『破天のディベルバイス』第18話 集合する自我⑤
④アンジュ・バロネス
監禁生活が始まってから、早くも一ヶ月が経とうとしている。
今日の分の日記をつけ終えると、アンジュは机に上体を預けるようにして大きく伸びをした。疲労は溜まっているはずなのに、眠れる気がしない。精神的な疲れは睡眠で回復するものではない、と、あたかも体が自覚しているようだった。
ダークギルドが火星で追放され、ユーゲントはブリッジを追われ、自分はさすがにダークに加担していたからといって同じように放逐される事はなかったが、見張り付きの監禁という重罰を課された。それは祐二たちにも裏の理由があり、訓練生たちの怒りが度を越えた悪意となり、自分に向くのを回避する、という事でもあると最初に言われた。
舵取り組が機能不全である事は、薄々感じていた。外に出る事の許されないアンジュにとって、有事の際に流れる船内放送は唯一の情報取得手段だったが、火星で宗祇少佐の刺客と交戦している日々のうち、彼らの戦術が段々覚束なくなっていくのが分かった。詳しい被害状況などについてはいちいち報告されるはずもないが、最初の戦闘で何か致命的な事態が発生した事は明らかだった。
宗祇少佐による大規模な包囲作戦が展開される中、決定的な状況の変化は一週間後に訪れた。
『ディベルバイス、全乗組員に告げる。自分は〇一クラス首席訓練生、ケーゼ隊筆頭にしてスペルプリマー五号機のモデュラス、神稲伊織。現時刻を以て、本船の指揮権は自分に移行した。これより我々は、ダイモス戦線副指揮官・宗祇隼大少佐率いる師団へ反撃を開始する』
神稲伊織が、舵取り組に対してクーデターを発動した。彼は自分の作戦でディベルバイスを火星から脱出させ、自身の手腕を船中に喧伝すると、何故か小惑星エロス、ノイエ・ヴェルトへの攻撃を宣言した。その理由として彼は、星導師オーズの殺害が自分たちの旅の終わりを意味するものだ、としていたが、アンジュには何故そのような結論になるのか、分からないままだった。
ダークが同様に、ユーゲントを人質にして船内に脅迫に近い支配体制を敷いた時、アンジュには彼の目的が分かっていた為、そこまで恐怖は感じなかった。伊織の思考が読めないだけに、今度の支配はより恐ろしかった。
先は、完全に見えなかった。確かに、船内は静かになったのだろう。第三次舵取り組の統治下では、アンジュのすぐ近くの部屋に居たマリー、シオンが襲撃され、その後も廊下で生徒たちが、主にユーゲント絡みで揉めている声が頻繁に聞こえてきた。だが現在では、それもない。
それを喜んでいい状況でない事は明らかだった。今現在の空気は、凪いでいるというより張り詰めている。火星でダークの時代が終わりを迎えた時のように、抑圧された感情はいずれ反動となる。その反動が訪れるきっかけを与えない程、伊織が皆を抑え込めるかどうかは不明だった。
(ダーク君……)
十一月二十六日、あと三十分で日付が変わる、という頃。
このような状況で、自分にダークが居てくれたら、という気持ちを抱えていた時、部屋の入口の扉がノックされた。アンジュは、ついびくりとして扉の方を見る。
見張りは、夜は皆と同じように眠る事になっていた。アンジュに脱走する気がない事は祐二たちには分かっていただろうし、現在の第四次舵取り組の体制下でも、伊織はその方針を変更していない。訓練生たちによる襲撃についても、アンジュたちが以前していたようなブリッジ担当の交替と同じ形式で、居住区画のパトロールを行っているらしいので心配はないようだった。
「誰……?」
「私です、ウェーバー」
その声に、アンジュは驚く。同時に、心臓がドクドクと速く鳴り始めた。
ウェーバーが、自分の元を訪ねてくる事があるとは思わなかった。彼は常に事務的で、同級生たちとも「友人」というような付き合い方はしない。しかし、現在拘束中の自分に、事務的な用事などあるはずがなかった。
(まさか、私を……)
自分がお払い箱になったのではないか、という予感が、不意に頭を擡げた。ウェーバーは今、伊織の協力者としてブリッジでオペレーターを務めている。そして、彼もまた現在の伊織のように、効率主義者だ。もしも、アンジュが居る事で皆の悪感情を増長させ、治安維持に支障を来すと判断されたのなら。
「ご安心下さい」
ウェーバーは、アンジュの内心を見透かしたかの如く言った。
「別に、危害を加えるつもりはありません。警戒なさらず」
「いえ、私だって、別にあなたを疑っている訳じゃ……」
言いながら、アンジュは椅子から立ち上がり、扉の方に向かう。開けると、ウェーバーは素早く「入りますよ」と言って滑り込んできた。後ろ手に、アンジュが開けたばかりの扉を閉める。
「どうしたの、そんなに焦って?」
「夜間とはいえ、誰かに聞かれたくない話ですので。あなたにとっては朗報ですよ、アンジュさん」
「なあに、朗報って?」
一応警戒したまま、アンジュは尋ねた。今し方彼の言った、「誰かに聞かれたくない」という言葉に引っ掛かるものがあった。
ウェーバーはアンジュの内心を知ってか知らでか、扉に背を預けたまま声を低めて言ってきた。「ダーク・エコーズに、もう一度会いたくありませんか?」
「えっ!?」
「その反応……まだ、彼に対する未練が断ち切れていないと見えますね」
彼の言葉は半ば予想通り、という余裕のようなものを孕んでいたが、アンジュはそこにどのような思惑があるのか、などと考える事は出来なかった。
「ダーク君に? どうして?」
「どうか、騒ぎ立てぬように。これは私が個人的に考えたプランなのですが……あなたに、モデュラスとなって頂きたいのです」
ウェーバーは、黙って先を促すアンジュに語り始めた。
「神稲さんの行動について、理解出来ない訳ではありません。停滞を起こさない為に生徒たちに目標を与え、また厳格なルールを以て彼らを統制する。その上、彼は日々実績を作っています。統率者としては申し分ない存在でしょう。しかし、その為の目標というものが意味不明です。何故、星導師オーズを滅ぼす事が、我々の旅の終わりに繋がるのか。フリュム計画からの解放を意味するのか。それが明確にされない限りは、生徒たちにもニルバナやダイモス戦線の前例があります、彼らの感情は抑圧されるばかりでしょう。
神稲さんは、まだ未熟です。短期決戦とはいえ、明日にはまた大規模な戦闘が行われる。……この件については必ずブリッジから告知がありますので、ここでの追究は控えて下さい。また、確実にノイエ・ヴェルトに打ち勝つ保証もない。何処かでボロを出し、集中砲火に遭わないとも限りません。
私は、常に現実を見ています。最悪のケースも想定しての、現実です。私は、神稲さんの行動の理由を探り、生徒たちに公表しようと考えています。そして、その鍵がスペルプリマー四号機にあると思うのです」
「四号機……」
これについても、火星に停泊していた頃にニュースがあった。詳細までは分からなかったが、伊織が調べている間に突如暴走を開始し、瀕死の状態になった生徒が居るそうだ。その姓名までは公表されなかったが、四号機を封印する事、誰もスペルプリマーには無断で近づいてはならない事が、放送で語られた。
ダークが起動し、彼をモデュラスとした機体。現在生きているモデュラスの発現因子を生み出したハープが搭乗し、彼女の命を奪った機体でもある。それが何故、暴走などを引き起こしたのだろう。
「私はあの中に、ハープさんの存在が残っていると推測します」
「存在……?」
「スペルプリマーは搭乗者の有する万有引力を増幅させ、システムを通して解放します。そのシステム上に、その発生機構がトレースされていた場合……ある種の人工知能的な存在となった搭乗者と、モデュラスは交信可能なのではないでしょうか」
「どうやって?」
質問ばかりで申し訳ない気はしたが、アンジュの心は逸っていた。
「モデュラス同士が機体を介して行う、シェアリングです。重力の波長を合わせる事で、他者と脳神経で直接対話をする技術……重力は、発生者たちの間でも相互干渉を行うようですから」
ウェーバーは、火星圏でダークから告げられた事をしっかりと呑み込んでいるようだった。アンジュもまだ、あまりにも自分が知っている科学の知識外の事に、理解が追い着いていない部分があったが、彼の整理は早い。恐らく、五号機のパイロットとなった伊織から聞かされた情報もあるのかもしれない。
「ユーゲント以下の世代であれば、スペルプリマーには誰でも搭乗可能です。あなたも、機体を動かす事が出来ます。どうか、四号機に乗って調査を行って頂きたい。あなたであれば、ハープさんと対話も可能でしょう。……彼女は、モデュラスとしての能力は申し分ないものでした。そして彼女は、何かを我々に訴えようとしていた。恐らく、ダークを呼んでいたのでしょう。四号機を介せば、あなたがダークと意思疎通を図る事も可能と思われます。彼もまた、モデュラスなのですから」
──ダークと、もう一度話せるかもしれない。
ウェーバーの言葉を反芻すると、アンジュの胸に高揚感が込み上げた。ダークが船を追われた時、自分の受けるべき罰が他にあるとしても、彼と一緒に追放されていたらどれだけ良かっただろう、と思った。そして、そのような事を僅かにでも考えてしまい、捨てきれない自分が嫌になってもいた。
「何で……」
アンジュは、その時ふと疑問を感じてまた問うた。
「ユーゲントが誰でも可能なら、何でわざわざ謹慎中の私に?」
このような事を考えては失礼かもしれないが、ウェーバーが自分の為にダークに会わせようとしてくれている、とは考えづらかった。
「あなたは、ダークに会う事を切望している」
ウェーバーの声が、そこで心なしか更に低音を強めた。
「他の生徒たちでは、四号機を恐れます。実際四号機が暴走した際、たまたまコックピット内で調査を行っていたケン・ニールは巻き込まれ、生身で火星の大気中に放り出されて低酸素脳症を引き起こしました。彼の意識は、未だに戻っていません。……しかしあなたは、恐れよりもダークとの対話の可能性を優先するでしょう。私の理由など、そのような損得勘定です。気分を悪くされたのなら謝罪します」
「そんな事ないわ、ウェーバー」
アンジュは、早口で彼に被せるように言った。
「私、四号機を調べてみたい。是非、私にやらせて」
言ってから、少々不安を感じて口が噤まれる。
「でも、大丈夫なのかな……私、まだ謹慎を解かれた訳じゃないし、そんな私が四号機を動かして、暴走なんかさせたら……」
「問題ありません。この間の暴走は、ハープさんが原因でしょう。彼女と実際に話しており、ダークと心を通わせていたあなたなら、きっと彼女を鎮められる。それに、これは私が独自に行おうとしている調査です。実験は、あなたが当事者だという事を隠して行いますし、もしそれが露見してもあなたに責めが及ばないよう、私が取り計らいます。私では心許ありませんか?」
「……いいえ」
アンジュの胸中に落ちた不安の石が、そこでゆっくりと融解した。同時に、たとえ損得勘定であったとしても、自分にこの話を持って来てくれたウェーバーに感謝の念を抱いた。
「実験は翌日、ラトリア・ルミレースとの交戦中に行います。どさくさに紛れて、という訳です。私との個人的な回線を用意しましたので……」
ウェーバーは、淡々とプランについて説明していった。