大量の情報が流れ込んでくる。バチバチ、と、脳神経を走る電気がショートしたかのような刺激が頭部に走り、それが一瞬のうちに処理されていく。
そして僕は、全身に鳥肌が立った。入ってきた情報が有機的に結合していき、今まで全く見えなかったものが見えるような、真理を垣間見た教徒のような頭脳の開放を実感した。
分かる。僕がこの金属の巨人の中で、何をすればいいのかが分かる。
足を踏み出そう、と考える間もなく、スペルプリマーの右足が一歩前に出ていた。四肢を壁に拘束していたバンドが割れ、音を立てて地面に落ちる。巨人は一歩ずつ前に踏み出していき、二隻の宇宙船を踏みそうになった僕が慌てて跨ぎ越えようとすると、その通りに避けた。
僕はちらりと、コックピット内の自分の足を見る。気付けば、無意識のうちに歩行ユニットを操作する部分に足を掛け、動かしていた。
自転車に乗る時のような感覚だった。運転方法をいちいち考えなくても運転出来るような、頭ではなく体に染みついた感覚が操縦を行っているような。先程の膨大な情報のダウンロードは、スペルプリマーの操縦方法を無意識領域に刻み込むものだったのか、と分かった。
格納庫を抜け、ガイドに沿って歩き、カタパルトに足を掛ける。
(……行くよ、スペルプリマー)
そう思った時、誰も操作していないカタパルトが、僕の意思に応えたかのように発光し、前方へと推進力が掛かった。前方から掛かる絶え間ないGの中、僕は操縦桿を強く握り締める。
巨人が、虚空へと跳躍した。