『破天のディベルバイス』第19話 モデュラスの宿命②
②アンジュ・バロネス
戦闘が始まった、という放送が流れて間もなく、五時間前の約束通りウェーバーは小型ヒッグスビブロメーターを引きながら部屋にやって来た。
「今が好機です。格納庫の鍵は開いていますので、私に着いて来て下さい」
「ウェーバー、本当にいいの?」
「今更、確認が必要ですか?」
「そうじゃなくて……」アンジュは、ちらりと窓の方を見た。「あなたが、今ブリッジを抜けたらマズいんじゃないかなって」
「ご心配なく。神稲さんたちも他のクルーたちも、上手くごまかして来ました」
「ごまかし……ねえ」
改めて、自分のこれからしようとしている事が公には認められていない行為なのだ、と実感せざるを得なかった。だが、自分はもう一度ハープを通じて、ダークと話す事が出来る、という誘惑に抗えそうにない。
それに、これは自分の為だけではないのだ。伊織の行動は、生徒たちに多大な不安を与えている。その理由を知る事は、決して利己的な目的ではない。
「さあ、早く行きましょう。私が抜けていられる時間も、そう長くはありません」
ウェーバーに催促され、アンジュは肯いた。
* * *
スペルプリマー四号機は、頭部ユニットも四肢も欠損し、エンジンとコックピットブロックだけとなり、見るも無残な有様だった。そのコックピットも結束バンドで何重にも縛られ、エンジンも噴かす事が出来ないようジェット噴射口に冷却シートが詰め込まれている。
しかし、一度それらの封印は伊織によって解かれたようだった。証拠に、ウェーバーが数分間弄ったところ、すぐに機体は自由を取り戻し、接合部の発光、点滅を開始した。伊織自身、やはりこれ以上機体が暴走する事はない、と何らかの理由から判断したようだった。
「コックピットに入り、私が合図するまでお待ち下さい。念の為、モデュラスの登録は時刻を明確にして行います」
「分かったわ」
アンジュは、四号機に攀じ登ってそのコックピットに入る。起動キーを回すと、コックピット内に照明が点いたが、外の様子はサブカメラの映像が側面モニターに映し出されただけだった。一瞬焦りを感じたが、頭部のメインカメラがやられている為、それは当然の事だった。
通信機を起動し、ビブロメーターを持ったウェーバーと回線を繋ぐ。
「ちゃんと聞こえてる?」
『ええ、問題ありません。少々、そのまま待機を。絶対に、何処にも触らないで下さい』
随分と念を押してくるな、と思いながらも、アンジュは了解の返事をする。ウェーバーは何やらものを弄っているらしく、回線の向こうからはごそごそという音が聞こえて来た。
この機体に、本当にハープが居るのだろうか、とアンジュは考えた。
そうではないだろう、とまた自分で思い直す。ここにハープの意思があるのだとしても、それは残留思念や魂などといったスピリチュアルな事ではなく、ウェーバーの言う通り機体が吸収した重力が脳回路をトレースした、人工知能のような疑似的なものだろう。彼女はもう居ない。あまり、感情移入しすぎる事は控えねば。
その時、突然側面モニターの映像が途切れた。照明が落ち、いつの間にか足元から上がってきていた小型タブレットの光だけが、狭い空間に濃縮された闇をぼんやりと照らしている。無線機の向こうから聞こえていた雑音も突然途切れ、不自然な静寂がコックピット内を支配した。
「ちょっと? ウェーバー、何が起こっているの?」
口が回らないまま、アンジュは戸惑ってコックピットの様々な場所に触れた。しかし、まだタブレットに触れてモデュラスとしての登録をしていない自分には、この機械は反応を返さないようだ。
『Super Primer : HAMMAR』『警告:スペルプリマーと同化した者は、精神構造を回復する事は出来ません。登録は慎重に行って下さい』という二つのメッセージ、『OK』と書かれたダイアログボックスのみが、タブレット画面には表示されていた。だが、アンジュには最初に起動キーを回して点いた照明などの基本システムもダウンした事から、たとえ自分が登録しようが何をしようが、この機体は動かせないのではないか、という予感をありありと感じていた。
ヒッグス通信が途絶えた以上、直接ウェーバーに話す以外にない。アンジュは座席から立ち上がり、ハッチを開いて脱出しようとした。だが、手動のそれに手を掛けた瞬間、強い抵抗を感じて、脊髄反射的に手を引っ込めていた。
機体に、ロックが掛かっている。起動している証拠に、タブレットは点いているので、どうやらこれはシステムダウンというより誤作動というべき事態らしい。閉じ込められた、と思うと、アンジュはぞっとした。
「ウェーバー! ウェーバー、聞こえる? 返事して! ねえ!」
ハッチを手で叩きながら、外に向かって呼び掛ける。だが、彼は聞こえていないらしく、逆に叩き返してくるような音は聞こえない。もしかすると、彼もアンジュと通信出来なくなった事で異変を感じ、こちらに呼び掛けているのかもしれないが、それが聞こえないという事は、スペルプリマーの内外では完全に音が遮断されてしまっているのかもしれない。
どうしよう、と思った時、次の事態が発生した。
機体の後方から、ゴーッという鈍い音が響き始めた。がくりと機体が揺れ、座席から伸び上がるようにしていたアンジュは倒れ込むように引き戻される。床から、ぐっと持ち上げられるような感覚が足の裏を伝わってきた。
(四号機が動いている……? 嘘?)
アンジュの混乱は、最高潮に達した。自分はまだ何処にも触っていない。これも、ハープの影響なのだろうか。だが、自分とハープは一度言葉を交わしている。知らない者同士ではないし、ウェーバーが推測していた通りであれば、最初から彼女は自分たちに何かを訴えようとしていた。伊織の場合、シェアリングを行った事で四号機の暴走を招いたようだが、自分はこうして直接──。
「………!?」
そこまで考えが及んだ時、アンジュは叫びそうになるのを懸命に堪えねばならなかった。まさか、という気持ちで一杯だった。信じたくなかった。
モデュラス同士が直接重力波で通信をするには、シェアリングが必要だった。もしハープとの交信もそれに含まれるのなら、自分が乗るべき機体は四号機ではない。それに、先程の封印の事もある。伊織が火星での四号機暴走事件の後、封印を解いて四号機と対話し、また封印したとしても、その方法はかなり杜撰だった。実際にウェーバーは、呆気ない程簡単に四号機の封印を次々と解いていった。
四号機が縛めを解かれたのは、一度ではなかったのではないか。伊織ではない誰か、それも何らかの悪意を持つ者が、封印を解いて何らかの仕掛けをしたのではないのか。そして、スペルプリマーの格納庫に入れる人物など、ディベルバイスの中ではかなり限定されている。
暗転したメインモニターの向こうから、ガタン、という音と、それに続く摩擦音が響き始めた。四号機が進み出すと同時に、カタパルトデッキへと続く出口のシャッターが開き始めたらしい。それを悟ると、アンジュは悲しみと恐怖により、叫ばずにはいられなかった。
「謀ったわね、ウェーバー!」
その瞬間、外で大きく鳴っているはずのシャッターの音が聞こえなくなった。どうやら四号機は、宇宙空間に出てしまったらしい。
ウェーバーが何を企んだのかは分からない。だが、今自分が危険な目に遭い始めている事は火を見るよりも明らかだった。
(私に出来る事は、もうないのかしら……)
抗えない力に引かれるように、船前方、実戦部隊と過激派船団が戦闘を繰り広げている辺りに流されながら、アンジュは頭を必死に回転させた。ウェーバーがシステムに細工を施したのだとしても、スペルプリマーは自分たちの知識を超えた科学の産物だ。決して全てを乗っ取れたはずがない。
タブレット画面のメッセージが、限定された視界一杯に映し出されている。彼が手を加えられなかったものは、まさにこれに違いない。SBEC因子を搭乗者に組み込み、モデュラスとして覚醒させるシステム。
自分に動かせるのがこれだけだとしたら──。
アンジュは凝縮された時間の中、全身全霊で葛藤した。